深山と深海
「ぼっちゃん引っ越しとかできません?」
「いきなりなんだ」
いつものように差し入れに来たと思ったら、何やら深刻そうな顔で言う亀太郎。
いや狸だから表情は分かりづらいのだが、それでも分かるのはそれなりに長い付き合いになってきたからだろうか。
「あの髑髏もった坊主が徐々にうちらの化かしに対応し始めてるんすよ。あの学校は色んな妖がいるんで手が出せねえでしょうけど、この家やどうしても守りが薄くなる移動中には鉢合わせする可能性も出てきたっす」
「マジか」
うちの学校があの羅門すら手出しを躊躇うほど妖怪フェスティバルなのにも驚いたが、問題は亀太郎たちの化かしが効かなくなり始めているという点だろう。
深海さんに対抗してサトリになったと言っていたし、本当に人間なのかあの坊主。
しかしだからと言って引っ越せと言われても。
最悪親が赴任している国に逃げるという手もあるが、今の生活を捨てて咄嗟に名前も出て来ないような馴染みのない国に行くというのはかなり勇気がいる。
カルト集団に拉致されたら何をされるか分かったものではないので、最悪はそうすべきなのだろうが。
「しばらくは帰り道をランダムにするとかで何とかなると思うっすけど。自宅の方は」
「いつかは来るか」
面倒くせぇ。
何であのなんちゃって坊主のために生活基盤を失わなければならないのか。
そもそも何で羅門の主とやらは俺を拉致しようとしているのか。
「分かった。ちょっと考えてみる」
「うっす。脅すようで申し訳ないんすけど、ぼっちゃん自身のことなんで」
「分かってる。ありがとな」
亀太郎に礼を言い家の中に戻ったものの、さてどうしたものか。
まず俺一人で引っ越しは無理だ。未成年だとか保証人だとか家賃だとか問題がありすぎる。
今の我ながら意味分からん状況を親に説明するのもどうしろと。
それに相手が相手なのでむしろ親が下手に帰って来たら人質にでもされかねない。
どうすりゃいいんだこの状況。
・
・
・
「どうした望月? 悩み事か」
「悩み事と言えば悩み事なんですけど……」
考えがまとまらなくても時間は経つもので。
いつも通りに学校へと行きいつも通りにふしぎ発見部の部室で弁当を食べているわけだが、月紫部長にあっさりと悩んでいるのがバレた。
まあ実際未だかつてないほど悩んでいるのだからバレるのも当然か。
斎藤さんも心配そうに俺の顔を覗き込んできているが、シュウマイを差し出したら即座に食いついてくるあたりいつも通りでなんか安心する。
というか嬉しそうに咀嚼してるが最近表情豊かになってきてないかこの地縛霊もどき。
月紫部長が言っていた浄化されているというのと関係があるのだろうか。
「私でよければ相談に乗るぞ」
「そうですね……」
確かに俺一人ではどうしようもない問題だ。
悩んでいるだけでは解決しないのだし相談してみるのもいいかもしれない。
しかし実際に相談事を頭の中でまとめている最中に気付いた。
「全国指名手配されるような危険人物に狙われてるので安全な引っ越し先探してます」と言って月紫部長にどうしてもらうつもりなのかと。
少なくとも月紫部長個人での解決は無理だろう。色々規格外だがこの人だって一応高校生な未成年者だし。
いや高加茂家としてならイケるかもしれないけれど、それだと月紫部長が親なりなんなりにお願いするという形になる。
流石にそこまでしてもらうのも……とか考えてる時点で俺も危機感が足りていないのだろうか。
だがそこでさらに気付く。
これはある程度社会的地位のある大人に相談すべき問題だと。
そしているじゃないか。問題の羅門がガチ逃げする大人が知り合いに。
「いえ。やっぱりいいです」
「何故だ!?」
そう結論し相談をやめたのだが、何故か月紫部長がショックを受け「大丈夫か? 本当に大丈夫か?」と何度も確認された。
そんなに俺は頼りなく見えるのだろうか。
・
・
・
「いやそれは高加茂さんショック受けるでしょ」
放課後。
今日は剣術の稽古もないので駄目もとで深海さんに電話してみたのだが、繋がるなり「帰り道にあるファミレスで待ってるよ」と言われそのまま一緒に夕食をとることになった。
この人絶対俺が電話する前から状況把握してただろ。
普段からどんだけ人の心勝手に読んでんだ。
ともあれ相談だということで内容を話すついでに昼の月紫部長の反応まで話したのだが、それへの返答が先の呆れたような言葉。
流石サトリ。人の心の機微に敏感だ。
「君は鈍感すぎると思うよ。とりあえず俺の名前を出さなかっただけマシかな。どうも高加茂さん俺に望月くんをとられないか心配してるみたいなんだよね」
「はい?」
取られるも何も俺は月紫部長のものではないし深海さんの所有物でもないが。
師匠としての立ち位置を取られるとかいう話だろうか。
「もうそれでいいよ」
なんか投げやりに言われた。
解せぬ。
「しかし羅門のせいとなると確かに俺とも無関係じゃないね。狸たちが頑張ってるから大丈夫かと思ってたんだけど」
「深海さんの方で秘密裏に抹殺とかできませんか?」
「君たまに発言が物騒になるよね」
そう呆れたように言いながらかつ丼をかっこむ深海さん。ちなみにすぐ横にはきつねうどんもスタンバっている。
意外に量食うなこの人。太っているようには見えないからそれだけ普段から消費してるんだろうけど。
しかし割と真面目にあの坊主はなんとかしてほしい。
今のところ戦っても勝てる気がしないので一刻も早く。
「要は羅門が手出しできなければいいわけだからね。知り合いに頼んで結界をはってもらえば大丈夫だと思うよ」
「結界?」
羅門が手出しできなくなる結界とはどんな強力な結界だろうか。
というかそれ俺も出入りできなくなるんじゃないのか。
「いやこの場合は張る人が重要というか。俺の方から頼んでおくから明日には手配できると思うよ」
「ありがとうございます」
いささか納得いかないものの、この人が嘘をつくとも思えないので素直に礼を言っておく。
さて、一体何者が結界をはりにくるのやら。
・
・
・
そうして相談も終わり帰宅しようとしたわけだが、いつの間にか空には雲がかかり今にも雨が降りそうになっていた。
天気予報が雨じゃなかったから油断した。雨衣とか持ってきてないし、鞄の中の教科書やノートが濡れるのは困るぞ。
「あー信号が」
そして急いでいるときに限って赤信号にひっかかるのは何故だろうか。
無視するわけにもいかず自転車を止め信号が変わるのを待つが、既に小雨が降り始めており本降りになる時も近そうだ。
「入りますか?」
「はい?」
不意に横から傘――しかも現代的なそれではなく和風の番傘が差し出される。
何事かと思い視線を向ければ、そこには傘と同じく現代ではあまり見かけない群青色の着物の男が一人。
ただ少し注視すれば男の姿はブレ、小さな影が透けて見えた。
ある意味見慣れてきたそれにすぐさま正体の見当がつく。
「狸か」
「おや。初見で見破られるとは流石。まあ隠すつもりもありませんでしたが」
そう言ってくつくつと笑う男は何とも胡散臭かったが、人に悪意を持つ怪異独特の嫌な霊気は感じなかった。
少なくとも敵意は持っていないようだが。
「私はまあ『傘差し』とでも。衝立の……亀太郎から貴方のことは聞いております」
「傘差し?」
「ええ。傘差しです」
※傘差し狸
徳島県に伝わる妖怪。名前の通り正体は狸であるとされる。
雨が降る夕暮れ時に傘を差した人間の姿で現れ傘を持たない人を招き入れるが、入れてもらった人間は見知らぬ土地へと連れていかれてしまう。
「……おまえさっき俺に傘差しださなかったか?」
「まあアレは私にとっての挨拶みたいなものなので」
そう言ってまたくつくつと笑う傘差し狸。
この野郎。連れていこうとしたことは否定してないし。
挨拶代わりに迷子にされたらたまったものではない。
「いやいや、貴方に不利になるようなことはしませんよ。私も亀太郎が貰っている料理は何度かいただいているので」
「ああ。アレか」
亀太郎に続きバロウ狐や他にも正体不明の面々が差し入れを始めて食べきれなくなってきたので、余った食材も料理して亀太郎に渡している。
そのせいで差し入れが増えているのではと思っていたが、やはり亀太郎経由で他の妖怪たちも食べていたか。
「特に油揚げと鮭の入った炊き込みご飯は絶品でした。また作る予定はありませんか?」
「しばらくはない」
「おや残念」
そう本当に残念そうに言う傘差し狸だが、あの鮭は差し入れじゃなくて俺が買ったやつだししばらくは買う予定もない。
だからといって国内では川で鮭を取るのは禁止されているらしいので、鮭を差し入れされても扱いに困る。
狸がとってきたからセーフとかあるのだろうか。
「しかし何でまたこのタイミングで声を?」
逸話的に雨が降っている時でないと出て来れないのだろうか。
そう思ったのだが傘差し狸は否定するように首を横に振る。
「亀太郎に頼まれまして。しばらく貴方を足止めしておいてほしいと」
「亀太郎に?」
何故本狸が来ないのか。そう疑問に思ったのだが、答えはすぐに分かった。
何故なら見つけてしまったからだ。
二車線の道路を挟んだ向こう側。赤く点灯した信号機の下に、袈裟姿の男が居るのを。
「アレは……」
「おや。だめだったみたいですね」
俺が気付いたことに気付いたらしく、男が――羅門がニヤリと笑うのが見えた。
その笑みにぞっとすると同時に疑問が出てくる。
何故いきなりここまで接近された?
亀太郎の言葉を信じるなら化かしに対応され始めてはいたが、まだ余裕はあったはずだ。
そこまで考えて気付く。
「まだ余裕がある」と亀太郎が考えていたことをサトリである羅門は間違いなく読んでいたということを。
そしてそれを読んだ羅門は「まだ余裕がある」と思わせ続けるために、本当はもっと上手く化かしに対応できるようになっていたのに加減していたのではないかと。
「気付いたね。だが遅い!」
そう道路の向こうで羅門が言うや否や、信号が青へと変わり弾かれたように羅門がこちらへと走り出す。
律儀に信号守ってたのかよとつっこんでいる暇もない。
咄嗟に自転車を反転させようとしたがどう考えても間に合わない。
かといって自転車を捨てて走って逃げても追いつかれる未来しか見えない。
確かにもう遅かった。呑気に考え事なんぞせずに姿を見た瞬間に逃げるべきだった。
「入りますか?」
そんな切羽詰まった状況だというのに、隣に居た傘差し狸が傘を差しだしてくる。
いや、もしかしてそういうことなのか?
「連れていかれる」というのは歩いて移動させるわけではないのか?
だとしても……。
「……信用していいのか?」
「この場よりはマシかと」
そう言う傘差し狸に少しも焦った様子がないのが憎らしい。
しかしこのままではどうしようもないのも事実。
「私よりそんな狸を信用するのかね!?」
「当たり前だろうが!」
何か言ってる羅門を無視し、自転車を蹴倒すようにして傘差し狸の傘の下へと飛び込む。
そして体全てが傘の下へと入り込んだ瞬間、俺の意識は飛んだ。
・
・
・
「ここは……」
気がつけば周りは闇に包まれていた。
雨足は強くなっており体はびしょ濡れで、足元は少し歩けば泥が跳ねるほどぬかるんでいた。
一体何処だここは。
地面が舗装されてないということは山の中だったりしないだろうな。
「いや、手入れされてるのかコレは?」
目が慣れて少し周囲を探れば何本か木が生えているのに気付く。
そのためますます山の中説が強まったが、よくよく見てみればその木には木製の囲いがしてあり人の手が入っていることが分かった。
公園の類だろうか。それにしたって暗すぎるが。
「向こうに灯りは見えるが……」
さて。素直に明るい方へ行ってもいいものだろうか。
周囲の霊気を感じるに悪いものが居そうな気配はない。
見鬼で周囲を見渡しても何かいる様子もない。
なら行くしかないだろう。
このまま雨曝しになっているわけにもいかない。
「これはまた」
灯りが見える方へと行ってみれば、そこにあったのは立派な武家屋敷だった。
一瞬タイムスリップでもしたのかと思ったが、蛍光灯でないとこんなに明るいわけがない。
しかし周囲に武家屋敷以外に建物はなく、ますますここが何処なのか分からなくなってくる。
「あら。お客様かしら?」
「!?」
そうやって悩んでいると突然ガラリとガラス戸が開き、中から一人の女性が出てきた。
中の明かりが逆光になって顔はよく見えないが、少なくとも服装は現代的な洋服であり普通の女性だ。
もっともその気配は普通ではない。何というか、神社の中のような独特の空気を感じる。
もしかして神職に就いてる人間なのだろうか。
「あら。貴方は確か……望月時男くんだったかしら」
「え!?」
突然名前を呼ばれて思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
何故俺の名前を。少なくとも目の前の女性と顔を合わせたことはないはずなのに。
「ああ、ごめんなさい。私が一方的に知っているだけよ。立場的にね。貴方からすれば不愉快でしょうけれど」
「……」
そう言ってクスリと笑う女性だが、こちらは何が何だか分からない。
少なくとも敵意はなさそうだが。
「私は宮間椿月(みやまつばき)。貴方も知っている深山退魔師組合の組合長をしています」
そう言うと女性――宮間さんは、こちらを安心させるように笑みを浮かべた。