おおかみ2
「何だこれは」
金木先輩に案内されお宅訪問と相成ったわけだが、玄関に足を踏み入れた瞬間に月紫部長がそう呟いた。
まあそう言いたくなる気持ちも分かるというか。
金木先輩の家は外から見ると何の変哲もない今時の洋風の一軒家だった。
しかし中に入ってみると空気は一変。
肌寒くなってきた時期とはいえおかしなほどに家の中の空気は冷えて重く、まだ日が高いはずなのに廊下の角はいやに暗く見えた。
こりゃ変なものも寄ってくるわと納得する雰囲気だ。
「家の中が陰気で満たされているな。とりあえず望月。あの正面にある鏡をずらすか移動させてくれ」
「あ、はい」
「あれのせいなんですか!?」
家主の許可も取らずに移動させろと言うことはヤベエものなんだろうと判断し即座に動いたが、それを聞いた金木先輩が可哀想なくらい震えた声で言う。
見た目通りの小心ぶりだが、今までよくこの家で暮らせてこれたな。
「鏡というのは気をはね返すとされている。その鏡を玄関の正面に置くということは、玄関から入ってくる様々な気を追い返すということ。とはいえ良くない気もはね返すからな。この状況に一役買ってはいるだろうが原因ではないだろう」
「玄関の鏡の位置には気をつけろって風水ではよく言われているわね」
「うっひゃっひゃ!」
そう言われれば聞いたことがあるようなないような。そんなことを思いながら大きな鏡を取り外し、横に向きを変えて壁に立てかける。
しかし先輩たちの会話に混ざって笑い声が聞こえたので何かと思えば、その鏡があった場所からニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる若い男の顔が生えてきた。
「……」
「ぷぎゃ!?」
とりあえずムカついたので霊力を込めた掌底を叩き込む。
するとそれほど強い霊ではなかったらしく、おかしな声を上げてそのまま消滅した。
何故その弱さで無防備に絡んで来ようとした。
「ええ!? 何か居たんですか!?」
「すいません虫が居たので」
そして案の定金木先輩が狼狽えたので笑顔でそう報告しておく。
本当のことを言ってもビビるだけで意味ないし嘘も方便だ。
「トキオくん慣れない愛想笑いなんてするから最高に胡散臭いわよ」
しかし金木先輩を気遣った行動に七海先輩からそんな評価をいただいた。
ちょっと傷付いた。
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玄関からいきなりウェルカムゴーストに遭遇したのはともかく。
金木先輩に案内され祭壇があるという座敷部屋に通されたのだが、そこはさらにヤバかった。
何だか洗ってない犬みたいな臭いがするし、どっかに死体でも隠されてるんじゃないかと心配になるくらい空気が淀んで重く呼吸がし辛い。
金木先輩がその辺りを気にした様子もないということは、恐らく霊的なものなのだろうけど。
「とりあえず調べるか。何が起こるか分からないので金木先輩は他の部屋にいてください。日向は念のために金木先輩のそばに」
「分かったわ。でも私も気になるから途中で交代してちょうだいね」
「分かりました」
この場合交代するのは同じ見鬼な俺だろう。
まあ月紫部長という最高戦力を外すわけにはいかないというのもあるが。
「しかしこれは祭壇と言うには無茶苦茶だな。そもそも何を祀っているつもりだ」
そう月紫部長が言う祭壇は、知識が薄い俺から見ればひな壇みたいに木製の板が組み上げられたいかにもな見た目だった。
各段には何かが入っているらしい麻袋やら、紙細工のようなものが配置されている。
「何か異様なほどそれっぽいものを感じないんですけど、祭壇として体を成してないということですか?」
「ああ。麻袋の中身は後回しにするとして、御幣はいざなぎ流のそれに似てなくもないが……あそこは独自発展しているし御幣だけでも種類が百を越えるとされているからな。私も全ては把握していないし同じものかどうかは分からん」
「いざなぎ流?」
「土佐の民間陰陽道だ。とはいえ平安時代に京都で公職として発展した陰陽師たちのそれとは別物で源流も不明とされている」
土佐ということは今の高知か。
確かに四国は四国八十八か所をはじめとし古くから修行場として使われることが多く、他の地域とは異なる独自の信仰が多かったと聞いたような。
「望月の目で見ても何もいないな?」
「はい。でもそれが異様というか。さっきから周囲も視てるんですけどこの陰気の原因が分からないんですよ」
浮遊霊らしきものは大量にわいているが。
しかし先ほど俺が霊を殴って強制成仏させたのを見ていたのか、壁や天井から生えてこちらを窺うばかりで近付いて来ない。
やはり先制攻撃は大事だな。
「その陰気も妙と言えば妙だ。密度が薄い」
「密度が?」
どういう意味だ。
そんじょそこらの心霊スポットなんざ目じゃないくらい濃いと思うが。
「陰気以外のものがなさすぎる。何にだって陰と陽の側面がありバランスを保って存在している。この場にはその陰ばかりで陽がない。そのせいで陰の気が濃くなっているが、その陰の気も一般的な心霊スポットと比べれば大差ない」
「陽の気だけが不自然になくなってるってことですか」
一般家庭が心霊スポットと同レベルな時点で大問題だと思うが、それ以上の問題があるから心霊スポットよりヤベエ状態になっていると。
「じゃあよそから陽の気を持って来れば少しはマシになるってことですか」
「そもそも何故陽の気がないのか突き止めないと同じことの繰り返しだろう。玄関の鏡だけでこうなるとは思えん」
「確かに……?」
そこまで話したところで違和感を覚えた。
何もなかったはずの祭壇。そこから僅かに「無」を感じた。
無を感じたって何だよとつっこまれそうだが、実際そうとしか言えない感覚がしたのだ。
「……月紫部長。あれ」
「どうした?」
祭壇を見て異常に気付いた。
先ほど月紫部長が後回しにしようと言った麻袋。もしかしたらヤバいものが入っているかもしれないものの口が開いていた。
先ほどまで細い紐で括られていたはずのそれが緩んでいたのだ。
そしてその開いた口から闇がこちらを覗いている。
何も見えない、奈落のような穴が。
「望月!」
「え? うわあ!?」
そう思った瞬間体が引っ張られた。
月紫部長にじゃない。口の開いた麻袋に吸い込まれるみたいに、見えない力で体全体が引き寄せられる。
「望月!」
だが祭壇にぶつかるほど吸い寄せられたところで月紫部長の手が俺の左手を掴んだ。
掴んだのに。
「――え?」
その手をするりと抜けて、俺の意識は麻袋の中に吸い込まれた。
闇に飲まれる寸前に見えたのは、崩れ落ちた俺の体を支える月紫部長の姿。
霊体だけ持っていかれたのだと気付いた頃には、俺の意識も闇の中に落ちて無になった。
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暗い。
暗い。
暗い。
何も見えない闇の中を沈んでいく。
重い。
重い。
重い。
体が重いと思ったのはこの空間そのものが重いせいらしい。
鉛の海でも泳いでいるみたいに手足を動かすことすら重労働で、しかし意識はそんな重さも気にせずさらに深くへ沈んでいく。
沈んで。
沈んで。
沈んで。
どこまで沈んでも底には辿り着かない。
だが沈む中で様々なものが見えた。
病におかされながら必死に生きようとする人。
事故に遭い体の一部を失った人。
通り魔に襲われた人。
色んな人が死にたくないと叫びながら絶望の中で足掻いている。
この鉛の海はそんな人たちの想いなのだと気付く。
気付いた瞬間俺が居なくなった。
境界が薄れ人々の絶望が流れ込んでくる。
俺の意識が鉛の海へ溶けていく。
だというのに恐れや拒否感なんてものはなくて、俺はただ海の底へと沈んでいく。
「大丈夫?」
そんな俺を気遣うような声が聞こえた。
「……え?」
闇の中にいつの間にか人が居た。
赤と白。巫女服の上に千早を羽織った一人の女性が俺を見ていた。
顔は見えない。見えているはずなのに分からない。
だけどこの人は敵じゃないと確信させる何かがあった。
「こんな形で貴方と出会うなんて。幸運? 不運? それとも運命なんて言ったら最近では安っぽいと笑われるのかな」
そう言って女性はクスリと笑う。
誰だ。何故こんな絶望の底で平然としている。
何故俺を知っている。
いや。俺はこの人を知っている?
「かえりなさい。貴方は今此処に居るべきじゃない」
そう言って女性が手を翳すと、それが当たり前だったみたいに俺の意識は鉛の海を浮上し始めた。
それに従って女性が遠ざかっていく。
その姿に俺はこの場で初めて恐怖を覚えた。
あの人はこの場に残るのか?
こんな場所に一人で残るのか?
一人ぼっちで誰にも知られず。
「大丈夫。もう此処には来ちゃ駄目だよ」
見えなくなる寸前に女性はそう告げる。
だけど優しくて寂し気なその声は――。
――助けて。
そう言っているような気がした。