見える人と読める人6
「遅い!」
牛首の首の入った壺を持って浜辺へ向かっていると、何やら甲高い女の声でいきなり非難された。
何事かと目を凝らすとそこには浜辺を背にして何故か涙目になっている女の姿が。見鬼の能力のせいか既に日が暮れているというのに暗闇の中でもハッキリと見えた。
「昨日の磯女ですね」
「なんだ。わざわざ事の顛末を見届けに来たのか」
「それもあるけど……最初は海の方から見てたのに、いきなり頭の中に男の声が響いて『ちょっと牛鬼見張っててくれないかな』って押し付けられたのよ!」
何やってんだ深海さん。
いや厳密にはサトリではなく精神感応能力なので、心を読むだけではなく送ることもできるとは聞いてたけれども。
しかも磯女が涙目になりながらも言うことを聞いているということは何か脅しでも入れたのでは。
「その牛鬼は一体どんな状況だ」
「見りゃ分かるわよ」
そうやさぐれた様子で言う磯女につられて視線を浜辺に向けたのだが……。
「……ぐったりしてますね」
「外傷は特に見えないが」
「だってあいつ牛鬼に刃が通らないのも気にせずそのままタコ殴りにしてたもの」
何やってんだ深海さん(二回目)。
何で刃が通らないのにダメージは通るんだよ。
というかそんな使い方して刀は痛まないのか。
「深海さんが普段使っているのは何の謂れもない無銘刀だからな。牛鬼のような高位の妖に通じないのは当然と言えば当然だが」
「じゃあ何でこうやって牛鬼倒せてるんですか?」
「……さあ?」
「『さあ?』て!?」
あの月紫部長が解説を諦めた。
俺からすれば理不尽な月紫部長でも理解できないさらなる理不尽が深海さんということらしい。
「まあ大人しくなっているなら好都合だ。少女の壺は何処だ?」
「預かってるわよ」
そう言いながら磯女が壺を差し出したので、丁度正面にいた俺が受け取ったのだが――。
「あれ?」
「どうした望月?」
磯女の手から壺が離れる寸前、何かがズレたような気がした。
しかし改めて何か異常がないか探ろうとしても、霊感にも見鬼にもひっかからない。
「……いえ。気のせいだったみたいです」
「そうか。では行くか」
人気のない道路を後にし、深海さんが用意したらしい梯子をつかって浜辺へと降りる。
そして牛鬼の下へと向かったのだが、近付くほどにその巨体に圧倒されそうになる。
闇夜の中に浮かび上がるそれは山のようだった。横たわっている状態だというのに見上げるほど大きい。
例え手足がなくともこの巨体が転がってくるというのは戦車の突撃みたいなものだろう。
本当によく制圧できたな深海さん。
「まずは牛鬼の壺を返そう。少女の壺は……取り返そうと突撃されても困るから手前にでも置いておけ」
「あ、はい」
それは確かに困るというか。俺は深海さんみたいに人間やめてないので普通に死ぬ。
「ん? 離れろ望月!」
「え!?」
いきなりの月紫部長の警告に半ば無意識に跳び退ると、突然牛鬼の体の前部分が持ち上がり、そして勢いよく浜辺へと打ち下ろされた。
ドォンと鈍い音がして砂が舞い上がり、地面が衝撃で揺れる。
「もしかして怒ってますかコレ!?」
「怒っているかもしれないが結果オーライだ」
「え?」
「今ので退避し損ねた牛鬼の壺が割れた」
「良いのそれ!?」
首返還するにしてもなんか厳かな儀式とかいらないのか。
そんな物理でお返しして大丈夫なの。
そう思ったのだが。
「え……?」
浜辺の砂が舞い上がる中、首のないはずの牛鬼の方から大きな鳴き声が響いた。
それは洞窟の中を吹き荒ぶ風の音のように寂しく、仲間を求めて咆える獣の声のように切なかった。
首のない牛鬼の体が蹲るように、何かを守るようにその背を曲げる。
揺らぐ。揺らぐ。揺らぐ。
その姿が薄れて歪んで、そして闇夜に溶けるように消えていく。
そして完全に消え去るその一瞬――。
「――ありがとう」
牛や鬼というよりは獅子舞の獅子のような顔をした牛鬼と、その大きな顔を愛し気に両の手でかき抱く少女の姿が見えたような気がした。
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「全てはあるべき場所へ戻る……と。大変だったね望月くんも」
「いえ。いい経験になりました」
翌日。
牛鬼も無事に成仏(?)し事件解決と相成ったわけだが、俺は深海さんに呼び出されて二神道場へと顔を出していた。
予想はしていたが赤猪さんの姿はなく、深海さんと二人きりで向かい合う形になっている。
「痛っ!?」
「こらピクシー」
そう思っていたら、突然後頭部に痛みが走り深海さんが嗜めるように妖精の名を呼ぶ。
「……」
振り返ると、白いドレス姿のピクシーが相変わらずのジト目でこちらを見ていた。
何が気に入らないんだ。というかこの妖精昨日打った所を小突きやがったな。
骨に異常はなかったが腫れてるし痛いもんは痛いんだぞ。
「ごめん望月くん。でも痛みはひいたんじゃないかな?」
「え? ……アレ?」
言われておそるおそる打った所を触ると本当に痛みがなくなっていた。それどころか強めに擦っても抵抗がなく腫れすらなくなっている。
「うちのピクシーは癒しの力をもっていてね。打撲程度なら一瞬で治せるんだよ。流石に骨折とかは無理だけど」
「えー……ありがとう」
痛かったのは確かだが治してもらったのも確か。
なので少し間が開いたものの礼を言ったのだが、ピクシーは「ハっ」と鼻で笑うように息をつくとそのまま姿を消した。
マジでいっぺんしめてやろうかあんにゃろう。
「さて。顔を合わせてからそれなりに経つけど改めて名乗っておこうか。俺は深海慧(ふかみあきら)。もっとも深海というのは旧姓でね。退魔師の間ではそちらの方が通りがいいからそのまま使ってるけど、本名は二神慧(ふたがみあきら)という。君の予想通りこの二神剣術道場を預かる師範だよ」
「いやちょっと待って」
道場主なのは予想通りだったが別の方向から予想外の情報が来た。
旧姓ってどういうことだよ。そこ事情を聞いてもいい所なのか。
「ああ。別にややこしい事情があるわけじゃなくて先代の道場主の娘さんのところに婿入りしただけだよ。実力的には上な赤猪さんを差し置いて俺が道場を継いだのはその辺りが理由の一つだね」
結婚してたのかよ!?
歳の割には落ち着いた雰囲気の人だなと思ってはいたが、もしかして家庭を持ってるからだったのか。てっきりサトリなせいなのかと。
「歳の割に落ち着いてるのは君もだと思うけどね」
そしてさらりと心の中を読んで悪気なく会話を続けるのもすげぇなこの人。
多分俺が気にしないところまで読んでのそういう対応なんだろうけれど。
「まあ俺のことは置いといて。今日君を呼び出したのは君を狙っている男の話をするためだ」
「……あの羅門とかいう」
髑髏を持った袈裟姿の僧侶。
その体さばきは赤猪さんとの稽古でそれなりに目の鍛えられた俺でも追えないレベルだったし、しかも月紫部長を不動金縛りにかけたりもしていた。
術も体術も並のものではない。
結局あの後も深海さんの追跡を振り切って逃げたらしいし。
「事の発端を説明すると長くなるから省くけど、奴は五年前に日本中のオカルト関係の組織を巻き込む大事件を起こした人間の一人でね。全国の退魔師組合から要注意人物として指名手配されているんだ」
「でも月紫部長は知らなかったみたいですけど」
「五年前はあんな目立つ髑髏は持ってなかったんだよ」
なるほど。
目立つ特徴が新たにできてしまったせいで逆に判別できなかったと。
というかあの髑髏本当に何なんだよ。暇があれば撫でまくってたけどご利益でもあるのか。
「でもその事件の時に奴が所属していた組織は壊滅してね。幹部から末端まで根こそぎ捕まるか死んだから、組織として機能するほど残党が他にいるとは思えない」
「何処か別の組織に拾われた?」
「退魔師組合と敵対してるというなら既に認知されてる組織なんだろうけどね。多すぎてどれなんだか」
そんなにあるのかよ退魔師から危険視されるような団体。
そしてそんな団体から狙われてんのかよ俺。
「見鬼自体はそれなりに珍しいけど他で代替できない能力でもないしね。狙われるとしたら個人的な理由だと思うんだけど」
「心当たりがありません」
いやマジで。
そもそも岩城学園に入学して見鬼に目覚めるまではその手のことに縁はなかったし、目覚めてからもせいぜい変な霊やら妖怪に絡まれるくらいで変な縁はできていない……はず。
「まあ軽く俺の方でも調べさせてもらうよ。もしかすればそちらから相手方の正体に辿り着けるかもしれないし、君の周囲も探ることになるから気分が悪いだろうけど容認してほしい」
「はあ。構いませんけど」
別に断り入れなくてもサトリの力を使えば調べたい放題だろうに。
むしろこの人サトリなせいでヤバげな秘密をうっかり知っちゃったりしないのだろうか。
「うん。やっぱ君おかしいね」
「なんでやねん」
そんなことを考えていたら呆れたような顔をした深海さん(おかしい人)におかしいと言われた。
解せぬ。
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「牛鬼……見たかった」
場所は変わって深山市の中心市街地にある喫茶店。
途中離脱してしまった七海先輩への説明のために集まったわけだが、四人席の俺の隣に座っているその七海先輩がアイスティーの氷が溶けるのも構わずに落ち込みまくっている。
事件解決の場に居合わせられなかったのはあまり気にしていなかったみたいだが、俺が牛鬼の顔が獅子舞みたいだったと言うと「見えたの!?」と驚きそしてこの有様だ。
本当に妖怪大好きだなこの人。
「私にはそれほどハッキリとは見えなかったが、確かに望月と同じ見鬼の日向ならば見えたかもしれないな」
「はうっ!?」
「何でとどめをさすんですか」
向かい席に座った月紫部長の言葉にダメージを受けテーブルにつっぷす七海先輩。
牛鬼が見れなかったせいでここまで落ち込む女子高生とか他にいるのだろうか。
「……でもそのお坊さんは何をしたかったのかしら。時男くんを誘い出すためにしては確実性に欠けると思うのだけれど」
「望月のことはついでで陽動かもしれないな。現に深海さんは東退組の支援に行っていたが本来の所属である深山市を優先して戻ってきている」
東退組というのは東京退魔師組合の略で、要するに首都圏の退魔師たちが参加している日本でも一番大きく権限の強い組合らしい。
詳しい事情は知らないが、そんなでかい組織が支援が必要な状態なのに深海さんが戻って来なければならなくなったのなら、陽動というのは確かにあり得るのかもしれない。
しかし――。
「深海さんが東京に行ってたということは、道場に顔を出さなかったのって俺に妙な気を使っていたからじゃなかったんですか?」
「え? 気付いてたの時男くん」
「気付かいでか」
むしろアレだけあからさまに道場主の深海さんの情報がすっぽ抜けてて気付かないわけがないだろうと。
それに七海先輩があの道場を紹介したのは事前に月紫部長と相談した上でのことではないだろうか。
俺がそう言うと月紫部長は参ったとばかりに両手を上げた。
「深退組の中で派閥に関わっていなくて武術を教えているような所など深海さんのところしか思いつかなかったのでな。だがそれを深海さんに相談するとどういうわけか『俺のことはしばらく秘密にしておいた方がいいかもね』と言われてな。わけを聞いても『男の矜持だよ』とはぐらかされ教えてもらえなかった」
むしろそれストレートに教えてます。
しかし月紫部長が理解できなかったのなら幸いか。
よく知らないけど頼りにされてる男が出て来て嫉妬していたとか恥ずかしいどころの話じゃない。
七海先輩は理解してそうだけどわざわざ蒸し返すような人じゃないので気にしないでおこう。
むしろ自称姉な目線なので微笑ましく見守ってる節すらある。
……それはそれで腹立つな。
「じゃあ確認も大体終わったから買い物にでも行きましょうか」
「なんでやねん」
溶けた氷で薄くなったアイスティーを一気に飲みほすと、何か言い出した七海先輩。
そこは解散する流れだろ。
何でナチュラルに買い物に付き合わされることになるんだ。
「そうだな。夏休みの間は顔を合わせる機会も少なかったのだし、たまにはいいか」
「ええ……」
まさかの月紫部長まで同意。
しかし待ってほしい。今の二人は私服である。
七海先輩はカッターシャツにショートパンツとスタイルの良さが一目で分かる出で立ちで、月紫部長も普段の男前な言動の割に白いブラウスに丈の長いフレアスカートと意外に女性らしく大人びた服装だ。
学校内ならともかくプライベートで女子二人、しかも年上二人と一緒とか俺が浮く。
いや傍から見ればそんなに浮いてないのかもしれないが俺の心が浮く。
そんな俺の心情を察したのか、七海先輩がにこりと笑みを浮かべて言う。
「大丈夫よ時男くん。可愛いから」
「喧嘩売ってんですか」
男に可愛いは誉め言葉じゃねえよ。
むしろそれこそ矜持を傷つけるわ。
「君は別に人目を気にするようなタイプでもないだろう。いつも通り『何か文句でもあるのか』と堂々としていればいい」
人目をあまり気にしないのは確かだが、俺は普段からそんなふてぶてしく見えているのだろうか。
そしてそんな生意気そうな態度なのに可愛いとは、一体この人たちに俺はどう見えているのだろうか。むしろそっちが気になってきた。
「さあ。いつまでも居座ってたらお店の迷惑だから行きましょう」
「会計は私が済ませておこう」
そう言って俺の手を取り引っ張り出す七海先輩と、さっさとレジに向かってしまう月紫部長。
こうして先輩二人の連携によって連れ出された俺は、近くにある商店街へと連行された。
まあ途中からは開き直ったし、月紫部長の言った通りたまにはこういうのもいいのかもしれない。
そう思った。




