バーロウ
初夏とはいえ日差しも強くなり暑くなってきた今日この頃。
学園の制服も夏服へと切り替わり、校門前の坂を駆けあがるのもそろそろきつくなってきた。
いや体力的な意味ではなく汗が凄いという意味で。
いくらぬぐっても吹き出すのでは汗拭きシートも意味はない。
もう大人しく駆け上がるのは諦めて歩くか。そう俺が思うほど暑くなってきたというのに、部室へと来てみれば月紫部長は予想を裏切ってというかある意味期待通りに相変わらず学帽マント姿だった。
「……暑苦しい!?」
「ハッハッハ。暑いのに元気だな望月は」
文句を言ったのに微笑ましいものを見るような視線を返された。
解せぬ。
「何。暑いと言っても何十年も前ならいざしらず、今は学校も冷暖房完備だろう。意外に平気だぞ。それに日焼け対策にもなる」
「黒マント羽織る日焼け対策とか聞いたことないですよ。というかまさか外に出る時もそのままなんですか?」
「いや、流石に暑い故に脱ぐ」
「……」
日焼け対策になってねーじゃねえか。
本当に自由だなこの人。
「さて。来て早々に悪いが今日は私は生徒会の方で用事があるので抜ける。日向の方も今日は私用で帰るそうだ」
「え? じゃあ俺一人ですか」
「ああ。だがここにはたまにだがその手の相談を持ち込む人間も居るのでな。念のために下校時間までは待機していてくれ」
「来ても俺じゃ何もできませんよ」
「いや。今の君でも低級の妖怪や霊程度ならどうとでもなるぞ」
「マジで!?」
自分は一般人に毛が生えた程度だと思っていたのにいつの間にそんな事に。
いや確かに亀太郎とかしばいたけど。
「以前も言ったが、基本的には死んだ霊より生きた人間の方が強いのだ。余程弱ってないとそこらの雑霊にどうこうされることはないぞ。それに素人は霊に何もできないと思っている人間は多いが、生きてる人間にだって霊体はあるのだから霊力の扱いを知らなくても気合を入れれば普通に殴れる」
「何その脳筋除霊」
そして言われてみれば確かに、俺も以前生首のおっさん引っ掴んで投げ飛ばしたことがあった。
存在が濃いからたまに妖怪と一緒の扱いにしそうだが、あのおっさんも幽霊だった。
「なのでいけそうだと思ったら君が単独で対処しても構わないぞ。一学生が持ってくるような相談事で命にかかわるような案件にぶつかる可能性など雷にうたれるくらい運が悪くないと早々ない」
「盛大にフラグ立てるのやめてくださいよ」
それ見事に引き当てる前ふりじゃねえか。
「まあ相談自体来ることが少ないのだから気軽に構えておけ」
そう言って部室を出て行った月紫部長だったのだが――。
「望月。ちょっと今大丈夫かな?」
やはりフラグは立っていたのか。
滅多にぶつからない命にかかわる相談を持ってきた前科のある新田が、中島を伴って部室に来やがりました。
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「変な声が聞こえる?」
相談主は新田ではなく中島だったが、その内容は警戒したのが馬鹿らしくなる気のせいレベルのものだった。
「耳掃除でもしとけ」
「いやホントだって! 部活終わってから帰る途中の道で、どっからともなく子供みたいな声で『バーロウ、バーロウ』って!」
それはひょっとしてギャグで言っているのか?
どう考えても頭脳は大人な名探偵じゃねえかそれ。
「近くの民家でテレビでも見てるんじゃないのか?」
「いやそこ山が近くて周りも田んぼばっかで家とかないんだよ。俺が部活終わってから帰る時間とか小学生も遊んでないだろうし、だから不気味なんだって」
「ほう」
確かにそれなら不気味ではある。
しかし「バーロウ」て。どこからともなく罵倒してくるとかどんな種類の妖怪だ。
「でも実害はないんだろう」
「恐いから走って逃げた。何とかしてくんろ」
オイ。
俺より遥かに背が高い筋肉質な坊主頭が懇願しても可愛くねえよ。
「まあ暇だから様子を見に行くくらいはするが。あまり期待はするなよ」
「サンキュー望月! お礼にプロテイン飲むか?」
「飲まねえよ」
何で持って来てんだよ。礼ならコーヒーでも寄越せ。
ともあれ大した危険性も感じないので、実は部活を抜け出してきたという中島に場所だけ聞いてさっさと帰す。
さて、聞いたところではあまり危なそうな感じはしないが、月紫部長に連絡はしておくべきだろう。
携帯電話で中島の証言を打ち込んで月紫部長に送ると、俺は部室の戸締りをしてから現場へ向かった。
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「これは確かに人は居なさそうだな」
中島に聞いた場所へと来てみたが、道の右側には竹藪に覆われた山。左にはそれなりに大きな川、その向こうにはひたすら田畑と正に田舎と言った風景だ。
さて。
声をかけてくる妖怪というのは俺が知っているだけでも結構な数がいるが、その内容は千差万別だ。
有名なのは置いてけ堀だろうか。
堀で釣りをしていると「置いていけ」と声をかけられ、慌てて逃げた後に戻ってみると釣った魚が全てなくなっている。
言う通りに置いて行かなかった場合は堀の中に引きずり込まれるなどという話もある。
逆に海の妖怪ではあるが「杓子を貸せ」と言われてその通りにすると、その杓子で水を船に入れられ沈没させられるという船幽霊もいる
他にも突然「おばりよん(おぶさりたい)!」と叫びながら背中に乗ってくるおんぶお化けなどもいるが……。
「バロウバロウ」
「……」
そんなことを考えながら歩いていたら、不意に高い声で呟くような声が聞こえた。
まさか本当だったとは。
いや待て。中島が言っていたのは「バーロウ」だったが、この声が言っているのは微妙に違――。
「バロウバロウ」
「うわ!?」
そんなことを考えながら立ち止まっていたのが悪かったのか、突然背中に何かが飛びついて来てそのまましがみついた。
確認しようにも背中なので見えない。触って確認しようにも、目視できない状態の正体不明な存在に手を出すのは危険かもしれない。
そんなことを考えながら背中の重みをなんとかしようと身をよじっていると、ポケットに入れていた携帯電話から着信音が鳴り響いた。
取り出してみれば発信者は月紫部長。恐らく俺からの連絡を見て電話をかけてきたのだろう。
「……もしもし」
「ああ望月か。相談内容を見て思ったのだが」
深く考えずに一人で行動した結果がこの様とどう説明したものか。
そんなことを考えている俺をよそに、月紫部長は挨拶もそこそこに本題へと切り込んでくる。
「『バーロウ』というのは聞き間違いで『バロウ』つまりは『おわれよう』という意味で正体はおんぶお化けの類ではないか?」
「ですよね!」
今まさにそう言ってきた相手が背中に乗ってます。
畜生。月紫部長から連絡が来るまで待っておけばよかった。
「なんだ手遅れか」
「そんなもう死ぬみたいに」
「いや、君が気付かずに接近されたということは相手に害意はないだろう。おんぶお化けの中には首筋に噛みついてきたりするものもいるが、そういったことはないのだろう?」
「背中にひっついてるだけですね」
「ならばその手のものは帰宅すれば勝手に離れる。徐々に重くなるかもしれんが家に辿り着けば金塊へと変化するものもいるぞ」
「出所不明の金塊とかこのご時世に貰っても困りますよ」
そもそも高校生が金塊を換金に行くだけで怪しさ大爆発だろう。
「まあとにかく家に帰ればいいんですね」
「ああ。また何かあれば連絡してくれ」
とりあえずそれほど危険ではないことを確認し、通話を切って近くに停めてある自転車へと歩き出す。
……おんぶお化け的に帰宅に自転車を使うのはセーフなのだろうか。
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「……おっも!」
さっさと帰って背中から離れてもらおうと自転車で走り出したはいいが、しばらくすると背中の何かは月紫部長の言っていた通り徐々に重くなり始めた。
最初は気のせいかと思うほど僅かな変化だったが、今では平坦な道を走っているというのにペダルは重く、自転車の各所からギシギシと軋むような音すら出始めている。
自転車が軋んでいるということは、幻覚の類ではなくまさか物理的に重くなっているのだろうか。
「ぐお!?」
そんなことを考えていたら、背中の何かが更に重くなった。
思わず自転車のペダルから足を離し地面を踏みしめる。
ヤバい。これはもう自転車をこげるような重さじゃない。というか体重をかけた瞬間に自転車が真っ二つになる気すらしてくる。
「く……そ。仕方ない」
スタンドを立てる余裕すらなく、自転車を壁にたてかけて歩き始める。
歩くために地面から片足を放すたびに膝が折れそうになる。
一歩踏み出すだけで重労働で、家まではもう五十メートルもないというのにフルマラソンの方が楽な気すらしてくる。
「ぐ……はぁ……」
本当にマズイ。
重さを支えきれず膝をついてしまったが、もう足は限界で立ち上がることすらできそうにない。
どうする。もう観念して月紫部長に救助を頼むか?
そんなことを考えていると――。
「ぼっちゃーん!」
なんか家の方から二足歩行の狸が駆け寄ってきていた。
「……亀太郎?」
「けつまげたのかと思ったら何さらしとんじゃワレェ!?」
「ええ!?」
そしてそのままの勢いで、蹲っている俺の背中目がけて体当たりを仕掛ける亀太郎。
けつまげたって何!? 尻が曲がるの!?
「きゃん!?」
「あれ?」
そして呆気に取られてるこちらをよそに、亀太郎の突撃した背中から高い声で悲鳴が上がり、体を押し潰しそうだった重みがあっさりと消える。
「ひ、ひどいのよー! いきなり何するのよー!」
「おまんこそ坊ちゃんに何しとんじゃあ! この狐めが!」
「……狐?」
何やら言い合っている背後を振り向けば、なるほどそこには亀太郎と一匹の狐がいた。
大きさは狐にしては小さく亀太郎と大差ない。「ひどいのよー」と嘆きながら黄金色の毛皮を涙に濡らしている。
「狐に化かされたわけか。いやでも亀太郎の時は見つけられたのに……て背中に居たせいか」
亀太郎の時は術者である亀太郎を見つけて強引に突破出来たが、あの時も亀太郎の隠遁を見抜けただけで壁という幻術はそのまま存在していた。
見鬼だからといって何でもかんでも見抜けるわけではないのだろう。
「どうします坊ちゃん。処します?」
「助けてもらったのはありがたいが落ち着け」
何故か毛を逆立たせて興奮している様子の亀太郎をなだめながら狐を見やる。
すると悪いことをしたという自覚はあるのか、ビクリと身を竦ませると視線をそらす狐。
「ご、ごめんなさいなのよー。私はあそこから離れたかっただけなのよー」
「あそこ?」
この狐がしがみついてきた場所のことならば、特に何か結界のようなものがあるようには感じなかったが。
「私は元々この辺りの狐じゃないのよー。変なやつに連れて来られて逃げたはいいけれど、あの山も川も私より力の強い妖や神様の領域で身動き取れなくなってたのよー」
「ああ、あの辺りだけ空白地帯になってたと」
そしてその空白地帯から下手に動けなくなってしまったので、人間に引っ付くことにより自分の存在をごまかしながら脱出したと。
「じゃあ何で抜け出した時点でさっさと離れなかったんだ? しかも途中から重くなるし」
「バロウギツネの真似をしたからには最後までやり切るべきだと思ったのよー」
「オイ」
※バロウギツネ
バロウバロウ(おわれよう)と鳴きながら背中に飛び乗ってくる新潟などに伝わるおんぶお化け。名前の通り正体は狐だとされる。
というか引っ付いていくだけなら別に最初からバロウギツネの真似する必要ないじゃねえか。
「なんてふてえ野郎だ! どうしますかい坊ちゃん?」
「いやおまえ元々同類だろうが」
この狐以上に被害だしまくって退治対象になったくせに何を正義側みたいに振る舞ってんだ。
「こんな狐と一緒にしないでくだせえ!」
しかしそこをつっこまれても怯むことなく反論してくる亀太郎。
何でそんなに敵視しているんだ。
「本当にごめんなさいなのよー。お詫びに困ったときには力を貸すから許してほしいのよー」
「おまえみたいな狐の力を借りなくても坊ちゃんには俺っちがついてるんだよう!」
「落ち着け」
とりあえず荒ぶってる亀太郎が邪魔なので追い払い、狐には人に迷惑をかけないようによく言い聞かせて解放した。
解決したのはいいがなんかすごい疲れた。
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「まあ狸と狐は昔から争った話が幾つかあるくらい仲は悪いからな。それに亀太郎は四国の出身故に化け狐は近しいながらも未知の存在だったのだろう」
明けて翌日。
昨日のあらましを報告し何故か亀太郎がやけに狐を敵視していたことを話すと、月紫部長は何やら納得してそう言った。
「何でですか?」
「あら、知らないのトキオくん。四国って狐がいないのよ」
「はい?」
七海先輩の言葉に思わず首を傾げる。
知らないも何もそんなのは初耳だ。
「もちろん四国にも狐は少ないが生息しているぞ。だが伝説では狐は弘法大師によって四国から追い出されたとされている。実際四国では狸が化かしたという話は大量にあるが狐の話はとんと聞かない」
「何やってんですか弘法大師」
しかし言われてみれば納得というか。四国に八百八狸なんてものが存在したのもその辺りが関係しているのかもしれない。
「それに弘法大師が狸を贔屓して狐を追い出したのは、狐は悪賢くて愛嬌がないという理由だとされているからな。贔屓された側の狸の亀太郎は当事者でなかったとしても狐にいい印象がないだろう」
「はあ、その割には狸って四国で悪さしまくってますよね」
「その辺りはそれこそご愛敬だろう」
それはそれで酷いような。
「それにしても小さな化け狐なんて……可愛いでしょうね」
「まあ可愛くはありましたが」
七海先輩が可愛いといっているのは単に動物としての狐のことなのか、それとも妖怪であるが故なのか。
ともあれもう会うこともないだろうと思っていた狐だったが、翌朝玄関から出てみるとお裾分けの風呂敷包みが二つに増えていた。
やっぱりやってること一緒じゃねえか。
そう思いつつもただでさえ食べきれない厚意が増えたのをどうしたものかと頭を悩ませることになった。




