深見2
無事山での荒行を終えて週末を乗り越えた俺だったが、滝行自体は二週間に一回程度のペースで継続することが決定された。
いやまあ継続することが大事なのは分かるが、果たしていつまで続けるのだろうか。
初夏の今でも寒かったのに、冬にやったらそれこそ死ぬのでは。
「大丈夫だ。人間は意外に頑丈にできている」
「そんな意外さ知りたくないです」
そんなギリギリ体験するくらいなら、俺は臆病者と笑われても安全な生活を送りたい。
俺が大人しく修行して術やら何やら学んでいるのも、決してゴーストバスターに憧れているわけではなく、あくまで自衛のためである。
「そうは言うが、君は身近な人間が困っていれば手を差し伸べてしまう人間だろう」
「そりゃ困った人を助けるのは当たり前ですし」
「……」
「そんな眉間にしわ作りながら見られても」
何だその得体の知れないものを見るような目は。
むしろ得体の知れなさでは月紫部長が学内トップを独走してるだろうに。
「いや、なんというか。きっと君はご両親に愛されて育ったのだろうな」
「はい? 何故そんな話に」
「君がいい子だという話だ」
どういうことだよ。何で俺は慈しむような目で見られてんだよ。
解せぬ。
「斎藤も君といる間に少しずつ纏う霊気の質がよくなっているしな。まあ君が作ったものを食べているせいでもあるのだろうが」
「え?」
いつも通りに弁当からおかずをひとつ取って斎藤さんにあげていたら予想外のことを言われ、思わず間抜けな声が漏れる。
一方そんなことは関係ねえとばかりに俺の差し出したミートボールをパクリとくわえ咀嚼する斎藤さん。
ピンチの時には助けてくれるけど、普段は本当にマイペースで何考えてるのか分からない。
「食事に限らず物を作ると少なからず霊力が移るからな。いわば直接君の霊力を取り込んでいるようなものだ。そうやって引っ付いているだけでも少しずつ影響はあるだろうが」
「え? それ何か変なことになったりしないんですか? 斎藤さんが俺に縛られちゃうとか」
「何だ。縛りたいのか?」
「そういう意味じゃねえよ」
ニヤリと笑って明らかに別の意味で言ってる月紫部長につっこむ。
俺にそんなアブノーマルな性癖はない。
「まあ深く考えずに少しずつ浄化してるとでも思っておけ。ああそれと日向にはもう話してあるのだが、今日はふしぎ発見部の活動は休みとする」
「え? 休みですか」
それは珍しい。何せ月紫部長が生徒会などの用事で出て来れないのは珍しくないし、その場合でも部活動自体が休みになることは今までなかった。
なのに何故今回だけ休みに。
「念のためだな」
「もしかしてあのサトリのせいですか?」
俺の言葉に、月紫部長は驚いたように目を丸くした。
どうやら当たりらしい。
「……そんなに警戒しているように見えたか?」
「少しだけ。というか七海先輩は割とあっさり追い払ってましたけど、サトリって結構厄介な妖怪なんじゃないですか?」
心を読む。
シンプルだがそれ故に強力な力だ。
もし戦うことになれば、こちらの手の内全てが読まれるのだから厄介所の話ではない。
「そうだな。そういう意味では日向のような達人クラスの武術家はサトリの天敵だ。その気になれば無我の境地で戦えるからな」
「何それ凄い」
七海先輩の武術のレベルの高さが予想以上だった。
つまりあの時はあえて読ませた上で技だけで上回ろうとしていた舐めプ状態だったと。
そりゃサトリ逃げるわ。
「しかしだからこそ今後サトリは日向には近付かないだろう。そしてそれこそがサトリの厄介な点の一つでもある」
「自分を退治できるような人間には近付かないってことですか」
「ああ。もし近付くとしたら、完全に不意をつき察知されないときだけだ」
なるほど。それは確かに厄介だ。厄介なのだが……。
「それ今も狙われてる可能性高くないですか?」
「君は勘がいいから隠し事がしづらいな」
あっさりと認めやがった。
あの毛むくじゃらに付け狙われるとか普通に恐い。
もし俺が狙われても、読めても避けられない一撃くりだしたり無我の境地に至るような武術の心得はないぞ。
「いや、恐らく奴の本命は私だろう。うちの家系はサトリと因縁がある上に、出てきたのはうちの修行場だからな」
「因縁ですか?」
「まあ平たく言えば昔この辺りで悪さをしていたサトリをうちの先祖が追い払ったというよくあるお伽噺だ」
自分の先祖が主要人物な時点でよくあるお伽噺ではないと思うのだが。
まあとにかく月紫部長の家はサトリに恨まれている可能性があると。
「さらにあの場で私が弱気になったのを恐らくサトリは読んでいる。次は直接私を狙って来るはずだ」
「……大丈夫なんですか」
「対抗手段はある。だがそれを読まれないため意識しないよう意識するのに実は凄く疲れている」
なるほど。先祖がサトリを追い出したのなら、その方法も伝わっているのかもしれない。
しかしサトリが今もこちらの様子を窺っている可能性がある以上、その手段をこの場で話すこともできないだろう。
……結構ぎりぎりな状態じゃないか?
「今日休みにしたのも、その準備をするためだ。なので今日一日は君も念のため周囲を警戒して過ごしてくれ。なんなら亀太郎あたりでも家の中に引きずり込んでおくといい」
「亀太郎役に立つんですか?」
確かにあの幻術は凄かったが、心を読むサトリに通じるのだろうか。
「私たちだってあの壁が幻術だと分かっていても前に進めなくなっただろう。物理的な攻撃力はないが足止め役としては最上だ。何かあれば私に連絡してくれ。すぐに駆け付ける」
「はあ。分かりました」
後から思えば、このとき既に月紫部長は準備を終えていたのに、サトリにそれを知られる可能性を少しでも減らすために何も言えなかったのだろう。
それを薄々察したから、俺は色々と不審な点はあったがあえて深く考えないようにした。
普段から何だかんだと文句のようなことも言ってしまうが、月紫部長のことは命を預けてもいいと思える程度には信頼しているのだ。
そんなことを言ったら「やはりツンデレか」とからかわれるだろうから言わないが。
・
・
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「ぼっちゃーん。何でもしゃれこうべ持った坊主が訪ねて来たって……」
「ナイスタイミング」
「ほあぁっ!?」
帰宅するなり玄関で待ち構えていた亀太郎を捕獲し、小脇に抱えたまま家の中へと入る。
中里とか新田みたいな一般人なら巻き込むのを躊躇するところだが、月紫部長も言っていた通りこいつみたいな一般狸なら巻き込んでもまあどうにかなるだろう。
「ぼ、ぼっちゃん? ついに年貢の納め時ですか?」
「いや、何を観念してるんだおまえは」
玄関のカギをしめ各部屋の戸締りを確認し終わったところで、ようやく再起動したらしい亀太郎が何やら覚悟したような様子で言う。
まさかこいつまだ何かやらかしてるのか。
「悪いがこっちの事情だ。今厄介なやつに狙われてる可能性があってな」
「なんですと! ぼっちゃんを狙うとはふてえ野郎だ! 俺っちがぼこぼこにしてやりますよ!」
とりあえず廊下に下ろしてやると、威勢よく両手で殴るような動作をする亀太郎。
やる気満々なのは結構だが見た目はどう足掻いても狸なので可愛い。
中身がセクハラ狸じゃなかったら七海先輩あたりに可愛がられたろうに。
「それで相手はサトリなんだが」
「失礼しました」
「いや逃がさねえよ」
ビシッと敬礼し踵をかえそうとした亀太郎の首根っこを掴み持ち上げる。
名前聞いただけで逃げるとかやっぱりヤバいのかサトリ。
「はなしてくだせえ! あいつら執念深いから目をつけられたら面倒なんですよ!」
「大丈夫だ。やつの狙いは月紫部長だし、一日たてば対策が立てられるらしいから今日をしのげればいい」
「へ? あの嬢ちゃんをですかい?」
狙われているのが月紫部長だと聞き、つりさげられたまま大人しくなる亀太郎。
しかしすぐに何やら考え込み、恐る恐るといった感じで手をあげる。
「で、でもぼっちゃん。サトリってやつらは本当に意地が悪い連中なんです。向こうも嬢ちゃんが一筋縄じゃいかないって分かってるなら、嫌がらせにぼっちゃんの方を狙ってくる可能性もあるんじゃあ……」
「……マジかよ!?」
亀太郎の言葉にまさかと思うのとほぼ同時。廊下の奥のリビングの方からガラスが割れる音が鳴り響いた。
そして何が起きたか確かめようなどと思うよりも前に、リビングの扉が弾けるように開き、毛むくじゃらの猿のような人型が踊り出てくる。
どう見ても山で遭遇したサトリだ。本当に俺の方を狙っていたのか。
「畳み返し!」
「何故に!?」
しかしサトリがこちらへ肉薄する寸前、亀太郎がパンと両手を叩くと畳が床から出現しすっぽりと壁の間にハマるように廊下を塞ぐ。
フローリングの床から畳を出現させるとは。流石幻術なんでもありだ。
「い、いやナイスだ。亀太郎。逃げ……」
「――このまま玄関から逃げよう。自転車に乗る暇があるかは出たとこ勝負で」
「ッ!?」
「ああぼっちゃん!?」
畳で足止めされている内に逃げよう。
そう提案する前に俺の心を読んだサトリがそれを言葉にしてしまう。
さらに最悪なのは、その声が畳の向こうからではなく家の外から玄関へと回り込むように移動していることだ。
予想以上に足が速い。
このまま玄関に向かったら間違いなく鉢合わせる。
かと言って適当な部屋の窓から出ようにも、その前に読まれて待ち伏せされる。
「ぼっちゃんなんで二階に!?」
「一階から出ようとしても待ち伏せされる。なら二階に逃げて……」
「――追ってきたところを飛びおりよう。二階からなら降りられないことはない」
「ッてのも読まれるよなそりゃ!」
亀太郎を小脇に抱え直し階段を駆け上がっている間にも、俺が考えていることをサトリがそのまま言うのが外から聞こえてくる。
マジでどうすればいいんだこの状況は。
近所の人間が異常に気付いて助けがなんてのは期待が薄いだろう。
こういう状況は結界なりなんなりで周囲の人間には気付かれないようにされているものだと相場が決まっている。
上手く家から脱出できたとしても、サトリの足が速すぎて逃げ切れる気がしない。
「とにかく時間を稼ぐぞ。それで月紫部長が来るのを待つ」
携帯電話を取り出し月紫部長の番号へとかけワンコールで切る。
とりあえず異常事態だということが伝わればいい。俺が放課後わざわざ寄り道するような人間じゃないのは月紫部長も知っているから、自宅で襲われてることは察してくれるはず。
「――臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
階段を上がり切るなり、目の前の部屋に入り早九字で入口に簡易的な結界をはる。
幽体ではなく実体を持つサトリにどの程度効果があるかは分からないが、何もしないよりはマシだ。
そして九字を唱え終わるとほぼ同時に、バンッと何かが砕けるような音がして勢いよく階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
「よし、降りるぞ!」
「何でそんな躊躇ないんすか!?」
何でかと聞かれたら余裕がないからに決まってる。
窓を開けると同時に背後からまたしてもドアが破られる音がする。
もう振り返る余裕もゆっくり降りる暇もない。亀太郎を小脇に抱えたまま、窓枠の中に飛び込むようにして外へと出る。
「いっつぅッ!」
「ふぎゅ!?」
地面へと降り立つと同時に衝撃を殺すように転がったが、それでも痛いものは痛い。
というか小脇に抱えてたせいで亀太郎の首が絞まって静かになった。
どうやら気絶したらしい。しかし申し訳ないがそれに構ってる暇もない。
「このまま……」
「――逃げて月紫部長と合流を!」
「ッ!?」
聞こえてきた声に思わず空を仰げば、黒い影が空から落ちてくるところだった。
そいつは難なく地面へと降り立つと、まだ立ち上がれてすらない俺をあざ笑うように家の門の前へと陣取る。
こいつ結界破るのさっさと諦めて、門に近い方の部屋から飛び降りやがったな。
「……いや」
「――結界を破るのに手こずるということは、俺の攻撃も通じる可能性がある」
「本当にうざったいなおまえ!?」
心を読むだけでも脅威だというのに、一々それを口にするから鬱陶しい。
いや恐らくはそれすらも獲物を追い詰めるための手段なのだろう。
おまえに逃げ場などないと圧力をかけてきている。
「でもな、俺は」
「――俺は月」
「てめえがその名を呼ぶな! 俺は月紫部長を信じてるんだ! だからお前なんかの思い通りにはなってやらねえ!」
サトリが話すのを大声で遮り、短木刀を構える。
勝算なんてない。一瞬で家の外周を走り切り、二階から平然と飛び降りてくるような奴相手に勝てる気なんてしない。
恐いし逃げたいし諦めてしまいたい。
でもすぐに駆け付けると月紫部長は言ったんだ。
なら俺は情けなくガタガタ震えても立ち向かう。
みっともなくても最後まで足掻き続ける。
「さあ来いよ化物!」
「威勢がいいな。あの子が気に入るはずだ」
「……え?」
不意に、それまで誰も居なかったはずの門のすぐ外に何かが現れた。
「……え?」
それは喪服のような黒いスーツを着た、どこにでも居そうな黒髪の青年だった。
しかしその青年の手には日常ではまず見かけない異常、一振りの刀が握られていた。
それを見たサトリが、それまでいやらしい笑みを浮かべて俺を追い詰めていた化物が、狼狽え後退りながら喚き散らす。
「なんだ!? 何故気付けなかった!? 読めない! いや読める!? なんだこれは!? おまえじゃない!?」
「……なんだ?」
突然サトリの言っていることが無茶苦茶になった。
読めないならまだしも、読める? でもおまえじゃない?
何なんだ? あの青年が誰かは知れないが、七海先輩のような無我の境地に至った人間だとしたらそんな意味不明な状態にはならないはず。
「読んだ! 読んだのかおまえ!? おまえの心の中にあるのは俺か!?」
「何だ。人より長く生きる化生のくせに、同類に会うのは初めてか?」
「……同類?」
門を開け、ゆっくりとサトリへと近付きながら、青年は刀を鞘に納めたまま構える。
サトリの心を読んだ? だからサトリが青年の心を読んでも結果的に自分の心を読む状態になってしまっている?
そして同類ということは。
「何でだ!? 何でおまえみたいなのが出てくる!? こいつを追い詰めたのに何であの小娘が出て来ない!?」
「ああ、やっぱり本命は高加茂のお嬢さんだったか。まあどちらにせよ、おまえのような人を食らう妖とこれ以上語り合うつもりはない」
「ぎぃっ!」
追い詰められたサトリが、四つ足の獣を思わせる速さで青年に飛び掛かる。
「……あ?」
危ない。
そう言おうとしたときには終わっていた。
いつの間にか抜き放たれていた白刃。
飛び掛かったサトリの体から、忘れ物みたいにころりと首が取れて転がっていた。
「まったく。サトリというやつはどいつもこいつもタチが悪い」
飛び掛かった勢いのまま崩れ落ちたサトリを一瞥すると、青年は自嘲するように言う。
今のは居合い抜きというやつなのだろうか。
居合い抜きが必殺技のように扱われるのはフィクションの中だけの話であり、あくまで刀を鞘から抜いていない時の初動技だと聞いたのだが、今のは本当に見えなかった。
というかそもそもこの青年は何者で、何故堂々と刀をぶん回しているのだろうか。
「望月!」
「え? 月紫部長?」
目の前の光景に付いて行けず呆然としている間に、いつの間にか現れた月紫部長が家の門を通りこちらへ駆けて来ていた。
そして俺の前に来るなり、膝をついて肩を握ってくる。
「無事か? 怪我はないか? どこか痛むところは!?」
「いやいやいや。大丈夫ですから」
らしくなく狼狽えた様子の月紫部長にむしろこっちが落ち着かなくなってくる。
何故こんなに慌てているのか。もしかして俺が先に狙われるのは予想外だったのか。
「……よかった」
「……」
肩の力を抜き、安堵したように言う月紫部長の姿に呆気にとられると同時に見惚れそうになる。
え? 何コレ? 月紫部長が普通の女の子みたいに見える。
というかもしかして普段のアレ実は演技なのか? これが素なのか?
「問題なさそうだな。事後処理もあるし俺は先に戻ってるよ」
「はい! ありがとうございました深海さん!」
しかし青年の言葉を聞き立ち上がると、月紫部長はいつもの様子に戻っていた。
どうやら青年は深海さんというらしい。
そして何者なのかは知らないが、月紫部長に信頼されているらしい。
だからだろうか。
逃げ惑い、ろくに戦うこともできなかったところを助けられたというのに、感謝よりも悔しいという思いが強いのは。
「……強くなりたいなあ」
そして初めて本気でそう思ったのは。
俺は月紫部長が誰かを頼るなんて思っていなかった。
月紫部長は凄い人だから、自分が助けられてばかりなのは仕方がないことだと思っていた。
でもそんな狭い世界は、今この場で壊された。
だからこの日俺に一つの目標ができた。
月紫部長に頼られる男になりたい。
見上げてばかりだった人の隣に立ちたいと、初めて思った。




