王の来訪が終わりを告げる
「お、もう終わったか?」
軽く手をあげながら、その人物は六道たちのもとへ現れた。
漆黒のダークスーツに、赤いリボンのついたハット。身長は高く、トップモデルが卒倒する完璧なプロポーション。だがその顔に浮かべられたのはまるで似合っていない無邪気な笑み。
世界最強。我王帝だ。
「今更、何をしに来た」
鋭い視線を送る六道を気にもしないで、帝は語る。
「いや、そろそろ終わった頃かと思ってな。どうせ今回も愛生は死にかけるだろうから、助けに来たのだ。……そういうお前は何をしているのだ?」
倒れた愛生の横に座りこんでいる六道を見つめながら、帝が質問した。
吐息と共に、六道が答える。
「止血だ。さすがになんの処置もしなければ、死んでしまいかねない」
あのあと、愛生の《黒》が暴走から回復したあとだ。リナリアと抱き合っていた愛生だったが、すぐに気を失って倒れてしまった。気が抜けたというのもあるだろうが、当然の反応でもある。それほどまでに愛生は自身の体を酷使していた。何故、今まで倒れなかったのかと、忍花が首を傾げたほどだ。
「俺としてはこの男が死のうが死ぬまいがどうでもいいのだが、リナリアが駄々をこねるのでな……」
だから渋々、止血をしていたのだ。
六道の言葉を聞きながら、帝は愛生の体を見ていた。彼女の視線の先、愛生の負傷は六道の《金属操作》によって傷口を鉄で覆われ、無理やりに止血されていた。帝が成程、と笑みを見せた。
「上手いこと考えたものだな。中々応用の効く能力だ」
「……消毒も何もしていない。衛生面は最悪だが、失血死するよりはマシだろう」
「ああ、そうだな。死んでいなければ、どうとでもなる」
そう言って帝は愛生の傍に屈んだ。彼女の横顔をリナリアがうるんだ瞳で見つめていた。それに気づいた帝はふっと微笑んでリナリアの頭を雑に撫でる。
「心配するな。愛生は死なない。この王の息子だぞ? それにこいつの頑丈さはお前が知るところでもあるはずだ」
安心したわけではないだろうが、それでも愛生が死なないということだけはリナリアも信じているのだろう。それ以上何も言うことはなかった。そんなリナリアを仕方なさそうに見てから、帝は寝かされていた愛生を背中に担いだ。立ち上がり、よいしょ、という掛け声と共に軽く飛び上がる。
愛生が小柄で、帝の背が高いせいか、その姿はまるで小さな子供をおんぶする親のように見えた。
「さっさと行こう。そろそろ流が増援を呼ぶか、何か次の手を考えていてもおかしくない頃だ。あまり悠長なことも言っていられない。千歳や八九郎。佳苗たちはすでに病院に向かわせている。怪我はしていなかったが、一応な。私らもそれに合流しよう」
リナリアは一度頷くと、立ち上がる。その様子を座ったまま見ていた六道に帝が視線を合わせた。
「何をしている、六道。お前も一緒に来るのだぞ」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。それを屈辱だと恥じながら、六道は答える。
「何故だ。何故俺が貴様らと一緒に行かなくてはならない」
「お前も怪我をしているだろう。それに流に狙われている。普通の病院ではゆっくり療養もできん。今から行くところには良い医者がいてな。権力にも金にも屈しない変わり者だ。普通じゃない病院だから、お前の治療もしてくれる」
唖然とする六道に向かって帝は続ける。
「逆崎も私が確保している。しばらくの間なら流の報復からも守ってやる。だからどうせなら、お前も一緒に確保されてしまえ」
「…………俺は、貴様の息子を殺しかけた男だぞ」
「こんなもの、子供の喧嘩だろう?」
なんてこともなく、言いきった。
「馬鹿な女のために、馬鹿な男どもが殴り合っただけのことだ。何を気にすることがある?」
「手厳しいな…………」
この王の前では、俺たちの命がけも遊戯にしかならないということか。
「ありがたい申し出だとは思う。だが、それでも一緒には行けない。悪いがこれは俺のプライドの問題だ」
そう言って、六道は立ち上がり帝たちに背を向けてそのまま歩き出そうとする。だがその目の前に忍花の姿があった。彼女はまるで六道を止めるようにそこに立ちふさがっている。
「邪魔をするな、忍花。そこをどけ……」
「…………」
「忍花。いや、いっそこう呼んだ方がいいか? ――――乾。帝の犬め」
鬼面の少女が笑った。ふふ、とその仮面の裏で。
「どちらでも構いませんよ。忍花も乾も、わたくしの本当の名ではありません。忍は名を持たぬものです…………ですが、いつから気づいていたのですか?」
「今朝まで疑いもしなかった。上手く隠れたものだ。深雪宝守を殺さなかったこと、我王愛生を見逃したこと、それでようやく気が付いた。貴様が帝の内通者だったとしたなら、今朝の襲撃に先だって帝が現れたのにも合点がいく」
「怒っていますか? 騙していたことに」
「……お前と出会ったのは一年も前になるのか。今回俺が負けたのは貴様のせいではない。そして貴様のこの一年の働きは俺にとって確かに有益であった」
六道は一度だけ視線を落として、そして鬼面の少女の目を見た。その仮面の向こうの瞳を見つめる。
「よくもやってくれたな。だが、よくやってもくれた。――――ご苦労だった忍花。貴様の働きに感謝する」
「…………あなたもよくよく、甘いお方です」
何がおかしいのか、くすくすと少女は笑う。
「ですが、一つだけ訂正させていただけますか?」
「訂正? 何がだ」
「わたくしは裏切り者で嘘吐きではありましたが、内通者ではありませんでしたよ。わたくしがあなたのもとにいたのは帝様の命令ではなく、わたくし個人の意思です」
六道は驚く。それだと、自分の閃きは間違ってもいないがあってもいなかったことになる。
「どういうことだ……?」
「わたくしは愛生くんの味方です。帝様と護堂さんがリナリア嬢を愛生くんに託そうとしている動きを知って、それは愛生くんを傷つけることになると思ったのです。それでリナリア嬢を殺そうとしているあなたに協力をしました。最終的には愛生くんの意志を尊重する形になってしまいましたが、わたくしもあなたと同じでさっきまでは本当にリナリア嬢を殺すつもりでしたよ。ただ予想以上に帝様がリナリア嬢を助けだすのが早かったことだけがわたくしの誤算でした。愛生くんとリナリア嬢が出会ってしまった時点で、わたくしの企みは失敗していたのですね」
滑舌が良く、流暢にスラスラと語られる言葉は六道の耳によく入ってきたが、しかしその分理解が追い付かなかった。六道は数秒俯いて思考してから、焦ったように帝の方を向いた。
「待て。忍花が貴様と内通していなかったのなら、どうして貴様は今朝の時点でラボラトリにいられたのだ!?」
今日一日、帝が日本にはいられないという情報は忍花から得たものだ。彼女が本当にリナリアを殺す気だったならば、その情報は確かなもののはず。
「貴様は今日一日、米国政府からの依頼で事故で沈んだ空母の引き上げ作業に参加していたはずではないのか!?」
「ん? ああそのことか。いやなに、本当は一日がかりの作業のはずだったのだが、急に愛生に会いたくなってしまってな。それで速攻作業終わらせて帰ってきたのだ。泳いで」
「は?」
「だがさすがの私でも水の抵抗の中で空母を引っ張ったり引き上げたりは大変だからな。本来は水中で解体する手はずだったが、そんなことをしていたら今日中に愛生に会えない。だからとりあえず海を割ってみた。こう、スパーンと」
言いながら、帝は片手で手刀を叩きつけるようなジェスチャーを見せる。
「それで空母引きずって海底歩いて陸地まで引き上げた。一時間くらいで終わったはずだ。だがそのあと米国政府の役人に凄い怒られた……。なんでも海を割った衝撃で魚が大量に死んだとか言ってたな。今度なんとかすると言って逃げるように帰ってきてしまったから報酬も貰いそびれた。それで帰ってきたらこれだ。今日の王は不運極まりなかったな」
はっはっは、とまるでおもしろおかしい失敗談のように語る帝を見て、六道は顔を引きつらせる。
「真似できないスケールだ…………」
「当たり前だ。私を誰だと思っている。王だぞ? 王様だぞ?」
その理屈も理解はできなかったけれど、否定する気にもなれなかった。そんな気力は今の六道にはない。とても疲れていたのだ。ため息をつきながら、降参を示すように両手を上げた。
「……わかった。王よ、貴様に従おう。空母のように引きずられても困るからな」
「賢明な判断だ」
「だが、貴様はいいとして貴様の息子はどうなんだ? その仲間もだ」
「大丈夫だろう」
言って、帝は自分の背中で気を失っている息子を見つめる。
「目を覚ましたあと、話してみるといい。多分平気な顔して笑っているぞ、こいつは」
そんなことがあるものかと思ったが、しかし想像してみればそれは容易いことだった。
この男はきっと、当たり前のように俺を許すのだろう。
「貴様の息子は馬鹿なのか? それとも、狂っているのか?」
「王の器だ。私と同じな」
そう言って、帝は出口に向かって歩き出した。六道の方を見てもいない。ついてくると言いながら逃げ出すことを考えているとは思いもしないのだろう。疑いも、していないのだろう。それに倣って、忍花も帝の横を歩いている。
王の器。
六道を疑わず、愛生のためとはいえ裏切りにも近い行為をした忍花を平気で隣に置いている。それは本当に器が大きいということなのだろうか。六道には、ただ物事に無頓着なだけなようにも見えた。
「六道」
リナリアの声だ。彼女は六道の手を握って、六道の眼を見て言った。
「行こう」
一緒に行こう。
彼女にただそう言われるだけで、全てがどうでもよくなった。ああ、と頷いて一歩を踏み出す。
「リナリア。君はまだ死にたいか?」
口をついて出たのはそんな質問。それにリナリアは少し考えてから答えた。
「死にたい。でも、生きてもいたい。今のリナリアは、そう思うの」
「……その矛盾は、辛いことではないか?」
「うん。でも、受け入れてくれたから。愛生は自分の矛盾だけじゃなくて、リナリアの矛盾まで受け入れてくれたから」
だから大丈夫だと、そう言うのだ。
なら、もう自分には彼女を殺す理由はないのだろう。彼女は死ぬことを望んでいる。だが生きることも望んでいる。その矛盾した願いを叶える術は六道にはないのだから。
ならばせめて、彼女が傷つかないように。せめて彼女が泣かないように。
「ねぇ、六道」
今度はリナリアが問う。
「六道はまだリナリアの願いを叶えようとしてくれる?」
「当たり前だ」
「リナリアが死にたいって言ったら、殺してくれる?」
「無論だ」
「リナリアが生きたいと言ったら、生かしてくれる?」
「是非もない」
それは六道にとって思考するまでもない問いだ。迷う訳がない。自分の全ては彼女のためにあるのだから。
リナリアはそっか、と安心したように呟いた。
「だったら本当に、大丈夫だね」
六道は自分の手を握る少女を見た。
灰色の髪。灰色の瞳。小さな体。彼女は世界から虐げられた少女。憎悪と愛情、希望と絶望に苦しんだ少女。六道にとっての救いであり、光。
そして俺が、殺そうとした少女だ。
六道は彼女の手を握り返す。その小さな手を、少しだけ強く。自分にはきっと、彼女を抱きしめる資格はないけれど、今のこの温もりを感じることくらいは許されるだろうか。許して、くれるだろうか。
「ああ、そうだ。おい六道」
前方を歩いていた帝が急に振り返る。それに合わせて足を止めて、六道は首を傾げた。
「なんだ、いきなり」
「いや、そういえば気になっていたことがあってだな」
帝はあっけからんと、当然のように続けた。
「お前は自分の提唱していた理論こそリナリアを殺せる唯一の技術のように言っていたようだが……あれは本当にリナリアを殺せるものだったのか?」
「何が言いたい。あの理論に穴があったとでも?」
「穴、というよりはな。そもそもあれは超能力、フェーズ7という説明のつかない埒外の能力を殺しきれるものだったのか? その確証はどこにあった。説明のつかないものを殺せるだけの説得力があの理論の中には存在していたのか? 上手い事言って、それっぽい理屈をでっち上げただけじゃないのか? ――――お前は失敗するとわかっていて事に及んだのではないだろうな?」
「…………俺の理論は完璧だった。それを確かめる術も機会も、もうない」
だから無駄だ。この話は無駄だと、六道は早々に切り上げようとした。意味のない話をするつもりはなかった。
だが帝はにやにやとした笑みを浮かべて、こう続けたのだ。
「お前本当は、リナリアを殺したくなかったんじゃないのか?」
六道は唖然として、驚いて、それから少しだけ苛立った口調で言い返した。
「親子そろってくだらない。俺の願いに揺らぎはない。俺の想いに偽りはない。俺は確かにリナリアを殺そうとしていた」
「本当にそうと言い切れるのか?」
「しつこいぞ。貴様も、貴様の息子も、俺が実はいい奴でないと気が済まないのか」
「はっはっは、すまんすまん。本当にただ気になっただけなんだ。忘れてくれ」
しかし、と帝はにやにやとした笑みをどこか優しげな笑みに変えて言った。
「実はも何も、お前は最初からいい奴だと思うがな」
怪訝な顔をする六道に王は告げる。
「女のために戦う奴は、いい男に決まっている」
いい男はいい奴だよ、とそう言って帝は快活に笑った。彼女があまりにも愉快そうに笑うので、六道もつられて笑ってしまった。
本当に、真似できないスケールだなと。




