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知らない約束

 愛生の住む場所はラボラトリでも数の少ない最高級マンションである。主に実権のある研究員や教授、有力者などが住まうだけあって、この場所のセキュリティは完璧だ。あの帝が大丈夫だと言い張るほどだ。その言葉に嘘偽りはないことは愛生がよく知っていることでもある。

 しかしだからこそ、我王愛生は驚いてしまった。驚愕して、言葉を失くした。

 絶対に安全なはずの自分の部屋に見知らぬ侵入者がいることに。

「我王、愛生か……」

 ソファに腰かけながら、こちらの名前を呟いた男。男は奇妙な格好をしていた。膝まで届きそうなほどの黒のロングコート。中に来ている服も上下黒で合わせられていて、雑に切りそろえられた髪も漆黒。黒尽くめと言えば帝の姿を思い出すが、男のそれは帝のような圧倒的な主張を持つものではなく、むしろ闇に同化するような――不吉さを感じさせる恰好だった。

 服装とは対照的に異様に白い肌。中性的な顔立ちに浮かぶ青と黄色の猫目のオッドアイもまた、彼の奇妙さを引き立てている。

 男はこちらに話しかけながら、しかし決して視線を愛生へと向けることはなく続ける。

「できることならば一度として会いたくなかった。新泉はどうした? 殺したのか?」

 状況を理解してはいなかったが、質問をされたことで愛生は反射的に答えた。

「……殺しては、いない。殴ったら、逃げていった」

「そうか。アレは素人だ。逃げることもあるだろう。それに、今回の襲撃で生き残るとするならば、それはお前だと俺は考えていた。お前の生存力の高さについてはすでに調査済みだ」

「お前も、あいつらの仲間なのか?」

「新泉の存在を知っていた時点で察しはつくはずだが?」

 それは遠まわしな肯定だ。愛生は静かに緊張を高める体を自覚しながら、ある事実を男に告げた。

「残念だが、生き残ったのは僕だけじゃない」

 淡々と事実だけを述べるようにしていた男の顔が少し変わったように見えた。ただ声の調子を外すことはなく、男は冷静に「どういうことだ」と愛生に問う。

「僕以外の人間は全員帝さんが助けてくれた。お前らの企みがどういうものなのかは知らないが、既に失敗しているんだ」

「…………帝、か」

 男は嘆息する。

「奴が現れたというのなら失敗しても仕方ないだろう。ただ問題は奴がいないからこそ今日この日に作戦を決行したことなのだが……いや、よそう。今考えても意味はない」

「幻影団、ファンタズマゴリア、カーニバル。新泉は自分の組織をそう言っていた。どれが本当だ。お前らは一体何者だ?」

「どれも嘘だ。どれも、本当ではない。俺たちは自らの組織に名前は付けていない。丁度この街の不良集団チームのようにな。お前の上げたどれもが俺たちではない第三者が呼んだ名だ」

「実体のない組織だとでも?」

「実体はある。が、枠組みがない。――――だがまあ、こんなことをお前に話していても無駄なのだがな」

 男は何か見せつけるようにより深くソファに腰かけた。

「お前が聞きたいのはそんなことか? 我王愛生。この状況。俺がここにいるというこの状況で、お前が聞きたいのは俺たちの組織の名前だとか、そんなくだらないことか?」

 挑発するような男の物言い。愛生は気を悪くするでもなく、ただ全身の緊張を高めながら口を開いた。

「お前の目的。そして、お前がここにいる理由を教えろ」

「二つ。まあ妥当な質問だ。ならば目的から教えてやろう」

 そこで初めて男は愛生を見る。そうして言葉にしたのはただ一言。

「俺はリナリアを殺しにきたのだ」

 この男を殺そうと、そう思った。

 たった一瞬。そのほんの瞬間に愛生は決意し、迷いなく左の義手を振りかぶった。

 ――――だがそれは男の手によって止められた。

「ふん。激昂しやすいとは言うが、ここまで来るとまるで獣だな」

 冷たい男の声は愛生の耳元で聞こえた。当たり前だ。男は本当に愛生の真横にいるのだから。

 いつのまに横に……!?

 ほんの一瞬前まで、男は確かにソファに腰かけていたはずだ。それが、愛生が殺人を覚悟した瞬間。振り上げた拳を打ち付ける暇さえ与えず男は愛生の義手の手首を掴んで止めたのだ。

 攻撃をする前に止められた。その事実が愛生に突き刺さる。

 間違いない。愛生は確信した。この男は能力者だ。

「人の話は最後まで聞くべきだ。我王愛生。それともお前は本当にただの獣か?」

 男が能力者なのだとわかったところで、愛生の殺意は治まらない。しかしこれ以上、手をあげることはせず、睨みつけるだけにとどめた。

 視線で男を殺そうとし、歯を食いしばる愛生を見て男はその無表情を少しだけ歪ませた。

「辛うじて人ではあるか」

「どうしてだ……?」

 愛生は尋ねる。

「どうして、リナリアを殺す!」

「それが約束なのだ。我王愛生。お前の知らない約束だ」

「約束、だと?」

 男は愛生の義手から手を放す。同時に愛生は男から数歩下がった。

 無表情の仮面をつけたまま、男は口を開く。

「俺の名前は六道ろくどうという。三年前まで、俺はリナリアと同じ研究施設にいた」

 リナリアと同じ研究施設。それは彼女がいた地獄のことだ。瞬間的に狩場重正の部屋で見た光景を思い出してしまい、愛生は表情を硬くする。

「それは研究員としてか。それとも……」

 愛生の質問。その意図を理解したのか、男――六道は短く答えた。

「実験体だ。それも失敗作だがな」

 そこで彼女と約束した。

 六道はそう続けた。

「俺が彼女を殺すと、そう約束したのだ」

「リナリアと? だけど、そんな……どうしてあの子が死にたいだなんて」

「わからないのか?」

 そう言った六道の瞳は何かに怒っているようだった。

「お前は狩場重正の部屋であれを見てきたのだろう? ならば、わかるはずだ。わからなくてはならないはずだ。彼女が死にたい理由などはっきりと明確だ」

 だけど、と言い訳のように口をつく愛生を遮るように六道は声を大きくした。

「それとも! こう言った方がわかりやすいか? あれは死にたいと思っても、仕方ないと」

「……でも、リナリアは死なない。死ねないじゃないか!」

「そうだとも。だからこそ彼女は死にたいと願い。だからこそ、三年かかったのだ。彼女を殺す方法を見つけるのにな」

「リナリアを殺す方法だと……!」

 その時だ。部屋の扉。リナリアの部屋の扉が開いた。出てきたのは灰色の長い髪をした女の子。いつか愛生が買ってやり、一度ボロボロになってまた同じものを買い直してあげた灰色のパーカーを着ていた。背にしたのは小さなリュックサック。それがパンパンになるほど何かをつめこんでいたようだった。その姿はまるで、どこか遠い所へいくための準備のようで、

「リナリアぁ!」

 気がつけば愛生は自分でも驚く程大きな声で彼女の名前を呼んでいた。

 その声の大きさに一度。そして愛生の姿を視界に収めて二度、リナリアは驚いていた。しかしその人形のような顔に張り付けられた無表情は変わらず、何も映らない瞳で愛生の姿をじっと見つめて口を開く。

「愛生。来ちゃったんだ」

 それは小さな声だったけれど、愛生の耳にははっきりと聞こえた。来ないで欲しかったのに、とそう続けそうな言葉に愛生はたじろぐ。

 六道が当たり前のように部屋から出てきたリナリアに話しかけた。

「準備はできたのか? リナリア」

「……うん」

 小さく頷くリナリア。

「ならば急ごう。我王帝がこの件に介入してきた。これ以上の行動は起こせないだろうが、しかしあれが動いた以上悠長なことは言っていられない。計画の時間も早めなければならない」

 そう言って六道はリナリアの手を取った。リナリアも抵抗するわけでもなく、むしろ身を任せるように、手を引かれたままだ。

 そのままどこかへ行ってしまいそうな二人の背中に愛生は言葉をぶつけた。

「ま、待てよ! リナリアをどこに連れて行くつもりだ!」

 愛生の言葉に六道だけが振り返った。

「彼女を殺す場だ。そのために相応しい場所がある」

「そんなこと、許すとでも思っているのか!?」

「許す?」

 そう言って、六道は口の端を歪めた。

「お前の許可が必要なのか? これはリナリアとの約束だ。彼女の望んだことだ。彼女は死ぬことを望んでいる」

「…………」

 愛生は知っている。リナリアがどんな地獄にいたのかを知っている。だからあの子が死を望む気持ちだって理解はできる。死にたくて、でも死ねなかったリナリアの気持ちを考えられる。

 それでも許容できることではない。信じられることではない。

 そんな愛生の心を見透かしたように六道が告げた。

「そういえば、二つ目の質問に答えてやってなかったな。俺がどうして、ここにいるのか。つまりこのマンションに入れた理由だったな?」

 簡単なことだと、六道は言った。

「確かにここのセキュリティレベルは高い。あの我王帝が太鼓判を押すほどだ。しかし侵入者をはじくことはできても、来訪者をいれない訳にはいかないだろう? お前も友人を呼んだことがなかったわけではないはずだ」

 思い出されるのは昨日のこと。確かにあの時愛生はたくさんの友人を招いた。きちんとフロントに来訪を告げて、部屋の住人が入ることを許可すればマンションへの侵入は不可能ではないのだ。

 だが、六道がそうやってマンションに来たという事実が表す現実とは……

「部屋には、リナリアしかいなかったはずだ」

 愛生は小さく呟く。

 時系列を考えれば、六道がこのマンションに訪れたとき、部屋の中にはリナリアしかいなかったはずだ。それはつまり、

 リナリアが自分から六道を招き入れた……!

 愛生がたどりついた結論がわかったのだろう。六道は「ふん」と鼻を鳴らすと、再び告げた。

「リナリアは死ぬことを望んでいる」

「だけど……!」

 それでも食い下がらない愛生。牙を向く愛生に諭すような言葉を贈ったのは他ならぬリナリアだった。振り向いた彼女は無表情。

「愛生」

 その声はいつも聞いていた彼女の声で、

「ごめんね」

 そう言って謝る彼女の声は泣いているようで、

「リナリアはね、死にたいの。もう死んで、全部終わりにしたいの。全部全部、全部だよ」

「りな、りあ……?」

「愛生は知ってる? 生きたままお腹を切り開かれる感触。頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる音。次はどうやって殺そうかって話してる大人の顔。ずーっとずーっと何も食べられなくて、でもどうにもできない気持ち。知らないよね。愛生はわからないよね。ちゃんと、死ねる人だもんね」

 その声は酷く機械的で、感情どころか、何も込められていないような気さえした。

「ごめんね」

 リナリアは続ける。

「最初から、こうするつもりだったの。帝に助けてもらったよ。愛生と一緒にいた。それは楽しかったよ。でも全部六道が迎えに来てくれる……リナリアを殺しに来てくれるまでのことなの。リナリアはずっとね、待ってたんだよ」

 殺されることを。

 死ぬことを。

 彼女はずっと待っていた。

「だ、だけど! 今と三年前じゃ違うじゃないか!」

「そうだね。全然、違うよ。今、リナリアはとっても、とってもとっても幸せだよ」

 だけど、

「それでもリナリアは死にたいの」

「…………ま、待って!」

 焦ったように愛生は声をだした。そうしないとすぐにでも彼女は行ってしまいそうだったからだ。

「辛いことも苦しいことも、嫌なことだって全部僕がぶっ飛ばすから! 大丈夫だ。もう二度とあんな地獄にお前を行かせたりしない。楽しかったんだろう? 昨日のことだって、みんなと一緒に泳いで、バーベキューして楽しかったって言ってたじゃないか! だったら、お前はまだ死んじゃ駄目だ。これからきっと楽しいことや嬉しいはいっぱいあるんだ! 今までの不幸を全部忘れられるくらいに! 何もかも帳消しにできるくらいにいっぱいだ! だから大丈夫なんだ。だから……」

「忘れられるだと?」

 愛生の言葉に反応したのは六道だった。彼はその異様に白い中性的な顔を酷く歪ませ、怒りの形相で愛生を睨みつける。

「幸せを積めば、過去の不幸を忘れられるだと!? そんなものは幸せな奴の考えだ!」

 いつの間にか六道はリナリアから手を放していた。

「忘れられるわけがない! 苦しみも痛みも、それはどんな幸せを集めようと決してなくならないものだ! 帳消しにして、なかったことになんてできるわけがない! なかったことにはできない。彼女が傷ついた現実は決してなくならない!」

 お前は何もわかっていない。

 六道はそう叫んだ。

「彼女の痛みを、死を望む理由もお前は何もわかっていない! そんな奴が軽々しく大丈夫などと口にするな。虫図が走る」

「僕は、お前と話しているんじゃない!」

「ならば聞くといい。彼女に、直接な」

 二人の視線がリナリアに向けられる。愛生の目とリナリアの目が重なった。そして彼女は口にした。

「ごめんね」

 それは短い、だけど確かな否定の言葉だった。

「決まりだな」

 六道はそう言って、再びリナリアの手を取った。リナリアはもう愛生を見ようともしていない。二人は手を取り合って、そのまま――――

「ああああああああああああああ!」

 愛生は叫ぶ。左の義手を掴み、詠唱キーワードを口にした。

「満たせ――溢れろ――《ダインスレイフ》!」

 告げられた言葉に反応し、黒の力は解き放たれる。それは愛生の心臓の部分から溢れ出し、腕を走り、体の左半分を黒の直線的な紋様が覆う。

 駄目だ。駄目だ。彼女を行かせてはならない。それは、駄目だ。

 酷く冷えた目で六道は愛生を見ていた。

「やはり、ただの獣だったか」

「「ガあああああ!!」」

 拳を振り上げ、愛生は六道へと攻撃を仕掛ける。一切の手加減のない一撃。しかしそれはまたしても、六道によって防がれる。拳に勢いを乗せるため体を半身にして全身をバネのように軋ませた瞬間に、六道の拳が愛生の顔面に撃ち当てられたのだ。

 また能力か……!

 だが二回の駆動で愛生は六道の超能力の大体の予想がついた。彼の力は《速さ》だ。攻撃が攻撃として繰り出されるよりも前に阻止する。先に動いたはずのこちらよりも前に自らの一撃を当てる。圧倒的な速さがなければ成せないことだ。

 愛生の顔へと放たれた一撃は打撃の瞬間に捻りを加えられ、愛生の体をそのまま軽く吹き飛ばした。攻撃の瞬間のカウンターだったとはいえ、愛生の体がいとも簡単に吹き飛んだ。それはこの六道という男が新泉や他の奴らと違い素人ではないことを意味していた。

 今のは明らかに訓練された人間の動きだ。

 柔らかな絨毯の上を派手に転がりながら、愛生は思考する。

 相手は超能力者で、訓練も受けている。はっきり言って、愛生では分が悪い。

 だが、そこで諦めるわけにはいかなかった。

 転がりながらも体勢を立て直し、愛生は再び拳を握り直して六道へと駆け寄る。

 自分の長所は人にしては頑丈な体と、《ダインスレイフ》による防御無視の破壊力だ。ただ《速い》だけの相手ならば、一撃で勝負を決められる可能性もある。

 目指すは一撃必殺。そのための特攻。

 駆け出した愛生。しかしその次の瞬間には六道は愛生の目の前にいた。

「……!」

 突然距離を詰められ、愛生の行動は一瞬遅れてしまう。その一瞬で、六道の右の膝が愛生の腹部に激突する。それとほぼ同時に愛生の背中に六道の肘による打撃。肺の空気を無理矢理引きずりだされるような衝撃に愛生は呼吸が出来なくなる。

「戦闘が始まってから言うのも気がひけるがな。お前では俺には勝てん」

 気づけば六道は愛生から距離を取った位置に立っていた。追撃はこなかった。そのことに少しだけ安堵しながら愛生はなんとか肺に空気を取り入れようと息を吸う。

「マルチスキル。という言葉を知っているか?」

 六道の問いかけに愛生は何の言葉も返さなかったが、そもそも返答など期待していなかったのか六道は一人続ける。

「通常、超能力というのは一人につき一つとされている。マルチスキル、とはその定義を打ち破る考えだ。このラボラトリでは研究方針の違いもありあまり知られていないが、人間一人の体に複数の能力を持たせる研究というのは外の世界では意外と盛んなのだ。俺は……俺のいた研究所の研究内容からすれば紛れもない失敗作だが、しかしマルチスキル研究としては完全な完成形なのだ」

「何が……言いたい」

 わからないのか?

 六道はそう言って、にやりと笑った。

「俺は世界的には存在しないとされているマルチスキル。人間一人の肉体に六つの能力を持った男なのだ」

「ふざけるな!」

 そんなこと、あるはずがないと愛生は叫ぶ。

 ラボラトリの学生として能力学を学ぶ愛生はマルチスキルという言葉を確かに知っている。それがどれだけ実現不可能なことなのかもだ。超能力者が生まれて二十九年。今まで、一度として一つ以上の能力を持った人間などいなかったのだ。

 ましてそれが六つなどと……。

「そんなことあり得ない!」

「ならば試すか?」

 言って、六道は自らの両手を愛生に向けて差し出す。すると、黒いロングコートの袖から銀色に光る金属が姿を現した。それは確かに光沢と質感を持った間違いようのない金属だったが、しかしその形状は金属とは思えないものだった。

 まるで流体だと愛生は思った。

 先程見た新泉の能力のように、その金属はまるで水かスライムの如く流れるように六道の両手を覆っていく。

 まるで鋼鉄製の手袋をしたかのように六道の両手は銀色に覆われた。

「一つ。《金属操作メタルコート》。俺の皮膚に触れた金属類の硬度を保ったまま形状だけを自在に操る超能力だ」

 見せつけるように、六道は自分の手を握ったり開いたりをしてみせる。鎧や義手のように曲がるようにはできていない、ただの手袋のようなその金属を曲げられるいうことは、六道のいう《金属操作メタルコート》は確かにその通りの能力だ。

「二つ」

 その言葉の後、六道は瞬間的に愛生の目の前に現れた。

 間違いない。さっきまで使っていた能力だ。

 驚くのと行動はほぼ同時。愛生はすぐさま距離を取ろうと足を動かすが、間に合うはずもなかった。

「《倍速行動ダブルスタンダード》。他の全てのエネルギーを保ったまま、俺のスピードだけを倍速することができる!」

 そして放たれたのは右の拳。一発は腕を使って防げた。だがその一発と全く同じタイミングで愛生の横っ腹が打撃されたのだ。

「今のは二倍速だ。速度が二倍なのだから、当然一撃のモーションで二撃を放つことができる」

 驚愕と痛みで表情を歪ませる愛生に向かって六道は得意げに告げた。

 鉄の手袋のおかげか、先程よりも打撃の威力が上がっている。確かに硬度は保たれたままらしい。

 痛みにあえぐ愛生の顔面を六道は再び打撃。同じ個所を二回連続で殴られたかのような衝撃。そしてそれは現実のものなのだろう。全く同時に飛び込んでくる二つの一撃に愛生は反応できず、また不様にも絨毯の上を転がった。

「これはあくまでも速度だけを倍化する能力だ。よって攻撃力その他は強化されない。それを踏まえてもお前を打倒するに十分な力だ」

 見下したような六道の視線。愛生はカッとなって、倒れた姿勢のまま足払いを放つ。しかしその攻撃を六道は軽い動作でかわして見せる。足払いの勢いを殺さないよう体ごと回転させながら立ち上がり、勢いをそのままに裏拳。だがそれも六道にはかすりもしない。

 自分がムキなっていることがわかった。体に力は入り過ぎているし、動きも単調だ。だけれどはやる気持ちを抑えることはできず、それに追いつこうと体は更に力んでしまう。

 力の入った体から繰り出される複数の打突を六道はまるで最初から軌道がわかっているかのように簡単に避けていく。嫌な違和感を愛生が覚えると、六道は言った。

「三つ。《視覚強化キャッツアイ》。これは視覚に関する強化能力だ。単純な視力だけでなく、動体視力からそれに関連する認知速度にも補正がかかっている。――――今のお前の攻撃など、止まって見える」

 愛生の攻撃は結局一撃とて六道にかすりもしなかった。《視覚強化キャッツアイ》によって愛生の攻撃を見切り、要所要所に《倍速行動ダブルスタンダード》を挟むことで全て避けて見せたのだ。

 どの攻撃も空を切るばかりの現実に愛生は苛立ちを隠せない。全身を使って放った回し蹴りは上へと跳躍することで避けられてしまった。するとおかしなことが起こった。上へと跳躍した六道が降りてこないのだ。

「四つ」

 声は上から発せられた。顔を上げれば、六道はなんと宙に浮いていた。ふわふわとした浮遊ではなく、まるでそこに見えない足場があるかのように空中に立っているのだ。

「《領域歩行フリーウォーク》。歩く場所を選ばない能力だ。重力にだって縛られず、空気の上だろうと歩行することができる超能力」

 これで四つだと、六道は言った。

「マルチスキルの存在を、これで信じざるを得なくなっただろう」

「存在するはずのない超能力者……」

 くそっ、と愛生は小さく呟く。それは自分に向けられた憤りだ。

 マルチスキル。複数の超能力。

 勝てない。愛生はそう思ってしまったのだ。

 戦闘経験があるというのは新泉達に対して愛生に合った唯一のアドバンテージっだった。しかしそれも六道の方にも経験があればたいしたメリットではなくなってしまう。おまけに六道は六つもの能力を保有しているというのだ。彼が親切にもこちらに教えた四つの能力。それだけでも愛生の手におえる相手ではない。

 勝てない。この男に自分は勝てない。

 頭の中に生まれたネガティブな考えは見る見る内に肥大していく。

 我王愛生は戦わなくてはならない。リナリアを連れて行かせないためにも、戦わなくては。だが、気づけば愛生は自身の中に戦意を完全に消失してしまっていた。

 耳元でまるで呪いのように囁かれるのは先程のリナリアの言葉。

 何度もごめんねと繰り返した女の子の言葉。

 彼女の痛みを、苦しみを、僕は何一つ理解してはいなかった。

 リナリアは助けを求めてはいない。

 その事実が愛生の心に重くのしかかる。ただそれだけで、愛生の体はまるで何かに縛られたかのように動かなくなる。

「戦う気がないのなら――」

 気づけば、六道は愛生の眼前、丁度自身のつま先が愛生の顔面に触れるような位置の空中に立っていた。

「――眠っていろ!」

 そのまま足を上げ、まるでサッカーボールを蹴るような要領で愛生の顔を蹴りつけた。

 衝撃に耐えるようなことはせず、愛生は勢いをそのままに後ろへと飛ばされ、キッチンへ背中を強打する。そのまま床に伏すように倒れ込み、動かなくなってしまう。

 諦めてはいけない。そうは思っていたが、どこかで誰かがそそのかす。

 諦めてしまえばいい。

 諦めて、忘れて……そして――――――

「諦めたらそこでエンド・ザ・ゲームっすよ!」

 現れた声は六道のものでもリナリアのものでもなかった。もっと別の、女の子の声。愛生のよく知る、少女の声だ。

「あっし、参上っす!」

 よく通るハキハキとした声。セミロングほどの黒い髪と長いスカートのメイド服をばっさばっさと揺らして少女は愛生と六道の間に割って入る。

 突然の部外者の来訪に驚きながらも、六道はあくまでも冷静な口調で尋ねる。

「お前は誰だ」

「通りすがりのメイドっす!」

 迷いなくそう言って、宝守は持っていたモップを武器のように六道へと向けた。


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