おおかみ4
傘差し狸と共に学校のような空間の探索を始めたわけだが、これが予想以上に広かった。
先が見えないほど廊下が長いというのに部屋は途切れることなく配置されているし、途中でその廊下と直角方向に同じく見えないくらい長い廊下があるのも幾つか発見した。
構造は単純だが部屋数が多すぎて地図でも作るべきかと悩むほどだ。
「しかしやっぱり俺たちの学校だよなあこれ。また理科室か。もしかしてループしてるのか? 空間が歪んでる感じはしなかったけど」
念のために一部屋ずつ中まで確認しているが、見た目は普通の学校だしおかしなものもなければ人も居ない。
逆にそれが違和感があるというか。本当に何故学校なんだ。
「ここは現世の法則は通じないようですしね。地球が丸いのと同じようにこの空間は端通しが繋がっているのが当たり前なのでは」
「そういえば時間も夕暮れ時で固定みたいだな。でもそれ下手するとこの空間輪っかみたいに閉じてて出口なくないか?」
「私が入ってこれたのだから外との繋がりはあるはずですよ。まあこの空間が作られた目的を考えれば限りなく出辛くはなっているでしょうが」
「目的?」
この空間はあの鉛の海に蓋をするためのものではないかと傘差し狸は言っていた。
なるほど。それならわざわざ出口を作る必要はない。
むしろ先ほどの犬神もどきが本当に鉛の海から出てきたのなら、あれを外に出さないよう厳重に出口は封じてあるはずだ。
「つまりここは迷宮みたいなものだってことか。ミノタウロスを封じていたみたいな」
「ええ。なのでもしかすれば無駄に広いのも迷わせるためのものであり、大した意味はないのかもしれません。先ほどから考えてはいますが部屋の配置に法則性も見出せませんし」
「確かになあ」
実は部屋の配置に謎がありそれを解けば脱出できるみたいな仕組みなのではと思っていたが、そんなこともなさそうだ。
しかしここが迷宮だとするならば闇雲に歩き回っていても出口は見つからないだろう。
どうしたものか。
そう思いながら手近な壁を眺めていたのだが。
「……三年前?」
「はい? どうしました」
元は何処にあったのか分からない、無造作に廊下の途中にある掲示板。
そこに張られている掲示物を見ておかしなことに気付く。
保健委員からのお知らせ。部員の募集。校内新聞などありふれたものばかり。
しかしそこに記されているのは。
「これ日付が三年前だ。ランダムに再現でもされてるのかと思ったけど違う。日付があるのは全部三年前だ」
「それはまた。興味深いですねえ」
そう言って笑みを深くし手で顎を擦りながら掲示板を眺める傘差し狸。
そりゃそうだろう。予想していた一つの可能性が崩れた。
「この空間が学校なのは、ここに先に入っていた貴方の記憶から再現されたのではと考えていたのですが」
「それなら日付が全部三年前なのはおかしい。そのころ俺は当然この学校のことなんか知らない」
「そこまで再現できなかった……としたら揃って三年前というのはおかしい。三年前という時間に意味があるのか。あるいは」
「おりゃあ!」
傘差し狸の言葉は野太い男の叫び声に遮られた。
「……味方だと思うか?」
「少なくともあの犬ではないかと」
こんな空間にいる存在。
どう考えても人間ではないし近付いてもいいものか。
しかし現状手詰まりで脱出方法も分からないわけで。
「とりあえず様子を見てヤバそうなら逃げよう」
「貴方のその長生きできそうな臆病さ好きですよ」
失敬な。慎重と言え。
ともあれ確認しなければ始まらないと、声のした廊下の角から先を覗き込んだのだが。
「よっしゃあ! そっち行ったぞ!」
そこにはお札が貼られた釘バットならぬ札バットを振り回すヤンキーと、刀で犬神もどきを切り刻む鎧武者の姿が。
というかどう見ても学園の守護者のヤンキーさんと資料室の鎧じゃねえか。
何でここに居るんだよ。
「手間取っていますね。やはり斬ればいいというものではなさそうです」
「ああ。確かにダメージは通ってるみたいだけど」
傘差し狸が言う通り、先ほどから犬神もどきをヤンキーさんが札バットでぶん殴り鎧武者が斬りまくっているが、中々倒しきれないようだ。
やはり俺がほぼ一撃で犬神もどきを倒せたのは霊力刀の性質のおかげであり、本来あんなにあっさり倒せるものではないのだろう。
「よっしゃあトドメだ!」
そう言いながらヤンキーさんが身を引き、手近な部屋で待機していたらしい何者かが飛び出してきたのだが。
「ふっ。私こそ美の化身!」
美術室の彫刻に宿ってる全裸青年だった。
両手を頭の後ろで組み、股間を見せつけるように突き出している。
そして股間から放たれた光を受けて消え去っていく犬神もどき。
うん。意味が分からない。
「弱らせたところで一気に浄化。なるほど合理的ですね」
「合理的なの!?」
確かに性器信仰というものもあって性器を神聖なものだとすることもあるって月紫部長も言っていたけれども。
それで鎧武者すら倒しきれない犬神もどき消し飛ばしちゃっていいのか。
「突き抜けた馬鹿は強いですよ。あの全裸もそういう存在です」
「いや確かに突き抜けてはいるけど」
深く考えては駄目だということだろうか。
ともあれヤンキーさんたちが何故ここに居るかは分からないが、少なくとも味方には違いない。
そう判断し隠れるのをやめて近づいたのだが。
「あ? 何でここに人間が居るんだよ!?」
「あれ?」
何か予想外の反応をされた。
いや待て。このまるで初対面のような反応。
そしてこの再現された学校という空間。
「俺が知ってるヤンキーさんたちじゃない?」
「恐らくこの空間と同じで再現された存在でしょうね」
「おまえ本人たちの前で……」
予想はしても言わなかったのにこの狸は。
自分たちがコピーだと自覚して自我が崩壊でもしたらどうすんだ。
「ああ。気にすんな自覚あっから。そんで俺たちのことを知ってるってことは最近の新入生か。OBなら制服なんざ着てないだろうしなあ」
そういって困ったような顔をしながら頭をバリバリとかくヤンキーさん。
自覚あるんかい。
いや。それならこの空間が何なのかも知ってるって事か。
「じゃあこの場所は?」
「教えると思うか? おまえは俺を知ってんだろうが、俺はおまえを知らないし信用できない」
「それは……」
言われてみればその通り。
それに信用できないと口では言っているが、ヤンキーさんの困ったような顔からして下手に情報を渡して巻き込みたくないという思いもあるのだろう。
この空間。そしてその下にあった鉛の海。
明らかに一学生が関わるには事が大きすぎる。
「でも深退組への報告のためにも情報が欲しいんです。あの海は放置していいものじゃない」
「おまえあそこに落ちたのか!? 何でそんな平然として……」
そこまで言うとヤンキーさんは何かに気付いたように目を見開き、続いて俺の顔をマジマジと見始めた。
何だ?
いきなり現世のヤンキーさんの知識がダウンロードでもされたのか。
「……なるほどな。参ったな。俺はどっちの意思を尊重すりゃいいんだ」
「どっち?」
「いや。しかしなあ。うーん」
そう言って再び頭をかきながら唸り始めるヤンキーさん。
一体何だ。
何を悩んでいる。
「おい。坊主」
「はい?」
「おまえ人を助けるために命をかけられるか? 見ず知らずの人間助けるために命はれるか?」
そう問いかけるヤンキーさんの顔は真剣だった。
ただそれは詰問しているというより懇願しているような、どこか祈りに似た問いだった。
だから俺も真剣に考える。
誰かのために命をかけられるか。
それが身近な誰かだったら俺は躊躇わず頷くだろう。
しかしそれが見ず知らずの人間となれば。
「俺はそんなお人よしじゃありません。でも……」
もし目の前で誰かが危機に陥っていたら。
「俺はきっと手を伸ばす。伸ばしてしまう。見てみぬふりはできないから」
その結果死んだらなんて考えるほどの覚悟はない。
でも死んだとしてもそれは仕方ないとあっさり受け入れるだろう。
両親には申し訳ないが、あの人たちは俺の死を悲しんでもそれが人助けの結果だと知れば悲しみつつも「よくやった」と褒めてくれるのではないだろうか。
いや。そんなのは俺の願望で、親なら「それでも生きてほしかった」と願うものなのだろうか。
「なるほどな。おまえアレだろ。今までの人生ろくに苦労とかなかっただろ」
「いけませんか?」
「いんや。そういうやつにしか救えないもんがあるんだよ。何でもない普通の人が普通に持ってる陽だまりが必要な人間も居るんだ。世の中には」
そう言って笑うヤンキーさんはどこか寂しそうだった。
それはヤンキーさんの生前のことなのか。それともこの場に居る彼を生み出した誰かを思ってのことなのか。
「分かったもう帰りな。いつまでも人間がいるような場所じゃねえしなここは」
「え?」
「おや」
そうヤンキーさんが言った瞬間周囲の景色が白く染まり始めた。
いや。俺と傘差し狸以外、ヤンキーさんたちも白い靄のようなものに覆われ遠くなっていく。
どうやら現世へ押し戻されているらしい。それ自体は構わないしありがたいのだが。
「ちょっと待って! 結局この場所と貴方たちは!?」
「帰ったら本物の俺に聞け。ここのことは知らないだろうが、ヒントぐらいにはなるだろうさ」
そう笑いながら言うヤンキーさん。
ここのことを知らないのにヒントぐらいは知っている。
ならやはりこの空間を作った人間は。
「――さようなら」
ヤンキーさんたちが見えなくなる寸前、その場には居なかったはずの女性の声がそう言った気がした。
・
・
・
「ここは……?」
「望月! 気付いたか!?」
目覚めた瞬間に見えたのはこちらを覗き込む月紫部長の顔だった。
学帽をつけていないせいかよく見える目は微かに潤んでおり、それほどまでに心配させてしまったのかと今更ながら申し訳なくなってくる。
「帰ってきました! 封印を強めて! 同時に断ち切りを!」
「御意!」
そして何か時代錯誤な返事が聞こえて来たので目を向ければ、そこには祭壇の前に陣取る宮間さんと何人かの術者らしき狩衣のような衣装を着た人たちが。
明らかに深退組の退魔師まで出張って来て大事になっている!?
「なんかもうすいません」
「謝るな! 私も油断していた。すまない望月」
そう言いながら俺の顔を両手で包み込むように触れてくる月紫部長。
あ、これ膝枕されてるのか。
衆人環視の中で膝枕って何の罰ゲームだと飛びのこうとしたが、体が上手く動かない。
なんだか金縛りにあったときみたいな。
「魂が長い間体を離れていたから馴染んでいないんだ。しばらく大人しくしていろ」
「長い間って」
俺は一体どれだけ幽体離脱していたんだ。
というか体が馴染まなくなるレベルって下手すりゃ死んでたんじゃないのかソレ。
「だからだ。私がどれだけ心配していると思っている」
「……ごめんなさい」
「謝るな」
どうしろと。
礼を言う? 何かそれも違う気がする。
ああ、俺にはあまり自覚がないけれど、それなりに長い時間が経ったというのなら。
「ただいま戻りました。月紫部長」
「……ああ。おかえり望月」
それは正解ではなかったがハズレでもなかったらしく、月紫部長は一瞬呆気にとられたように目を見開くと、すぐに苦笑しながら俺の頭を撫でてきた。
その手の温かさに救われた気がした。
もう大丈夫だと安堵して、俺は今度は眠るように意識を手放した。