いと4
絡新婦をそそのかした何かが居る。
その何かが何者かは分からないが、この件がアマチュアの学生の手には余る事態になりそうなのは事実だ。
そのため月紫部長により深退組への報告が行われたわけだが。
「はい? 人手がない?」
とりあえず俺の家へと移動しながらの連絡だったのだが、到着する前に何か凄い世知辛い答えが返ってきた。
月紫部長は新田を気にしてか一度視線を前に向けたが、電話を始めた時点で歩調が遅くなっていたので、護衛にはりついている七海先輩共々結構な距離があいている。
聞かれる心配はないだろう。
「また東退組の方に援軍を出しているらしくてな」
「どんだけ魔境なんですか東京」
こんな片田舎から援軍が必要になるとか、どんだけ事件が起きてるんだと。
そういえば牛鬼の時も、深海さんは東退組の援軍に行っていたのに慌てて戻ってきたと言っていたな。
「人が集まりやすいとそれだけよくないものも集まりやすいからな。それにあれだ。東京は人が集まりやすい故に退魔師もそれなりに人数がいるが、東京にわざわざ行くということは私たちのような自分の土地から離れられないタイプではないということだ」
「あー……」
つまり古い家系の名門とかではなく、俺のようなぽっと出の素人に毛が生えた程度の退魔師ばかりだと。
「それでも東京にも名門と言える家系はあるのだが、そういう所は少数精鋭の上に完全に国の傘下に入っていて民間の依頼は受けていないからな」
「何ですかその本末転倒」
「国が対処しなければならない重要案件ばかり扱っているから仕方ない。要は超一流とはいかずとも一流程度という者が東京には足りないのだ」
「逆に田舎にはそれくらいのレベルがごろごろいると」
なら退魔師組合を通じて援軍をとなるのも自然の流れなのか。
しかしそのしわ寄せがこっちにきているわけだが。
「じゃあ結局誰か退魔師の手があくまでは守りに徹するんですか?」
「ああ。とりあえずは君の家に放り込んでおけば安全だろう。羅門対策にはられた結界だが、相手が人間ではない上に友好的ではないから効くはずだ」
「はずだて」
そこは断言してほしかったというか。
まあ羅門という人間に対してのものだから、絡新婦という妖怪相手にどこまで通じるのか本当に分からないのかもしれないが。
「それにしても意図を感じるというか」
「だな。また羅門が何か企んでいるのかもしれん」
退魔師の人手不足。狙ったように転がり込んでくる事件。
牛鬼の時と状況が似すぎている。
だからこそ俺の家で籠城なのだろうけれど。本当に羅門が来てもそれこそ「羅門でも死ぬ」とお墨付き貰ってる結界だし。
「そういうわけで今日は私たちも君の家に泊まるぞ。文句は言わせない」
「流石にこの状況で文句言いませんよ」
まあ新田もいるから七海先輩もテンションは抑えてくれるだろう。
そう思っていた時期が俺にもありました。
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「じゃあ早速トキオくんのお部屋を探検……」
「行かせねえよ」
俺の家へと到着し客間へと案内してお茶を出し、ホッと一息ついたと思ったら暴走を始める七海先輩。
その手を思いっきりつかんで引きずりおろし座布団の上に座らせる。
いや咄嗟に服引っ張りそうになったけど伸びたら怒られそうだし。
「くッ!? 力がついて来たわねトキオくん。入学したばかりの頃なら振りほどけたのに!?」
「何で俺の部屋如きにそこまでするんだよ!?」
立ち上がろうとする七海先輩の肩を掴み全力で押さえつける。
別に珍しい趣味があるわけでもないんだから、部屋に面白いものなんぞ置いてないぞ。
あと何か入学当初は貧弱だったとナチュラルにディスられている。
そりゃ確かに腕力は平均以下だったけれども。
「やめておけ日向。ネタではなく本当にエロ本を見つけたら反応に困るだろう」
「滾るわ!」
「何が!?」
俺がエロ本読んでたら何で七海先輩が滾るの。
というか月紫部長エロ本とか言わないでイメージが崩れるから。
「というかエロ本ある前提で話さないでくださいよ!?」
「君たちの年齢でない方が不健全だろう」
「ぐう!?」
当たり前すぎることを言われてぐうの音が出た。
そういうのに理解あるタイプなんですね月紫部長。
でももう少しオブラートに包んでくれないかな俺も思春期なんで。
「そこのとこ実際どうなの新田くん!?」
「ちょっと分からないですねー」
いきなり剛速球を投げられても余裕の返球新田。
まあこいつ夏休みに俺の家に入り浸ってはいたが、ゲームしてばっかりだったし家探しするような男でもないので本気で知らないだろうけど。
「とりあえず一端落ち着け日向。真面目な話をするぞ」
「分かったわ」
「えー……」
そう月紫部長に言われると、それまでの乱痴気ぶりが嘘だったかのように大人しくなり座り直す七海先輩。
……もしかして俺の反応込みで遊ばれてたのか今のは。
「さて。とりあえず今日一日は私たちで絡新婦の手から新田を守り通さなければならないわけだが、それだけなら今の望月だけでもどうとでもなる。問題は絡新婦をそそのかした何者かが居て、そいつによって新田に精神操作が行われた可能性があるということだ」
「そうね。本人に自覚がなくてそれでも勝手に返事をしていたというのなら精神操作の類でしょうけれど」
そう俺の霊視から読み取れたことを共有しているわけだが、ここでちょっとひっかかりを覚える。
精神操作。
一般人とはいえ畜生でもない高度な自意識を持った人間を、本人に自覚がないレベルでそんなポンポン簡単に操れるか?
仮にできたとしても俺や七海先輩、月紫部長にすら気付かせず、調べ直してもその痕跡すら判別できないというのはどれだけの手練れだろうか。
例えば最近だと精神操作と言えばガンコナーだが、アレは月紫部長すらひっかかるくらい強力だからこそ後から簡単に痕跡を発見することができた。
そういう専門の異能を持つ妖よりも強力だということだろうか。
それこそサトリである深海さんなら簡単に調べられそうなのだが、深退組のエースである深海さんは真っ先に東退組に援軍として送られていてこの街には居ない。
かといって霊視で追跡しようにも、あのこちらを見透かしたような笑みからして何か罠を仕掛けてそうなんだよなあ。
そもそも霊視してるのに靄のようなものに覆われて視えないという意味分からん存在だし、やるだけ無駄な気がする。
「ともあれ下手に打って出るわけに……伏せろ新田!」
「え? うわ!?」
突然月紫部長が叫んだので、反射的に新田の肩を掴み引きずり倒す。
「――オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ!」
それとほぼ同時。月紫部長が摩利支天の真言を唱え、客間の中央にある長机を囲うように結界がはられる。
何事かと周囲を見渡せば、月紫部長が何を警戒していたのかはすぐ分かった。
「……蜘蛛の糸?」
「参ったな。妖相手に調整されたものではないとはいえ、姉様の結界をすり抜けてくるとは」
いつの間にそうなっていたのか、客間の天井が大量の蜘蛛の巣で覆われていた。
そしてその天井から一つ蜘蛛の糸が垂れていて、丁度先ほどまで新田が居た場所の頭上で止まっている。
これ物質として存在してる糸なのか。
もしそうなら掃除がものすごく面倒くさそうなんだがどうしてくれんだ。
「逃げた方がよくないですかこれ?」
「落ち着け。本体が来る様子はない。結界の隙間を抜けて干渉する方法が糸だけだったのだろう」
「針の穴を通すみたいね」
なるほど。
しかしあのまま糸に新田が捕まっていたら、外まで引きずり出されていただろう。
油断していた。月紫部長が気付かなかったらアウトだった。
「――約束……しましたよね」
「来た!?」
昨夜も聞いた絡新婦の声がして振り向けば、庭に面した曇り硝子の向こうに女の影が映っていた。
こんな真昼間から仕掛けてくるとは。月紫部長に言わせればそれだけ気合が入っているということだろうか。
「――一緒に居てくれるって。約束しましたわ」
「おい新田。下手に答え……」
とりあえず下手に刺激はしない方がいいだろう。
そう思い先ほど引きずり倒した新田に話しかけたのだが。
「……」
「ダメみたいね」
俺の肩越しに新田を覗き込んだ七海先輩からアウト判定が。
いや焦点あってないし口半開きでよだれ垂れてるし、明らかに精神がどこかにお出かけしてるじゃねえか!?
「――お願い。忘れないでください。私を一人にしないで」
「ああ……忘れてないよ」
「アウトですねえ!?」
「返事しちゃったわねー」
「蜘蛛の巣が増え始めたなー」
そして明らかに意識のない新田が絡新婦の声に応えた瞬間、部屋の中の気温が下がり天井を覆っていた蜘蛛の巣が増え圧迫感を覚えるようになった。
結界越しでも干渉力が高まり始めてるじゃねえか。もうコレどうしろと。
「しかしコレは……新田自身がどこかから干渉を受けているような力は感じないが」
「私も感じないわね。絡新婦がこちら側の空間に干渉してくるのは分かるのだけれど」
「んん? 確かに精神操作の類をかけているようには見えないというか……」
国見さんにはお見せできないような顔のまま外へ出て行こうとする新田を三人がかりで押さえつけているのだが、その新田から精神操作を受けている感じがしない。
どうなってる? まさか霊的な力は関係ない催眠術のようなものなのか?
特定の言葉に勝手に返事をしてしまうような。
「……あ」
勝手に返事をする。
そう考えたところで一つ心当たりが浮かんだ。
以前見た時とは明らかに様子が違うが、可能性の一つとして見過ごすには大きすぎる。
「二人ともそのまま新田を抑えておいてください!」
「何をする気だ?」
新田から手を放し、右手に霊力を込める。
迷ってる時間はない。もし間違いだったら新田にはごめんなさいと謝っておこう。というか元々おまえが持ってきた騒動なんだから文句言うな。
「どっせい!」
「ぐほぉ!?」
そう勝手な言い訳をしながら、霊力を込めた拳を新田の腹に叩き込んだ。
「腹……まさか!?」
「そのまさかっぽいです!」
「げほっ!?」
腹を殴られた新田が嘔吐き、せき込みながら腹の中のものを吐き出す。
その吐き出されたものが地面へと落ちるや否や、すぐさま霊力刀で地面へと縫い付ける。
「これは……応声虫!?」
それを見た瞬間、七海先輩がその正体を言い当てた。
そう。以前中島の腹の中に潜み勝手に返事をしていた応声虫だ。
あの時は中島の意識は残っていたからもしかすれば別物かと思ったが、吐き出されたソレは確かに以前見たのと同じ白いミミズのような姿をしていた。
「つまり宿主に返事をさせないどころか意識を抑えこんでいたと? さらにタチが悪くなっているではないか」
「意図的なものを感じるわね。偶然とは思えないわ」
月紫部長と七海先輩の言葉ももっともだ。
ただでさえ伝承にはない力を持っていた応声虫が、さらに強力になって現れた。
誰かがそう意図して改良したのだとしか思えない。
「まあそれはおいおいとして、新田。大丈夫か?」
「……アレが胃の中に居たと思うと吐き気が止まらない」
「耐えろ」
どうやら意識は戻ったが、自分の中から出てきた物がショッキングすぎたらしくぐったりしている新田。
中島は気にしてなかったのだが中島なので参考にならないだろう。
「で、おまえ外に居る女と何か約束はしたか」
「してないね。俺が生涯を共にすると誓ったのは瓊花だけだ」
「嘘よ!?」
それまでのどこか弱弱しい声とは違い、必死な声が硝子越しに響いた。
見れば曇り硝子越しに見えていた女の影も、すっかり正体を現して大きな蜘蛛のそれへと変わっている。
「一人にしないって、一緒に居てくれるって約束してくださったでしょう!?」
「それは俺の言葉じゃないよ。分かってるんだろう」
「でも……でも……」
新田に否定されても、なお諦めず、縋るように声をあげる絡新婦。
それが演技には思えない。何故こいつはこれほどまでに新田に執着している。
そう思っていると新田が歩き出し絡新婦の影が映る硝子戸へと近付いていく。
咄嗟に止めそうになったが、月紫部長に制止され伸ばした手は届かなかった。
大丈夫なのか。そう視線で問いかけた俺に、月紫部長はゆっくりと頷いて見せた。
「そう。俺は君と約束していない。でも思い出したことが一つある」
「……え?」
「アレはまだ俺たちが小学生にも上がってない頃だった。あの頃の瓊花は今じゃ考えられないくらいお転婆で、俺は引きずられるみたいにいろんな場所へ連れまわされてた」
そう語りながら、新田は硝子戸に右手をかける。
「そしてアレはいつだったかな。草むらにつっこんでいった瓊花がいきなり泣き始めて、一体どうしたのかと思ったら、頭に虫がついてたんだ」
ガラリと、新田の右手が動くのに合わせて硝子戸が開き、その向こうに居るものの姿が露わになる。
「蝉とかは触れるのに何でそんなことで泣くんだろうって不思議だったけど、暴れる瓊花がその虫を潰しそうになったから、慌てて俺はその虫を取って草むらに逃がしてやった」
女が泣いている
下半身が大きな蜘蛛に変化した、黒い着物を着た女が、両手で顔を覆って泣いている。
そんな女の顔に、新田はゆっくりと手を伸ばす。
「だから、君は俺に縛られなくてもいいんだ。俺は瓊花の手が虫の死骸で汚れるのが嫌なだけだった。そんな酷い子供だったんだから」
そして言う。
おまえを助けたわけではない。
助けられたというのは勘違いだと。
目の前で泣く女の恋心を否定する。
「……酷い人。そんな嘘に騙されろと?」
「うん。だって君は俺じゃない俺がついた嘘に騙された。だからきっとこれは仕方がないことなんだ」
そう新田は女の頬を撫でながら言う。
はた目で見ていて分かるほど女を気遣いながら、女を突き放す嘘をつく。
それが都合のいい偽りに逃げた罰だと告げるように。
「仕方ない……そうね。分かっていたのに目を背けて都合のいい未来を夢見たのが私の罪。そして私の想いが遂げられないことが罰だというのなら、受け入れるべきなのでしょう」
そう絡新婦は静かに言う。
するとそれまで空間を支配していた圧迫感がなくなり、しゅるしゅると音がするので視線を向ければ天井にはられた蜘蛛の巣が消えていっていた。
どうやら本当に諦めてくれたらしい。
そう安堵しため息をついたのだが――。
――何それ。つまんない。
「なっ!?」
不意に家の外から伸びてきた糸が俺に絡みつき、強い力で引っぱられた。
・
・
・
「なんだ……ここ?」
気付けばそこは教室くらいの広さの暗い空間だった。
周囲は目の細かい網のような何かに覆われ、そこから微かに漏れる光だけが地面を照らしている。
「何だこの壁……ッ!?」
その網のような壁を注意深く見ようとして、すぐさまその正体に気付き寒気がした。
それは網などではなく幾重にも折り重なった虫だった。
蜘蛛が。百足が。羽虫が。見慣れたものから見たことがないものまで、大小様々な虫が重なり合い蠢いている。
虫で出来た壁。
四方を覆うそれが全て虫だと理解して身の毛がよだった。
何だこれは。何故俺はこんなところに居る。
「あーもう本当最悪。それなりに時間かけて準備したのに、特に盛り上がりもなく大団円? 化物が人と言葉で分かり合ってんじゃないっての」
「誰だ!?」
聞こえてきたのは女の声だった。
聞いたことがない。聞き覚えがある。
そんな矛盾した感覚の後に思い出したのは、絡新婦をそそのかしていた女だった。
「それに解決策が美しくない。何あの腹パン。あんなので私の虫が無力化されるとかマジでふざけてんの?」
虫の壁が散り、一人の女が入ってくる。
その姿を見て俺は国見に最初に相談されたときのことを思い出した。
「白い女が新田の部屋を出入りしている」
そう国見は言ったのだ。
なのに現れた絡新婦は黒い着物を着ていた。
なら最初に新田の下を訪れていた白い女というのは。
「だからさ。ちょっと付き合ってもらおうか。私の虫の美しさと素晴らしさを教えてあげるから」
そう虫も殺せない少女のような笑みを浮かべて言う女は、西洋人形のような白くひらひらとしたドレスを身に纏っていた。