何もないところでこけたら妖怪の前に体調不良を疑おう2
衣山通りというのは、付近に大学やら県内有数の進学校やらが立ち並ぶ以外は特に特徴のない通りだ。
それでも中心市街地には近いので車や人の通りは多いし、学生たちをターゲットにしているのか店の類も多い。
要は普段なら俺は近寄らないような地域だということだ。
「こんな目撃者が山ほど出そうなとこでやってるんですかね」
「大通りではやっていないと言ってたわね」
「となると裏か。とりあえず大学側から行ってみるか」
そう言って歩き出す月紫部長の後を追い手近な角を曲がる。
そして道一本隔てれば、それまで頻繁に行きかっていた車は居なくなり、人の姿もてんで見えない。
店の類も一気になくなり住宅やマンションが立ち並ぶ一般的な住宅街だ。
もっとも立地のせいか庭らしい庭のある家なんて稀で、少し歩けば田んぼがお目見えするような場所で育った俺には何とも窮屈な感じがする景色だが。
「とりあえず何往復かして反応がないようならば大通りの反対側へ行ってみよう。近くに馴染みの喫茶店があるから休憩がてら入るのもいい」
「月紫部長この辺りに詳しいんですか?」
「ん? ああ。ここは堀之内が近いだろう。姉様の宮間家の屋敷は堀之内にあるからな」
「ああ。そういえば」
堀之内という地域は名前の通り元はお堀の内側、つまりは殿様が住んでいた深山城の跡地にあるらしい。
そういう経緯の土地故か公園やら公共施設が立ち並ぶ中にポツンと宮間家の屋敷はあるのだ。
もうそれだけで「あーこりゃ古い権力持った家だわ」というのが分かる。
「じゃあ元々この辺にそういうことをしそうな妖怪が住み着いてるわけじゃないんですね」
「聞いたことがないな。まあ堀之内の中の森には妖怪やら狸が結構な数住み着いている故、そこから流れて来た可能性もあるが」
また狸か。
いや流石に狸が犯人だったら亀太郎たちには分かるだろう。
というかこの辺に居た狸はもう亀太郎の指揮下に入っているのでは。
……俺が声をかけたら狸の軍団が駆け付けてきたりするのだろうか。
「そういえば今回の犯人ってかまいたちじゃないんですか? 転ばせて薬を塗るって正にそれだと思うんですけど」
「私は違うと思うわよ」
「え?」
まさかの妖怪大好き女からの否定に思わず声が出た。
何でだ。特徴が当てはまりすぎていると思うのだが。
「元々かまいたちは全国各地に伝承があってそれぞれの地域で特徴が異なるのよ。トキオくんの言ってる転ばせて薬を塗るのは岐阜の飛騨に伝わってるバージョン。しかもその伝承ではかまいたちは悪神だとされているわ」
「悪神……ということは妖怪より質が悪いということですか?」
「神と言ってもピンキリだから断言はできないけれど、下手をうてば退治できても祟られるなんてことになりそうね」
「何それ恐い」
何だその試合に勝って勝負に負けるどころか命を奪われるみたいな理不尽。
そんな存在だから神というのは祟り神でも退治せずに祀るのだろうが。
「それに堂本先生の話では被害者の怪我は擦り傷や打ち身だっただろう。転ばせるだけで切っていない」
「ああ」
そこは確かに気になっていた。
俺が知っているかまいたちは一匹目が転がし、二匹目が斬り、三匹目が薬を塗るというものだ。
二匹目の斬る担当が足りない。
「先ほど日向が言った通りかまいたちの伝承は多岐にわたるが、多く共通するのは転倒すること。そして切り傷のようなものができるが傷の深さの割に出血が少ないということだ。そのため薬を塗っているのではなく血を吸っているという伝承もある」
「何それ恐い」
自分たちで怪我をさせておいて薬を塗ってくるほのぼの妖怪が一気に凶悪になった。
かまいたちに吸血属性あるとか知らなかったぞ。
「それに一般的に想像される鼬の手に鎌が生えている姿も、江戸時代に入ってから描かれたものだからな。つむじ風に乗って現れるという点から、古くは中国で風神の一種とされている窮奇と同一視されることもあったそうだ」
「きゅうき?」
※窮奇(きゅうき)
中国において四凶と呼ばれる四柱の悪神の中の一柱。
人語を理解するが正しいことを言っている人間を食べ、誠実な人間が居れば鼻を食べ、悪人には獣を捕まえて送るという中々に迷惑な存在。
四凶には他に饕餮や渾沌、檮杌等がいる。
「ちなみに窮奇の方も姿には諸説あるけれど、翼の生えた虎という姿が一般的に認知されているわ」
「面影欠片もねえじゃないですか」
ともあれ諸説ありすぎてかまいたちが意外によく分からん存在だというのは分かった。
まあ視認できないから色んな説が存在するのも当然と言えば当然なのかもしれないが。
「じゃあかまいたちじゃないなら何が?」
「恐らく転ばせているのと薬を持ってくるのはべつものでわあ!?」
「月紫部長!?」
月紫部長の足が突然止まり、上半身だけが前のめりに倒れそうになるのを慌てて受け止める。
咄嗟のことに抱きしめる形になってしまったのは仕方ないだろう。悲しいが俺の身長は月紫部長と大差ないので、片手で軽く受け止めるとか無理だ。
「大丈夫ですか部長?」
「……ああ。ありがとう望月」
「何ですか今の間」
「そういうことは聞くな!?」
何故か反応が鈍いので声をかけてみたら勢いよく手を突っ張って離れられた。
何故だ。うっかり胸を掴むなんてラッキースケベはやらかしていないはずだぞ。
「しかし今のは件の転ばせる妖怪か。急に足に何かが絡まったみたいに動かなくなったぞ」
「ああ。この子のせいよ」
「はい?」
月紫部長の言葉を受けて、何かを両手で持ち上げ見せてくる七海先輩。
「むー」
七海先輩に脇を抱えられ、何とも言えない声で鳴く何とも言えない生物が居た。
体つきは犬よりも猫に近いだろうか。
その顔も猫っぽくはあるのだが、しかし口元辺りはどちらかと言うと犬っぽくもあり断言できない。
何だこの見過ごしそうだけどよく見たらおかしいレベルの微妙な生物。
「すねこすりだな」
「え? これが!?」
※すねこすり
足元にすりよってくるもふもふした何か(前も書いた)。
どう考えても猫ですよねとか言ってはいけない(前も書いた)。
「その猫っぽいというのはかのゲゲゲな先生が描いたイメージで一気に広がったもので、元々は犬に近い姿の伝承が多かったそうだぞ」
「影響力すげえ」
「むー」
俺の声に賛同するように鳴くすねこすり。
いやでもこれは確かに犬よりは猫に近いのか?
もしかして妖怪見えてたのかあの妖怪大先生。
「でもすねこすりって擦り寄ってくるだけじゃないんですか?」
「転ばせるものもいるぞ。その場合は『すねっころがし』と呼ばれることもある」
「安直な名前すぎて安心感すら覚える」
「妖怪って大体がそうよね」
「むー」
相変わらず妙な声で鳴いているすねこすりだが、人間の言葉は話せないのだろうか。
十中八九今回の件の下手人の片割れなのだろうが、これでは事情も聞けやしない。
「むー」
「『頼まれてやった。俺は悪くない』って言ってるわね」
「速攻責任転嫁!?」
見た目ちょっと可愛いなあと思ってたが中身可愛くねえな。
何で言ってること分かるんだよとはもう七海先輩だからつっこまない。
「むー」
「報酬はお刺身盛り合わせだったそうよ」
「やっぱこいつ猫じゃないですか?」
「ただの猫なら日向と話せるわけがないだろう」
むしろ妖怪と話せる七海先輩は何なんだ。
見鬼以外に特殊能力ないって言ってたけど、これ特殊能力扱いじゃないのか。
「その頼んできたのは薬を売りさばいていたやつでいいのか?」
「むー」
「そうだけどこの子が捕まったの見た瞬間逃げたそうよ。もうこの辺にはいないだろうって」
「しまった。事前に罠をはっておくべきだったか」
そう言って片手で顔を覆う月紫部長。
確かに相手が二体以上いるのは予想していたのだから、こちらも二手に別れるなどした方がよかったのかもしれない。
いや、でも標的にされた人間のフォローと転ばせたやつを捕まえることを考えると三人いないといけなかったのか。
それで罠をはっておけばよかったという発言か。
というか化け狸でも見逃すものよく捕まえられたな七海先輩。
「とりあえず深退組に報告だな。今回は逃がしたが何か目的があってやっているならまた同じことを始めるだろう」
「ただの小遣い稼ぎだった場合は?」
「流石にやめるだろう。やめなければ今度は万全の態勢で捕まえるだけだ」
「この子も引き渡さないとダメねー」
「むー」
「……何ですって?」
「『勘弁して下せえお代官様』ですって」
「誰がお代官だ」
こいつ結構余裕あるな。
しかし頼まれただけなら相手のこともよく知らないだろうし、この件で俺たちが関わるのはここまでだろうか。
そうこの時は思っていた。