少女と廃寺3
六角。
そう名乗った僧侶に敵意はなく、確かに羅門とは別人のようだったが、気になるのはその姿がブレて見えることだ。
俺にそういうふうに見えるということは姿を偽っているということ。
それだけなら実はやはり羅門で姿を偽装しているのかと疑うところだが、俺はこの見え方にちょっとばかり覚えがある。
そう。縁でもあるのかそれともわざと呼び寄せているのか、妖の中でも遭遇率が高いアレだ。
「……失礼ですがあなた狸ですか?」
「え? 何言ってんのお兄さん」
俺の言葉に目を丸くして驚く橘。
そこまで驚くということは橘には目の前の僧侶が化けているようには見えていないのか。
しかしこのブレ方は赤殿中やら傘差し狸と同じ見え方なんだよなあ。
「ほう。流石見鬼やなあ。よう見破った」
「え?」
そしてその予想は正しかったらしく、ぽんとコミカルな音と共に煙に包まれる僧侶と驚く橘。
そして煙がおさまったそこに居たのは、法衣を着た狸。
正体を現したせいか感じる圧が強くなったが、橘にまったく化けているのを悟らせなかったことといい亀太郎たちより格の高い狸なのだろうか。
しかし法衣を着た狸とはまたミスマッチな姿だが、法衣が少し大きめなせいか子供が背伸びしているみたいで微笑ましくも見える。
そう俺が呑気に思っているとガタッと大きな音がして、何事かと振り返ると橘が後退り顔を青くしていた。
「……どうした?」
「むしろお兄さん何で平然としてんの!? これ神気だよ! それ神様だよ!」
「はい?」
なるほど。圧が強いと感じたのは相手が神だったからか。
しかし神だと分かってるのにそれ呼ばわりはいいのかって……?
「……神様?」
「おお。いうても地方のまいなーなもんやけんなあ」
そう言って狸――六角はおかしそうに笑う。
※六角堂狸(ろっかくどうたぬき)またの名を榎大明神(えのきだいみょうじん)
愛媛県松山市に祀られている狸。
元は六角堂という寺の榎に住み着いていた、髑髏を媒介とした神通力で人々を化かしていた悪戯狸。
しかし寺の住職に髑髏を奪われ神通力を失い、以後人々をたぶらかさないと宣誓し髑髏を返された。
一説にはこの時に住職から法衣を受け取ったとも。
それ以来六角堂狸が悪さをすることはなく、むしろ参拝したものにご利益があったことから榎大明神として祀られるようになった。
マジかよ。
狸の神様。
そういえば前に河童探してた時に月紫部長からそんな話を聞いたような。
「八股榎大明神?」
「それはまた別の狸やな。まあそいつ一時期わしと一緒のとこに居候して祀られとったけん、わしと夫婦やとか言われとるなあ」
他にも居るのかよ狸神。
もしかして俺が知らないだけで結構いるのか狸の神様。
「しかしまずは謝罪の続きやな」
そう言うと榎大明神……本人が六角と呼べと言っていたから六角さんでいいか。
六角さんは居住まいを正し、ゆっくりと頭を下げた。
「すまなかった。アレは人間なら体が重くなる程度の罠やったんやけど、お嬢さんの家族がああなったのはわしのミスでなあ。本当に申し訳ない」
「え? あ、いや、大丈夫です。はい」
そう言って謝る六角さんと、目に見えて狼狽える橘。
何というか。神様の割にはえらく腰が低いというか。
それに橘の様子もおかしいが、俺にすら見えない神様オーラでも見えてんのか。
「あんま言葉が届いとるようには見えんけど仕方ないなあ。お嬢さんには神はちょっと特別な存在みたいやけんなあ」
そう言って六角さんは少し寂しそうに苦笑する。
そう言えば深海さんが橘は常世神信仰の流れをくむ家の人間だと言っていた。
しかし討伐された経緯を信じるなら、その常世神は信者に何も与えずむしろ奪う紛い物の神だったはずだ。
ならばその流れの果てに居る橘の信仰する神とはいったいどのようなものなのか。
少なくとも一般的な日本人のように困ったときのと気軽に頼れる存在ではないらしい。
「まあ仕方ない。切り替えていこう。それでわしが用があったのは坊やのほうなんやけどな」
「あ、はい」
薄々気付いてはいたが俺を呼び寄せたのは六角さんか。
そりゃ神様に誘われたのなら俺みたいななんちゃって退魔師ではあっさり誘導されるわ。
「八百八狸なんてのも昔の話でなあ。大将が封じられてからはみんな散り散りで力を持った狸が一ヶ所に集まるのは珍しいんよ。やけん最近狸を集めとる人間がおる聞いて何を企んどんのかと様子見に来たんやけどなあ」
「ああ」
理由は納得したがそれ俺じゃなくて亀太郎のせいじゃねえか。俺が狸集めてるわけじゃねえよ。
いや亀太郎は一応俺のためにやってるみたいだから俺のせいと言えなくもないが。
「いや。ええ子で安心したわ。ご両親に愛されとんやろなあ」
「はあ」
どうやらお眼鏡にはかなったらしく朗らかに笑う六角さん。
しかし月紫部長にも言われたが俺は別にいい子ではなくむしろひねくれてると思うし、何故両親に愛されてるとかいう話に。
「それと、羅門と深海のことやなあ」
「……え?」
羅門の名が出るのは予想していた。
結果的に関係なかったとはいえ、髑髏を持った僧侶という姿は羅門に似すぎている。
だから羅門が何らかの影響を目の前の六角さんから受けたのではないかと思っていたが、何故深海さんの名前まで。
「五年前の事件は本当に全国各地を巻き込む勢いやったけんなあ。わしのとこにも影響があったし、少しばかり力も貸したんよ。やけん羅門はわしのことを知っとるし、髑髏を媒介に力を行使するなんて発想が出たんもそのせいやろう」
なるほど。
直接的に何かをしたわけではなく、六角さんからアイディアを得てあんな悪趣味な坊主が完成したと。
いや悪趣味と言ったら六角さんに失礼だが。
「それと深海のことやけどな。あんま信頼せん方がええ」
「……」
そう納得していたのだが、次にかけられた言葉に一瞬思考が停止した。
深海さんを信頼するな?
確かにサトリなせいかこっちの事情はお見通しなくせに己の内心は悟らせない人ではあるが、悪い人ではないと思うのだが。
「そう。悪い人間やない。やけどアレは変質してしまっとるけんなあ」
そう六角さんはどこか気落ちしたように言う。
まるであの深海さんのことをよく知っているかのように。
「あの子は今や秩序の守護者よ。個ではなく全を優先する公の正義の体現者。それは疑いなく正しい。人間が個ではなく群で生きる存在な以上、例え共感しない人間がおってもそれは間違いなく正義やけん」
「だったら信頼できるんじゃあ……」
「だからこそあの子はいつか坊やの大切なもんを斬り捨てる」
その言葉に俺は何故か言い返せなかった。
まるで最初からそこにあったみたいに、ストンと俺の心の中に入ってくる。
「……俺がいつか悪になると?」
「そうやない。坊やはええ子やけんなあ。悪ぶってもせいぜい中立までの可愛いもんやろ」
「それ褒めてます?」
すっげえ子ども扱いされてる感が。
いや目の前の神様狸からすれば子供だろうけど。深海さんすらあの子扱いだし。
「やけど坊やの懐に入れてるもんの中に爆弾がある。いつかそれが爆発しそうになった時に、坊やは爆発を止めようとするやろうけど、深海は爆弾を破壊する。止められる確率が五分五分程度でも破壊する方が確実なら深海は破壊する。それがあの子の正義やけんなあ」
「……」
それは分かる。というか俺だってそっちの方が確実なら破壊する方を選ぶと思うのだが、それを選択できないような状況になると六角さんは見越しているのだろう。
しかもその爆弾とやらは既に俺の懐に入っているらしい。
まったく心当たりがないのだが何のことなのだろうか。
「色々と覚悟しとき。深海と敵対すること。その選択を受け入れること」
「……諦めろと?」
「まさか! 気が済むまで徹底的に抗ったらええよ。受け入れた上で諦めないこと。これはお釈迦様の悟りにも通じる重要な事やけん」
要は覚悟しろということだろうか。
確かにたまたま見鬼に目覚めたからというふわっとした理由だけで関わってたら覚悟なんぞできないだろうが。
「ありがとうございます。肝に銘じておきます」
ともあれわざわざ神様が助言してくれたのだから素直に礼を言っておく。
もっとも五分五分なんていうのは六角さんが気を使った言葉であって、実際にはもっと分の悪い賭けをすることになるとはこの時は思ってもいなかったのだが。
「でも何故俺なんかにそこまで助言を?」
「んー狸たちがお世話になっとるし、坊やがええ子やけんなあ」
「はい?」
俺がいい子かどうかは置いといて、それこそそんなふわっとした理由で神様が個人に肩入れしていいのか。
そんな俺の疑問に気付いたのか、六角さんは笑いながら言う。
「神様なんてそんなもんよ。覚えとき坊や。最近世の中公平にだの平等にだのと言われとるけどなあ、神様は気に入った人間えこひいきするし気に入らない人間は祟る。そういう自分勝手な存在やけん『どうか大人しくしといてください』と祀られるんよ。やけん関わる時には慎重にな」
「ええ……」
確かに祟り神とかはそういう理由で祀られるとは聞くが、他の神までそうなのか。
話を聞くに六角さんとかは以前はともかく人に利益があったから祀られたんだろうに。
「あの……質問してもいいですか?」
「おう。何やお嬢さん」
そう呆れていると、それまで黙っていた橘がおずおずと手を上げながら言う。
こいつさっきまでの羅門絶対殺すモードと違い過ぎるんだが何があった。
「神様ってどんな存在ですか?」
神様に神様の定義聞きやがった。
大丈夫かこれ? それこそ機嫌損ねないか?
「うん。わしの固有の考えやしさっきの話と矛盾するようやけど、神というのは『人に望まれた存在』やね」
それは確かに矛盾するというか。
自分勝手なのが神様なのに人に望まれて存在する?
「わしらみたいなのは特になあ。人に『そうであれ』と望まれ祈られたけん神様なんぞやってられるんよ。そうじゃなきゃわしもそこらの妖怪と変わらんしなあ」
「それは祟り神でも?」
「祟り神こそ。目に見えない脅威を分かりやすい存在に押し付けたのが祟りやないかなあ。もちろん本物の祟りもあったやろうけどね」
そういう六角さんだが神様の割にはえらい客観的な見方だな。
根っからの神ではないせいかもしれないが。
「やけん安心し。お嬢さんの神様はお嬢さんを受け入れてくれる。その結果がどうなろうと少なくともわしは『よくやった』と褒めてやる。まああんまり悪いことはしてほしくないんやけど、時にはやらかすのが人間やしなあ」
「……」
その言葉は橘の迷いを晴らすことになったのか、先ほどまでのどこか遠慮した空気がなくなった。
にっこりと、六角さんと出会う前までと同じように笑う。
「うん分かった。ありがとう狸様。今度狸様が祀られてるところにもお邪魔するね」
「おお信じてくれる人が増えたな。ありがたいことや」
そう言って笑いあう六角さんと橘。
最初はどうなることかと思ったが、とりあえず今回のことは全て丸く収まったというべきだろうか。
いつか爆発する爆弾というのが気にはなったが、とりあえず今日の所はそう納得することにした。
六角堂狸は教力さんとも呼ばれています
八又榎大明神の方はお袖さん