呪 その1
助けてくれ。
そう俺に言った新田だったが、詳しい話を聞く前に他の生徒が通りがかったためにその内容はうやむやになってしまった。
他の人間には聞かれたくない話なのか。まあ流れからして間違いなくオカルト絡みの話なので、常識的に考えれば人に聞かせたくなどないだろうが。
「……」
「ばあー!」
さて。
そうして話を聞けないまま四時限目に突入したわけだが、現在俺のノートの上におっさんの生首が生えてきてまことにうざい変顔をしている。
何しに来た。というか邪魔だ。
俺が見鬼に目覚めてから頻繁に絡んでくるが、一体何がしたいんだこのおっさんは。
「へっへっへ……ああーん!?」
そんなおっさんをどっか行けと睨んでいたら、不意に隣に肌色の何かが生えておっさん生首をノートの上から叩き出した。
「……」
現れたのは手首から先だけの人間の手。いわゆるハンドさん。
手だけなので当然喋れないらしく、人差し指を立てて左右に振ると「へっ。危なかったな少年。後は俺に任せな。あんな野郎俺にかかればいちころだぜ☆」みたいなジェスチャーをして吹っ飛んでいったおっさんへ追撃をかましにいった。
「ああ、いやーん!」
そして気色の悪い声をあげながら、いつの間にか現れた数名のハンドさんに持ち上げられ神輿のように教室から担ぎ出されるおっさん。
ありがとうハンドさん。何かもうつっこむのが面倒くさいから素直に感謝しとくよハンドさん。
お礼に後でコーヒーでもお供えしておこう。
その思い付きに従い授業が終わるなりまた机に生えたハンドさんに缶コーヒーをお供えしてみたが「おお。悪いな少年。ではありがたく……って飲めんやないかーい!」というノリつっこみジェスチャーをいただいた。
何て芸達者なんだハンドさん。
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昼休み。
ようやく話をする気になったのか声をかけてきた新田に、場所を変えようと言って教室を出た。
教室では他の生徒の目があるし、そもそも俺と新田という組み合わせが目を引く。
だから他の人間が来ないであろう上に、新田の相談内容にも合致しそうな人がいるふしぎ発見部の部室へとやってきたわけだが。
「失礼します」
「フハハハハハ! よく来たな悩める若人よ! 私は修験者を祖とする高加茂家の次期当主にして、このふしぎ発見部の部長である高加茂月……」
「失礼しました」
何か椅子の上に立ち、机を片足で踏みしめて黒マント靡かせながらテンション爆上げで自己紹介してる人が居たので、思わず扉を閉めた俺は悪くない。
そうか。月紫部長は陰陽師とかじゃなくて修験者系だったのか。
ってそんなのはどうでもいい!
「……望月。今の生徒会長だよな?」
「そうか。おまえにも見えたか。なら幻覚じゃないな」
何やってんだあの人は。先祖代々続いてる修験者の家系なら何故あんな中二病全開なんだ。
というか何故俺が新田を連れてくるのを分かっているのか。まさか盗聴でもしてるのか。
「……失礼します」
ともあれ中に入らなければ話が進まない。
そう思い決意も新たに扉を開けたのだが。
「フハハハハハ! よく来たな悩める若人よ! 私は修験者を祖とする高加茂家の次期当主にして、このふしぎ発見部の部長である高加茂月……」
「やり直すのかよ!?」
めげもせずに再びテンションマックスな自己紹介を始めた月紫部長に全力でつっこんだ。
もうやだこの中二病。
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気を取り直して。
月紫部長とは正反対にテンションの低い新田の自己紹介も終わり、とりあえず昼食をとりながら話をすることとなった。
食事をするためにちゃんと帽子を脱いでマントも外す月紫部長。
そういうところは律儀なのに、何故上履きのまま椅子や机に乗ってしまうのか。
「それで。相談というのは?」
「ああ……」
俺の質問に返事はしたものの、話すことがまとまってないのかそれとも話しづらいのか、僅かに躊躇いを見せる新田。
「ここ一週間ほど……右足の裏に何かが刺さったみたいな激痛が走ることがあるんだ」
「右足の裏?」
相変わらず背中に張り付いてくる斎藤さんに卵焼きをあげながら、鸚鵡返しに言う。
それはまた限定的な場所だ。これが心臓とかなら有名な丑の刻参りでも疑うところなのだが、右足の裏。
藁人形にぶっさすにしても逆に難しいだろう。
「物理的に何か刺さってるわけではないんだよな?」
「ああ。それは俺も疑ったし、鏡も使ってよく見てみたけど何もなかったよ」
まあそれは真っ先にやるだろう。
もしかすれば足の裏に刺されたような痛みが走る病気もあるのかもしれないが、それならわざわざオカルトな理由を探す必要もない。
新田は頭が悪いタイプには見えない。そういった常識的な範疇でのものは全部疑った後だろう。
その上で、荒唐無稽と半ば思いながら俺に相談を持ってきたはずだ。
「何か憑りついていることはないですよね?」
「ああ。そういった気配はないな。むしろそういったモノは私より望月の方が『視える』はずだ」
月紫部長にも確認してみるが、霊も含め悪意ある何かが新田に憑いている様子もない。
ならば痛みが起きる瞬間にだけ何かが起こっている。やはり呪いの類である可能性が高いわけだが。
「……恨みを買うタイプにも見えないしな」
イケメン爆発しろとは思ったが、せいぜいその程度だ。
逆に言えば新田は行動もイケメンで平等な男であり、本気の害意を持たれる人間とは思えない。
まあそれでも嫉妬の類を抱かれるかもしれないのが人間の恐さかもしれないが。
「一応心当たりはある」
そんな風に悩んでいたら、意外な言葉が本人から出てきた。
「恨まれる心当たりが?」
「恨み……とは断言できないけど、足を狙われるなら中学の部活絡みかもしれない」
中学の部活とはいやに限定的だ。野球がどう絡んで足に呪いを受ける羽目になったのか。
「中学の時。俺は陸上部だったんだ」
しかし野球部期待の新人から出たのは意外な言葉だった。
「これでも中々速くてね。全国大会にも出たことがある」
「そうなのか。なのに何で野球部に?」
「中島だよ」
短い答えに意味が分からず首が傾いた。
中島。あの熱血スポーツ馬鹿がどうしたというのか。
「あいつは凄いやつだよ。冗談抜きで甲子園でも活躍できる選手だ。でもうちの学園の野球部はそれほど強くないだろう?」
「まあ強豪ではないな」
それでもたまに。本当にたまに甲子園に出場しているので、弱小というわけでもないだろう。
「だから、俺があいつを甲子園に連れていく手伝いができたらと思ったんだ。元々陸上は惰性でやっていたようなものだったし、それならあいつと一緒に夢を追いたい。そう思ったんだ」
「……」
何このイケメン。
というかそれで期待されるほどに野球できるとか、どんだけ基本スペックが高いのか。
天は二物を与えないとかいうのは嘘だろう。この新田みたいに恵まれたやつはとことん恵まれているに違いない。
「じゃあ下手人はおまえがまだ陸上やってると思ってるライバルとかか?」
「そこまでは何とも。ただ野球部としてはぽっと出の俺の足が狙われるなら、そっちの可能性の方が高いかなと思ったんだ」
それはそうだが、結局は推測の域を出ないということか。
「どうしたらいいと思いますか月紫部長?」
「そうだな。呪いだとしてもその残り香も拾えないとなれば、その瞬間を押さえるしかないだろう。痛みが走るのはやはり深夜か?」
「そういう時もありますけど、放課後に入ってしばらくしてからだったり、まだ日付も変わってない時刻だったり色々です。昼間の間はほぼないですけど」
「なるほど。では今日から君の家で泊まり込みで監視しよう」
『……はい?』
さらりと放たれた月紫部長の言葉に、新田と二人して固まった。
いや、やりたいことは分かる。でもダメだろ。常識的に考えて。
「と言っても私が泊まり込むのは性別的に問題があるから望月にやってもらう」
「良かった。その程度の常識はあったんですね」
「当たり前だろう。君は私を何だと思っているんだ」
中二病全開の黙ってたら美少女な残念系女子です。
ともあれ。放課後も含めて今日から俺は新田を監視することになったらしい。
友人でもない男と四六時中一緒にいるとか何の嫌がらせだろうか。
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放課後。
日中でも痛みが走ることがあるというのでグラウンドの端で野球部の観察をしているわけだが、意外と言っては失礼かもしれないが熱心にやっている。
特に監督の怒号が凄い。単に大声で叫んでいるだけなのかもしれないが、そのいかつい顔も相まって普通に恐い。
「あの。入部希望ですか?」
「え?」
そうやって部員たちが扱かれているのを見ていたら、突然女子生徒に話しかけられた。
あまりに控えめで小さい声だったので一瞬気のせいかと思ったが、横を見てみればいつの間にか黒髪を二つ結びにした女子生徒がこちらを見上げていた。
「いや。友人が野球部だから、どんな練習してるのか気になって見てただけです」
「お友達……誰ですか?」
「えーと、一年の新田ですけど」
「篤士くんですか?」
……そうだっけ?
中里に言われてクラスメイトの名前くらいは覚えるよう努力したが、流石に下の名前までは覚えてない。
まあ一年に他に新田は居ないはずだから、それで間違いないはずだが。
「えーと、新田と親しいんですか?」
「幼馴染です。あと私も一年ですから敬語じゃなくていいですよ」
「え? でも……」
「私のは癖みたいなものなので、気にしないでください」
さいですか。
というか異性の幼馴染まで居るって、新田はどこまで勝ち組街道突っ走ってるんだよ。
中里とかに比べたら地味な印象だけど、真面目そうで可愛いし。
「まあ暇つぶしで見てるだけだから。練習の邪魔なら移動するけど」
「いえ、私が気になっただけですから。ゆっくり見ていってください」
そう言って頭を下げると、女子生徒は去っていった。
名前聞き忘れたな。まあ俺も名乗ってないけど。
「……さて」
それからしばらく眺めていたが、新田に何か異変が起きる様子はない。
中間考査が近いせいか早めに練習は終わるらしく、当の新田はグラウンドをトンボかけしている。
まあ何もないならないでいいのかもしれないが、このままでは本当に泊りがけで新田に付き合う必要すら出てくる。
いっそ何か起こってくれないだろうか。そんなことを思ってしまったのが悪かったのだろうか。
トンボかけをしていた新田が突然うずくまり、右足を抱え込んだのは。
「新田!?」
それに気づいて、俺はすぐに新田のそばへと駆け出した。
周囲の野球部員たちも気づいたのか、徐々に人が集まってきているがそんなものを気にしてもいられない。
「きたのか!?」
「あ……ああ。今日はもう大丈夫だと思ったんだけど」
答える新田の顔は血の気が引いており、汗が滝のように噴き出していた。
話には聞いていたが、その様子は尋常じゃない。一体何がとその右足に視線を向ける。
「……何だ?」
黒いもやのようなものが、新田の右足に絡みつくように漂っていた。
よく見えない。
いやよく見ろ。
見えるはずだ。
俺の力はそういうものだと月紫部長は言っていた。
あの人が何の根拠もなくそんなことを言うはずがない。
なら見抜け。
このもやが何なのかを。
「あ……」
瞬間。視界が切り替わった。
ここではない何処か。ぼやけてよく分からないが、どこかの林のような場所へと俺の視界は飛んでいた。
だけど俺は確かに新田の足を見ているわけで、重なりながらも交わらない二つの景色に酔いそうになる。
「これは……」
そんな重なる視界の中で、誰かが大きな木の幹に向かっているのが見えた。
相変わらずぼやけて重なる景色の中でそれが誰なのか見極めることはできなかったが、その人影は木の幹に何かを打ち付けているようだった。
カン。カンと響き渡る金属音。
その音に合わせるように、もう一つの視界の中で新田が痛みに耐えるように震えて声を漏らす。
おい。やめろ。それ以上それを打ち込むな。
「そんなものではおまえの望むものは手に入らない」と何故分からない。
「う……あ」
気持ち悪い。
重なる視界にも酔いそうだが、目の前の光景から入って来る「知らないはずの情報」に頭がかき乱される。
そんな朦朧とする意識の中で俺は半ば無意識に手を伸ばし――。
「――誰!?」
その誰かが打ち込んでいた何かを引き抜いた。
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「それで出てきたのがコレというわけか」
「……はい」
確認するように聞いてきた月紫部長に、俺はどこか他人事のように思いながら肯定した。
新田の右足に痛みが出てから数十分後。
新田の足の痛みは嘘のようになくなりその場は収まったが、当の俺はそれどころではなく逃げるようにその場を立ち去ると、すぐに部室で月紫部長と合流した。
「釘……だな。しかもお約束のように五寸釘ときた」
そう。新田の足の痛みが治まると同時に、それは俺の手の中にあった。
まるで俺がその場で引き抜いたみたいに。
「何がどうなってんですかこれは」
「まあ十中八九呪いの触媒となったものだろう。問題は何故そんなものが君の手の中に滑り込んできたかということだが」
確かに俺は呪いをかけていると思われるその現場を霊視した。
そして新田の足の痛みの原因となっているであろうそれを引き抜いたわけだが、だからと言ってそれが物質として俺の手の中に出現するのはおかしい。
「可能性としては、君がやったのが単なる霊視ではなく幽体離脱の類だった場合だな。霊体というものは時に時間や空間を越える」
「つまり霊体飛ばして釘を引っこ抜いて戻って来たってことですか?」
「他にも現場と空間を繋いで直接引っこ抜いた可能性もある。まあどちらにせよ見鬼としての能力ではないな。君にはまだまだ隠された異能があるようだ」
「まったく嬉しくないんですけど」
釘を摘まんでためつすがめつ眺める月紫部長の言葉に、自然とうんざりとした声が漏れた。
見鬼だけでも持て余しているというのに、これ以上変な能力とかいらない。
「ともあれ、これで呪った方も懲りるだろう」
「呪い返しでしたっけ。見られただけでも呪いは成立しない」
「丑の刻参りの場合はだがな。今回のこれは釘こそ使っているが、時刻といい呪いの影響が出た場所といい、丑の刻参りではないはずだ。人型に釘や針を用いて呪と成す術は珍しいものではないが、今回のそれは素人が適当にやってたまたま上手くいっただけだろう。聞いただけでも手順が無茶苦茶だ」
そう断言する月紫部長だが、それはそれで恐ろしくはないだろうか。
手順が間違った意味で適当だったのならば、俺の妨害で呪詛返しが成立したかも怪しい。
「その辺りは経過観察が必要ではあるな。呪いだったと確定した以上、これで懲りないようなら私が呪詛返しをしてもいい」
「はあ。何事もないことを祈ります」
犯人が分かればよかったのだろうが、新田も報復を望むような性格ではないし、これで事態が収まるならそれもいいだろう。
その時はそう結論付けて話は終わった。
しかし何も終わっていなかった。
それが分かったのは中間考査が終わり、生徒たちが一息ついた頃だった。
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「おはようもっちー! テストどうだった?」
「さあ?」
「適当だ!? 赤点とかとったらどうするの?」
中間考査明けの月曜日。
今日も自転車で登校し汗の処理をしてから靴箱に向かうと、最近何故かよく会う中里に呆れたように言われた。
「おまえは俺が赤点をとると思うのか?」
というか仮にも進学校で赤点とる馬鹿は居るのか。
頭の出来という意味ではなく、態度的な意味で。
「……え? もしかしてもっちー成績いいの?」
「いい方が色々と先生に見逃してもらえるからな」
俺のセリフに懐疑的な中里。
まあ高校に入ってから最初の試験だし、お互いに成績を把握していないから仕方ないのかもしれない。
そう思いながら靴箱の中に手を伸ばす。
「ッ!?」
「? もっちーどうかしたの?」
「……いや、何でもない」
漏れそうになった声を噛み殺し、平静を装い中里に返す。
それに中里は不思議そうな顔をしていたが、他の女子生徒に声をかけられると興味を失ったのか、教室へ向かい歩き始めた。
その背中が見えなくなるのを確認すると、俺は靴箱の中から右手を引き抜く。
「幽霊よりも生きた人間の方が恐い……か」
靴箱の中。上履きの中で光る何か。
引き抜いた指先は深く裂け、赤い血が流れ落ちていた。