ナデナデシテー
俺が一人暮らしをしているのは事情があり家族との折り合いが悪く……なんて深刻な理由ではなく、親が仕事の都合で一般人なら名前を聞いてもどこだか分からないような外国に出張しているためである。
当初は俺も付いて行くかという話も出たのだが、そこは大多数の日本人が知らない国なだけあり日本人学校など当然ない。
それにそれほど長い滞在にもならないため無理して付いて行く必要もないだろうと日本残留が決まった。
まあそのせいでというかそのおかげでというか、一人で暮らしていけるよう母親にみっちりと家事を仕込まれたわけだが。
そうして晴れて一人暮らしと相成ったわけだが、のびのび好き放題できるかといえばまったくそんなことはない。
何せ物心ついた頃から暮らしている町だ。近所のおばちゃんたちはもはや親戚のおばちゃん同然であり、一週間も顔を合わさなければ「あら背ぇのびた?」攻撃をしてくる脅威である。
割と頻繁に様子を見に来るので油断できない。
ゴミはちゃんと分別して出してます。
「やあ。ここが望月さんのお宅かな?」
そんなわけで家には割と頻繁に誰かが来るわけだが、本日やってきた客人はいささか予想外というか、ものすごく怪しかった。
「……うち真言宗です」
「いや、宗教の勧誘ではないよ」
そういって苦笑するのは、中年にさしかかるくらいの袈裟姿のお坊さん。
人のよさそうな笑みを浮かべてはいるが、その手には人間の頭蓋骨が握られている。
怪しさ大爆発だ。
これ絶対人間じゃないか、仮に人間でも人外一歩手前でカルト宗教の教祖とかやってるだろ。
「最近ここらの妖怪たちが世話になってると聞いてね」
「まさかお礼参りに」
「いや世話になってるというのはそういう意味ではなく。というか何故そんなに警戒しているのだね?」
自分の胸に手を当てて考えろや。この坊さんがラスボスだと言われたら俺は信じるぞ。
しかし妖怪?
妖怪が世話になってるから来るということは、やはりこの坊さんもその手の存在だろうか。
そう思い坊さんを注視してみたものの、その人の身の奥に何か見えるわけでもなければ、赤殿中の時のように姿がブレることもない。
……ということは本当に人間か?
「いやはや。無防備なのよりはいいのだろうが、ここまで警戒されるとは。もしやその目で何か見えたのかな? しかし見え過ぎるからこそ観えないものもあるものだよ。世界にも人にも、そして己自身の中にも真実と偽りがあり正しきものを見誤る。故に一歩離れ澄んだ気持ちで正しきを見極める必要がありこれを正見というのだがね」
「いや見えてませんから」
なんか説法が始まったので長くならないうちに訂正しておく。
しかし俺が見鬼だと知ってるということは月紫部長や退魔師繋がりか?
「ああしまった。いや説教臭いのは勘弁しておくれ。何せ坊主なのでね。ともあれ今日は顔合わせに来ただけなのでこれで失礼するよ。もし何か困ったことがあれば寺まで相談においで」
「はあ」
そう言って踵を返し去っていく坊さん。
何をしにきたのかは分からなかったが、寺に来いということは本物の僧侶なのか。
いやその寺が廃寺で勝手に住み着いているという可能性も……って。
「寺ってどこの寺だよ」
時が来れば分かるとでもいうのか、それとも単に抜けてるのか。
ともあれ近所に胡散臭い人がいるということが確定した瞬間だった。
本気で亀太郎たちを動員して情報収集とかした方がいいのかもしれない。
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「むう。少なくとも私の知り合いにそんな傾いた坊主はいないな」
昼休みのふしぎ発見部の部室。
頭蓋骨片手に変な坊さんが訪ねてきたと月紫部長に報告したが、部長にも心当たりはないらしい。
「君が見鬼だと知っているということは深退組に所属している可能性はあるが」
月紫部長がそう言うのを聞きながら、今日も背後にしがみついてきた斎藤さんにアスパラガスの肉巻きをあげてみる。
「……」
すると相変わらず無言でそれを口に含み、もぐもぐと咀嚼する斎藤さん。
割と何でも食べるが好き嫌いとかないのだろうか。というか味覚あるのか?
「前も言ってましたけどその『しんたいそ』ってなんですか?」
斎藤さんは置いておいて、今の話で気になったことを聞いておく。
神社の調査の時に「しんたいそも通さずに」と言っていたので恐らくは退魔師に関連した組織なのだろう。
もしかして退魔師って結構人数が居るのだろうか。
「ああ。深退組というのはこの深山市を中心とした周辺地域の退魔師が参加している組合だ。私も一応高加茂家の退魔師として登録されている」
「なるほど。でも何故その深退組に所属してたら俺のことを知ってるんですか?」
「深退組は様々な異常の調査や情報収集も行っているからな。当然ふしぎ発見部に所属することとなった異能者のことも把握している。それに君に限らずふしぎ発見部に所属する人間は、突然目覚めた霊力があるにもかかわらず退魔師の家系でもない言わば浮いた人材だ。自分のところにスカウトできないかと機をうかがっている人間もいるだろう」
「何それ恐い」
いつの間にか俺は妖怪や悪霊だけではなく退魔師たちにまで狙われていた。
いやもう俺は月紫部長の弟子みたいなもんだし、どうしてもどこかに所属しないといけないなら高加茂家でいいのでは。
「君が退魔師になる気がなくスカウト避けに名前だけ置いておきたいというのなら構わないが、本格的に退魔師として働く気ならうちは戦力過剰で恐らくそんなに出番はないぞ」
「今のところそんなけったいなもんを本業にするつもりはありません」
というか戦力過剰て、月紫部長みたいなのがごろごろ居るのだろうか高加茂家。
まあそれならそれで非常に頼もしい。そう思うことにした。
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昼休みからさらに時は流れ放課後。
俺はいつも通りにふしぎ発見部へ……行かずに教室に誰も居なくなるまで待機していた。
「……」
「ああ! 女子高生がーーーー!?」
そして何か叫んでるおっさんの腕を引っ掴み、全力で窓から校外へ向けて投げ飛ばしている。
もちろん生きている人間ではなく、死んでもなお煩悩に支配されている悪霊である。
いや悪霊というほど危険ではないが。色情霊とでもいうのだろうかこの類の連中は。
朝から薄々感じてはいたのだが、今日はやけに校内に不浄な霊が多い。
授業中もハンドさんたちが集団で取りついて追い払ってくれてはいたのだが、いかんせん数が多い。
なので最近ようやく使えるようになった結界でこの教室の中に追い込んだのだが、その数が一クラスできるほどと多く除霊とかめんどいので全部学園の結界の外へと放り捨てることにした。
「が、学生のふとももー!?」
既に肉体がなく質量なんぞないためか、それほど鍛えてるわけでもない俺の力でもよく飛んでいくのでちょっと面白い。
というか何で色情霊ばっかりなんだよ。なんかもう触るのすら嫌になってきたぞ。
「でももっちーって普段『おまえらなんぞに興味はねえ』みたいな態度なのに、いざみんなの周りに危険があったらこうやって動くんだからやっぱりツンデレだよね」
「黙れあほの子」
俺がなにかやろうとしているのに勘付いていたらしく、結界の境目となる教室の扉の外から覗いている中里の言葉に悪態で返しておく。
というか見てて面白いのか。俺が一人で腕を振り回してるようにしか見えないだろうに。
「ラスト!」
「ありがとうございます!」
最後の霊を投げ捨てたら何故か礼を言われた。
……深く考えるのはやめておこう。あの手の連中は理解しては駄目だ。
「あ、終わった?」
「終わったが、何で帰らずに見てたんだおまえ」
「うん。確実に霊がいるって分かってる場所見てたら見えるようにならないかなって」
「……見たいのか?」
なんという物好きな。
色んな意味で見えない方がいいぞ。恐怖的な意味でもさっきの変質者たち的な意味でも。
「……鈍感」
そう諭したら何故かジト目で罵倒された。
解せぬ。
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「確かに今日は校内に霊が多いわね。私も何人かは殴って成仏させておいたのだけれど」
少し遅れて参加したふしぎ発見部にて。
どうやら七海先輩も霊の対処で遅れたらしく、部室に来るのはほぼ同時だった。
ちなみに七海先輩は体や物に霊力を通すのは得意だが、術方面に関しては俺以上に適性がないらしく、基本的には除霊(物理)らしい。
黛に憑りついていた犬神もどきのときにバックアップに回ったのも、直接殴ることしかできない七海先輩ではああいった呪いの塊相手は相性が悪いためだとか。
逆に言えばああいった呪いすら跳ね返せるほど霊力が高くなれば無敵な特性らしいが、一朝一夕でどうにかなるものではないのだろう。
「恐らくはその犬神もどきのせいで校内の怪異のパワーバランスが崩れたからだろう。結界にほころびが見える」
「ああ。その結界って校内の善霊や妖怪がはってるんでしたっけ」
確か以前ヤンキーさんがそんなことを言っていた。
とはいえ犬神もどきに返り討ちにあったハンドさんは今日もピンピンしていたし、他にあの教室に出現する善霊は見かけたことがないのだが。
「もしかすれば直接被害にあわずとも、脅威を感じて逃げ出したものでもいたのかもしれない。とりあえずは校内を見て回ることにしよう。何か異常を感じたら連絡してくれ」
そういうわけで、本日は手分けして校内の巡回ということになった。
ただ単に逃げ出しただけなら見て回っても分からないと思うのだが、これで原因は分かるのだろうか。
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俺が見回ることになったのは南北の校舎の一階部分。
一年生の教室以外には職員室やら事務室といった学生では入りづらい場所ばかりなのだが、だからこそ異常の察知に長けた俺が適任ということらしい。
そういえば直接見えない場所を見ようと思ったら視界が跳ぶのは見鬼の能力なのだろうか。
どちらかというと遠見とかそういうものだと思うのだが。
「異常なし……と」
なるべく隅々まで見渡しながら巡回を続けるが、異常などさっぱり見つからない。
資料室には例の侍の甲冑があったが、俺が来たのに気付くなりぺこりと頭を下げてきたので礼を返しておいた。
本当に見た目の威圧感のわりに礼儀正しいな。いきなり動いたからビビったけど。
「あとは……トイレか」
トイレの妖怪と言えば花子さんだが、あれは女子トイレにしか出ないのだったか。
そんなことを考えながら男子トイレへと入ったのだが――。
「……あ……ぃ……か……」
「……」
低い、呻くような声が聞こえた。
「……」
無言でトイレの中を見渡すが、特に異常や霊の類は見えない。
なら個室の中か。
「あか……い……かみ……」
「……」
再び聞こえた声にすっと血の気がひくのを感じた。
あかいかみ。赤い紙。
トイレで赤い紙となればすぐに思いつくのは赤紙青紙だ。
「赤い紙がいいか? 青い紙がいいか?」と問いかけて来て「赤い紙」と答えると何らかの方法で切り裂かれ血塗れにされ「青い紙」と答えるとこれまた何らかの手段で顔を青くさせられる。
要するにどっちを答えても死ぬ。
「あかい……かみ……い……かみ……」
どうする。
赤紙青紙に口裂け女のような回避手段があるとは聞いたことがない。
このまま答えなかった場合はどうなるんだ。
とにかく月紫部長に連絡を。
「あか……いかみ……しろ……い……かみ」
「ん?」
携帯電話を取り出し月紫部長へとかけたところで、語りかけてくる声の内容が予想と違うことに気付く。
白い紙? 青い紙ではなく?
いや赤紙青紙にそういう派生があるんだったか。
でもこの場合白い紙と答えるとどうなるんだ。
そんな風に少し混乱しながらトイレの中を改めて見回すと――。
「……」
「あかい……かみ……しろいかみ……」
なんか大便器の中に折れ曲がった腕がつまってた。
この「つまってる」は「入ってる」という意味ではなく「ひっかかってる」方だ。
肘から手首にあたる部分が大便器の中でつっかえ棒みたいにぴったりとはまり身動きがとれず、上腕部分がバタついている。
なにがどうしてそうなった。
「どうした望月」
「えーと……」
そうしてる間に月紫部長に電話が繋がったが、はたしてこの状況をどう説明したものか。
「……大便器の中に腕がつまってるんですけど」
「ああ。カイナデか」
自分でも意味が分からない説明に月紫部長はすぐさま納得してくれた。
流石ですね!
※カイナデ
節分の夜にトイレに入ると現れるとされる京都の怪異。
尻を撫でてくる。
「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と唱えれば回避できるとされている。
赤紙青紙のルーツの一つではないかとも。
「いや本人(?)が言ってますけどそれ」
「そういう説もあるな。妖怪というのは人の認識に縛られるものも多いからな。助けを呼ぼうにも実際に話そうと思ったらそれしか言えなかったのではないか?」
助け呼んでたのかよ。
むしろ逃げそうになったわ。
「え? というかこの便器につまってる腕を助けろと?」
「洗剤でもかければするっと抜けるのではないか」
触りたくないという俺の遠回しな願いには応えず解決方法を提示してくださる月紫部長。
しかし確かに月紫部長や七海先輩を男子トイレに連れ込むわけにもいかず、俺は嫌々ながらカイナデの救助を開始する。
洗剤をかけるまでもなく少し力を入れたらあっさり外れたが、精神的にかなり疲労した気がした。
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「こっちは二階の踊り場の鏡の雲外鏡と、美術室の風景画に入り込んでた何かと、音楽室の騒霊たちが何人か逃げ出してたわ」
カイナデの救助も終わり再びふしぎ発見部の部室にて。
俺がカイナデ一つに手間取ってる間に、どうやら大量に怪異たちの失踪を調べ上げていたらしい七海先輩。
もしかして俺が気付かなかっただけで、資料室にも元々付喪神とかがもっと居たんじゃないかコレ。
というか風景画に入り込んでた何かって何だよ。
「こちらも似たようなものだな。そういう意味ではカイナデが残っていたのは不幸中の幸いだった」
ちなみに七海先輩による通訳によると、カイナデも犬神もどきの穢れを感じ逃げ出そうとしたものの、慌てて体勢を崩したせいであのように便器にハマり込み動けなくなっていたらしい。
ということは丸一日以上あの状態だったのかよ。
その間に誰かあの便器使ってないだろうな。
「でもカイナデ一体でそう変わるものなんですか?」
「カイナデ自体はそう大した怪異ではないが場所の問題だ。便所は冥界に繋がっているとされている」
マジかよ。
下水管はあの世だった?
「故に便所を守る神や妖怪が居着いているというのは大きい。トイレが汚いと運が悪くなるというのは洒落だけの話ではないということだ」
「あートイレ掃除したら運がよくなるとかいう話は聞いたことありますけど」
よくある眉唾な話かと思ったらオカルト的な根拠のある話だったのか。
オカルト的に根拠があるというのもおかしな言い方だが。
「しかし校内の怪異が減ったとなると結界の運用の仕方を考えなくてはならないな。要所には私が改めて結界をはればいいが……」
そこまで言うとあごに手をあてながら、片眼を瞑ってこちらを見てくる月紫部長。
きっと「こいつじゃまだ役に立たないなあ」とでも思っているのだろう。
今の俺では教室の入口みたいな限定的な場所に結界をはるので精一杯だ。
「そういうわけで修業をするとしようか望月」
「そうきたか!?」
そういえば一気に霊力が扱えるようにするために荒行するとか言ってましたね。
もっと時間のある夏休みとかの話だろうと油断してたぜちくしょう。
「……死なないでねトキオくん」
「死ぬ可能性あるの!?」
荒行経験者であろう七海先輩から顔を青ざめさせながらの激励。
逆に不安になったじゃねえかわざとやってんのか。
そうして俺は今週末、休みを返上して山籠もりをすることとなった。
マジで何をやらされるんだ。