いと5
女。見た目からすればまだ少女だろうか。
ゴスロリ……いや白いのはジャンル的にはゴスロリではないんだったか。ともかくフリルの付いたドレスを着たアンティークドールを思わせるような恰好をしており、この虫だらけの空間との見た目の乖離が激しい。
虫も殺せないような笑みを浮かべていることといい、偶然迷い込んだ一般人だと言われたら疑いなく信じていたかもしれない。
それに――。
「……アンタ何なんだ?」
「んー? 質問は明確にしてくんない? 貴方結構お利口なタイプでしょ」
「おまえは人間か?」
俺の問いに楽しそうに言い返す少女に改めて問う。
この少女からは霊力をまったく感じない。それこそ一般人以下で、そこらの石ころの方がまだ僅かなりとも霊力を宿している。
霊視でこの少女の姿が見えなかったのもそのせいだろう。
周囲の虫たちが霊力を放っていることもあり、少女が居る場所だけポツンと取り残されたように空白地帯が発生している。
まさか本当に人形か。そう思ってしまうほど少女には生気がない。
「へー。そう感じるってことはやっぱり貴方優秀なんだ。じゃあ質問に質問で返しちゃうけど人間って何? どこからどこまでが人間?」
「……」
その問いに思わず真面目に考えてしまった。
生物学的な意味でなら区分はしやすい。だが仮に肉体が人間でなくなってしまった人間――深海さんの知り合いの少女は実際そうなってしまったらしいが、それは人間だろうか。
なら重要なのは意志か?
しかし人外にも人間のような思考の存在はいるだろう。というか俺の周りに結構いる。
いやそもそもこの少女が仮に人間ではなく妖の類だとしてだからどうしたという話で。
「……不躾で無意味な質問だった。申し訳ない」
「……は? そこで謝るってお兄さんどういう人生歩んでんの?」
真面目に考えた結果ドン引きされた。
解せぬ。
「それに状況分かってる? 虎の口の中にいるようなもんだよ此処。随分と余裕じゃない」
「……」
そう呆れたように少女は言うが、実のところそれほど俺に余裕はない。
ただでさえ火間虫入道の件で虫の大群に苦手意識があるというのに、ギチギチカサカサとひっきりなしに周囲から虫が放つ音が鳴り響いているのだから気を抜いたら発狂しそうだ。
さらに周囲を囲う虫たちは霊力を放っている。つまりはただの虫ではないということだ。
仮に普通の虫だったとしても、これだけの数に群がられたら対処のしようがないし、毒を持つ虫だって混ざっているのだろうから、間違いなく抵抗する間もなく死ぬ。
虫の中には毒性の強い種はそれほどいないらしいが、弱い毒でもショック死することはある。
だがそれを統率しているのは恐らく目の前の少女だ。
そして突然拉致した割には、この少女は理性的で話が通じるように見える。
なら安全を確保するためにはこの少女と話し続けるしかない。
「何故新田に応声虫を? あんたみたいな人間の目に止まる男ではないと思うが」
「新田? ああ、あの子。確かにアレは私はあまり好きじゃないかな。私が用があったのは絡新婦の方。貴方も見たでしょ。こと結界に関しては自然発生した妖とは思えない力を持ってるの」
なるほど。目的は絡新婦で新田は手土産みたいなものだったと。
俺の家の結界に糸を侵入させてきたのも、宮間さんの手抜かりではなくそれほどまでにあの絡新婦が結界関連に関しては強力だったということか。
……その絡新婦の結界あっさり斬った俺の霊力刀マジでヤバいということにならないかコレ?
「そう。だから色々と邪魔をしてくれた貴方が気に食わないと同時に興味深いわけ。羅門から話は聞いてたけど、貴方も自然発生した突然変異みたいな存在だし」
「羅門?」
何故その名前が出てくる。
いや、まさか。
「羅門の仲間か」
「不本意ながら。あいつ新参のくせにやりたい放題やりすぎなんだよね。貴方を拉致しようとしてるのだってあいつの独断だし」
そう本気で嫌そうに顔を歪めて言う少女。
どうやら羅門は組織内ではあまりよく思われてないらしい。
だが実力があるから抑えることもできないといったところだろうか。
「じゃあ俺をこの場でどうこうする気はないと?」
「まあそういうこと。私らも退魔師連中と全面抗争は避けたいし。でも穏便に、勧誘するくらいならありじゃない?」
そう言って少女はにこりと笑う。
人形のような容姿と相まって見惚れそうなほどの美しさだが、背景では虫が蠢いているし場違い感が半端ない。
何故この見た目で虫使いなどという際どいことをやっているのだろうか。
「私たちは色んな『研究』をしてるの。その『成果』を共有するのも目的。だから例えば『永遠の命』なんて興味はない?」
「それはまた……」
大きく出たな。
不死というのは人類の悲願の一つだろう。
錬金術でも目的の一つとされ、中国の錬丹術も不老不死の薬を作り出すことが目的とされている。
逆に言えば世界中で研究されながら未だに実現していない夢でもある。
そんなものをぶら下げられてホイホイ信じる人間がどれほどいるだろうか。
「そういう夢物語は老い先短い権力者でもないと食いつかないんじゃないのか」
「んー夢物語ときたか。でもね、私の虫の中には人間に寄生して損傷した部位に擬態、代替して宿主を生かすものもあるの。そういうのを突き詰めていったら『限りなく死に辛い人間』はできそうじゃない?」
「それは……」
その虫が本当にいるなら確かに可能ではありそうだが、そうやってどんどん体の機能を虫に代替させていったら最終的に体全てが虫になるのでは。
果たしてそれは人間と呼べるのだろうか。
そして先ほどの少女の「どこからどこまでが人間か」という問い。
「まさかアンタ……」
「ハズレ。私が虫で体を作ってる虫女だとでも思った? 確かに虫たちは可愛いけど、私の全てを明け渡すほどではないし」
「その言い方だと一部は渡してるように聞こえるんだが」
しかし考えてみればその通りなのだろう。
人間の機能を代替する虫なんて聞いたことがない。恐らくはオカルトな産物だろう。
しかし少女からは霊力を感じない。
少なくとも少女の体はその虫で構成されているわけではないということだ。
そもそも霊力のない少女が、どうやってそのオカルトな虫を統率しているのかという疑問は残るのだが。
「じゃあ勧誘は失敗か。残念」
「……」
そう言われて気付いた。
今のは安全を確保するために引き延ばす場面だろ。何故即決で断った俺。
「そんな顔しなくても、これ以上何もしないって。退魔師連中を敵に回す気はないって言ったでしょ。まあ現場で鉢合わせしたらその限りではないけど、今回は私の対応が遅かったから負けを認めるし」
「じゃあ何故わざわざ俺を拉致した」
「んー腹いせもあるけど警告かな。敵対したくないのは本当だけど、あんまり邪魔するようなら……」
そこで言葉を止めると、少女は人差し指を俺の方へと向けてきた。
「……」
何かと思い視線を下げれば、いつの間にそこに居たのか、手の平ほどの大きさのある蜂のような巨大な虫が肩にとまっていた。
ガチガチと歯を鳴らしながら、獲物を狙うように俺の喉元へと頭を向けている。
「殺すのは勘弁してあげるけど、死にたくなるような目にあわせるならセーフでしょ。あまり調子に乗らない方がいいよ」
そう少女がにこりと笑いながら言った瞬間、世界が弾けた。
轟音と共に虫の壁の一角が吹き飛び、闇を光が切り裂く。
「調子に乗るなというのはこちらの台詞だ」
そしてその崩れた虫の壁から現れたのは、怒り心頭とばかりに眉をつりあげた月紫部長だった。
太陽の光を背にしながら、相手の領域だということもお構いなしに虫の檻の中へと入ってくる。
「望月。無事だな」
「無事ではあるんですが」
肩に蜂が。そう言おうとして視線を向ければいつのまにか蜂は居なくなっており、少女の方を見れば少し焦った様子で息をついていた。
あの状態を見られたら月紫部長がさらに激昂すると見て慌てて退避させたのか。
つまり少女から見て月紫部長は普通に脅威だと。
確かに虫が群がって来ても結界で防いだ後に無差別爆撃で一掃しそうだが。
「あのさあ。こちとら穏便に交渉中だったのにいきなり何してくれんの」
「いきなり望月をさらっておいて穏便も何もあるか。私の身内に手を出すのは宣戦布告と受け取る」
「沸点低い!? 貴女一応正義の味方な陣営でしょ!?」
そう文句を言う少女だが、その言い方だと自分たちが悪の組織だと言っているようなものだがいいのだろうか。
まあ研究とやらのために普通にあくどいこともやっているのだろうが。
「もう分かった。帰る。帰るから」
「このまま帰すと思うか?」
「こっちは大事な虫を吹っ飛ばされてんだけど。ああもう。こういう執着心が強い自覚がない女との付き合いは考えた方がいいよお兄さん」
「どういう意味だ」
少女の言葉に月紫部長が言い返すが、その声を遮るように虫たちが耳障りな羽音をたてながら少女の周囲を覆っていく。
「じゃあね。可哀想なお兄さん」
そして見えなくなる寸前、そう言い残して姿を消した。
その後霧のように散ったいった虫たちが居た場所に少女の姿はなく、その場には俺と月紫部長だけが残された。