私の神様3
小柄とはいえ一人の人間抱え上げて走れるはずもなく、半ば引きずるようにして校舎へと到達。
そこで最悪バリケードでも作って犬神もどきたちとやりあうことも想定していたのだが、幸いというべきか校舎には橘が既に結界をはっており、ひとまずの安全は確保された。
同時に虫使いである橘の方が、俺より強力な結界がはれることが証明されてしまった。
いや。結界はるのにも虫を使っているらしいが。
「しかしこれだと脱出するのにも骨が折れるな」
とりあえず手近な教室に入り一段落したが、窓の外からガンガンと犬神もどきが体当たりする音が聞こえてきている。
確認してみたが携帯電話は当然のように圏外。
助けを呼ぶこともできず、深海さんの行動待ちだ。
「げっ。あのおじさん来るの」
「おじさんて」
深海さんまだ二十代だぞ。
中学生の橘からすればおじさんなのか?
「やっぱり知り合いなのか」
「あの人私の邪魔をしては頭ポコスカ殴ってくるんだよ。しかも虫を大群で差し向けても刀で薙ぎ払うし。アレ絶対人間じゃないって」
「そこまでかよ」
虫の大群を刀一本で薙ぎ払うって、物理法則どうなってんだ。
衝撃波やかまいたちでも放てるのか深海さん。
「ん? じゃあ今の状態本当におまえが何かやったわけじゃないのか?」
そんなにしょっちゅう橘のやらかしを阻止してるなら、それこそ日頃から心読みまくって何企んでるか把握してるだろう。
その割には橘がやったとは断言せず、あくまで臭わせる程度だった。
つまり深海さんでも把握してないようなイレギュラーが起きた可能性もある。
「あー……実は虫を使った結界はる実験やってたんだよね」
「色々と待てや」
それ今まさに校舎にはられてるやつだろ。
道理で準備が良すぎると思ったわ。
「それがどうしてこんな状況になった」
「それが結界用に調整した一部の虫が言うこときかなくなったの。そんで勝手にはった結界がアレ」
「……なるほど」
橘が示すのは学校を外と隔離している黒い結界。
深海さんが橘が原因ではないかと考えつつ断言しなかったのは、その辺りの動きを僅かなりとも知っていたからだろうか。
「じゃあさっき塀のすぐそばに居たのは、その虫の確認をしてたからか?」
「うん。でも何で言うこときかなくなったのか分からなくて。何か術をかけられたわけでもないっぽいし」
「あのでかい応声虫みたいに、他の奴が改造したのが混じってた可能性は?」
「それなら流石に分かるよ。それこそどうやったってその改造したやつの霊力が混じるもん」
「うーん」
つまり現状では、何故橘の虫が暴走してあんな結界をはったのかは分からないと。
ついでに何でその結界から犬神もどきがわいてきたのかも。
「というか関わるなと言われたのに、見事に関わる羽目になってるし」
あの犬神もどきが出てきたということは、斎藤さんの件と多少なりとも関係があるのだろう。
まあ今回は深海さんの要請に応えた結果だし、全力で深海さんに責任をなすりつけておこう。
「そういえば、おまえはあの黒い犬が何なのか知ってるのか」
「おおかみ様? 私はよく知らないけど」
「名前すらっと出てくる時点で何か知ってんだろおまえ」
おおかみ様って、金木先輩の父親が拝んでた神の名前じゃねえか。
まさかとは思うが、あの犬神もどきも橘が所属する天同会が発端か。
「だから知らないって。趣味悪いんだもんあの犬」
「趣味が悪い?」
「だってあれ蠱毒とか犬神みたいに、恨み辛みをわざと集めて作った神様だもん。あんなのどう足掻いても人に災いもたらす存在にしかならないし」
「マジで犬神もどきなのかよ」
蠱毒は壺などに大量の虫を入れ、共食いをさせ、生き残った一匹の虫を媒介に術を成す。
そして犬神は、一説にはその蠱毒が民間に流布した結果派生した存在であり、苦しめた犬の首を切り落とし祀ることにより犬神と成す。
あの犬神もどきもそういった恨みを媒介にした存在だと。
あの鉛のような怨念の海のことを考えればさもありなんと言ったところだが。橘がそこまで知っていることに驚くと同時に、一つ疑問が浮かんでくる。
深海さんはどこまで把握している?
橘がここまで知っているということは、橘からそう遠くないところに直接犬神もどきと関わっている人間がいるはずだ。
ならサトリである深海さんなら簡単に情報は追えるはず。
いや。もしかすれば俺を嫌々頼るように見えたのは――。
「ん?」
不意に教室の外から物音がして考えを止める。
犬神もどきが居るグラウンド側ではない。廊下の方……校舎内から物音は聞こえた。
「まさか結界が破られたのか?」
「え? ううん。破られてないよ。そもそも一番攻撃受けてるここが破れてないし」
そう言いながら橘が視線を向けた先では、確かに犬神もどきたちが今も元気にガンガン体当たりしてきている。
マジで何でここまでやられて破られないんだよ。
実験してたということは、まだ発展途上だろこの結界。
「あ、もしかして」
「もしかして?」
何か思い当たる節でもあるのかポンと手を打つ橘。しかしその答えを聞く前に、がらがらと音を立てながら教室の入口が開いた。
「なん……」
なんだ。と言おうとして目に入ってきた光景に言葉を失った。
「ボオオオッ!」
「ボエエエェェェェ!」
触手だった。
口から触手。いや、応声虫を生やした何人もの生徒たちが、おぼつかない足取りでお互いに体をぶつけ合いながらゆっくりと教室に入ってくる。
「他にも何人かあのでっかい応声虫に寄生されてるの忘れてた」
「おまえ人の心をどこに置いてきた!?」
忘れようと思っても忘れられるもんじゃねえだろコレ。
さっき男子生徒の応急処置してたから、それなりに倫理観あるじゃんと思ったらコレかよ。
「だって人死なせたら、あのおじさんが殴ってくるんだもん!」
「もうやだこいつ恐い」
殴られなかったら見捨てるのかよ。
一瞬でも女の子を殴るのはどうなのかと思った俺が間違ってた。
こいつは痛みでしか学習しない。
いや。痛いのが嫌なだけだから学習してるかすら怪しいが。
「ボオオオッ!」
「うるせえ! 橘! 片っ端から刺してくから治療していけ!」
「分かったけど、お兄さんの発言も人としてヤバくない?」
確かに発言だけ聞くと通り魔だが言ってる場合か。
他に対処法がない以上は仕方がない。短木刀を握り霊力刀を顕現させる。
ひたすら中学生たちの腹を刺突する作業が始まった。