えげん3
その騒ぎを、天同会の所有する寺のお堂の中から羅門は視ていた。
深海慧が何かを企んでいるのは分かっていた。
だが当人の考えはサトリとしての力で相殺されるが故に読めず、全てを知らされているであろう深退組の長である宮間椿月もまたここ数日は結界の中へと篭もり様子をうかがうことすらできなかった。
そしてようやく出て来たかと思えば、その頃には既に警察関係者が犬笛の拠点を包囲しているという有様。
なるほどそれは盲点だった。
今まで裏で暗躍することに徹していた羅門には予想外の対応。
警察関係者の動向など頭の隅にすらなく、サトリ能力による監視もしていなかった。
だがおかしい。
仮に一般のカルト集団が邪魔だったとしても、退魔師たちの術を使えば被害を出さず無力化することは容易いはずだ。
カルト集団を排除したとしてもおおかみ様に警察官たちでは太刀打ちできない。
ならば最初から退魔師たちが出張った方が余計な被害を出さずに済んだことだろう。
何故わざわざ警察を使う必要があったのか。
「国家権力を巻き込んで事を大きくするためだよ。天同会がおまえたちを庇い立てしないようにな」
「……何?」
内心の疑問に答えるようにかけられた声に、羅門は一瞬思考が止まり動揺した。
見ればお堂の入口。木製の扉の前に一人の青年が立っていた。
いつの間に。考え事に没頭していたとはいえ、重く古い木製の扉が開く音に気付かないはずがない。
何より何故こちらの考えが読まれている。
「俺が何年サトリをやっていると思っている。わざわざ読まなくてもおまえが考えていることぐらい予想できる」
「……なるほど。だが君が来たおかげで疑問の幾つかは解消されたよ」
天同会の理念は全ての思想を許容するという危険極まりないものだが、それでも表立って国に弓引くような無謀な集団ではない。
実際それを目的とした派閥もあるのだが、明るみに出た時点でトカゲのしっぽよろしく切り捨てられることだろう。
そしてその切り捨てられる立場へと羅門は追いやられた。
だがそれだけではない。この青年がここへ来たのは。
「私を殺すためだけに、敵も味方も囮にしたわけだ。なんとも君らしい。流石だよ。大衆が望む正義の体現者。だからこそ憐れだ」
「何?」
「大衆は愚かだ。無知だ。下衆だ! 日々を安穏と暮らしながらその影で泣いている人々のことなど知ろうともしない。知ったとしても自分には関係ないからと目をそらすのだ。サトリである君はそれをよく知っているだろう」
「……」
「君は友に裏切られた。そして愛する者を手にかけた。守る者を全て失った君が縋った正義は確かに君を強くしただろう。だがその正義は君を救わない。最後には君に全ての責任を押し付け、自業自得だと死体に唾を吐きかけるのだ」
「……」
そう憐れみの目を向けてくる羅門に深海は無言で返す。
なるほど。深海自身も自分がいささか正義感が強すぎ、融通がきかないことは自覚している。
だが羅門のその見解はあまりに見当違いで――。
「おまえが俺を聖人か何かと勘違いしてるのは分かった。俺がおまえを殺すのに個人的な理由がないとでも思ってたのか。おまえが今も貶め続けているそいつに何の感情も抱いてないとでも?」
「何?」
言われた意味がすぐには理解できず、しかし心当たりはあった羅門はその手にある髑髏へと視線を向けていた。
かつて羅門と同じ組織に所属していたサトリの骨。
確かにその人物と深海は面識がある。いやむしろ因縁があるというべきか。
何せ先ほど羅門が口にした「裏切った友」というのはこの髑髏の生前のことなのだから。
しかしだからこそ、深海がこの髑髏を狙う意味が分からない。
「分からないだろうな。おまえのような成り損ないのサトリには」
そう言いながら深海は刀を抜く。
いつも使っているような無銘の新々刀ではない。
鞘から抜いただけで霊力が濁流のように溢れ出す古刀にして霊刀だ。
羅門が得意とする結界など紙のように切り裂くことだろう。
「さあ、今日こそ逃がしはしない。俺の友人を返してもらうぞ。羅門」
・
・
・
「だああ!」
犬笛のいる施設に忍び込んだはいいが、俺は今全力で逃げていた。
「おおかみ様だらけじゃねえか!」
そう文句を言いながらも飛び掛かってきたおおかみ様を結界刀で斬り伏せ、ついでに見かけた脇道を結界で塞いでおく。
深海さんから教えられた犬笛の本拠地は、見た目は小さな小屋から入れる地下の奥深くだった。
その地下に入ったはいいのだが、コンクリートを打ち付けただけの殺風景な通路は両手を辛うじて伸ばせるかというほど狭く、しかも行く手にはみっちりとつまるように立ちはだかるおおかみ様の集団。
もうそれを見た時点で帰りたくなったのだが、実際に帰ったら深海さんに良い笑顔でお出迎えされそうなので気合で全部斬り捨てた。
しかしいくら斬っても続々と次が来る上に、脇道から背後に回ってくるやつもいる始末。
もう邪魔なやつだけ斬り捨てて前進するしかなかった。
余裕があれば結界で道を塞いでいるのだが時間稼ぎにしかならない。
というかこの地下道どこまで続いてんだよ。明らかに工場の敷地からはみ出してるだろ。それこそ違法なんじゃねえのかコレ。
「くっそ、邪魔だ!」
立ちはだかるおおかみ様を突進しながら結界刀で貫く。
結界刀の特性のおかげでおおかみ様は簡単に倒せる。倒せるが、何だか嫌な感じがする。
先ほどから明らかに前方に居るおおかみ様が減り、代わりのように後ろから追い立ててくる数が増えている。
これ誘い込まれてるだろ。
というかおおかみ様と遭遇した時点で犬笛には俺の存在バレてるだろうし。
あれ? これ俺が単独で潜入する意味あったか?
どうせバレるなら援護に何人か付いて来てもらってもよかったのでは?
「いや、深海さんならこれも予想済み……のはず」
例えば犬笛本人はこの地下道には居ないとか。
そもそも深海さんが俺に依頼したのは「斎藤さんの救出」だ。犬笛本人をどうこうしろとは言われてない。
ならば俺に言っていないだけで、犬笛を確保するための人員を用意しているのかもしれない。
なら俺はさっさと斎藤さんをかっさらって逃げればいいわけだ。
それなら楽勝……なわけねえだろ!?
「どらっしゃあ!」
半ば自棄になりながらおおかみ様たちを薙ぎ払い走る。
先ほどからポジティブに考えようとしているが、俺は一つ思い出してしまったことを必死に意識に上らせないようにしていた。
意識してしまったら本当になってしまいそうだし、何より読まれてはいけないような気がしたから。
「――深海のことやけどな。あんま信用せん方がええ」
そうかつて狸の神様から忠告されたことを。
コメディが……コメディが足りない