少女と廃寺2
橘という予想外の味方ができたものの、状況はかなり悪い。
何せ相手はあの羅門だ。
実力自体が他の退魔師と比べてもトップクラスな上に、サトリという反則能力まで持っているので不意打ちもできない。
かと言って逃げようにも結界に阻まれて逃げられない。
情けないが本当に橘を頼らないと脱出すらままならない状態だ。
「しかし同じところをぐるぐると」
だが腹を決めて羅門と対峙しようにも、先ほどから結界に阻まれて大きな堂の周りを歩き回ってばかりで入口にすらたどりつけない状態だ。
一方通行だらけの迷路とでも言えばいいのだろうか。しかもたまに視界が突然切り替わり、明らかに先ほどまでと別の場所にいるというワープ機能付きときている。
俺は見鬼なおかげである程度結界による壁の位置が視えるが、他の人間なら構造を把握することすらできないんじゃないかコレ。
「どうせこっちの動き何て筒抜けだろうし、結界斬るか?」
「やめておいた方がいいと思うよ。これ連動型の結界みたいだから」
「連動型?」
結界にそんな単発とか連動とかあるのか。
確かに霊視してみると結界が何重にも重なっているのが見えるが。
というか重なりすぎていて、視覚に依存した見鬼の俺では逆に全体が見渡せないというおかしなことになっている。
「さっきから同じ場所ぐるぐる回ってるのはお兄さんも気付いてるでしょ? 空間を捻じ曲げるような結界が複数連なってるの。だからその一部だけ破壊したら空間の繋がり方がおかしなことになって、空間の隙間とかに落ちるかも」
「何それ恐い」
空間の隙間というのが具体的にどんなものか想像できないが、ろくなことにならないのは予想がつく。
かべのなかにいる的な。
「羅門は結界が得意なのか?」
「そりゃ結界って元々は仏教用語だし。一応は坊主なあいつの専門なんじゃない?」
「なるほど」
なら結界を気軽に斬れるという俺の特性を、敢えて結界を複数連動させることによって封じてきたということだろうか。
亀太郎の化かしへの対応といい、こちらの強みをことごとく潰してくるな。それだけ経験と知識が豊富だということだろうか。
「どうするか。せめていきなり別の場所に飛ばなきゃしらみつぶしに行けばいいだけなんだが」
「ふっふっふ。そこでこの子の出番だよお兄さん」
「はい?」
そう言いながら橘が人差し指を突き出してきたので何かと思えば、その先に黒い虫が一匹とまっていた。
眼前と言える場所まで近づいているのに逃げようともせず、手を洗うようにごしごしと擦っている。
「蠅?」
「うん。実はさっきからこの子たちを斥候代わりに何匹も飛ばしていたのだ!」
「その言い方だともしかして離れてても虫の位置とか状況が分かるのか?」
「うん。だからもう正解のルートは分かってるよ」
「ええ……」
この娘っ子、俺が熱が出そうなほど必死に考えてる間に問題を解決してやがった。
本当にこいつ居なかったら俺ここで永遠に迷ってたんじゃないか。
「というかその蠅どっから出した?」
「やだ。お兄さんエッチ」
なんでや。
咄嗟につっこみそうになったが、つっこんだら何かヤバいことになりそうなので口をつぐんでおいた。
いや大体予想はついているのだが、予想通りなら業が深いなんてもんじゃない。少なくとも幼い少女にやらせることではない。
そしてそれを平然と受け入れている橘も、恐らくもう普通の感性なんてものは持ち合わせていないのだろう。
だから俺はこの子に同情してはならない。それ自体が彼女への侮辱となる。
何故だかそんなことを確信した。
「じゃあ行こっか。お堂の入口に辿り着いた子は居るんだけど、蠅だから入口開けられないんだよね」
「ちなみに出口に繋がる順路は?」
「なかった」
マジかよ。
まあ逃げるのは半ば諦めていたが、改めてその可能性を潰されると凹んだ。
・
・
・
「何じゃこりゃ」
さて。
橘(と蠅)のおかげでお堂の中に入ることができたわけだが、そのお堂の中がまたしても不可思議な事になっていた。
「んー。九字切りにしては多すぎだし何だろうこの格子」
そう。
橘の言っている通り、三十センチほどのマス目に分かれるように、格子状に白い線が床に張り巡らされている。
これあれだろ。
さっきまでと同じで順路とかあって、違うとこ踏んだら何か起きるんだろ。
どこぞのダンジョンのギミックか。
「え? というかノーヒントかこれ?」
「みたいだね。いきなり行くのは危ないし、蠅を先行させようか」
「蠅で大丈夫なのか」
「お兄さんは蠅をなめてる! 蠅は一秒間に二百回も羽ばたくからカメラにまともに映らなくてスカイフィッシュっていうUMAに間違われたこともあるんだよ!」
「だから何だよ!?」
※スカイフィッシュ
1995年に発見された、映像や写真には写るが肉眼では確認できない高速(280km/h)で飛び回る何か。
長い棒状に見える姿から欧米では「フライングロッド」とも呼ばれる。
近年の研究で蠅などの高速で飛び回る虫が残す残像がその正体だという説が有力になっているが、それだけでは説明がつかないとして実在を信じ研究を続けている人間もいる。
……この説明いる?
スカイフィッシュは置いといて。
確かに予想以上に羽ばたいているがだから何だ。
UMAと間違われても蠅は蠅なんだから音速越えてソニックブームが出せるわけでもなし。
「それに加えて危険を感知すると、一回の羽ばたきで進行方向を変えて回避するの。つまり百分の一秒以下という一瞬で危険を察知して回避するほどの反応速度があるの!」
「あーそれは確かに凄い……のか?」
蠅の危機回避能力が高いのは分かった。
分かったが、それがオカルトな場面での危機回避にまで発揮されるのだろうか。
いや橘の使役してる蠅が普通の蠅なわけがないからそうなのかもしれないが。
あとこいつ前も思ったが本当に虫好きだな。
「まあ見ててよ。私の蠅の凄さを!」
「おまえそれフラグ立ってないか?」
自信満々で人差し指から蠅を一匹送り出す橘。
そしてブーンと羽音を立てながら飛び立った蠅が格子に区切られたマス目の一つに入る。
その時点では何事もなく、そのまま次のマス目へと侵入したのだが――。
――パーンッ!
「は?」
物凄い勢いで何かを叩きつける音が鳴り響き、蠅が一瞬で消えた。
何事かと見渡せば、丁度蠅が居たはずの真下に飛び散った黒い何か。
あ、うん。何が起きたのかは分かった。
「れ、レンカー!?」
「名前あったのかよあの蠅!?」
そしてその光景を見てショックを受けたように叫ぶ橘。
え、何? こいつもしかして虫一匹一匹に名前つけてんの?
あの万単位越えてそうな集団全部に?
どんな愛着だ。
「ともかく、間違えた場所に入ると床に叩きつけられ……いや飛んでだから叩きつけられたわけで俺たちならどうなるんだ?」
「……加えられるのが『重量』なら私たちなら大丈夫な可能性もあるけど『加速』だったらどうなると思う?」
「ミンチだな」
もし橘の言う通り加速がつくのなら、質量が大きい俺たちの方が蠅より大惨事になる。
仮に重量でも、対象が蠅だったせいで具体的にどれくらいの重量だったのか、四散してしまっているので凄そうということしか分からない。
まあ要するにどっちでも無事な可能性の方が低くてヤバい。
「とはいえ今のだけでは法則性が……。橘もう一回……いや、俺が先に行くから何か気付いたことがあったら言ってくれ」
「え? 蠅に行かせないの?」
「大切なんだろ蠅?」
さっきの取り乱しっぷりからして、そう簡単に使い捨てにできるものでもないのだろう。
それに元々は俺が巻き込んだようなものだし強制もできない。
そう思い俺が先行すると言ったのだが。
「……お兄さん馬鹿?」
何か異様なものを見るような目で言われた。
解せぬ。
「何でだよ」
「もう! いいもん! 使い捨てなら使い捨て前提でいらない子を使うもん! お兄さんに気を使われることなんてないもん!」
「ええ……」
何かいきなり話し方が幼くなった。
大丈夫かこいつ。
そう心配しながらも様子をみていたのだが。
「――地に足つけよ」
「ん?」
「え?」
突然聞こえてきた声に二人して間抜けな声を漏らす。
何だこの声。
男の声ではあるが羅門ではないし。
「――祭りのように踏み鳴らせ。翁のごとく踏み鳴らせ」
「……」
そしてそのまま続いた声は、言い切ったとばかりに沈黙する。
つまりどういうことだ。
「もしかして今のヒントか?『地に足つけよ』っていうのは蠅みたいに飛ぶなってことだろうし」
「なんで最初から言わないのかな!?」
「俺に言われても!?」
可愛らしい顔が台無しになるくらい怒りに歪んだ顔で詰め寄られたが、本当に俺に言われても困る。
「羅門ぶっころす!」
「あーそれで祭りに踏み鳴らす? もしかして盆踊りのことか?」
「……お兄さんどうしてそう思ったの?」
「え? いや、盆踊りは踊り自体に鎮魂の意味があって、祭事とかの踊りには大地を踏みしめることで地下の悪霊やら何やらを鎮める意味があるとか聞いたから」
確か月紫部長がそんなことを言っていた。
まあ盆踊りの参加者がそこまで考える必要などなく、普通に楽しめばいいとも言われたが。
「あー分かった。これ反閇かあ」
「へんばい?」
※反閇(へんばい)
陰陽道などで災難が降りかからないように守護のため行われる邪気祓い。その中でも独特の足さばきを指して反閇と呼ぶ場合もある。
中国で生まれた道教の禹歩が元であり、北斗七星をかたどっているとされる。
「じゃあ翁の歩みっていうのは?」
「能とかで翁役がやる独特の足運びが反閇だとされてるの。まあ起源関係なく大地を踏みしめて邪気祓いするのは全部反閇とすることもあるよ」
「乱暴だなオイ」
「とりあえず反閇の足取りはこう」
そう言って橘が軽く見せてくれたが、要は三歩ごとに両足を同じ位置に揃えるということか。
確かに普通ならやらない独特の歩法だな。
「じゃあ私が先に……いやどっから入ってもいいみたいだし、お兄さん横で私の真似しながら行けば?」
「いや。さっきので覚えたから俺が先に」
「一緒に行こうねお兄さん?」
「はい分かりました」
反閇が正解とも限らないので俺が先に行くと言おうとしたら笑顔で凄まれた。
何この子段々我儘になってない?
……最初から我儘だったな。
「じゃあ行くよ」
「おーけー」
とりあえずこういう雰囲気の女の子には逆らわない方がいいと相場が決まっているので、素直に言うことを聞いておく。
いつ失敗と判断され体が押しつぶされるか。
そう警戒しながら進んだのだが、どうやら反閇で正解だったらしくあっさりと格子状に区切られた床を突破できた。
「行けたか。ありがとう橘」
「お兄さん前から思ってたけどお礼言うタイミングおかしくない?」
「俺がおかしいのは否定できないが多分おまえもおかしいからな」
何で礼を言ったのに異星人を見るような目をされにゃならんのだ。
「でも結局何で最初からヒント出さなかったのかな。レンカ死んじゃったじゃん」
「いやはや、それは済まなか……」
「死ねぇッ!」
「躊躇えよ!?」
扉の先。
雨戸の閉めきられた暗い廊下から聞こえてきた声目がけて、橘がどこからか出した十匹近い数のスズメバチのような虫を突撃させる。
一応仲間な人間を謝罪最後まで聞かずに殺しにかかるって鬼かこいつは。
「ごはっ!?」
「よっしゃ討ち取った!」
「ええ……」
そしてそのスズメバチみたいな虫に貫かれ、拳大の穴を全身に幾つも空けられ倒れる羅門。
あの小さな虫で何でそんなでかい穴が空くんだよとか、羅門がそんなあっさり食らうのかよとか、本当に殺しやがったとかつっこみどころが満載で何を言えばいいのか分からない。
というかあの羅門が本当にこんなにあっさりと……?
「いや待て橘。あれ幻影だ」
「え?」
倒れた羅門の姿がブレて見えた。
橘が気付かず俺の目でも正体までは視えないということはかなり強力な幻覚だ。
そう思いながら正体を確認しようと近付いたのだが。
――ぽんっ!
「は?」
羅門だったものは突然コミカルな音と煙を出し、煙が消えたそこには古い店とかに置いてそうなでかい狸の置物が鎮座していた。
「手ぇ早いなあ。せめて謝罪はさせてくれんか?」
「誰だ!?」
すぐ横。
障子で区切られた部屋の中から声が聞こえて反射的に聞き返す。
羅門の声じゃない。
というか話し方が羅門とは全く違う。
「そう警戒せんでも……と言うにはやり方悪かったなあ。ごめんなあ」
中に居た誰かは、そう言いながら障子を開ける。
「そんで誰かと聞かれてもどう名乗ったもんか。とりあえず『六角』とでも呼べばええんやないかな」
そう言いながら笑って見せる僧侶は、右手に髑髏を持っているが羅門とは別人であり、その姿は先ほどの羅門と同じようにブレて見えた。