見える人と読める人5
ガードレールもない歩道の上。十メートル離れた位置にいる僧侶と対峙しながら言われた言葉の意味を考える。
勧誘に来た? 俺を?
やはりこの僧侶も退魔師で俺を引き抜きに来たのか?
「少し違う。私はある組織に属していてね。ああ、深退組や他の退魔師組合ではないよ。むしろ敵対していると言っていい」
またしても質問を口にする前に答えが返ってくる。
つまり一応は真っ当な組織から敵視されるようなヤバい組織ということか。何でそんな組織の構成員が勧誘に。
どうする?
深海さんならすぐにこの状況を察知して助けに来てくれそうではあるが、それまで時間は稼げるか。
「残念だが深海くんはそれどころじゃないよ。ああ。始まったね」
「何が!?」
何が始まったのか。
そう聞き返そうと口を開くとほぼ同時、ドンと何かがぶつかるような大きな音が響き渡り、地面が微かに揺れた。
音の方向からして牛鬼が出る浜辺……深海さんがいるはずの場所だ。
「まったく深見くんにしては詰めが甘い。牛鬼の怒りの理由がかつて愛した少女絡みだというのは確かだがね。祠を荒らされた程度で怒るならとっくの昔に怒っていただろうに」
「何を……」
言っている。そう口にしかけて僧侶の片手に握られた壺が目に入る。
牛鬼が執着していた少女の遺骨が入っていた壺と同じもの。
まさか。
「……アンタの仕業か」
「おや。察しがいいね。見ての通り牛鬼の首はここにある。厳重に封印したからね。今の牛鬼は盲いた状態だ。例え体のそばに愛しの少女が居たとしても気付きはしない」
「……」
つまり深海さんがいくら少女の遺骨を返還しようとしても牛鬼はそれに気付けない。
いやそもそも牛鬼は少女の眠る祠を荒らされて怒ったのではなかった。
この僧侶によって首を奪い去られ少女の居場所を見失ったから、必死に探しているだけだったのだ。
「そんなことをしておいて、俺が勧誘とやらに乗るとでも?」
「おやおや。とんだ正義漢だね。だが浅い」
「何を!?」
「分かるとも。今君は本心から私の牛鬼への所業に怒り、嘆いている。だがその感情はあまりに幼い。君自身から生まれたものではないそれは絵本を読んで一喜一憂する子供のそれと変わりない」
そういってヤレヤレと落胆するようにため息をつく僧侶。
よりによって絵本を読んでる子ども扱いとは。
本気で勧誘する気あるのかこの坊主。
「その点深海くんは筋金入りだね。アレは普通の人間なら折れるような悲劇を体験してもなお敵を倒すために義心で立ち上がった英雄だ。いや狂気とすら言っていい。最初から相互理解は不可能な狂人だ」
褒めてるのか貶してるのか。
しかし深海さんをかなり警戒しているのは分かった。
それに先ほどから俺が疑問を口にする前に答えているのは、その深海さんと同じ。
「そうとも。彼のあの力には随分と手を焼かされたからね。だから私も手に入れることにしたんだよ。彼と同じ力を」
そう手にした髑髏を撫でながら言う僧侶。
手に入れた? サトリの力を?
霊能力のようなある程度技術として確立されているわけでもない異能を、後天的に得るなんて可能なのか?
「無論普通は不可能だ。だが我々は普通ではないからそういう裏技も知っている」
「その裏技がろくでもないから退魔師たちに敵視されてると」
「その通り。いやはや彼らは頭が固くて困る」
そう言って剃髪された頭を撫でながら首を振る僧侶。
いや多分こいつは本当は僧侶ですらないのだろう。というかこんな倫理観が欠如した僧侶がいてたまるか。
「酷い言い草だ」
「口には出してねえよ」
「だが君もすぐに染まるさ。言ったろう君は浅いと。君の強固な正義感は君自身が悪を知らないが故のものだ。そういう甘ちゃんは少し押せば容易く堕ちる」
「言ってろ!」
布袋の中から短木刀を出し構える。
確かに俺は浅いし甘いのかもしれない。だが俺はその自分の甘さを嫌ってはいない。
そう易々と堕ちてやるつもりはない。
「抵抗するか。まあ少し遊んであげるとしようか」
「ッ!?」
そう僧侶が言いながら骨壺を懐にしまったと思ったら、目の前に壁があった。
いやそれは僧侶の体だ。咄嗟に押し返そうにも、構えた俺の短木刀に密着するところまで接近されていてろくに腕が振れない。
「くッ」
「そこで退くのは下策だよ」
「がっ!?」
間合いを取ろうと後ろに下がった瞬間、僧侶の貫手が俺の鳩尾を貫いていた。
いや流石に貫通はしていないがあまりの痛みに一瞬呼吸を忘れ思考が止まる。
「がァッ!」
「おっと」
それでも短木刀を横薙ぎに振れたのは、赤猪さんの実戦紛いの稽古のおかげだろう。
考えることは大事だが考えすぎて行動が遅れては本末転倒。だからこそ考える前に体が動くように扱かれている。
「なるほど素人ではないね。だが毛が生えた程度だ」
「うわっ!?」
しかしまたしても一瞬で距離をつめた僧侶に足を掬われ体勢が崩れる。
さっきからこの坊主、瞬間移動みたいに気軽に間合いに入ってきているのは何だ。
何かの術とかじゃない。そんな力は感じなかった。
なのにその体が動き出す前兆すら捉えきれない。
「それはね。君が瞬きをする時を狙って動いているからだよ」
「なっ」
僧侶の手が顔に伸びてくる。
抵抗しようにも受け身を取ろうと伸ばしていた手では間に合わない。
「仕舞だ」
そして無防備なまま顔を鷲掴まれたと思ったら、後頭部から衝撃と音がきてそのまま意識がとんだ。
・
・
・
ずきずきと鈍い痛みを感じて目を覚ます。
何だこの痛みは。風邪でもひいたか。
そう思いながら立ち上がろうとして、体がまったく動かないので「はて?」と考える。
しかしすぐに状況を思い出す。
あのクソ坊主。人の頭を掴んで後頭部からアスファルトの地面に叩きつけやがったな。
勧誘に来たんじゃなかったのか。殺す気か。
「……くッ。あんな略式で不動金縛りがまともに発動するはずが……」
「何事にも例外はあるものだよ。いや高加茂家の次代は優秀だと聞いていたが、やはり若い。若さとは可能性であるとともに無知無謀と同義だ」
居ないはずの人の声が聞こえた。
月紫部長? まさか俺を助けに来たのか。
深海さんは……牛鬼の相手をしてるだろうからそれどころじゃないだろうな。
ということは月紫部長一人であの僧侶と対峙しているのか?
「なめ……るな!」
「ほう。強引に金縛りを緩めるとは。だがそこで大人しくしていたまえ。私たちはまだ高加茂家と本格的に事を構えるつもりはない」
「望月をさらおうとしておいて何を!」
「だから? 君はともかく他の高加茂家の人間は彼一人を取り戻すために、娘の我儘のために争いを仕掛けるほどに義に溢れているのかね? いや、そうでないのは君が一番よく知っている。うん? なるほどだからこの場で多少の無茶は承知で私と事を構えるわけか」
辛うじて動くようになった体を起こして周囲を見渡す。
広い車道のど真ん中に月紫部長と僧侶が居た。
しかし月紫部長の体には霊力の帯のようなものが巻き付いていて、どうやら不動金縛りにかかったのは本当らしい。
少しずつ解けてはいるが、それでも今の月紫部長は無防備だ。
そんな月紫部長に僧侶はゆっくりと近付いていく。
「若さとは可能性だ。君みたいなのは土壇場で何をやらかすか分からない。故にここでご退場願おうか」
そう言いながら僧侶が右手を伸ばす。
それでも月紫部長は怯まなかった。
動かない体で、臆することなく、ずっと僧侶を睨めつけ反抗の意思を揺るがせない。
その姿が綺麗だと思った。
その姿に憧れた。
だから――。
「その人に触るな!」
おまえ如きが触れていいものじゃない。
「ほう! 起きていたのは気付いていたがまだそこまで動けるとは」
痛む体を無視し駆け出して僧侶の背中目がけて短木刀を振り下ろしたが、やはりサトリの力を持ってるだけあり奇襲は通じずあっさりと避けられる。
それでも僧侶の標的が月紫部長から俺に移った。
「望月! 無茶をするな!」
「アンタに言われたくない」
体が動かないのに降伏もせずに徹底抗戦しようとしてた人が何を言ってんだ。
もしかして何か考えがあったのかなと思ったが、今現在も月紫部長を縛る帯は少しずつ解けてはいるものの相変わらずその身を縛り続けている。
つまりあのままなら月紫部長は俺と同じようにアスファルトに叩きつけられて下手をすれば死んでいた。
「いや殺す気はなかったんだが。君も死んでないだろう」
「なら手段選べよ!?」
僧侶の言葉に咄嗟に言い返す。
行動不能にするなら締め落として気絶させるとかあるだろう。何で打撃でくるんだよ。
「いやそう言われても私は見ての通り片手が塞がっているからね。アレが手っ取り早いんだよ」
「知るか!」
「おっと」
髑髏を撫でながら言う僧侶に構わず短木刀を袈裟懸けに振り下ろすが、あっさりとかわされる。
届かない。
俺と僧侶では実力差がありすぎる。このまま闇雲に短木刀を振り回しても当たることはないだろう。
どうすればこの剣は相手に届く。
――時男くんは筋は良いけど気持ちが足りんねえ。
ふと赤猪さんに稽古の最中に言われたことを思い出す。
気持ちとは。そう問いかけた俺に赤猪さんはこう答えた。
――相手を絶対に倒すっていう気概とでもいえばいいんかな。剣に殺意がない。それじゃ斬れるもんも斬れんよ。
殺意がないのは当たり前だ。
むしろこの平和な現代日本で殺意が足りてる学生とか居てたまるか。
――なら目標を「斬る」という意思を強く持ちなさい。全身の霊力を感じ取り、剣に乗せるつもりで行くとなお良し。
「……斬る」
そう。相手を斬る。
持ってるのは短木刀? だから何だ。
大事なのは気持ちだ。
あの僧侶をぶった斬る。
そう念じながら短木刀に力を込め全力で振り下ろす。
「そんな正面からでは……なっ!?」
そして短木刀が振り下ろされた瞬間、それまで余裕に満ちていた僧侶の顔が驚愕へと変わり、跳び退ったその体を伸びた刃が袈裟ごと浅く切り裂いた。
「……え?」
目の前の光景がすぐには飲み込めなかった。
俺が短木刀を振り下ろした瞬間。明らかに僧侶は間合いの外にいた。
現に斬られたはずの袈裟には何の異常もない。だがその下の僧侶の体には霊的な傷ができている。
「これは……?」
手元を見れば、短木刀から淡く光る刃が伸びていた。
丁度稽古で使っている竹刀と同じくらいの長さの扱いに慣れたそれ。
「驚いたな! やはり若さというのは可能性と同義だ! 土壇場でやってくれるから面白い!」
しばらく呆然とその光る刀を眺めていたが、僧侶の声に我に返った。
視線を向ければ僧侶が髑髏をぺしぺしと平手で叩きながら、喜色満面の様子でこちらを見ていた。
もしかしてそれは拍手なのか。
「気が進まぬ使いだと思っていたが事情が変わった。是非とも君を連れ帰らなくてはならなくなったよ!」
「いや一人で帰れよ!」
追い詰められて現状を打破する力に目覚めたと思ったら、むしろ俺自身が追い詰められていた。
というか乗り気じゃなかったのかよ。
だったら何で勧誘に来た。
「君のことを私たちの主が気に入っていてね。なら主のためにちょっと頑張ろうかという気になるじゃないか」
「知るか」
というか主って誰だよ。
俺はカルト宗教めいた組織の人間に目の前の僧侶以外で会った覚えはないぞ。
「いや会えば分かおお!?」
「はあ!?」
いきなり僧侶が身をひねったと思ったら、その袈裟を何かが切り裂き一部が地面に落ちた。
「惜しい。完全に意識の間隙をついたんだけど、腐ってもサトリか」
何もなかったはずのその場所に、深海さんが抜き身の刀を構えて立っていた。
意識の間隙って。もしかしてこの人、他の人間に認識されないように動くことができるのか。
というか牛鬼は。
「ああ。牛鬼ならちょっと大人しくなってもらったよ。流石に手間取ったけどね」
「ええ……」
あの質量の暴力とも言える大怪獣を大人しく(物理)させるって、この人はこの人でどうなってんだ。
「さて。久しぶりだな羅門。よくもノコノコと俺の前に姿を見せられたものだな」
「見せるつもりはなかったのだがねえ。望月くんが期待以上で意識をそらしたのが失敗か」
そう言いながら僧侶――羅門というらしい男は剃髪された頭を撫でながら困ったように言う。
この二人何か因縁でもあるのか。
先ほどの不意打ちからして深海さん側には情けも容赦もない感じだが。
「分かった。この場は負けを認めよう。だからここで仕舞いとしないかね?」
「それを俺が聞くとでも?」
「ここに牛鬼の首がある」
そう言いながら羅門が取り出した壺を見て、それまで絶対殺すと言わんばかりだった深海さんの殺気が少しやわらいだ。
「君と私がやりあったらこの首もただでは済まないだろう。大人しく渡すから見逃してはくれないかね」
「……いいだろう。その場に壺を置いてゆっくりと離れろ」
そう深海さんが提案すると、羅門も頷いてゆっくりと屈み始めたのだが。
羅門が明後日の方向に壺を投げた。逃げた。
深海さんが予想していたみたいに跳ねたと思ったら壺をキャッチした。追いかけた。
両者ともに約束を守る気が欠片もねえ!?
いやどっちもサトリだから裏で高度な読み合いでも発生していたのかもしれないけど。
そう思ったのだが、後日話を聞くと深海さんと羅門の力はほぼ同質の相殺関係にあり余程心が乱れてないとお互いの心は読めないらしい。
要はどっちもサトリ関係なく性格悪いってことじゃねえか。
「本当に君は妙なものに好かれるな」
「いや妙なものて」
確かに地縛霊やら狸やらハンドさんやらに懐かれてはいるが。
カルト集団の人間とかヤバさが別のベクトルで段違いだろう。
今まで接近すら許さなかった亀太郎たちに感謝しておこう。
「しかしまた妙なものに目覚めたな。ある意味見鬼より珍しいぞ、その霊力刀は」
「そこまでですか」
未だに短木刀から伸びている霊力でできた光る剣を見ながら言う月紫部長。
確かにこれを見た瞬間羅門もいきなり態度を変えたが。
あっ。消えた。
「ともあれ牛鬼に首を返すとしよう。詳しい話は後だ」
そう言うといつの間にか地面に置かれていた壺を拾いに行く月紫部長。
深見さんあの一瞬でキャッチした壺置いて行ったのか。
いや持ったままだと羅門に追いついても戦えないだろうけど。
「……何かもう疲れた」
事件自体はまだ解決していないのに、色々ありすぎてもう何も考えたくない。
しかしそういうわけにもいかず壺を拾い上げた月紫部長に続き牛鬼の居る浜辺へと向かう。
どうかもうこれ以上予想外なことが起きませんように。