私の神様6
「な……にぃッ!?」
胡散臭い。いつでも余裕を崩さなかった僧侶の顔が困惑に染まる。
空間を切り取り一気に距離をつめた奇襲は、サトリ能力を持つ羅門にとっても予想外だったのだろう。
もっとも、奇襲が完璧に成功したのはそれだけが理由ではなかったのだが。
「何故だ!?」
「……」
肩からわき腹を斬られたというのに、羅門は苦悶の表情を浮かべながらも手を伸ばしてくる。
その伸びてくる手とは逆の手に握られた髑髏を見て、そういえばそちらを狙うべきだったなと呑気なことを考えながらも、羅門との間にある空間を斬り分ける。
「なっ!?」
瞬間。斬られた境界は結界となり羅門の手を遮る。
それを見て「そうだな。接近戦は分が悪いからな」と自分でやっておいて後から気付くあたり、いよいよ頭がまともに回ってないのかもしれない。
左腕が熱い。だけど体は妙に冷えていて、意識は酷い風邪でもひいたみたいに曖昧だ。
同時にこの刀は何処までできるのだろうと子供みたいにわくわくしている自分が居て、それを冷静に見ている自分も居る。
「消え……ガアッ!?」
惜しい。
今度は空間を斬って背後に回ってみたのだが、髑髏狙いの刺突は寸前で読まれたらしく身をよじって避けられた。
背中を刺されるまでは全く気付いていなかったのに、そこから髑髏狙いだと察して退避させるとは、やはり並の反応速度ではない。
そしてそんな人間相手にまともに正面からやりあえば負けるのは当たり前なので、さっさと結界をはり空間を斬ってすぐさま跳躍する。
「こんなもの……人が易々と行っていい業ではないぞ!」
そう羅門が漏らすが、その人外の業に早くも対応し始めているあたり、やはりこの僧侶もただの人間ではない。
相手が空間を跳躍するのならば、それを踏まえて対応するだけ。そう言わんばかりに奇襲に反応し避け始めた。
これはまずい。
どちらかと言えば未だこちらに有利ではあるが、長期戦になると出血という肉体的な蓄積ダメージのある俺の方が不利だ。
肉体的なダメージはない結界刀にこんな弱点があるとは。
いや。霊体も傷付いたまま放置すると霊力が漏れたりするのだろうか?
そんなことを考えながら、空間を斬っては背後からの奇襲を繰り返していたのだが、全く攻撃が当たらない。
そんな無意味な攻防を何度か繰り返し、しばらくしてから「常に背後からの攻撃ではサトリじゃなくても予想されて当然だ」と当たり前のことに気付く。
いよいよ頭に血が巡ってないらしい。
「何故だ! 何故読めん!?」
しかし意識が薄れているのが今の状況では有利に働いているらしく、羅門は俺の思考が読み切れないらしい。
「自分でも何考えてるのか分からないくらい思考がとっ散らかってまとまってないのに有利と言えるのか?」という疑問すらまともに浮かばないあたり、ある意味俺は無敵だ。
今なら何だってできるような気がする。
「なめるな! 勢いだけで私を殺せると思うな!」
「あ」
こちらを見もせずに、計ったように伸びて来た手に捕まった。
それを認識し半ば反射で襟元を掴んできた羅門の腕を斬ろうとしたが、その手を襟元を掴んでいたのとは逆の手で押さえられる。
あれ? 両腕?
そう疑問に思うのに少し遅れて、コンと地面に何かが落ちて転がる音がした。
髑髏を捨てた。
あの羅門が。
「ぜやあっ!」
「うわっ!?」
そう理解すると同時、羅門に体を引き寄せられ背負い投げのような態勢で投げ飛ばされた。
「ぐうぅッ!」
当然受け身など取らせてもらえず、投げ飛ばされた勢いのまま地面に背中から叩きつけられた。
その衝撃で肺から空気が押し出され、完全に意識が飛ぶ。
「まったく。私もここまでしたくはなかったのだがねぇっ!」
「ギィァッ!?」
しかしどこかに飛んでいったはずの意識は、右手を襲う痛みで強制的に呼び戻された。
首すらろくに動かせず視線だけ向けると、短木刀を持った手を羅門に踏みつけられている。
なるほど。短木刀をとりあげ結界刀を出せなくしてしまえば、俺などただの小僧だ。
この時点で俺は完全に反撃の芽を潰された。
「若さとは可能性だが……限度があるだろう! 一流の術者が生涯を賭けても至れぬ領域に勢いだけの若造が! これだから異能者というやつらは!」
そしてまんまと俺の無力化に成功したというのに、羅門は未だにご立腹らしい。
逃げるべきだと完全にポンコツと化した頭でも分かってはいるのだが、地面に叩きつけられたせいなのかそれとも出血量がいよいよヤバい段階に達したのか、体が言うことをきいてくれない。
「そう。限度がある。利用するなどと考えず今ここで息の根を……」
「それは約束が違いますよ。羅門」
不意に、羅門ではない男の声がした。
「……犬笛か。何用だ」
「何用かじゃないでしょう。その少年を殺すのはまだ早い。何のために僕がわざと見逃していたと思っているんですか」
「ふん。悪趣味な計画のためだと記憶しているがね」
犬笛。おおかみさまを作った男。
目だけを動かして周囲の様子を探るが姿は見えない。
しかしこいつの言っていることは。
「そんな趣味は捨てて、いま殺るべきだと思うがね。確信した。こいつはあの狂人と同類だよ。見逃せばわけのわからない力でこちらの企み全てを壊す!」
「あなた若さとは可能性だっていつも言ってますもんね。でも却下です。あなたはあくまでも協力者で計画は私のモノです。文句は聞きますが受け入れかねます」
「……後悔する覚悟があるのかね?」
「さて。後悔はあとからするものでしょう。それにここまで煮詰まった計画を壊せるというなら、それも面白い」
そう言って笑う声は、意外なほどに陰鬱さというものがなかった。
犬神もどきなどというものを作り出す男だからさぞ鬱屈した人間なのだろうと予想していたのに、爽やかとすら言って良いほど心地の良い声だ。
「それに深海のやつがあと数分でつくとこまで来てますよ」
「それを先に言いたまえ! 私は逃げる!」
「はいはい。お気をつけて」
どうやら深海さんは間に合ったらしい。
羅門が踵をかえし走り出すと同時に、学校を覆っていた結界が解け視界に青空が広がった。
だがそれを喜ぶことすらできないほど考えがまとまらず、とにかく眠い。
というか寝て大丈夫だろうか。流石に永眠するほど出血してないよな?
「……橘。無事か?」
「……お兄さん馬鹿じゃないの?」
それでも眠る前に確認しなければと声を絞り出したのだが、返ってきたのは聞き慣れてきた呆れたような声。
その声に何故か安堵を覚えながら、俺は今度こそ意識を手放した。