見える人と読める人3
牛鬼は夕暮れ時にやってくる。
ならば日が高い内にその牛鬼が現れる浜辺を調べてみようと月紫部長と二人でやってきたわけだが、改めて来てみると浜辺を調べるのは難しいことに気付く。
「見事に降りる場所がありませんね」
「ロープでも持ってくるべきだったな」
海と山を隔てる道路。その道路は平たいコンクリートの壁で埋められた高い壁の上を通っていて、階段も梯子も周囲には見当たらない。
一応飛び降りられない高さではないのだが、その後どうやって登ってくるかが問題だ。
やけにゴミが多い浜辺だとは思っていだが納得だ。掃除しようにも、この浜辺に来るには船でも出して海側から回り込むしかない。
「まあここまで見事に固められているということは、祠があった場所もおそらくはアスファルトの下だろう。とはいえこの道路ができたのは二十年ほど前と最近のことだ。何か感じられないか望月?」
「……確かに何か流れのようなものは感じますけど」
二十年前を最近と言ってしまえる月紫部長の感覚はやはりおかしいと思う。
俺はもちろんアンタも生まれてないだろうと。
「これ見よがしに太い霊気の線みたいなのが伸びてるんですが。なんというかこれ牛鬼の怨念というか執着?みたいなものを感じるんで、あまり見てたくないんですけど」
海から出てきてコンクリートの壁に突き刺さり、道路の真ん中から再び出てきて山へと向かう赤い糸。
おそらく牛鬼はこれを辿ろうとしていたのだろう。しかし浜辺から出ることができないため、ああして駄々をこねるようにのたうち回っていた。
その大きさと撒き散らされる怨念を考えたら駄々っ子なんて可愛いものではないが。
「……確かに繋がりのようなものは感じるが、こんな薄いものが視覚的に見えてしまうのは流石見鬼といったところか。長く見ているのは危険か?」
「いえ、気分が悪くなる程度で頑張れば大丈夫ですけど」
「では頑張れ」
そうあっさりと言ってくださる月紫部長。
まあ本当に気分が悪くなる程度で体に異変がおきるほどではないが、もう少し労ってくれてもいいのではなかろうか。
「君は変なところで意地をはるような人間ではないし、本当に危険ならそう言うだろう」
そう少し微笑みながら言われてしまえば、こちらから返す文句なんて出るはずがない。
要は信頼されているということだろう。ならせいぜい無理しない程度に無茶してみよう。
そう決意すると俺は山へと伸びる赤い線を見据え、その先へと歩を進めた。
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山とは言っても海辺のそれは少し高い丘程度のもので、最近毎週のように滝行のために通っているそれと比べればピクニックのように気軽に登れるものだった。
とは言えそんなことが言えるのは普段から道無き道を登らされてるからであって、こちらの都合も考えず木々の間を一直線に伸びる糸を追うのは一苦労だ。
せめて終着点が分かっていれば迂回してでも道らしい道を探して近付くのだが、その終着点が分からないのではひたすら赤い糸を追うしかない。
「しかしこの先にあるのは移設された祠だと思っていたのだが、よりによって海の怪である牛鬼の祠をこんな山中に移すだろうか」
「そもそもなんのメリットがあってこんな山の中なんでしょうね」
単に移設するならそれこそ近くの浜辺でも良かっただろうに、なんでわざわざ山の中に。
そんなことを考えていると月紫部長の携帯電話が鳴ったので、一時足を止め適当な段差に腰を下ろし休憩に入る。
どうやら電波はちゃんと入るらしい。遭難しても安心だ。
「そうか。なるほど了解した。こちらはそれらしきものを探しているのだがハズレかもしれんな。また何か分かれば連絡してくれ」
どうやら相手は七海先輩だったらしい。しかしハズレかもしれないとは?
「日向がデータ化された方の新聞記事から当たりをひいた。どうやら祠は移設されなかったらしい」
「え? 工事業者ともめてたのにですか?」
「文句は出たが押し切ったという内容の記事が見つかったそうだ。一部地元住民が反発したが大きな問題とはならず、ああして見事に道路は通ることとなった」
「それはまた……」
横暴というか、当時の責任者がそういった宗教的なことを気にしないか嫌うタイプだったのだろうか。
しかしそれならそれで疑問が残る。
「じゃあこの牛鬼と念が繋がってる場所にあるのは何なんですか。それに祠が移設されていなかったのなら、何故当時の責任者なり工事業者を祟らずに今更」
「祠は関係なかった……と考えるには位置と状況がな。それ以外にも牛鬼があらためて荒ぶるような何かが最近あったということかもしれん」
「別の何か……え?」
「どうした望月?」
一体この赤い糸の先には何が。
そう思いながら視線を移した瞬間「呑まれる」と感じた時には遅かった。
それまでずっと動かなかった赤い糸が脈打つように揺らいだと思うと、視界が白く染まり、そして何処か別の場所の光景が見えてくる。
「探せ!」
「絶対に逃がすな!」
「逃がしたら代わりに俺たちの……」
数人。いや何十人もの男たちが灯りを手に駆けていく。
服装からして文明開化以前。いやこんな田舎ならそれ以降も着物はそれなりに着られていたのだろうか。
その辺りの歴史の知識が曖昧な俺ではどうにも判断がつかないが、少なくとも洋服が一般化されるよりは前の光景らしい。
しかしこれは一体なんだ?
何故牛鬼の念を介してこんな光景が見えている?
彼らは何を探している?
「いいか。もうこうなったら躊躇ってる暇はねえ!」
男たちの内の一人が叫ぶように言う。
「奴が一緒でも構わずに、いやいっそのこと奴も一緒に――」
苛立ち、焦り、とても正気とは思えない目で。
「――首を落とせ!」
そう他の男たちに命じた。
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「……づき! 望月!」
「……え?」
気付けば視界は元に戻っていた。
木々に囲まれた山の中。月紫部長が正面から俺の肩を掴み必死に呼びかけてきている。
「……今のは?」
「望月! 大丈夫か? 意識はちゃんとあるか?」
「あ、はい。今起きました」
起きたというのも変な言い方だが、意識が飛んでいたのであながち間違いではないだろう。
実を言うとこれまでにも遠見のようなもので意識は飛んだことはあるのだが、大体月紫部長に気付かれないうちに戻って来れていたのでこんなに心配されるのは初めてだ。
「ほう。つまり今までにも似たようなことがありながら私には報告していなかったと」
そううっかり漏らしたら、何か月紫部長の機嫌が悪くなり霊気の圧が強くなった。
いやだって、そんな危険な状態にはなったことなかったしと言い訳してみたが、圧は弱まることなくむしろ増していく。
「意識がない時点で大事だろう。それにさっきまでの君は夢遊病者のように焦点が定まらないまま歩いていたぞ」
「え!?」
流石に意識が飛んでいる内に体が勝手に動いたのは初めてだ。
というか夢遊病者みたいな状態でよくこの障害物だらけの山の中を歩けたな。
「あ、でもちゃんと牛鬼の念は追ってるみたいで……」
少し辺りを見渡せば赤い糸が見えたので、どうやら迷ったわけではないらしいと安堵する。
しかしその赤い糸が伸びる先に感じた霊気に言葉を失った。
一度だけしか会ったことはない。
でもその強烈すぎる存在感故に忘れることなどできない。
何故こんなところにあの人がいる?
「……来たか。早いな。こういう調査では俺以上に反則的な存在は居ないと思っていたんだけど」
木々をかき分けた先。
突然開けたその場所に居たのは、竹刀袋を肩にかけた青年――深海さんだった。
肩の上には以前俺と七海先輩を散々迷わせてくれたピクシーもいる。
無残に壊され、砕かれた木製の小さな祠の前でしゃがみこみ、祈るように両手を合わせていた。
「深海さん。どうしてここに」
「深退組からいきなり呼び戻されてね。一刻も早く情報収集と事態の収拾をつけたかったんだろうけど、俺が来た意味はあまりなかったかな」
そういって深海さんはこちらを見ると苦笑するように微笑んだ。
一方のピクシーは不貞腐れたような顔でこちらを睨めつけている。
そのピクシー赤猪さんじゃなくて深海さんの身内だったのか。
というか相変わらず俺のことが気に食わなさそうな様子なのは何なんだ。
「街のご老人なんかに聞いて回ったんだけどね。ここには水害の被害を抑えるために祠が建てられていたそうだよ。あまりよくない方法をとったらしくて、地元の人間もあまり近寄らなかったらしいけど」
そしてその結果がこれだと祠だったものを示す。
荒らされ、打ち砕かれたそれは明らかに経年による劣化ではなかった。
誰かが明確に悪意を持って破壊したことが伺える。
そしてその祠だったものへと赤い糸は繋がっていた。
それにしても良くない方法とは。
生贄というやつだろうか。先ほど見えた光景は、もしかしてその時の?
「でもそれが牛鬼と何の関係が?」
「さて。その辺りは俺も推測の域を出ないんだけど、君たちの友達がもう調べはつけたみたいだ」
そう深海さんが言ったのを見計らったように、月紫部長の携帯電話が鳴った。
「……日向からだな」
ちょっと待て。
七海先輩がいる図書館からここまで直線距離でも2,3キロはあるぞ。
この人のテレパシーって目の前に居るとかそういうレベルじゃなくてキロ範囲なのか。
「距離はあまり関係ないかな。疲れるから拾う対象は選ぶけどね」
そして口に出していないはずの内心の疑問に笑顔で答えてくださる深海さん。
以前より苦手意識は消えたが、違う意味で苦手になりそうな反則っぷりが明らかになった瞬間だった。