いと2
新田の家に泊まりに行くと言っても、野球部の練習というのは「おまえら人生野球に捧げてんのか」と聞きたくなるほど長いので、実際に新田の家につく頃にはかなり遅い時間だった。
そこから新田が風呂に入ればもう就寝時間も間近だ。
その上朝は早くから朝練があるのだから、本当に青春を野球に捧げてる。
中島がよく授業中に船をこいでいるのも納得だ。よくこんな生活続けられるな。
「慣れると平気だよ。流石に勉強する時間はほしいけど」
「そうか。って寝る前に何食ってやがる」
念のため新田の部屋の中に何か変なものがないかと見て回っていたら、なにやらポリポリ音がするので何事かと振り向いたら、新田がスティック状のスナック菓子を食べていた。
ちなみにファミレスのカレーとラーメンが夕食かと思ったら、なんとこいつさらに家で用意されていた夕食も食べている。
どんだけ食うんだよ。
野球部の胃袋は底なしか。
「いや何か最近やけにお腹がすいて」
「おまえそういうことは早く言えよ」
それ時期的に考えて女に持ってかれてるせいだろ。
やっぱり悪影響でてんじゃねえか。
「あーそういうことか。中島は普段からアレくらい食ってるから普通なのかと」
「いやアイツを基準に……基準なのか?」
実際に他の野球部員がどれだけ食うのか分からないから断言できない。
もしや本当に怪異関係ないただの腹減りなのか?
「まあいいか。とりあえず寝るときはこれを枕元に置いといてくれ」
「何だいそれ? 人形?」
「身代わり人形だ」
俺が取り出したのは白い木製の人形。
以前月紫部長に渡されたあの微妙にでかくて携行し辛いあの人形だ。
今回は俺ではなく新田の身代わり人形としての性格を与えられている。
「なるほど。これがあれば俺は一回死んでも大丈夫なわけだ」
「だから俺はおまえが人質に取られても無視して攻撃する」
「いやそれおかしくない?」
新田につっこまれたけど気にしない。
実際女と対峙したとき何が一番困るかと言えば、新田を人質に取られることなのだ。
毎晩吸われて気付いてなかったということは、女が現れても新田は眠ったままな可能性が高い。
「だからそこで尻込みしてじり貧になるくらいなら、新田の残機が一つ減るの覚悟で攻撃した方が事態は好転する」
「残機扱い!?」
納得いかなそうだが諦めろ。
むしろ俺も主におまえのせいで以前同じ扱いをされたのだから受け入れろ。
「あーもしかして根に持ってた?」
「あの事件自体はおまえも国見さんも恨んでないけど、おまえのその無自覚に色々引き寄せる体質がムカつく」
「辛辣だな!?」
新田が元気に叫んでいるが、流石に夜も遅くなってきたので就寝体勢に入る。
まあ俺が寝たら台無しなので電気消して座ってるだけだが、果たして俺が居てもその女はやってくるだろうか。
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「一時半か……」
しばらくして。
電気を消していては本も読めないので携帯を弄って時間を潰していたが、来るとしたらそろそろだろう。
というか今日も国見さんは窓を見張っているのだろうか。
もしそうなら俺や新田がピンチになったら、あの反則呪術で女を抹殺してくれそうだから頼もしいというかある意味恐いが。
「……トイレ行っとくか」
そんなことを考えていたら尿意を感じたので、暗い部屋から出て廊下に出る。
どうやら新田家の他の人たちも寝ているようで静かだ。
それが逆に不気味というか、本当に女は来るのだろうか。
そう思いながら用事を済ませ新田の部屋に戻ったのだが――。
「……開かない」
新田の部屋のドアのノブに手をかけ開こうとしたのだがビクともしない。
鍵がかかっているわけではない。一応事前に確認したが、このドアは鍵がかかっている場合はノブ自体が下がらなくなる。
しかしノブはちゃんと下がるのにドアが動かない。
まるで誰かが押さえつけているみたいに。
「……結界か」
霊視してみればドアを覆うように薄い霊気の膜ができていた。
油断した。許可されたわけでもないのに気軽に家の中に侵入しているのといい、そうした方面を得手としている怪異なのか。
ともあれ既に「来ている」のは間違いないだろう。しかし俺は結界の解き方なんぞ教えられていない。
「まあ必要ないから今更教えないんだろうなあ」
そう独り言ちながら短木刀を取り出し、意識を集中し霊力刀を形成する。
さて。散々危険だから乱用するなと言われたが、実際に結界を斬るのは初めてだ。
果たして本当にそんなに気軽に結界を斬れてしまうのか。
「ハアッ!」
正眼の構えから霊力刀を振り下ろせば、ドアを覆っていた膜は消失しあっさりとドアは開いた。
そして即座に中へと踏み込んだのだが。
「あぁ……」
「……」
なんか黒い着物を纏った女が、胸元をはだけながら新田に覆いかぶさって喘いでた。
いやその体勢にも驚いたがもっと驚いたのは部屋の中の状態だ。
女の腰から下が膨れ上がり、部屋の中を占拠するほどの大きさまで盛り上がっていた。
一体何事かと目を凝らせば、それが大きな蜘蛛の体だということに気付く。
「絡新婦か」
※絡新婦(ジョロウグモ)
日本各地に伝わる蜘蛛の妖怪。
美しい女の姿に化け男の生き血を啜り人を食い殺す。
時には人間の男との間の悲恋を描かれることもあり、必ずしも危険な妖怪ではないともされる。
月紫部長から可能性の一つとしては聞かされていたが、予想以上にでかい。
蜘蛛の下半身が血を吸った蚊みたいに膨れ上がっている。
「やれやれ無粋ですわね。人の情事を盗み見るばかりか踏み荒らすなんて。強引な男は嫌われましてよ」
「そちらこそ。はしたない女は嫌われるぞ。そんなに赤くしておいて何が情事だ」
流石に気付いていたのか女が顔を上げたが、その口元は真っ赤に染まっていた。それをぬぐうように長い舌が伸び舐め回している。
本当にやっちまってるのかと思ったが生き血の方だったか。
軽く確認した感じでは新田に外傷はなかったはずだが、毎回わざわざ治してから去っていたのだろうか。
「あら失礼。ですが人の恋路を邪魔するやつはなんとやら。見逃してさし上げるから帰って一人遊びでもしていなさい」
「一方的な思いは恋ではなくストーカーと今の時代は言うんだ。おまえこそさっさと出て行って二度と新田に関わるな」
そう啖呵を切るものの、内心では結構焦っている。
何せ絡新婦がでかすぎる。
蜘蛛の体は部屋の半分を占拠するほどだし、そこから生えた足は伸び切っていないというのに既に俺を囲うように投げ出されている。
狭い室内で戦うには最悪の相手と状態だ。
それを分かっているのか、絡新婦も俺の存在と言葉にまったく脅威を感じていないように見える。
「嫌ですわ。私たちはちゃんと愛し合っておりますの。だって約束してくれましたもの。私のモノになってくれるって」
「何?」
心当たりがないと言いながら、やはりやらかしていたか新田。
いやしかし霊感のない新田が絡新婦と出会い言葉を交わしたとしても、相手が妖怪だとは気付かなかったはずだ。
だがどのみち、国見さんという恋人ができてからはその手の噂が激減した新田が、そんな迂闊な約束をするか?
もしかして国見さんと付き合い始める前。新田自身も忘れているほど昔のことではないのかそれは。
「だったら何故こんな夜中にこそこそ新田を襲っている。本当は分かっているんだろう。おまえの恋は成就しな……」
「五月蠅い! 貴様には関係ない!」
それまでの鈴を転がすような声から一変。低い獣のような声で咆えると絡新婦の周囲から小蜘蛛(といっても猫くらいの大きさはあるもの)が両手の指では数え切れないほど出現し、こちらへと向かってきた。
「――オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ!」
咄嗟に手を合わせ唱えたのは摩利支天の真言。それにより即席の結界がはられるが、小蜘蛛たちが吐き出した炎がぶつかりあっさりと割れる。
「なんですって!?」
しかしそれでも小蜘蛛の炎自体は防ぎ切り、絡新婦が狼狽える。
いや単に小蜘蛛に接近されたくないからはったんだが、まさか炎を吐いてくる上に一撃で割られるとは。どこの研究所のバリアだ。
やはり月紫部長のようにはいかないかと少し気落ちはするが、攻撃自体は防げたし絡新婦に隙ができた。
「南無三!」
こういうでかぶつ相手は下手に距離をとってもじり貧になるだけだと深海さんが言っていた。
故に折角の好機を逃すまいと一気に踏み込み、半ば自棄で霊力刀を袈裟懸けに振り下ろした。
「ぎゃああぁぁっ!?」
女のものとは思えない、野太い悲鳴が上がり絡新婦が後退る。
そしてアレほど巨大だった蜘蛛の体が霧のように消えうせると、女の体は窓を通り抜けるようにして消えていった。
「逃げた!?」
あれだけの存在感を放っていたのに、一瞬で蜘蛛の体を消した上に窓もすり抜けるとはどういう仕組みだ。
いや怪異の類に常識なんぞ通じないのはそれこそ常識だが。
慌てて窓を開け放ち周囲を見渡すが、絡新婦の姿はどこにもなかった。
完全に逃げられた。下手に手負いにした分危険かもしれない。
そう焦りながら顔を上げたのだが。
「……」
「……」
隣の家の窓からこちらを覗いていた国見さんと目が合いサムズアップされた。
見てたのかよ。そして何だその今まで見たことのないご満悦な顔。
とりあえず依頼主にはご満足していただけたらしいが、逃がしたのは完全に俺の落ち度だろう。
「これで諦めてくれれば楽なんだけどなあ」
あの新田への執着からしてこのままでは終わらない。そんな気がした。
とりあえず「約束」とやらが何なのか新田に事情聴取すべきだろう。
そう判断し、アレほど騒いだというのに呑気にいびきをかいている新田を布団ごとひっくり返した。