見える人と読める人
夏と言えば海なのだろうが、俺はあまり海が好きではない。
子供の頃は好きだったような気がするのだが、その子供の頃に海で遊んでいたら突然足に痛みが走り、ばっさりと切り傷ができていたことがある。
原因はよく分からない。傷口をよく調べれば分かったのかもしれないが、そこまでしようとは両親も思わなかっただろう。
漂流物にでも足をひっかけたのかと思って終わりだ。
だからだろうか。海は得体が知れなくて嫌いだ。
あの光すら通さない水の底に何が居るのか分かったものじゃない。
なので自発的に海に行こうなどとは思わないのだが……。
「いきなり『海へ行くぞ』って何でですか」
現在地は電車の中。
ガタンゴトンと揺られながら近くの港町へ向けて移動中である。
夏休みも終盤に入り、サボり癖のある連中が慌てて宿題を消化しているであろう時期に、例によって月紫部長から電話がかかってきて例によってふしぎ発見部の活動が突発的に始まった。
というかお盆過ぎたのに海ってオカルト的な意味で危ない時期じゃないのか。
ちなみに見鬼になって初めて迎えたお盆だったが、先祖が帰ってくるのは本当らしく、家の座敷部屋に死んだ爺ちゃんが頬杖ついて転がっていた。
あまりに当然のようにくつろいでいるのでこれは声をかけてもいいものなのかと悩んだが、とりあえず仏壇にスイカを供えておいた。
あとたまにハンドさんが俺の部屋に数人で現れてビー玉でキックベースをやっていた。
どうやら夏休みで学校に人が来ないので暇だったらしい。
だからと言って何故俺の部屋に来て室内でそんなアグレッシブな暇の潰し方を選んだ。
「お盆を過ぎて海に入ると連れていかれると言うやつだな。実際お盆以降はタチの悪いものが居たりもするが、その口伝はどちらかと言えば土用波を警戒してのものだろう」
「土用波?」
二人がけの席の向かいに座っていた月紫部長が、外の景色を眺めながら答える。
「土用というのは立冬や立春といった四立の直前の時期のことだ。特に夏の土用、つまりは立秋前の晩夏を指しこの時期に突然起きる大波を土用波という」
「あーつまりこの時期は気をつけないとその土用波にさらわれると」
「あとはくらげも増えるな。ものによっては危険だし死亡例もある」
「ああ。流石に波間を埋め尽くすほどくらげがいると泳ぐ気はしないわよね」
クラゲと言われてその手の経験があるのか、俺の隣で何やら頷いている七海先輩。
まさか刺されたことがあるのだろうか。
「じゃあ泳ぎに行くわけじゃないですよね」
「当然だろう。地元の人間から妖怪が出たと相談が来たからその対処だ」
「対処て」
その相談はどっからきて何故異能があるとはいえ学生が対処することになった。
まさか深退組とやらから回ってきているのかその依頼は。
「その通りだ。元々ふしぎ発見部の部員がその手のものに慣れるために比較的危険が少ない案件を回してもらっているのだが……今回は単に人手が足りないからだ」
「オイ」
それでいいのか退魔師。
人手が足りないからと言って学生のアマチュア集団に丸投げするとかプロのプライドはないのか。
「まあいくら何でも生死にかかわるようなものを投げては来ないだろう」
「だからそれフラグですって」
「表面的に見えてる以上の脅威が潜んでいて大事になるのってオカルト話の基本よね」
「フラグを補強すんな」
何なのこの先輩たち。
実は脳筋で強敵にでも飢えてるの。
「で、実際何が出たと?」
「磯女らしい」
「磯女?」
※磯女(いそおんな)
九州を中心とした各地に伝わる海の近くに現れる女の妖怪。
上半身は長い黒髪の美女だが、下半身はぼやけていたり蛇のようだったりと様々。
その行動も様々であり、声をかけたものに襲いかかり血を吸うものもいれば、舟の中で寝ているところを網をつたって乗り込み襲いかかってきたりもする。
「後は姿を見たら問答無用で死ぬものや、逆に見られたら同じく死ぬものもある」
「どう考えても命にかかわるヤベエやつじゃないですかそれ」
「いや。今から行く地域には元々磯女の伝説が残っていてな。遭遇したものは皆対処法を知っていたので今のところ特に被害は出ていない」
「ああ。磯女って対処法も地域によって違うのよね。佇んでいるだけなら声をかけなければいいのだけれど」
「逆に声をかけてくるタイプだ。視界に入れないよう下を向いて無視すればいいらしい」
「それで諦めるんですか」
やることはえげつない割に素直というか何というか。
まあ確かに対処法さえ分かっていればそれほど危険ではないのか?
「あとは男にしか声をかけないらしい。というわけだ望月」
「どういうわけ!?」
いや分かるけど。俺が囮になる流れなのは分かるけれども。
万が一声をかけられて反応してしまったらどうなるんだ。
「いや今から行く場所の磯女はそれほど危険ではないらしくてな。伝承によると返事をしたものに一生付き纏うらしい」
「まあ。押しかけ女房かしら」
「どこがだ」
鬱陶しいにも程があるわ。
ともあれ。返事さえしなければ大丈夫らしい。
しかしそう事が簡単に終わってくれるのだろうか。
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電車に揺られて辿り着いたのは桜津寺という海沿いの町。
田舎の港町らしいというか海水浴に来るような場所でもないのであまり人気はない。
漁師がとってくる魚目当てなのか、猫がやたらと多くすねこすりのように絡みついてきているが。
「目撃情報があったのはこの堤防の周辺だ。とりあえずは望月が一人で歩いてみてくれ。何往復かしても反応がないようならまた別の手段を考える」
「実際に出たらどうするんですか?」
「無視したまま私の携帯に連絡をくれればいい。可能なようなら相手にバレないようメールで情報も送ってくれ」
「分かりました」
そう返事をして堤防沿いを歩き始めたのだが――。
「ねえ。貴方今目が合ったわよね」
「……」
歩き始めてからまだ十分ほどしか経っていない現在。
全力で俯く俺の前に、地面につくほど長い黒髪を濡らした女の姿が!
いや、言い訳をさせてほしい。
俺は間違っても声をかけられてうっかり返事をするようなポカはやらかしてない。
ただ単に何気なく海の方を見たら、波の上を歩いている女を発見してしまい目が合っただけだ。
まさかそれが件の磯女だとは思わないだろう。
「ねえ。見えてるわよね? 何で無視するの?」
「……」
そういうわけで。
返事をしたわけでもないのに付き纏われているのだが、もしかして目が合うのもアウトだったのだろうか。
月紫部長たちに連絡はしたが、果たして合流するまで無事でいられるだろうか。
「ねえ。ねえってば。……何で? なんで応えてくれないのよおぉっ!?」
(ええ……)
そんな心配をしていたら、磯女の声が徐々に涙声になり、ついに声をあげて泣き始めた。
いや待て。これは罠だ。そうやって罪悪感を覚えさせて返事をさせるつもりだな。
その手にはのらないぞ!
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「いや、まあ返事をするなと言ったのは私だし、君の対応は仕方のないものだったのだろうが」
「ひっぐっ。頑張って……声かけたのに……」
「よしよし。大丈夫よー。ちゃんと見えてるわよー」
「……」
呆れたような顔を向けてくる月紫部長と、泣きじゃくる磯女を抱きしめて慰める七海先輩。
どう見ても俺が悪人です。本当にありがとうございました。
「それで。何か伝えたいことでもあって声をかけていたのか?」
「ぐすっ。助けて、ほしくて」
「助け?」
仮にも妖怪が人間に助けを求めるとは。
厄介ごとの臭いしかしない。
「最近夕暮れ時になると海の方から大きな化物が来るの。浜辺からは出ないんだけど、私たちみたいな海を根城にしてるのには大問題で」
「海から大きな化物……。海坊主の類か?」
※海坊主(うみぼうず)
数メートルから数十メートルの大きさの坊主頭の巨大な人型。
突然海の中から現れて船を壊すとされる。
他の船を沈める妖怪などとは違い海が荒れていない時にも現れ、時には集団で襲いかかってくることも。
……ほらさらにヤバいの来ちゃったじゃん!?
「ちなみにぬるぬる坊主も海坊主の仲間とされている」
……アレ? 何か急に大丈夫な気がしてきた。
「ともあれ実際に見てみないと何とも言えないな。数メートルならまだしも数十メートルクラスとなれば私たちには荷が重い」
「実際にって、大丈夫なんですか?」
「浜辺から出て来ないのならばな。深退組に報告するにしてもなるべく情報は多い方がいいだろう」
そう月紫部長が判断し、俺たちは磯女に導かれて巨大な化物が出るという浜辺へ向かったのだが……。
「いや無理でしょコレ」
磯女に案内されてやってきた浜辺は半島のように突き出た三法を海に囲まれた浜辺で、しかしもう一方は切り立った崖と窮屈な感じのする場所だった。
その浜辺で、数メートルどころか学校の五十メートルプールにすら入りそうにない巨大な何かがのたうち回っていた。
浜辺に乗り上げた体は左右へと転がり回り、流木やらゴミやらを跳ね飛ばし蹴散らしまくっている。
コレ妖怪が見えない人が見たらポルターガイスト祭りに見えるんじゃないか。
「というかどう見ても人型じゃないですよね」
浜辺の上をのたうち回っているのは、何というか巨大な黒い塊というか、あえて言うなら目も口もない鯨が近いのだろうか。
頭はなければ手足もない。鯨みたいな体だけがごろごろと転がっている。
そういう意味ではぬるぬる坊主に似てなくもないが。
「……これは恐らく牛鬼だな」
「うしおに?」
「ああ。ともかく磯女には悪いが一端撤収するぞ。私たちでは相性が悪い」
相性が悪い。
そう悔し気に言い捨てて歩き始める月紫部長を追おうとして、しかし何かが気になり海へと向き直る。
「……」
のたうち回る黒い影。
忙しなく動くそれが、何故かじっとこちらを見つめているような気がした。
見つけた。逃がさない。食べたい。逃さない。食い散らす。
そんな殺意ですらないただひたすらに人を害そうとする悪意を感じた。
きっとアレはただ巨大なだけの化物ではないのだろう。
以前黛に憑りついた犬神もどきのような、凝縮された呪いの塊だ。
放置しておけばアレは確実に浜辺という境界線を越えてこちらへとやってくる。
「……」
そう確信しながらも、俺は悪意に縫い留められそうな足を必死に動かして逃げることしかできなかった。
あれと戦わなくていい。そのことに安堵する自分に苛立ちを覚えながら。