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前編


 夏休みが始まった。


 けれど、劇高祭で上演する芝居の稽古があるため、夏休み前とさほど変わらず毎日のように登校している。違うのはひたすら稽古だということ。

 今日は思わぬ長い空き時間ができたため、相模(さがみ)伊達(だて)を誘って屋上へ向かった。


「おっ、夏休み中だからどうかと思ったけど、鍵開いてんな」


 相模が屋上に続くドアのノブを捻ると、鉄製のドアは呆気なく開いた。踏み出すと、強烈な日差しと熱気が肌を刺す。額に大きな手をかざし、日光を遮った。

 初めて訪れた伊達は、一歩外へ出て周りを見渡す。


「屋上……開放されていたのか。気付かなかった……」


「俺もこないだ、先輩達が階段上がってくのを見て気付いたばっかだ。こっそりついて来てみりゃ、なんともいい景色じゃねぇの」


 フェンスに肘をついてもたれると、校庭の向こう側に広がる市街地が一望できる。そのさらに向こうは海だ。

 夜になりゃさぞ夜景が綺麗だろうな、と相模は思う。当然そんな時間には施錠されてしまうので、見ることは叶わない。


「……いつの間に?」


 相模は日頃、常に仲間の四人のうちの誰か……その大方がジャンなのだが、誰かしらと行動を共にしているのに、一体いつの間に来たというのか。その内容を、無口な伊達は一言で済ます。


「んー、いつだろうなぁ」


 はぐらかすと、伊達は表情を変えないまま意味ありげな視線を送ってくる。相模が気付かぬフリでいると、伊達は眼鏡の奥の目を細め、遙か彼方の洋上に目を凝らす。


「……何故、開放していると周知しないんだろう……いい景色なのに。それに屋上に人が居るところなんて、見たことがない……」


「やっぱ気になるか。じゃ、種明かしすっかな……でもその前に」


「?」


 この炎天下でも涼しげな顔をしている伊達とは違い、相模は額に浮かんだ汗を手で拭って言う。


「ちょいと秘密をバラすから、屋上を出るまではあだ名じゃなく名前で呼べ」


「…………?」


 無表情ながら、意味が分からないと言いたげに首を捻る伊達に、相模は片眉を跳ね上げる。


「まさか、俺の名前覚えてねぇんじゃねぇだろうな?」


 伊達は考え込むように、反対側へ頭を傾ける。


「……………………“毅流(たける)”?」


「ちょ、おまっ! すっげぇ考え込んだろ、今!」


「……いや、」


「ぜってぇ忘れてたろ! ……ったく、薄情なヤツだぜ。まぁいいか、ついて来いよ“貴久(たかひさ)”」


 粗野な仕草で髪を掻きむしりつつ、相模こと毅流は踵を返す。貴久と呼ばれた伊達は黙ってその後に従った。


 フェンスを離れ、建物の裏へ回る。さっき出てきた扉がある建物だ。校庭や中庭からは死角となるその場にある物を見つけ、貴久はあぁと頷いた。


「……こういうことか」


「そっ。こーゆーこと」


 物陰に隠すように設置されているのは、屋外設置用の灰皿だった。ご丁寧に雨除けのひさしとベンチまである。


「公立校じゃ、職員室でも喫煙NGになっただろ? ここは愛煙家のセンセー達の、秘密の憩いスペースってワケだ」



 毅流はまるで、秘密基地を自慢するガキ大将のように歯を見せて笑う。


「なるほどな……開放されているのは、あくまで生徒向けじゃなく教員向けか……」


「そっ。まぁ、ウチの学校は外部から講師をたくさん招いてっから、そン中の愛煙家のゴキゲンを損ねないためってのもあるかもな」


「あぁ……確か袴田さんも、喫煙者だったな……」


 袴田は外部の劇団員で、演技指導のために招かれている女性講師だ。

 毅流は頷いて、壁に背を預けポケットの中を探る。


「……その先輩達、目聡いな。相模もだが……」


「“毅流”」


 感心した貴久がついあだ名で呼んでしまうと、毅流は人差し指を立てて念押しした。


「校内禁煙だっつーのに屋上で吸ってるセンセー達も、言ってみりゃ不良だろ? 不良は不良を知るってこった。どんなに偏差値がお高い学校にも、悪ぃヤツはいるもんだ」


「……その論旨に従うと、毅流も不良ということに……待て。それは……」


 毅流がポケットから取り出した箱に、貴久は少し眉をひそめる。


「……吸うのか?」


「見逃してくれよ、一本だけ!」


 毅流は手を合わせて拝み倒す。今はどうしても、そんな気分だった。

 貴久はやれやれと首を振る。


「呆れたヤツだ……役者志望だろう? 喉を痛めるぞ」


「痛めるほどしょっちゅうなんて吸ってねぇよ。たまに……どうしても、ってときがあんだよ」


 分かってくれとは言わねぇが、と苦笑すると、貴久も腕組みして壁にもたれる。


「……理由如何だな……ただの中毒なら却下だ」


「だから違ぇって……なんつーかな。たまにこう、どうしようもなく気持ちがつっかえたり、哀しくなったりすると欲しくなんだよ」


「…………」


 貴久はなにも言わずに毅流を眺めている。無言を肯定と受け取り、毅流が一本取りだして咥えると、


「……哀しいのか、今は」


 ようやく口を開いた。


「んー……」


 咥えたまま首を捻る毅流。哀しいとも違う気がする。


「自分でもよく分かんねぇ。その分からんモヤモヤを、煙と一緒に吐き出したくて吹かすんじゃねぇか」


「……咥えたまま、よくしゃべれるな……」


「脱線すんな、火ぃつけても宜しいデショウカ?」


「……法的には、駄目だと言わざるをえない……」


「んじゃ、お前的にはダメじゃねぇってコトな」


 お預けを食らい焦れた毅流は、強引に結論付けてライターを構える。オイルが切れかけているのか、何度かカチカチと鳴らしてようやく火にありついた。待ちわびた紫煙を、胸の奥までたっぷり吸い込む。

 実に旨そうに吹かす毅流に、貴久はぼそりと零す。


「……ジャンのことだろう」


 毅流の動きが一瞬止まる。それを見て、貴久はさらに言葉を続ける。


「まだ割り切れていないのか? ……しょうがないヤツだ……」


 そもそも何故珍しくこの二人でいるかというと、空き時間の原因が演出の天野だからだ。


 芝居の脚本がまるきりそのまま本番まで使われるのは稀なことで、実際に動き出した現場で修正や追加が都度入る。

 それで天野が悩みだし、役者陣はにっちもさっちも行かなくなって、休憩に出された次第だった。とりあえず二〇分の予定ではあるものの、天野の様子を見るに小一時間はかかりそうだった。

 同じくそう踏んだ陸奥(むつ)三河(みかわ)は、近くのコンビニへアイスを買いに出た。


 舞台監督であるジャンは、天野の横で一緒になって悩んでいる。今頃、天野の思惑を汲み取って、よりその理想に近づけるにはどうしたらいいか考え込んでいるんだろう。最近じゃすっかり舞台監督が板に付いてきた。

 同じ役者として舞台に立つことを誰よりも望んでいた毅流としては、その活躍が喜ばしいような、寂しいような。

 それが煙を欲した大きな原因だった。

 ズバリ言い当てられて、毅流は眉を寄せる。


「割り切れてねぇワケじゃねぇよ。ただ、こう……頭では割り切れても、アイツが生き生きと裏方してんのを見ると、よ……」


「……それでも、割り切ってやれ……お前がそんな顔をしていたら、ジャンが思うように動けなくなるぞ……?」


 まことにもって正論である。

 自分自身でも分かっていることを突きつけられ、毅流はぶすっと口を引き結ぶ。

 そして、箱からもう一本煙草を取り出し、貴久に差し出した。


「お前も吸うか?」


「……いい」


「吸ったことねぇの? ……あぁ、吸えねぇよなぁ。貴久の可愛い子は気管支が弱ぇんだもんな? 煙草の匂いなんかさせてたら嫌われちまうもんなぁ~」


「相模、」


 毅流が精悍な顔をニヤリと歪めてからかうと、貴久の切れ長の双眸が冷たく睨む。

 もう一度名前で呼ぶよう念押しして、毅流はさらに目を細める。


「バレバレだっての。あれで隠してるつもりか?」


「……そういう関係じゃない……」


「それも分かる。お前は『パパ』で『下僕』だよ。残念ながら『ダーリン』じゃねぇ」


「残念なことあるか、」


「あんだろ。で、最近は『お兄ちゃん』が現れてなにかと世話焼いてくれちゃって、自分の立ち位置が奪われそうで困ってる」


「……違う」


 普段はもの静かな貴久が、相変わらずの無表情ながらきっぱりと意思表示するのが面白くて、毅流はつい苛めたくなる。


「もっと言っちまうと、今まで二人だけで共有してきた秘密が二人だけのモンじゃなくなっちまって、ちょっと寂しンだ」


「やめろ……違うと言っている」


 貴久は意地になって、毅流が差し出したそれを指から引ったくった。毅流はこっそりほくそ笑んで、まんまと策にはまった貴久にライターを放る。


「…………つかない」


 貴久の手の中で、ライターは石ばかりが乾いた音を立て、一向に火が点かなかった。


「あちゃ、ついにオイル切れたか。なら……」


 煙草を咥えたまま毅流がずいっと顔を寄せると、貴久はその分仰け反る。


「……なんだ?」


「先っぽくっつけて火ぃ移すんだよ。お互い吸ったままヤんねぇと点かねぇから。映画なんかで見たことあんだろ?」


「あぁ……」


 納得した貴久が、少し屈んだ毅流に顔を寄せる。煙草二本分の距離まで迫る。

 顔が近付くと、自然に互いの首が傾く。


 ──あぁ、やっぱコイツも『雄』だな。


 毅流は貴久が取った予想通りのその仕草に確信する。

 いくら毅流の煙草が多少短くなっているとはいえ、別に顔を傾けなくても鼻先が触れることはない。ただ感覚なのだ。人の顔に顔を寄せるという行為から無意識にキスを連想して、それと同じ仕草をしてしまう。

 毅流も貴久も、男女間の色事は経験済だ。

 当然自然と同じ仕草をした自分の中の『雄』も、毅流は自覚している。


「……眼鏡邪魔だな。外しちまえよ」


 言うが早いか、毅流は貴久の眼鏡を奪う。

 毅流はこの機会に、普段皆がいる時には聞けない貴久の本音を探ってやろうと考えていた。

 眼鏡は貴久にとって、感情と言葉のリミッターになっているらしく、外させることに大きな意味がある。貴久本人はそのことに気付いていない。

 貴久は眼鏡を取られたことに不服そうにしながらも、実際邪魔だったので大人しく従った。


 裸眼で見え辛いのか、貴久は目を伏せて眉を寄せ、燃え移ろうとしている煙草の先端を見つめている。

 こんなに至近距離で毅流が見据えても、一向に気付かない。折角なので観察してみることにする。

 通った鼻筋、煙草を挟んでうっすら開いた形の良い唇。シャツからのぞく鎖骨。近くで見ると、案外睫毛が長い。その影が淡く目許に落ちて、理知的な色気が漂う。

 最初に見たときから男前だと思ってはいたが、改めてじっくり見るとますますいい男だと感じる。

 最初の煙を吸い込んで、貴久は小さく咽せた。


「無理すんなよ」


「……無理はしていない」


 貴久は強がって肺まで吸い込み、薄い唇から煙を吐き出した。そして毅流に手のひらを差し出す。


「……眼鏡、返せ」


「おー、後でな」


 毅流は眼鏡を返さず、自分のTシャツの襟首にテンプルを引っ掛けた。


「何故? ……よく見えないんだが」


「眼鏡外してたほうがイイ男だぜ?」


「……それはどうも……」


「うっわ、アッサリしてやがんなぁ。お前自分がイケメンだって自覚してんだろ?」


「…………」


 少しの間、並んで黙って紫煙をくゆらす。

 煙に乗せ、互いの胸に抱えたもやを吐き出していく。頼りない紫煙は風に舞って引き裂かれ、真夏の空に溶けていく。

 忙しない蝉の声が聞こえる。木々にとまった蝉たちの輪唱が、屋上にいる二人には下から聞こえてくる。耳ではなく床に着いた足裏を震わされるような、そんな感覚を覚えた。




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