私の神様7
「……あれ?」
あまりに眠くて少し目を閉じた……つもりだったのだが。目を開いたそこにあったのは青空ではなく、白い天井だった。
「いっつ!?」
現状を把握しようと起き上がろうとしたのだが、体を支えようとした左腕に激痛が走り思わず声を上げる。
それにつられて視線を下げれば、どうやら俺はベッドに寝かせられていたらしい。
いつの間にか着替えさせられたらしい水色の服の裾をめくりあげると、そこには包帯でぐるぐる巻きにされた二の腕。
手当されている?
ということはここは病院で、着せられているのは患者衣というやつか。
まさか前の犬神もどきのときみたいに、丸一日以上気を失ってたのか。
「いや、まだ半日くらいだよ。丁度夜が明けたところだね」
「深海さん?」
不意に俺の疑問に答えるように声をかけられ、そちらへと振り向いたのだが。
「……どうしたんですかその顔?」
「君の先輩二人に殴られた」
そこには両頬に青あざを作った深海さんが。
殴られた? 月紫部長と七海先輩に?
もしかして「よくもうちのもんを巻き込んでくれたな」とかそういう話か。
「いやー高加茂さんはともかく、日向のお嬢さんまで拳で来るとは予想外だったよ」
「七海先輩アレで武闘派ですから」
むしろ純粋な格闘では七海先輩の方が強いのでは。サトリを正面からぶん殴ろうとして逃げられた女だぞ。
よく首もげなかったな深海さん。
「でも何でそこまで。俺だって了承して巻き込まれたんだから深海さんのせいじゃないでしょう」
「君も予想しかけてあえて意識から外してたでしょ。俺は最初からあの場に羅門が現れるのを予想してたよ。その上で君を結界の中に放り込んだ」
「あー……」
うん。実は途中から深海さん俺を囮にしたんじゃないかとはちょっと思った。
そう思ったのが羅門に読まれたら台無しになるから意識して意識しないようにしていたが、成功してたのかアレ。
「それで目的は達成できたんですか?」
「そこで俺を責めようと意識すらしないから君は気持ち悪いんだよ」
「気持ち悪いとな」
でも実際選択肢を与えられた上で乗るという判断をしたのは俺だし、ヤバいと思ったら逃げろと言われてたのに逃げる機会を逸したのは俺の責任では。
「それ高加茂さんたちの前で言うと良いよ。君も殴られるから」
何でや。
「まあ上手くいったというか、上手くいきすぎたね。精々羅門の不意をついて殺せるかな程度の期待しかしてなかったんだけど」
「精々て」
「犬笛が出て来て羅門と会話(心を晒)した。これは大きな収穫だった」
俺のツッコミは無視して、そう人の悪そうな笑みを浮かべながら言う深海さん。
犬笛。
犬神もどき――おおかみ様を作った男。
「俺は今まで犬笛という存在は知っていたけれど、何処の誰なのかまでは辿れなかった。奴は用心深い。人と会う時は必ず顔を隠し、外部から様子を探られないよう密室で結界をはっていた。だから奴と会ったことがある人間の心を読んでも、奴本人の情報は全く手に入らなかった」
「それなら今回も結界の中だったし、深海さんも探れなかったんじゃ……」
「いや。あの時俺はもう結界の中に侵入してたよ」
待てや。
つまり俺と橘が羅門にやられてるの黙って見てたのかよ。
そりゃ月紫部長と七海先輩も殴るわ。
いや、その結果として犬笛の手がかりを得られたんだから正解だったんだろうが。
「あれ? でも犬笛は深海さんはあと数分で到着する位置に居るって」
「ああ。殆どの人や羅門すら勘違いしてるみたいだけどね。俺はサトリの一族ではあるけれど、どちらかと言えば超能力者なんだよ。精神感応能力以外の能力がないとは一言もいってないよ」
「はい?」
それサトリの羅門すら知らないってことは、深海さんの知り合いの中にも知ってる人ほとんど居ないって事だろ。
どんだけ先読んで行動してんだこの人。
「ともあれ今回のことで俺は犬笛という男を特定した。あとは情報を抜き放題だ。条件がそろえば犬笛の本拠地を襲撃することになる」
「ちょっと待ってください。それ俺に言って良いんですか?」
深海さんが精神感応以外にも超能力を持っていることといい、バレたら困る情報のはずだ。
未だ羅門が健在なのに俺にほいほい教えたらバレるに決まってる。
「やっぱり気付いてなかったか。もう羅門は君の心を読めないよ。少なくともしばらくの間はね」
「え?」
羅門が俺の心を読めなくなっている?
確かにあの戦いの中で急に羅門は俺の心を読めなくなり動揺していたが、それは俺の意識が薄れて混濁していたからでは。
「それなら俺にも読めなくなっていただろうけど、俺にはちゃんと君が寝ぼけたみたいな頭になってるのは読めてたよ」
「寝ぼけたて」
確かにそんな感じだったが。
でもなら何故羅門は俺の心を読めなくなった。
「最初に君が空間を斬ったとき、羅門が心を読もうと『糸』を辿るのを君は感じ取っていただろう。その時だよ。君は空間と一緒に羅門と自分の『繋がり』を斬った」
「え?」
確かに羅門の方から何か嫌な感じのものが近寄ってくる感触はしたが、あれが俺と羅門の意識の繋がりだったのか。
「羅門は生粋のサトリじゃないからね。斬られた糸を結び直すなんて芸当できやしない。つまり君は羅門にとって天敵の一人になったわけだ」
そう言って深海さんは笑う。
悪戯を思いついた子供みたいな笑みでこちらを見ている。
そして――。
「望月くん。ヒーローになりたくないかい?」
そう俺に聞いてくる。
答えなど、聞かなくても分かっているのに。
・
・
・
「起きてるか橘?」
「え? お兄さん生きてたの?」
俺が寝かされていたのとは別の病室。
そこに橘が居ると聞いて訪ねてみたのだが、のっけからぬかしよるこの小娘。
「生きてて悪いか?」
「だってあのあと私が声かけても全然起きなかったんだもん」
「そういうおまえは大丈夫なのか。虫と一緒に内側から焼かれたんだろ」
「うん……虫ほとんど死んじゃった」
そう落ち込んだように言う橘だが、真っ先に気にするのが自分の体ではなく虫なのか。
羅門は橘のことを「虫籠」と呼んだ。
それは単なるあだ名の類ではなく、橘という少女の本質を表したものなのだろう。
そういう生き方をこの娘はしてきた。
だがそのことについて俺がとやかく言うつもりはないし、言うべきではないのだろう。
少なくとも橘は自分のその本質を受け入れているし、誇りにも思っている。
ならそれでいいだろう。
優しさや、ましてや同情なんてこいつは少しも欲してはいない。
「でも大丈夫。何とかこの子は生き残ったから」
「この子?」
そう言いながら橘が差し出した手の甲に、青虫のような一匹の虫がいた。
頭を上げて、様子を窺うようにこちらへと向けている。
「この子はね。神様」
「……その割には大した霊力も感じないが」
「うん。だってこの子に特殊能力とかないもん。ただとっても長生きするだけ」
「ええ……」
仮にも神様と呼んでおいて長生きするだけって。
もしかして不老不死で信仰の象徴的なものなのか。
「私たちの一族はね、神様を作ろうとしてたの。そのために神様に色んなものを食べさせた」
「……」
その色んなものが何なのかは聞かない方がいいんだろうな。
橘の一族とやらが橘残して全滅してるっぽいのを考えるに。
「でもそんなんじゃ私たちが望む神様なんてできなかった。ううん。本当はとっくの昔に自分たちがやってることが失敗だなんてみんな分かってた。でも否定するには積み重ねた時間が長すぎた」
千四百年前だったか。常世神信仰が始まり滅ぼされたというのは。
それからずっと橘の一族が試行錯誤を重ねていたのだとしたら、確かにそれは否定するには重すぎる。
千年以上も自分たちのやってきたことが無駄だったと、認められるはずがない。
「でも見てみぬふりをしても現実は変わらなくて、私たちが作った神様は私たちを憎んで私たちを殺し尽くそうとした。まあ自業自得だよね。私は何でか生き残っちゃったけど」
そう言って笑う橘の顔は、いつもより寂しそうだった。
仕方がない。そう割り切ろうとしたのだろうこの少女は。
「私たちは始まりから間違えてた。だからやり直そうって。最後にみんなが残してくれたのがこの子」
「こいつが?」
俺が首をかしげるのに合わせるように、頭を傾ける青虫。
この反応。もしかしてこの虫結構知能が高いのだろうか。
「この子には何の力もない。でもそれでいいの。獣が長い時を生きて妖になるように。その妖がさらに長い時を生きて神へ至るように。人と寄り添って生きるこの子が、いつか人と寄り添い続ける神になるのを待つ。それが私たちの新しい神様の作り方」
「それは何とも気が長い」
「だって私たちは千年待ったんだもん。さらに千年待つくらいどうってことないし」
そう言って橘は青虫の頭を指先で撫でる。
気が長いと同時に、何とも確実性のない計画だと思うが、橘にとって……いや、橘を生き残らせた人たちにとってはそれでよかったのだろう。
だって――。
「だからありがとうお兄さん。私たちの希望を繋いでくれて」
その何の力もない小さな虫は、橘にとって確かに一族から託された希望であり、まぎれもない神様なのだから。