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その望みはきっと同じところに届くもの

 リナリアは走った。エリナが死んだことで、お腹の鎖は簡単に引き抜くことが出来た。傷はすぐに塞がる。いつもの光景。身軽になった体で、精一杯走った。途中で砕けた壁の破片や白い巨塔の欠片を踏んで足が切れて痛かったけれど、気にせず走った。どうせ、流れる血などないようなものなのだから。

 向かう先は愛生。彼のもとへと走った。

 愛生は今、全身を《黒》で真っ黒にして暴れている。

 彼のあの姿を見るのは二回目だ。一回目は初めて愛生に助けられた時だ。リナリアが何も言わなくても、助けに来てくれた時。彼はあの姿へと変わってしまった。今回も同じだと思ったけど、でも少し違った。前の時は、愛生の左腕はあそこまで変貌はしていなかったし、背中に浮き上がる模様のようなものも初めて見た。よくわからないけれど、とにかく大変なのだろうと思った。前の時も、愛生は凄く苦しそうにしていたから。

 そう思った時には、すでにリナリアは動いていた。彼のもとへ走っていた。前はどうしたんだっけ。どうしたら愛生は、もとに戻ってくれたんだっけ。

 確か、抱き着いたんだよね……。

 あの時は何も言わなかったリナリアを助けに来てくれたことが嬉しくて、それで思わず抱き着いたのだった。なら今回もそれで元に戻ってくれるのではないか。

 リナリアは自分が愛生を助けるために頭を働かしていることに気づいて、なんだかおかしくなってしまった。死んじゃえばいいのに、と思っていた。今でも思っている。それでもさっき、彼が死んでしまったかと思った時は悲しかったし嫌だった。矛盾している。リナリアには自分が何を考えているのかがわからなかった。でも、わからなくてもいいんじゃないかな、とも思う。

 嬉しいことも、悲しいことも、憎しみも愛情も、愛生は全てを受け止めてくれた。彼の腕の中でなら、泣いてもいいのだから。例え汚くても、悪い子だったとしても、彼は変わらず抱きしめてくれるのだから。

 なら、リナリアも返してあげないといけないよね。

 どんな愛生でも抱きしめてあげよう。

 リナリアも泣くから、愛生も泣いていいんだよ。

 愛生はもうすぐ目の前だ。

「愛生ぃ!」

 彼の名前を読んだ。振り返る。真っ黒な顔に浮かんだ赤い目は少し怖かったけれど、我慢した。すぐに、戻ってくれるはずだから。リナリアは愛生に手を伸ばす。だが、その腕は彼が直後に振るった左手がかすめたせいで吹き飛んでしまった。腕だけでなく、肩から胸までがごっそりと、抉り取られてしまった。

 ああ、駄目だよ愛生。これじゃあ、抱きしめてあげられないよ。

 そう思った次の瞬間にはリナリアの体は元通り再生していた。よかった、これでちゃんと抱きしめられる。そう安堵しながら、リナリアは飛んだ。愛生の胸目がけて、飛び上がったのだ。勢いが強すぎたせいか、胸に頭を思いっきりぶつけてしまった。でも愛生は倒れなかった。リナリアはなんとか愛生の首の後ろに手を回す。これでいい。これで愛生はもとに戻ってくれる。

 だけど、そう簡単にはいかなかった。愛生の体を覆う《黒》がリナリアに侵食し始めたのだ。

 自分の腕や顔が黒くなっていったかと思うと、突然激しい痛みがリナリアを襲ったのだ。それは瞬間的な痛みではなく、連続して続く痛みだ。自分の回復能力でも回復しきれていない。リナリアの体の中で再生と崩壊が繰り返されているのだ。それは今まで彼女が感じたことのない強烈な苦痛だった。

 今にも、手を放してしまいそうになる。

 でもリナリアは頑張って、力一杯愛生を抱きしめたまま放さなかった。

「大丈夫、だよ……」

 大丈夫。大丈夫だから。

 そう何度か呟くと、愛生の体に変化が起こった。背中に浮かび上がった文字が引っ込み、左手が元の形に戻り、徐々に徐々にだが全身の《黒》が後退していくのだ。心臓へと、戻って行く。

 ほら、やっぱり戻ってくれた。

 そうして愛生の体から《黒》は完全に姿を消した。

 もとに戻った愛生は泣いていた。震えながら、泣いていた。それは弱くて情けないヒーローの素顔だ。ありのままの愛生が、泣いている。リナリアの手の中で震えている。

「リナリア……僕は、僕は…………」

 うん。わかってるよ。

「愛生は、わかってるんだよね」

 不思議と、言葉が溢れた。言いたいことが自然と口にできた。

「自分の弱さとか、人の心の醜さとか、この世界がどれだけ残酷で、理不尽で不条理で、どうにもできないことばっかなのが、愛生はちゃんとわかってるんだよね。それを受け止めようとしてるんだよね」

 自分は否定して、逃げたけれど。

 愛生は受け入れて、戦ったのだ。

「愛生はヒーローって知ってる? リナリアは知ってるよ。ヒーローっていうのはね、強い心と強い力で弱い人たちを助ける正義の味方なの。でもね、きっとヒーローってそれだけじゃないんだ。ヒーローは一通りじゃない。弱くても、みっともなくても情けなくても、格好悪くても、それでも誰かのために立ち上がる人だって同じヒーローだと、リナリアは思うの」

 それはリナリアが望んだヒーローの姿。強いだけじゃない。弱さを抱えて、自分を理解してくれるヒーローだ。

「怖がりながら、震えながら、泣きながら、いつだって弱さと一緒に拳を握る人は、きっと本物のヒーローなんだ」

 リナリアの、ヒーローなんだ。

 ねえ、愛生。

 少女が少年の耳元で囁いた。

「愛生は、リナリアのヒーローになってくれる? リナリアはこんなだけど。こんなに汚くて、悪い子だけど…………それでも愛生は、リナリアを見捨てないでくれる? ――――まだ、リナリアのことを抱きしめてくれるの?」

 答えはすぐに返ってきた。愛生がそのボロボロの腕でリナリアを抱きしめたのだ。強く。強く。抱きしめた。温かなその腕に抱きしめられながら、リナリアは少年の声を聴いた。

「ああ、僕はお前のヒーローだ」

 自分勝手で身勝手で傲慢な正義の味方は、少女のために戦ったのだから。

 少年が望んだ正義が、少女の望んだ幻想であるならば。

 少年は間違いなく、少女のヒーローだ。


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