消えない悪夢
母さんが死んだ。
父さんが死んだ。
瓦礫に潰されて、ぐちゃぐちゃになって死んだ。
僕だけが当然のように生きている。
僕だけがあの人に助けられた。
だから強くなろうと思ったのだ。強くなって、何もかもを守ろうと。
だけどそれは叶えられなかった。
逆に何もかもを失って、逃げるように今ここにいる。
ここはどこなのだろう。
ああ、と愛生は気づく。これは悪夢だと。
何度も何度も繰り返される。拭えない悪夢なのだと。
瓦礫に潰された両親の上に自分が立っている。
失くしてきた大事な人たちの死体を踏みつけて、自分は立っている。
ぐちゅぐちゅとそれらを足場に前に進んだ。得られたものは何もない。
手を触れていたはずの灰髪はもうどこにもない。
これは消えない悪夢だ。
+
「うわああああああああああああああああああああ!」
愛生は耳に響く自分の絶叫で目を覚ました。
喉を切るようなその声は骨を伝い鼓膜と一緒に全身を震わせる。
何かから逃げるように体を動かそうとするが、覚醒したばかりの頭はまだ完全に体を支配できていない。全身は上手く動かず、痺れるような感覚だけが蓄積される。
怖かった。何が、というわけではない。ただ実体のない何かに襲われるような、そんな錯覚がした。恐怖のままに愛生はその手に何かを掴んだ。途端、自分以外の体温を感じて愛生の意識は強引に現実に引っ張られる。いや、それは単にようやく体が完全に覚醒しただけのことなのかもしれない。
とにかく、愛生はようやくその眼で周囲の状況を確認することができた。今までずっと、両目は空いていたような気がするが、愛生はそこで初めてきちんと自分の意識の中で物を見た。
その両の目に映ったのは心配そうにこちらを覗き込む亜霧の姿だった。
「愛生、くん……?」
驚いたような、しかし悲しそうにも見える表情。大きく丸い、くりくりとした茶色の瞳には涙さえ浮かんでいるように見える。
亜霧は緊張と共に大きく息を吐き出した。
「よかった……ほんとよかった……」
大丈夫? と顔を覗き込みながら尋ねられたが、答えを返すよりも先に愛生は別の問いを投げた。
「僕は……どうしたんだ?」
どうなったんだ。
曖昧な質問だ。それでも愛生の言わんとすることは伝わったようだった。亜霧は少しだけ目を伏せるようにして答えた。
「愛生くん。倒れてた。あたしや、晶子さんがここに来たとき、宝守ちゃんと一緒にボロボロになって……」
亜霧が噛みしめるように言った。
「心配、したんだよ?」
彼女の目に溜まる涙は徐々に大きくなっていき、ついにその頬に一滴だけ流れ落ちた。それを見た愛生は反射的に謝る。
ごめん、とそう一言だけ口にした。
亜霧は涙を拭い、軽く微笑んで見せてから愛生と同じように謝った。
「ごめん。愛生くんを責めちゃ駄目だよね。今のは意地悪だった」
倒れていた自分をみんなでここに運んだのだと亜霧は言った。
見渡せば、そこは自分の部屋だった。そのベッドの上で自分は寝ていた。というより、意識を失っていたようだった。見ると体にはいくらか包帯が巻かれている。治療のあとだった。
「一応、鋤崎が診察したよ。右手の傷以外は打撲と軽い擦傷だけだって言ってたけど……体、大丈夫? 痛いとことかないの?」
「……怪我は、大丈夫」
「…………今の、凄い悲鳴だったけど」
悪い夢でも見たの? と亜霧は言った。
「僕は、どれくらい寝てた?」
愛生がはぐらかすように体を起こしながら問うと、亜霧は少し考えながら答える。
「三時間、くらいかな? 今、一時前だから……」
「そっか」
素っ気なく返すが、愛生は密かに落胆していた。情けない、とそう思ったのだ。不様に敗北し、今こうして亜霧さんに心配されている自分が嫌になる。
僕は、負けてばかりだ。
六道には手も足も出なかった。それだけじゃない。今朝の一連の襲撃だって、自分は誰も守れていない。ただ生き残っただけだ。
負けてばかりで、失うばかりで……。
ふと、隣を見てみる。一人では広すぎるベッド。いつもならそこにいるはずの彼女は今はいない。いや、今だけではないのだ。あの子はもうずっと――――
「あ、あの愛生くん?」
自己嫌悪の闇に落ちそうになる愛生の意識を亜霧の言葉が引っ張り上げた。彼女はどうしてか、顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いてぼそぼそと何か口にした。
「ちょ、ちょっと痛い、かな……」
愛生はそこでようやく自分の右手がぎゅっと強く亜霧の手を握っていることに気づく。先程感じた誰かの体温は亜霧のものだったのだ。今まで気づきもせずにずっと握っていたのだとわかって、愛生は妙に恥ずかしくなってしまう。亜霧と同じように顔を赤らめながら手を離した。
亜霧が俯いたまま握られていた手を自分の胸に寄せた。
「ご、ごめん。痛かったよね?」
「うん。で、でも嫌、ではなかった……よ……?」
変に意識してしまったせいか、愛生は何を言っていいかわからず首を傾げる。亜霧は相当恥ずかしいのか、愛生と少しも目を合わせようとしない。顔はいつまでも真っ赤なままで、上気する頬の熱がこちらまで伝わってくるようで……――――
「亜霧さん。先程から話し声がするんですけど、愛生は目を覚ましたんですか?」
突然、ノックも無しに千歳が部屋に入ってきた。千歳にとっては勝手知ったる幼なじみの家なのでノックをしないなんていつものことなのだが、この時はタイミングが悪かった。愛生と亜霧はお互い何か悪いことをしていたわけでもないのに、ビクリと大げさに体を震わせて反応してしまう。そしてお互い離れるように顔をそむける。
その様子をじっと見つめて、千歳は「ははーん」と無表情に笑いながら一言。
「なるほど初夜ですか?」
「違うわよ馬鹿!」
ますます顔を赤くした亜霧が投げたティッシュの箱を千歳は軽くキャッチ。亜霧の鋭い舌打ちを聞き流し、千歳は途端に真面目な顔になる。
「愛生、無事ですか?」
投げかけられた質問。彼女の真剣さに少しだけ驚きながら愛生は答える。
「見てわかるだろう?」
まだ少し恥ずかしさが続いていたせいか、少し素っ気ない言い方になってしまう。すると、千歳が無言で手にしたティッシュ箱をこちらに投げつけた。コントロールが悪かったので直撃はせず布団を被った足の上に落ちただけだったが、何も言わない無言での投擲は嫌な迫力があった。
「千歳、怒ってる……?」
「怒っていませんよ。また一人で勝手にボロボロになったことなんて、全然全く怒っていませんよ」
絶対怒ってる……。
どうしたものかと悩み始めた愛生に千歳は先程のお返しとばかりに素っ気なく告げた。
「目を覚ましたのなら、来てください。みなさんもう集まっています」
わかりました、と愛生は小さく頷いた。
+
部屋を出て、亜霧と共にリビングの方へ行くと、そこには見知った顔が集まっていた。
晶子、鋤崎が黒のソファの上に座り、八九郎は落ち着かない様子で腰を下ろすことなく立っていた。先に出ていた千歳は全員の中心になるような位置にいる。
いつのまにか、ソファも絨毯も元の位置に戻っていた。愛生はまるで先程の戦闘が夢だったと錯覚させるような感覚を得たが、床に深々と残っている包丁が刺さった跡が現実を突きつける。
ああ、とどこか冷静な自分が心の中で呟いた。
リナリアはもういないのか。
「ようやくお目覚めか」
八九郎は腕を組んだ姿勢でこちらに視線を送る。
「さっき、悲鳴みたいなもんが聞こえてきたけど、ありゃなんだ? お前は大丈夫なのかよ」
言い方こそぶっきらぼうだったが、愛生には八九郎なりに自分を心配してくれているのだとわかった。問題はないことを告げると、八九郎は短く「そうか」とだけ言った。
「だーかーらー。私がきちんと診たんだから大丈夫なんだって、みんな心配しすぎだよー」
いつものぐるぐる眼鏡をかけ直しながら、鋤崎はへらへらとした口調で言った。
「ま、心配する気持ちはわかるけどねー」
「なんか、凄いみんなを心配させちゃったみたいで……」
その場で愛生は頭を下げた。
「ごめんなさい」
一瞬、その場にいた全員が戸惑ったような反応を見せたが、八九郎のため息と共に全員が口を開く。
「お前の危なっかしい所なんて全員知ってるんだから、気にすることねぇよ」
「八九郎くんの言う通り。愛生くんは悪くないわよ」
「というかむしろこの展開でたいした怪我もないことに、あたしはびっくりしてるわよ」
「あれ? 愛生ちゃんなんで普通にピンピンしてるのかなー?」
「死ね」
散々な言われようだった。あと、千歳は絶対怒ってる。
だが、この受け答えは全員が心身ともに無事であることの確認のようで、愛生は一安心する。無論、こういった非常事態に慣れているわけがない亜霧や晶子、そして鋤崎などは内心穏やかではないのは確かだが、それでも冗談を言えるくらいには落ち着いているのだ。
これも帝さんの力のおかげだろうか。
「そうだ。宝守ちゃんは? 僕と一緒に、倒れてたと思うんだけど……」
あの子なら、と亜霧が部屋を一つ指さした。
「空いてる部屋のベッドに寝かしてるわ。あの子も鋤崎が診てたけど――」
「問題なっしんぐ~」
鋤崎が愛生に向けて両手の親指をグッと立てる。
「変な毒は盛られてたけど、ちょっと過激な麻酔レベルだったから平気だよー」
「そうですか」
よかった、と愛生はホッと胸を撫で下ろす。宝守の身に何かあったら、愛生はここにいる全員と顔を合わせることもできなかっただろう。
「みんな、無事なんだ」
みんなを助けたのは帝だ。自分は何もできなかったけれど、それでもここにいる人たちが無事であるという事実は愛生の心から少しだけ重しを外していく。
安心したことで、愛生は体の力を抜いた。解きほぐされた緊張の糸がほどける。その瞬間を見られていたのだろう。千歳がこちらを見て少しだけ微笑んでいた。
「さて、愛生も復活したところで、話の続きです」
微笑み顔のまま、千歳は話を仕切り直すように手を叩いた。
快活にさえ見える表情で彼女が言うと、愛生以外のその場にいた全員が反応する。頷きを返したり、仕方ないなとでも言うように、しかし決して嫌ではないようなため息を吐いたり。両手を上げて踊りだすぐるぐる眼鏡もいたりしたが、全員の反応はまるで当然だとでも言わんばかりの肯定的なものだった。
「話の続き? いったいなんの話なんだ?」
決まってるじゃないですか、と千歳。
「リナリアちゃんを連れ戻すんですよ」
リナリア。その名前に愛生の心はざわつく。
あの子を、連れ戻す……?
「一応、ここの従業員さんや、毒のせいで意識は朦朧としていましたが宝守ちゃんからも話を聞いたので、ここで起こった大体のことは把握しているつもりです。……結果的には、六道という男にリナリアちゃんを連れて行かれてしまった、ということですよね」
六道。そして忍花の存在。二人の能力や戦闘力に関して、わかる範囲のことを千歳は口にしてく。
「マルチスキル。にわかには信じがたいですが、宝守ちゃんを信じるならばそうなのでしょう。特に《干渉阻止》という超能力は厄介です。スキルに対するアンチ能力。あれのおかげで、私の超能力は奴に直接効くことはないでしょう。それ以前に、奴がリナリアちゃんを連れてどこに行ったのか、見当もつかないので私の能力でも探しようがありません。一応何度か索敵は試しましたが……お手上げ状態で」
珍しく悔しそうな表情を見せる千歳。そんな彼女を一瞥しながら、八九郎は愛生に視線を向けた。
「愛生、お前はあいつと直接対峙しているんだろう? 何かしらねぇのか」
酷くざわつく内心を感じながらも、愛生は答えた。
「奴が、マルチスキルというのは本当だよ。はっきりと僕が見ただけでも、四つ。その《干渉阻止》を合わせれば五つ」
全員が息を呑むのがわかった。いつもはおちゃらけるばかりの鋤崎ですらも黙っていることが、その事実のあり得なさを表している。それだけ、マルチスキルというのは考えられないような存在なのだ。ラボラトリの研究者として能力研究に従事している鋤崎からすれば、愛生の想像以上に驚愕してるかもしれない。
「それと、多分あいつは今日みんなを襲った超能力者たちと繋がっている」
「それについては私たちの方でも考えていた可能性です」
マルチスキルという事実に驚愕しながらも、千歳は答える。愛生は軽く頷いて言葉を作った。
幻影団。
ファンタズマゴリア。
カーニバル。
「いくつかの名前を聞いたけど、どれも正確じゃないらしい。そもそも、名前のない組織だって言っていた」
「……帝さんは――」
亜霧が少しだけ躊躇うように口を開いた。
「管理会がどうとか、言っていたわね。詳しくはわからないけれど」
「その帝さんは今どこに?」
愛生の質問に千歳が答えた。
「夢井さんでしたっけ? 例の女子中学生も襲われたんでしたよね。帝さんは彼女の様子を見に行くと言って、そのままです」
連絡が取れればいいんですけど、とそう言って千歳は嘆息する。
帝に対しては基本的にこちらから連絡を取れる手段はない。その気になればできないこともないが、それには少し時間もかかるし、決して確実ではない。
あの王が今の状況を放っておくとは思わないので、待っているのが得策だ。千歳たちもきっとそう考えて待っているのだろう。
「他に何か、わかることはありませんか?」
千歳の問いに八九郎が続ける。
「そうだ。特に、あいつらの目的。どうして、俺たちを襲ったのかがわからないぜ」
彼の言葉に亜霧が真っ先に首を傾げる。
「それはリナリアちゃんを誘拐するためじゃないの? そのための陽動だって、さっき話したじゃない」
「それが間違っているとは思わねぇよ。だけど、問題はその後だ。あいつらがリナリアを誘拐して、その後どうするのかっていうのがわからない」
八九郎が軽く腕を組み直す。
「リナリアを誘拐すりゃ、帝が動くことは予想できるだろ。あのアホな王様敵に回してまで、そうする意味がわからない。そもそもあいつらはリナリアの何が目的なんだ?」
八九郎の、至極真っ当な疑問に誰も答えることができず、全員が黙りこくってしまう。千歳がこちらの意見を問うように視線を送ってくるのを見ると、リナリアが政府――ひいては世界から狙われる存在であることはまだ全員には話していないようだ。ただ、管理会の一人だった狩場重正と繋がりのあった八九郎はなんとなくリナリアがただの子供ではないことは予想がついていることだろう。今のはその予想があったからこそ出た疑問なのだ。
きっと、千歳はリナリアが連れ戻されたのだと思っているのだろう。政府がいよいよ本気を出したと、そんな勘違いをしているはずだ。
違う。愛生は心の中で否定した。それは、違うと。
そんなことじゃない。そんな問題じゃない。
リナリアは、ただ……。
「リナリアは、死ぬんだ」
口からでたのはそんな言葉。まるで、全てを諦めたかのようだと愛生は自分で思った。
死ぬ。そんな言葉に全員が反応した。特に酷く反応したのは亜霧だった。きっとこの中では彼女が一番、人が死ぬという現実から離れているからかもしれない。青くなった顔を隠すように口元を両手で覆っている。
「それは、殺されるってことかよ……!」
冷静さを欠いた八九郎が声を荒げた。それに続くように、千歳が叫んだ。
「あり得ません! そんなのは……あり得ない。だって、あの子は……!」
千歳の言い方に何か引っかかるものを感じたのだろう。全員の視線が彼女へ集中する。途端に八九郎がキッと視線を鋭くさせて千歳に詰め寄る。
「おい愛生、桜庭! もういいんじゃねぇか? これ以上、隠してる意味はねぇだろ」
「なんの……話ですか?」
「とぼけんなよ。狩場のこともある。俺だって、全く何もしらないわけじゃねぇ。リナリアが、あいつがただの子供じゃねぇってことはわかってんだよ」
隠す意味はないと、八九郎は更に言う。
「なあ鋤崎さん。あんただって、俺と同じくらいには勘付いているんじゃねぇのか?」
「うーん、どうだろー」
八九郎の強い口調に少し困ったように鋤崎は答える。
「私はそもそも、超能力の特性上、もう結構なところまでわかっているんだけど……でも、それを話すかどうかは愛生ちゃんや幼なじみちゃんが決めることじゃないかなー」
「だけど、そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ。リナリアが殺されそうだっていうのに、悠長なことを言っていられる余裕があるとは思えないぜ」
すると、亜霧が青い顔のまま声をあげた。
「ちょっと待ってよ! 八九郎、あんたさっきからなんの話をしてるの?」
困惑しているのか、彼女の声はどこかヒステリックに響いた。八九郎は強い口調のまま言い放った。
「リナリアは普通の子供じゃない。普通の超能力者なんかじゃねぇんだよ。きっと、俺や帝以上のレアケースだ。そもそも俺が狩場とした取引だって、根底にはリナリアの存在があったんだ。今回だって、そうなんだろ? なあ!」
愛生と千歳をそれぞれ一瞥し、八九郎は吠えた。
「ここまできたんだ。ここにいる全員もう無関係じゃいられねぇ。それでもまだ隠し続けるっていうのか? それとも何か、俺たちのことが信用ならねぇってのか?」
「そういうわけではありません……ただ――」
その後に言葉は続かず、それっきり千歳は黙ってしまう。八九郎も言うべきことは言ったからか、視線の鋭さだけはそのままに口を閉じる。
部屋の中に重苦しい空気が残る。それは上から押さえつけるような重圧となって、その場にいた全員を捕らえた。
その空気を破るように、愛生は言葉を口にした。
「リナリアはフェーズ7なんだ。能力は、自己回復」
愛生が言葉にした事実に千歳が真っ先に反応した。ハッとした表情でこちらを見つめるその目は「言ってしまうのですか」と、そう告げているようだった。
八九郎の言うことは正しいと愛生は思った。ここにいる全員、もうすでに巻き込まれている。リナリアが背負っているものに。愛生が背負おうとしたものに。
この事実を語ることで、ここにいる彼らがもっと深みに絡みつかれることを千歳は危惧しているのだろう。リナリア。彼女の抱えたものは知れば知るほどに陥る闇のようなものだ。だが、それでもいいだろうと愛生は考える。
どうせ、あの子はもう戻らない。
そんな自暴自棄の投げやりな思考のまま、愛生は繰り返す。
「リナリアはフェーズ7だ」
騒然とする部屋の中で、意外にも亜霧が一番に反応を返した。
「で、でも日本に小学生のフェーズ7なんていないじゃない。最年少でも、中学生だったはずよ」
あり得ない。困惑した顔で言う亜霧に対し、八九郎は既に愛生の言う事実に気づいたのか、ただただ驚愕した様子で呟いた。
「日本にいるフェーズ7は六人。その中に、リナリアの名前はない……」
それが示す現実とは。
「あいつは、どこから来たんだ?」
遠まわしな問いだと愛生は思った。だから直接その問いには答えず、愛生は八九郎が本当に知りたがっているであろうことを答えた。
「リナリアの存在は政府によって隠蔽されていたんだよ。七人目のフェーズ7なんていないと、リナリアなんて女の子は存在しないとされていた。あの子は二ヶ月前、帝さんに出会うまではずっと政府の研究所に監禁されていたんだ」
政府。研究所。それらに少なからず因縁のある亜霧と八九郎がピクリと反応した。
存在の隠蔽。研究所での監禁。
どちらも現実味のない事実だ。だが、どれだけ現実味に欠けようと、それは幻想ではない。
くそったれな現実だ。
「それは、本当のことなの?」
今まで、静かに座ったままだった晶子が突然口を開いた、短く告げられた問いに愛生は頷きで返す。それっきり彼女は何も言わなかったが、それでも何かを思案するように少し俯いていた。
「政府の隠蔽? 監禁?」
亜霧が頭を抱えて渇いた笑みを浮かべる。
「何よ、それ。政府がリナリアちゃんを取り戻そうと躍起になるのも当然じゃない……そんなの、政府の不正が外歩いてるのと変わらない。でも、でもそんな……」
「確かに政府はリナリアを取り戻したくて仕方ないと思う。でも、今回の件はきっと政府にとっても想定外の結果なんだ」
八九郎が疑問を作る。
「待てよ。そりゃ一体どういうことだ」
「さっきも言った通り、六道という男はリナリアを連れ戻しに来たんじゃなくて、殺しにきたんだ。存在を隠蔽して、監禁するほど政府にとってリナリアは重要な存在だった。それを政府がみすみす殺すとは思えない」
「六道は政府側の人間でありながら、政府の意向とは違う行動を取っている、か。内部からの裏切りなのか?」
八九郎の思案に千歳が待ったをかけた。
「先程も言いましたが、それはあり得ないことです。リナリアちゃんを殺す、なんて……そもそもあの子は死なないのですから」
フェーズ7の自己回復。
「それがどれだけの意味を持つのか、理解できないことはないはずです。特に裏方さん。あなたは、身を持ってそれがわかるはずです」
他の超能力者達と比べたフェーズ7の規格外さはこの場にいる全員が知っていることだろう。八九郎は何も言わずに黙りこくってしまう。変わりに、とでも言うように愛生が続ける。
「初めてリナリアと会った時、僕はあいつがフェーズ7だと信じなかった」
そんなことあり得ない、と至極まともな反応だけを返した。するとリナリアは持っていたナイフで自分の腹を突き刺した。そして、内臓をぐちゅぐちゅとかき混ぜても見せたのだ。
それでも彼女は死ななかった。
愛生がそれを知覚した次の瞬間には、リナリアのお腹の傷は流れ出た血液ごと消えてしまった。まるで最初から、そんな傷はなかったかのように。
あの光景は今でも覚えている。
「リナリアは死なない。僕の知る限り、あの子は確かに不死身と言ってもいいくらいの規格外だった」
「ええ。ですから六道の目的は絶対に達成できないもののはずです。殺せないはずのリナリアちゃんを殺すなんて……」
「だけど、殺す方法を見つけたとあいつは言っていたよ」
「まさか……」
「嘘を吐いているとは、思えない」
あの場面で嘘を吐く意味はない。なにより、あの男は本気だった。直接相対したからこそわかる。奴の狂気にも似た決意のようなものを、愛生は確かに感じ取っていた。
「とにかくよ。六道にせよ政府にせよ、どちらに連れて行かれることになっても、駄目ってことだろ。向こうが勝手にごたついているのなら、それは好都合。それに便乗して俺らはリナリアを助ける」
ありがとよ。
八九郎は少しだけ照れくさそうにして言った。
「話してくれてありがとう。これでスッキリしたしはっきりした。リナリアは絶対に助けてやらなくちゃならねぇ」
八九郎が覚悟を新たにする。それはリナリアを救う覚悟。敵を倒す覚悟。政府も何も関係ない。敵がわかれば倒しに行くと、そういう覚悟だった。
未だ混乱する者の方が多かったが、しかし『リナリアを助けに行く』という目的そのものに反対する者はいなかった。誰もが彼女を助けようとしている。それを当たり前のことなのだと。そう思っていた。ただ一人を除いては。
「やめよう」
口から出たのはそんな言葉。全てを諦めようという選択肢。それが自然と言葉にできてしまったことに驚きながら、愛生は言った。
「僕はリナリアを助けない」