私の神様2
ヤバそうなら帰っていい。そう深海さんは言っていたわけだが。
「考えてみたら、学校の敷地丸ごと結界で囲われてる時点でヤバいよな」
今俺の目の前にあるのは、聞いていた通りに中学校の敷地を覆っている結界。
ただし想像していたドーム状のものではなく、天まで届けとばかりに垂直な壁ができている。
現世からの隔離感が凄い。壁を境にして別世界みたいな空気が漂っている。
「でもこれは予想してたことだしなあ」
恐らく深海さん基準ではこれは「ヤバいこと」ではないだろう。
というかあの人基準のヤバいってどこからだろう。
人が二、三人死んでも「まあ仕方ない犠牲だよね」で済ませそうな覚悟というか雰囲気あるぞあの人。
「……入ってみるしかないか」
とはいえこのままでは入れないので、短木刀を取り出し霊力刀を顕現する。
そして顕現したはいいがこれ斬っていいのかと悩む。
「すいません。斬っていいですか?」
「君のそのほうれんそうを忘れない姿勢とても大事だと思うよ」
というわけで深海さんに電話してみたら、なんか凄い褒められた。
どうした。もしかして退魔師はほうれんそうしない人間が多くて苦労してたりでもするのか。
「退魔師って古い家系が多いから自分のとこが一番で非協力的なとこが多いんだよね。という愚痴は置いといて。結界にどんな意味があるか分からないから完全に解除するのは待ってくれ。何とか一部だけ切り取ったりできないかな」
「そんな無茶な」
風船割らずに穴開けろというくらい難問だろそれ。
いや結界に強度があれば普通にできるのか。それはそれで斬るのに苦労しそうだが。
「でも見た感じ隔離っぽいというか。んん? いや隔離ではなくて内向き?」
「内向き?」
俺の言っていることが分からないらしくオウム返しに言う深海さん。
そりゃ俺自身何言ってるのか分からないから、いくらサトリの深海さんでも何言ってんだか分からないだろう。
ただこの結界は境界線をひいているというよりは、結果的に境目ができているというか。
「あれ?」
そんなことを考えながら結界を指先でつついてみたら、その指先が物凄い力で引っ張り込まれて腕が結界の中に埋まった。
咄嗟に踏ん張って耐えたが、それでも徐々に引き込まれている。
「すいません。下手打ちました」
「うん。何でそんな冷静なのかな君」
そうは言ってるが深海さんも冷静だ。
まあ中に踏み込むこと自体は予定の一つだったしなあ。
「じゃあ歓迎されてるみたいなので行ってきます」
「了解。いざとなったらぶちやぶって出ておいで」
そうなんとも緊張感のない会話を終えると、俺は抵抗するのをやめて結界の中へと引きずり込まれた。
境界線を渡る瞬間に感じたのは、覚えのあるねっとりとした悪意。
あ、コレヤバいやつじゃん。
そう確信したときには、完全に飲み込まれ俺は結界の中へと放り込まれていた。
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「いっつ……。これ本当に橘関係あるのか?」
予想以上に乱暴に引っ張り込まれ、受け身をとって一回転したところで思わずそんな言葉が漏れた。
何というか、橘は良くも悪くも無垢だ。
育った環境のせいか善悪という価値基準があるかすら怪しい。
新田に応声虫埋め込んだときも目的のために必要だからやったのであって、悪いなどとは微塵も思っていなかった。
だからこそこんな悪意を煮詰めたような結界をはったのが橘だというのは違和感がある。
そんなことを考えながら周囲を確認し立ち上がる。
「……」
だが少し離れた場所。
何もないグラウンドの中にポツンといたそれを見て、一瞬頭の回転が止まった。
「ボー。ボォオオオ!」
呻いている。人間が呻いている。
着ている制服と小柄な所から見てこの中学校の男子生徒だろうか。
ただその男子生徒は完全に白目をむいており両腕は投げ出したよう、足取りは酔っ払いのようにおぼつかずどう見ても正気じゃない。
それだけならSAN値直葬でもされたのだろうと判断しただろうが、その男子生徒の口から呻き声とは別のものが漏れている。
「ボオオオッ!」
というか生えてる。
白い一メートルほどの長さの触手のようなものが口から伸びて、うねうねと蛇みたいにのたうち回っている。
そのせいで何を言おうにも意味不明なうめき声にしかならないらしい。
何だこの……何?
これ人間? いや霊力的に人間なんだろうけど見た目がえぐすぎる。
口から生えてるそれ何?
妖怪大好きな七海先輩でも間違いなくドン引きするぞコレ。
「あ、お兄さん何でここに!?」
「むしろ俺がコレは何だと聞きたい!?」
もしかして関係ないのではと思い始めていた橘だったが、どうやら完全に無関係ではないらしい。
元々大きい目をさらに見開きながら、結界の境目となっている塀の方から走り寄ってくる。
「丁度よかった! お兄さんの剣でアイツのお腹……胃を刺して!」
「待て。俺の霊力刀は肉体には傷つかないけど霊体はきっちり傷がつくぞ」
「人間はお腹刺されたくらいじゃ死なない! 応急処置くらいなら私できるから!」
いや普通に死ぬだろ。
あと少しずつ近寄ってきている物体が人間だということが確定してしまった。
だがまあ殺すつもりがないのは確かなのだろう。
殺す気ならわざわざ俺にやらせる必要がないし、胃を指定する意味もない。
「後で説明しろよ!」
ともあれ口から触手生やした人間を放置するわけにもいかない。
幸い相手は動きが鈍い。触手もあまり自由には動けないようだ。
なので触手が届かない距離から一気に間合いをつめ、鳩尾の近くを霊力刀で貫いた。
「ボエエッ!?」
「うわあ……」
それと同時に男子生徒がえずいた。
えずいたと思ったら口の奥から触手がずるずると吐き出され、そのままとぐろを巻くように丸くなると動かなくなる。
ちょっと待て。
大きさはともかくこの一連の動きに何だかとっても覚えがあるぞ。
「……応声虫かコレ?」
「うん。立派になったよねえ」
どうやら応急処置ができるというのは本当らしく、倒れて動かない男子生徒の腹に文字通り手当し霊力を送りながら言う橘。
立派とかいうレベルじゃねえよ。
前はせいぜい大きめのミミズかな程度だったのに、アオダイショウもびっくりなサイズになってんじゃねえか。
「何をどうしてこうなった?」
「むう。私じゃないよコレ」
「はい? 応声虫はおまえが作ったものじゃないのか?」
「作ったのは私だけど、なんかお偉いさんとかを傀儡にするのに便利だとかで貸し出しもやってるの」
「明らかな悪事にほいほい手を貸すなよ!?」
もしかしてこいつのせいで裏で物凄い陰謀動いてないかコレ。
いや深海さんなら把握して対処してんだろうけど。
「しかし排除するにしても何で腹を刺す必要があったんだ。引きずり出せばいいだろ」
「あー。お兄さんたちの腹パンで吐き出させるやり方見て悔しくてね、吐き出されないように胃に噛みつくように改良してみたんだ。この状態でも頭は胃の方にあるから、口から出てる部分攻撃しても即死せずに抵抗して胃に噛みつくし。引っ張り出そうとしたら胃ごと裏返って出てくるんじゃない?」
「おまえ……」
つくづく悪気無くいらんことするなこいつ。
しかも元のサイズならともかく、でかくなったせいで胃に食いつくというのが即死クラスの迷惑さになっている。
「だからこんなに大きくしたのは私じゃないって。こんなんじゃ応声虫本来の役割果たせないじゃん」
「じゃあどこの誰がこんなもん作って、しかもおまえの中学校の生徒に寄生させたんだよ」
もしかして橘に恨みのあるやつの仕業か?
あえて橘の作った虫で橘の生活を滅茶苦茶にしてやるぜ的な。
「分かんない。そもそもこの結界だって私じゃないし、もしかしたら……」
「どうした?」
話している最中に突然黙り込む橘。
何事かと視線を追えば、そこには外との境目になっている結界。
その結界からなんかずるりと出て来ていた。
見覚えがある。頭のない黒い犬。あの謎空間で出て来た小型の犬神もどきだ。
それが何匹。いや何十匹と結界の境目から這い出してきている。
「逃げるぞ!」
「分かった!」
今は少しずつ這い出て来ているが、完全に出てきたら間違いなく襲いかかってくるだろう。
そう判断し俺たちは会話を切り上げ、意識のない男子生徒を担ぎながら校舎の方へと走り出した。