いと6
謎の虫使いの少女が去った後、後始末は意外にあっさりと終わった。
まず主犯の絡新婦は憑き物が落ちたように大人しくなり、新田の説得もあり素直に棲み処の池へと帰って行った。
文車妖妃のときもそうだったが、必要だと判断すると案外すっぱりきっぱりと行動するな新田。
それだけ国見さんを大事に思っているということなのかもしれないが。
新田の腹の中にいた応声虫は排除済みだし、俺の家も事が終われば大量の蜘蛛の巣は綺麗になくなっていた。
ちなみにあの少女に連れ込まれた虫の檻は絡新婦の居た池のすぐそばに作られていたのだが、その周囲だけ綺麗に草がなくなり更地になっていた。
あの虫の中に蝗の類でもいるのだろうか。普段の餌はどうしているのかと割とどうでもいいことが気になった。
新田の件は絡新婦が手をひくならまあ問題なし。
ならば後は謎の少女の正体と所属しているという組織。そして今後の動きが問題になってくるわけだが。
「まあ大丈夫だと思うよ。あの子良い子ではないけど悪い子でもないから」
「ええ……」
そんな呑気なことを言ってくださったのは、東退組に援軍に行っていたはずの深海さん。
俺たちふしぎ発見部の面々と対面する形で座り、ズズーと茶などすすっている。
事が終わってから数日経ち、月紫部長経由で深退組の長である宮間さんの家へと呼び出されたのだが、待っていたのは深海さんだった。
一体どういうことだよ。まさかあの子深海さんの身内だとか言い出さないだろうな。
「身内ではないけど俺の管轄かな。所属してる組織がちょっと複雑なところだからね」
そう俺の内心を読みまだ聞いてないのに答えてくれる深海さん。
深海さんの管轄。宮間家が担当する表ではなく、深海家が担当していた裏の話と言うことだろうか。
「まず望月くんが会った虫使いの女の子は橘祈咲(たちばなきさき)ちゃんだろうね。本人は子供だけど常世神信仰の流れを組むかなり特殊な家の子だよ」
「常世神?」
「富と長寿を与えるとされる虫を信仰する七世紀ごろに生まれた新興宗教だ。だが実態は信者の財をいたずらに浪費させるものだった故に討伐されている」
俺の疑問に答えてくれたのは月紫部長だった。
千四百年前に生まれたのに新興宗教とは。
いや当時は新興宗教だったのだろうし、すぐに討伐されてるから宗教として根付かなかったのか。
そんなものをあの少女――橘は継承していると。
「じゃあ良い子でもないけど悪い子でもないというのは?」
「あの子少し前まで他に人間が居ない秘境みたいな場所で暮らしててね。倫理観とかが現代日本人のそれをぶっちぎっちゃってるんだよね」
十分ヤベエ奴じゃねえか。
よく俺普通に会話できてたな。もしかして機嫌損ねてたらあっさり「死ぬより酷い目」を実行されていたのか。
「まあ下手に刺激しなければこちらに被害はこないと思うよ。悪気なくやらかすタイプだからたまにしめないといけないけど」
やっぱりヤバい奴だった。
いやもしかして深海さん基準ではヤバくないのか。
普段どんだけ危険な連中を相手にしてるんだ。
「じゃあその子が所属しているという組織は?」
そう質問したのは七海先輩だった。
確かにそこは気になる。羅門経由では不明だったが、そこまで橘という少女に詳しいということは、所属している組織も把握しているのだろうか。
「彼女が所属しているのは天同会という、戦前までは秘密結社だった組織だよ」
『ひみつけっしゃ』
何か普通に生きてたらまず関わり合いにならないような単語が出てきたので、思わず七海先輩と唱和してしまった。
いや思い返せば退魔師の時点でアレだけど。
「元秘密結社だけあってかなりややこしい組織でね。どれくらいややこしいかというと、設立経緯の関係で退魔師組合の加盟者の半数近くが同時に天同会にも籍を置いている。宮間家も一時期は参加していたし、高加茂家は今も名前を残しているはずだ」
「はい?」
敵の組織が判明したと思ったら味方の月紫部長の家が参加している組織だった。
今更月紫部長を疑うつもりはないが、意味が分からず思わず視線を向けると頭を抱えていた。
つまり一体どういうことだ。
「まず天同会は一般には知られていないけれどかなり大きい組織なんだ。さっきも言ったように退魔師の半数近くが参加しているし、一般人の構成員もかなりいる。だが同時にその理念と構成員の多さから統制なんてろくに取れてない状態で、烏合の衆と言っても過言ではない」
「ややこしい」
それ結局組織として凄いのか凄くないのか。
というか理念があるのに思想が統一されてないのか。
「天同会の理念は『全ての思想を受け入れる』ことだ。世界的宗教はもちろん誰も聞いたことのないような土着宗教や新興宗教も受け入れる。要するに闇鍋だ」
「闇鍋て」
月紫部長が再起動したと思ったら、自分の家が所属している組織を闇鍋と言い放ちやがった。
いや確かに闇鍋としか言いようがない理念だが。
「元は明治政府が進めた神仏分離令に反発して生まれた組織なんだけどね。天道思想という神仏習合を是とする考えを基にしていたらしい。でもそれは要するにお上に逆らうってことだからね。公には存在せず秘密結社として勢力を拡大していったわけだ」
「神仏分離が進む中で修験道の禁止令も出たからな。私の家も参加しているのはそういうことだ」
神仏分離というのは何となく内容は知っているが、修験道が禁止されたというのは初耳だ。
なら修験道系の家である高加茂家が参加するのも当然の流れだったのか。
「だがそんなものは戦前の話だ。戦後になってからは禁止令は意味をなさなくなった故に天同会もその役目を終えるはずだった。だがそこで何がどうしたのかは分からないが、海外の宗教を含めあらゆる思想を受け入れるという理念が生まれ組織改革が成された」
「まあその理念のせいで実質的なトップどころか対外的なトップも居ない状態が続いていてね。各派閥が好き勝手にやりつつ討伐対象にならないよう相互監視をしているという、潰したいけど潰したら余計にややこしいことになる上に存在そのものがややこしい。国も頭を抱える組織になっちゃってるんだよ」
「要するにややこしいと」
それなら指名手配されている羅門があっさり参加できたのも納得というか。
しかし羅門がやりすぎるようならあっさり切り捨てるだろうし、組織全てと敵対する可能性は低いということか。
もしかして宮間家が脱退したのに高加茂家が名前を残しているというのは、監視のためでもあるのだろうか。
「問題は羅門がどの派閥に取り入ったかだね。橘ちゃんのところは本人も言っていただろうけど研究畑だから羅門とはそりが合わないだろうし」
「穏健な派閥ということですか?」
「いや。他人に迷惑はかけるけど俺に迷惑はかけるなというマッドの集いだね」
「清々しいほど自分勝手だな!?」
派閥内でぶつからないのかそれ。
いやだからこその「研究成果の共有」なのか。
お互いを利用するためにお互いを邪魔しない程度の理性はあると。
「でも橘の言い方では羅門にかなり近い感じがしましたけど。それに羅門が言っていた『裏技』というのはもしかして」
羅門は元々サトリではない。
しかし深海さんに対抗するために裏技を使いサトリの力を手に入れたと言っていた。
もしかしてその出所が天同会なのではないだろうか。
「ああ、その可能性があったか。……いや、それなら多分逆かな。恐らく羅門のサトリ能力の根源はあの髑髏だ。それを手土産にしたとも考えられる」
「アレそんな意味があったんですか」
確かに要所で意味ありげに撫でまわしてはいたが。
つまりアレを壊せば羅門のサトリは消えるのか。
いやサトリなんだから狙おうと思った時点でバレるだろうが。
「深海さんは髑髏の出所を知っているんですか?」
そう聞いたのは七海先輩。
確かにアレがサトリの媒介になっていると知っているということは、その正体も深海さんは知っているのだろうか。
「アレは俺と同じサトリの骨だよ。以前羅門と同じ組織に居た敵のね」
敵。
そう告げる深海さんは自嘲するように薄く笑っていたが、どこかその顔は悲し気に見えた。
・
・
・
「月紫部長。滝行の回数を増やしちゃダメですか?」
「いきなりどうした」
話を聞き終えた帰り道。
俺がここ数日で考えていたことを言うと、月紫部長は珍しく目を丸くして驚いていた。
「霊力を上げたいんです」
「焦って数を増やしても意味はないぞ。雑念はむしろ修行の妨げとなる」
理由を告げたらあっさりと正論で返された。
しかし霊力を上げたいというのは本当だ。
あのとき橘という少女は明らかに月紫部長を警戒していた。
逆に俺のことは完全に侮っていて、実際俺が月紫部長と同じ戦法で虫相手に戦おうとしても結界をあっさり割られて終わっていただろう。
絡新婦相手にも簡単に破られたし。
絡新婦が結界関連が得意だったとはいえ、あの時は結界を解こうとしたわけではなく蜘蛛を使ったただの攻撃だった。
月紫部長の結界ならあれほど簡単に破られることはなかったはずだ。
……今にして思えば結界が割れた時の絡新婦の「なんですって!?」という驚きは「私の攻撃を防いだ!?」という意味ではなく「この程度で割れるの!?」という意味だったのだろうか。
何それカッコ悪い。
「それなら半分は私が同行しましょうか。部長も毎回付き合うのは大変でしょう?」
「話を聞いていたのか日向」
納得いかない俺を見かねたのか七海先輩がそう申し出てくれたが、月紫部長は怪訝そうに眉をひそめる。
七海先輩の申し出はありがたいが、確かに回数増やしても意味がないと言われたばかりだしなあ。
「意味ならあるわよ。意味がないって実感できるでしょう」
「それこそ意味があるのかそれは」
「本人が納得できずにくすぶってたらそれも雑念になるでしょう。それに納得いかないままこっそり一人でやられて事故でも起きたら大変だわ」
「そんなことをするほど望月は馬鹿ではないだろう」
「馬鹿よ。男の子だもの」
男だというだけで問答無用で馬鹿に分類された。
そういえば赤猪さんや深海さんも似たようなことを言っていた気がする。
思春期の男子はデフォルトで馬鹿なのか。
それはともかく、七海先輩が援護してくれているのだからこのまま黙って見ているわけにもいかないだろう。
「お願いします月紫部長。納得できたらすぐにやめますから」
「……分かった。だが私もちゃんと毎回同行する。それでいいな」
「はい。ありがとうございます」
まだ渋々といった様子だが許可が下りたので礼を言うと、月紫部長はため息をついて歩き始めた。
反対に、七海先輩が微笑みを浮かべながらこちらへと向き直る。
「良かったわね。でも後でフォローしておかないと。部長と喧嘩したいわけじゃないでしょう」
「フォローと言われても」
「本音を言えばいいでしょう。強くなりたいって」
「でも月紫部長からすれば侮辱になるんじゃあ……」
以前月紫部長は「私は頼りにならないのか」と怒っていた。
それなのに「月紫部長を頼らなくてもいいくらい強くなりたい」と言ったら機嫌を損ねるのでは。
「そこは何で怒ったのかまで考えなさい。それに侮辱になんてならないわよ。好きな人を守りたいっていう思いに立場なんて関係ないし、素敵な事じゃない」
「好きな人?」
七海先輩の言葉に聞き逃せない部分があり思わず口の中で反芻するように言い返す。
いや俺は月紫部長に守られるのが嫌で……。ん? 最終的には肩を並べるようになりたいと思ったのは、守りたいというのと同じなのか?
「……分かってはいたけど本当に自覚なかったのね。傍から見たら丸分かりなのだけど」
「……好きな人?」
俺はあの変人を好きだった? いや案外普通の女の子らしいところもあるのは知っているが。
「好きな人……」
「分かってなかったのは分かったから、家に帰ってよーく考えなさい。勘違いなら勘違いでいいんだし」
そう七海先輩に言われるが、同じ言葉がぐるぐると頭の中を回っていて考えが纏まらない。
それ自体が証拠というか、どうやら俺は月紫部長のことが好きだったらしい。
解せぬ。