私の神様5
「ああああっ!」
羅門の周囲から火の手が上がり、橘の泣き叫ぶような悲鳴が響き渡った。
いや。燃えているのは虫だ。
火元などないのに、自然発火でもするみたいに橘の虫たちが全て燃え上がっている。
それはつまり結界を維持している虫たちも燃えているということであり……。
「やばッ!?」
結界が消えた瞬間、それまで大人しくしていた犬神もどきたちが一斉に動き出した。
左から二体。右は一。その後ろからも次々と犬神もどきがこちらへと集い始めている。
「来るぞ橘!」
「ぐ……ぎぃ……」
警告を発しながら視線を向けるが、橘は両手で自らの体をかき抱くように身を強張らせ動こうとしない。
まさか虫を燃やされたショックで?
いや。こいつがそんな可愛いたまか。むしろ改めて羅門を殺しにかかるぞ。
「くそ!」
ともあれ橘が動けなくても犬神もどきは待ってくれない。
近付いて来ていた一体を橘の頭上越しに霊力刀で刺突し、振り向きざまに背後に迫っていた二体を横薙ぎに一気に斬り払う。
するとやはり俺の霊力刀は犬神もどきたちにとって天敵なのか、攻撃した所から瘴気が漏れ出るように抜けていき体が弾け飛ぶ。
よかった。
以前に犬神もどきを一撃で倒せたのは霊体だけの状態だったので、現世でも同じような結果になるのか不安だったのが、ちゃんと通用するらしい。
「ほう! おおかみたちを一撃とは。なるほど。境界を断つ。君の刀の特性を考えれば納得だ。だがお荷物を抱えた状態でしのぎ切れるかね?」
「知るか!」
羅門が何か言ってるが問答している余裕はない。
橘は相変わらず蹲って動かない。そこを狙ってやってきた犬神もどきを斬り伏せ、返す刀で右から迫っていたもう一体を斬る。
「クッ! こっちを狙えよ!」
しかし犬神もどきの習性なのか、それとも羅門が操っているのか。
俺が背を向けた時を狙いすましたように犬神もどきたちは橘に襲いかかろうとする。
一撃で倒せるとはいえ、全てが死角を狙ってくるのでは反応が遅れるし、何より数が多すぎる。
「無視すんな!」
対処が間に合わなかった犬神もどきが橘に飛び掛かろうとしたところを、咄嗟に届いた左手で殴りつけ隙ができたところで霊力刀で斬り捨てる。
しかしその一瞬だけの接触で左手は瘴気に侵され、犬神もどきの爪で切り裂かれたのか二の腕に鋭い痛みが走った。
見れば刃物で切られたみたいに制服が裂けており、絵具でも垂らしたみたいに血が滲んで広がっている。
ヤバい。腕がうまく曲がらない。というか凄い痛い。
何より今も制服にしみこんでじわじわと広がっていく血の量が尋常じゃない。
見てるだけで気が遠くなってくる。
「分からんね。何故それほどまでしてその娘を庇うのかね? 数えるほどしか会っていない上に、どちらかと言えば敵寄りの人間だと君は認識しているはずだが」
「知るか」
痛みと出血で上手く頭が回らず反射的にそう返してしまったが、改めて考えてもよく分からない。
しかし羅門が話しかけてくると同時に犬神もどきの攻撃が止まったということは、操っているのはやはりこの男か。
道理で常に死角狙いといういやらしい攻撃をしてくるはずだ。
「私としても君を傷つけるのは本意ではないのだよ。橘くんを始末できれば当面の目的は達成される。君を見逃すのもやぶさかではないのだが」
「……」
つまり羅門からすれば最初から橘狙いだったのに、俺が勝手に邪魔して勝手に怪我したと。
なるほど。だから攻撃を止めて話し始めたわけか。
というか本来敵の羅門が攻撃を止めるということは、俺の怪我放っておいたらマジで命にかかわるのでは?
「それに今橘くんが動けないのは自らの業が故だよ。君が庇ってやる価値などないと思うがね」
「何だと?」
「私が先ほど唱えたのは不動火界呪の真言。要するにお不動様の炎だ。おおかみどもはあらかじめ除外してあるし、人間には効果がないわけだが。では何故橘くんは今も苦しんでいると思うかね?」
「何故って……」
改めて橘を見れば、相変わらず身を強張らせ、何かに耐えるように歯を食いしばっている。
同時に気付く。先ほど虫を放出したときに爆発的に溢れ出した橘の霊力が、今では感じ取れなくなっていることに。
しかしそれは普段の橘の空気のようなそれではなく、むしろ何かを封じ込めているような……。
「虫……まさか……」
「流石理解が早いね。そうとも。その娘は今も炎に焼かれている虫を、体内という一番安全な場所に匿っているのだよ。それだけでは防ぎきれず、自らの体が虫と共にじわじわと内から焼かれるのにも構わずにね」
「……」
そう告げる羅門の言葉に驚くとともに納得した。
あれほど虫を大切にしていた橘だ。何が何でも守ろうとするのは当然だ。
「だが君にとっては酷い裏切りだろう。何せ虫を見捨てれば橘くんは自由に動けるのだ。そうとも。君と虫を天秤にかけ虫を取ったのだよその娘は!」
高らかに、罪人を糾弾するように羅門は言う。
それでも橘は動かない。雛を翼に下に覆い隠す親鳥のように、自らの体を抱いたままじっと耐えている。
「それでも君は庇うのかね? その自分勝手な娘を!」
血を流し過ぎたのか、視界が微かにかすみ、聞こえてくる音が遠のいていく。
ただ虫を守ろうと耐える橘の姿。
それはとても純粋で、美しくて。
「ごちゃごちゃと……うるさい」
守るに値する。
そう思わせた。
「な!? 何を!? そんなことができるはずが!」
羅門が何か言ってる。だが知ったことじゃない。
橘を守るには。不動火界呪の効果を消すにはどうすればいいか。
簡単だ。断ってやればいい。
「――臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
最初に月紫部長から教えられ、身に沁みついた九字を唱えながら、霊力刀で橘の周囲の空間を斬っていく。
結界とは境界。そして断つということは境界を生み出すこと。
ただ境界を斬るのではなく、斬ることにより境界と成す。
それが俺の霊力刀――結界刀の使い方。
「……え? お兄……さん?」
「じっとしてろ。その中なら大丈夫だから」
結界刀により切り抜かれた空間、結界の中から橘が呆けた顔をして見上げてくる。
思った通り。俺の刀は俺の想いに応えてくれた。
なら後は……。
「は、ハハハハハッ! 何だねそれは! まるで屁理屈だ! いや、面白い。追い詰められるたびにこちらを驚かせてくれるな君は!」
「……」
羅門が笑っている。
愉しくてたまらない。そんな風に。
だがこいつは本心では笑ってなんかいない。
今もこちらの出方を探るために、心を読もうと俺の意思を手繰り寄せている。
だから俺は羅門の間の空間を軽く斬り払い――。
「な……にィッ!?」
一気に踏み込みその無防備な体を袈裟懸けに斬り伏せた。