おおかみ3
ずっと一人だった。
突然その身に宿った力は酷く不確かで、だけど確かに存在するそれは私の周囲から人を遠ざけた。
仕方がないことだと思う。
だって私自身その力を持て余していて、今まで知り得なかった世界が広がっていくことを楽しむ余裕なんてなくて。
小心者な私にはそれは恐怖でしかなかった。
でも、もしかしたら。
共に歩んでくれる人がいれば違ったのだろうか。
支えてくれる人が居れば耐えられたのだろうか。
そんな「もしも」を考えてはその不毛さにため息が漏れる。
だって私にとっては既に「終わった」ことなのだから。
でも、だからこそ。
私は救いを求めない。
それが一人で歩き続け一人で全てを終えることになる私の意地なのだから。
だからこの手を伸ばしたのは彼を助けるため。
助けを請うためじゃない。
でも、本当は分かっている。
私の人生は後悔ばかりだ。
未練ばかり残してきたから、彼は私に気付き私のもとにまで辿り着いてしまった。
だから始末しなければならない。
誰にも悟られず、認められることもなく私は一人で朽ちていかなければならない。
それが誰にも救われず誰も救わなかった私に残された最後の意地(覚悟)なのだから。
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「つう……何がどうなった?」
体の節々が痛むのを感じながら、ゆっくりと目を開ける。
あの鉛の海に居た時には麻痺していたのかまったく危機も異常も感じなかったのだが、体中を侵食され針で刺されたみたいな違和感を覚える。
あのまま沈んでいたら、俺という存在が引き裂かれ拡散されていたのではなかろうか。
その結果あの怨念の仲間入りとなるのかそれとも希釈されるように消えうせるのか。どちらにせよ体に戻るどころではなく死んでいたのは間違いない。
「しかし。なんで部室に居るんだ」
周囲を見渡し分かったのは、今自分がいるのが夕暮れ時の学校だということだ。
しかも見慣れたふしぎ発見部の部室。
金木先輩の家で倒れたはずの俺の体が何故一人で学校に?
「触れるから霊体のままではないよなあ」
手近にあった椅子をひいてみるが、普通に触れたし動かせた。
しかしその椅子を見ておかしなことに気付く。
「椅子が一つしかない?」
ふしぎ発見部の部室には、普段部員と同じ数の三つの椅子が出されている。
来客用に予備の椅子もあり、今日部室を出た時には金木先輩に出した椅子をそのままにしてたから椅子は四つあったはずだ。
今の時間が夕方だから、霊体を持っていかれてからそれほど時間を経ずに戻ってきたのだと思っていたのだが、もしかして結構な時間が経過しているのだろうか。
それなら尚更何故俺の体が部室に放置されていた?
原因はオカルトとはいえ、意識がないなら生命維持のために病室にでもぶちこまれているだろうに。
「ダメだ分からん」
今の状況も先ほどまでいた場所も。
月紫部長たちに連絡しようにもいつも携帯を入れているポケットには何も入っていなかった。
おかげで今の日付を確認することもできない。
「とりあえず家に帰るか」
他に財布と鍵もなかったが、家の鍵は玄関の近くに一つ隠してある。
自転車通学が許可されるだけあり徒歩で帰るには結構な距離があるが、ここでじっとしているわけにもいかないだろう。
そう思い部室の扉を開けたのだが。
「……は?」
目の前の光景が予想外で、思わず間の抜けた声が漏れた。
扉を開けた先に広がっていたのは、向こう側が見えないくらいひたすらに続く廊下。
一瞬部室の位置が移動したのかと思ったが、そもそもうちの学校にこんな長い廊下はない。
というか廊下の先が見えないほどでかい学校があってたまるか。
「あー、少し分かってきたぞ」
ここは俺が知ってる学校に似ているが違う場所だ。
だから部室に地縛霊な斎藤さんが居なかったし、今廊下の彼方からこっちに向かって来ている黒い何かも普段学校に居るような無害な存在ではないと。
「――臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
徐々にこちらへと近付き大きくなっていく黒い何かだが、漂ってくる瘴気からしてまともなものではないだろう。
迎え撃とうにも手元に短木刀はない。
そのためまずは身を守ることを優先する。
「――オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ!」
印を組みながら九字を唱え、続いて摩利支天の真言によって結界を展開する。
黒い何かの速さは予想以上で、二百メートルはありそうだった距離を十秒足らずでつめ、結界が構築されるとほぼ同時に飛びかかってきた。
「犬!?」
結界にぶつかってきたのは、光すら反射せずぽっかりと穴の開いたような黒一色の犬だった。
ただしその犬に頭は存在せず、本来あったであろう首の切断面からは黒い瘴気が炎のように漏れ出て揺らめいている。
見覚えがある。
以前黛に憑いてた犬神もどきの小型版だ。
何でいきなりこんなものが出て来てしかも襲ってくる。
というか以前見たアレよりは小さいとはいえ、大型犬に分類されそうな程度にはでかいぞコレ。
「ッ!? やっぱり俺向いてないのか」
一度は犬神もどきの突進を受け止めた結界だったが、二度三度と攻撃を受けるとひびが入り始めた。
このままだと破られる。かといって後ろの部室に逃げ込んでも時間稼ぎにしかならないだろうし、現状が把握できてないのに屋外に出るのは避けたい。
実はこいつらが複数いて遮蔽物のない場所で囲まれたりしたら洒落にならない。
「仕方ない。来いよ!」
「――!」
せめて短木刀でなくても何か棒でもあれば霊力刀を出せるのだが、ないものはないので徒手空拳で迎え撃つしかない。
幸いと言うべきか、深海さんから習っている二神流は古武術なだけあり素手の技もあるしちゃんとその辺りも教わっている。
結界が破られると同時、勢いのままに飛び込んできた犬神もどきを半歩体をずらして避け、その背中に握り拳で鉄槌打ちを叩き込む。
「ッ痛!?」
しかし殴ったはずの拳に痛みが走った。
相手が硬かったとかそんな手応えではない。
まるで針に刺されたみたいな覚えのある痛みが。
「げ」
思わず引いた手を見れば、犬神もどきと接触した部分が黒い痣のように染まっていた。
瘴気に浸食されている。しかもこれは先ほどまで俺が居た鉛の海のそれと同質のものだ。
もしかしてこいつあの海から出てきたのか。
俺を追いかけて来たのか。それとも黛の一件で既に縁でもできてしまっていたのか。
ともあれ素手で触ったらまずいのは確定した。
かといってこの接近された状態から術主体で戦うというのも無理がある。
……判断ミスった。
いかん。マジでこっからどうしよう。
「これをどうぞ」
「はい?」
そう高速で頭を回転し悩んでいたら、不意に横合いから何か棒のようなものを差し出される。
「……傘差し?」
「はい。それより早くしないと来ますよ」
「あ、おわあ!?」
そこに居たのは屋内だというのに相変わらず傘をさしている傘差し狸。
差し出されていたのはいつも俺が使っている短木刀だということに気付く。
何でここにと聞く暇もなく、反転した犬神もどきが襲いかかってきたので短木刀を構え霊力刀を顕現する。
「せい、ハァッ!」
「――!」
飛びかかってきたところをすれ違いざまに一撃。それに怯んだ様子を見せたのを見逃さず、即座に刺突しそのまま薙ぎ払う。
すると犬神もどきは穴をあけられた風船みたいに弾け、辺りに瘴気をまき散らしながら四散した。
「……え? こんなあっさり?」
「色々よくないものを無理やり犬型につめこんだ存在みたいですからね。あなたの『境界を切り裂く』刀は天敵なのでしょう」
なるほど。
風船そのままで例えるなら、普通なら殴っても反発されるだけなのに、俺なら切って破裂させることができると。
というか「無理やり詰め込んだ」ということはもしかして人工物なのかあの犬神もどき。いや似てるからそう呼んでる犬神も元々人工物だけれども。
「あーわけが分からない。とりあえず俺は何がどうなってここに居る? というか亀太郎ならまだ分かるが何でおまえが助けに来る?」
「私が来たのは『渡る』のが得意だからですね。気付いていないようですが、貴方まだ霊体のままですよ」
「はい?」
そう焦った様子もなく、相変わらずにこやかな顔で答える傘差し狸。
霊体のまま?
でもさっき椅子は触れたし、普通に扉も開けたぞ。
「それはここが物質界ではないからですよ。周りも霊体ですから霊体のままでも普通に触れます」
「ますます何処だここ!?」
霊体で構成された場所ってどう考えてもあの世に近い何かじゃねえか。
「私も貴方との縁を辿ってきただけなので詳しくは。何者かが作り出した空間なのは確かでしょうが、恐らくあなたが吸い込まれた場所に蓋をするためのものではないでしょうか」
「……何でそんな空間がうちの学校に似た場所になってるんだ?」
「さあ?」
さあて。
いや確かにそこまで傘差し狸が知ってる方が不自然だが。
しかし蓋をしている?
その割には入ってくるときには通過した覚えはないし、あの鉛の海は祭壇に供えられていた麻袋から繋がっているだけで、あの麻袋の中に存在しているわけではないのか。
「その麻袋なのですが。中身を確認せず封印しなければならないほど危うい代物なので、早く戻って貴方の無事が確認されないと対処しているお嬢さんが危険ですよ」
「……まさか封印しないとヤバいのに俺が戻って来れなくなるかもしれないからやってないのか?」
「そうです」
マジかよ。
なら今すぐ連絡をって……連絡手段が存在しねえ!
「戻ろうにも出口どこだ」
「概念がそのままなら玄関か校門ではないでしょうか。どこにあるのか分かりませんが」
「だよなあ」
無駄に長い廊下といい、元の学校とは明らかに構造が違う。
探すしかないということか。
「分かった。あと言うの遅れたが助けに来てくれてありがとう」
「いえいえ。私も貴方にはお世話になっていますからね。そろそろ白菜が美味しい鍋の季節ですし」
「作れと?」
確かに頼みでもしないと普段の亀太郎に渡してる土産で鍋ものは無理だろうが。
まあ俺も一人だと鍋とかやらないし亀太郎あたりも呼んで鍋もありか。
そんな呑気なことを考えながら学校のような空間の探索を開始した。