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全て、壊してしまいたい

 自分の体が鎖で貫かれたところまでは覚えていた。だがそれ以降の明確な記憶が愛生にはなかった。腕の中の、温かな感触が消えたかと思うと、それ以降愛生には何も見えなくなったし、何も聞こえなくなった。何も感じない。真っ暗な闇。

 もしかしてこれが死ぬということなのかもしれない。

 もしそうだというなのら、リナリアが死を望んだのも当然のことかもしれない、と愛生は思った。何も感じてないはずの体が、ただひたすら深いところへ沈んでいく感覚だけを得ているというのは、存外に気持ちの良いものだったのだ。

 だがその心地よさは愛生にとって絶望でもあった。沈んでいく体に感覚はなく、右も左も、上も下もわからない愛生では昇って行くことは不可能だったからだ。自分がこれから沈むしかないことが、怖かった。この深い闇の先にはきっと何もないことをわかっていたのだ。いや、あったとしても今の愛生にはそれを見ることも感じることもできないのだ。だから、ないのと同じだ。

 こんな闇の底にあの子は沈みたいと思っていたのか。

 それが一体、どれだけの激情の先にある答えなのだろう。

 何も感じない空間は愛生の思考を加速させる。愛生が意図して考えないようにしていたことを考えさせる。

 あの子はどれだけ傷ついたのか。まだ十歳にもならない子供が、あんな小さな女の子が、幸せと一緒に苦しみも捨てて、こうやって何もなくなってしまいたいと思ってしまうまでに何があったというのか。

 世界はどれだけあの子を傷つけた。

 人はどれだけあの子を責めたてた。

 それを考えると、愛生の心はたまらない痛みを訴える。あの子を傷つけた世界で生きていることに、あの子を傷つけた「人」であることに愛生は耐えられなかった。その屈辱に、怒りに、悲しみに、愛生の心は震えるのだ。

 おかしいじゃないか。どうしてあの子なんだ。あの子は何も悪いことはしていないじゃないか。それなのに傷つくのはみんなあの子だ。他のくそったれた人間どもは今日も平気な顔をして笑っている。世界は当たり前のように動いている。あの子が泣いているのに、変わらずに。

 僕にはそれが、許せない。

 愛生の中の怒りは集まり、煮詰められ、やがて全てを壊してしまいたいという破壊衝動へと行きついた。

 壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

 壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

 許せない。僕には全てが許せない。世界も、人も、自分自身ですら。

 その目に映る何もかもが許せない。

「なら、壊してしまえばいい」

 誰かの声がした。聞こえないはずの耳に、誰かが囁く。

「お前にはその力があるんだろう?」

 力? 僕に力なんてあるのか。ああいや、あったはずだ。何もかもを壊す、自分自身をも壊してくれる力が、僕の中にはちゃんとあったはずだ。

 その時になって愛生はようやく気付いた。自分が沈んでいくのが闇ではなく《黒》だということに。無限に広がる《黒》に体が侵食されていく。それでいい。それがいい。これが全部力だというのなら、なんだってできる。なんだって壊せる。壊してしまおう。

 ――――スベテ、コワシテシマエ――――

 我王愛生が立ちあがった。ただそれだけのことで誰もが動けなくなる。いや、六道だけは唯一彼が立ちあがったことに驚いたわけではなかった。そりゃあ立ち上がるだろう。何故なら彼が不死身の化け物であることを六道は知っているのだから。立ち上がらないわけがない。

 だから六道が驚いたのは別のことだ。

 愛生の心臓に穴が開いていた。いやそれは厳密には穴ではないのだろう。ただ黒く塗りつぶされた空洞のようなものが愛生の左の胸にあった。そこからは同じく真っ黒な液体のようなものが流れ出ている。

「なんだ、あれは」

 思わず声が出た。その奇怪な液体はぼたぼたと愛生の足元へ流れる。そしてそれが流れ出たのは心臓からだけじゃない。愛生が苦しそうに背中を折り曲げると、その口からも大量の《黒》を吐き出したのだ。

「ひ、ひぃい!」

 エリナが怯えたような声をあげる。生理的な本能で忌避したのだろう。それほどまでに今の愛生の姿は奇怪で、おぞましいものだった。気づけば身の危険を感じた忍花が六道の隣にまで後退してきている。彼女が驚愕して焦っていることは、その鬼面の上からでも容易に想像が出来た。

 愛生がその口から大量の《黒》を吐き出し終えると、始まった。何が始まったのかはわからない。それはあるいは終わりのようなものかもしれないが、とにかく始まったのだ。

 心臓から、口から、吐き出された《黒》が愛生の全身を包み込むように集まった。そしてあっという間に愛生の体は黒く染まってしまった。光沢のない。塗りつぶしたかのような黒色。その《黒》の中で瞳だけが真っ赤になってぽつんと二つ浮いている。

「「「「「がああああああ」」」」」

 そして、愛生が叫んだ。

「「「「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」」」」

 それはまるで獣のような咆哮だった。ありとあらゆる生き物の叫び声を同時に発したかのような醜い叫び。愛生の喉から発せられているとは、とてもじゃないが思えなかった。

 次に彼の義手がミシミシと音を立てる。形が変わっていくのだ。流動的なフォルムだったそれは人工的で角ばった一つの巨大な兵器のような形へと変わっていく。変化はそれだけにとどまらず、あっという間に義手だったものは愛生の体には不釣り合いなほど大きな《黒》の塊のようなものになった。

「「「「「がががががががあああああああああああああああああががああがががががあああああああああああああああああああああああああ」」」」」

 その身を振るい叫ぶ姿はまるで獣。悪魔に呪われた醜い獣だ。

 間違っても、人間の姿ではない。

「な、なんだよてめぇ! なんなんだよぉ!」

 エリカが震えながら叫び、隣の眼鏡の少女は悲鳴をあげることもできずに固まっていた。忍花もまた、あれがなんなのかわからないようで、短機関銃を握る腕に力を入れていた。

 六道にもわからない。

 だがあれはおそらく能力の暴走状態なのだろうという察しはついた。我王愛生の能力は使用者本人でさえ制御の効かないものであることは情報として得ている。彼の全身を包んでいる《黒》が先程自分の大剣やクチナシを崩壊させたものと同一であることも確かだ。

 同一、のはずだ……。

 はずだが、しかし先程の《黒》と今の《黒》はまるで違うようにも思える。

 先程のは、あくまでも我王愛生の力としての《黒》だ。だがこの《黒》は愛生の意志とは違う場所にあるような気がするのだ。まったくの別物ではない。しかし同じでもない。今彼がまとう《黒》には彼以外の意思があるような気がしてならない。

 狼狽する六道たちを放って、現実は着実に進む。

 六道は愛生の背中から何か記号のような、文字のようなものが浮かび上がるのを見た。それは六道の見たことのない記号だ。どこの国の言葉でもない。見たことのない文字。

 愛生が再び咆哮した。その声は大気を震わせ、確かな振動を運ぶ。

「くそっ! なんだよ。なんなんだよぉおおおおおおお!」

 愛生から発せられる圧倒的な恐怖に耐え切れなくなったエリカが動いてしまった。八本の鎖のうちリナリアを拘束するために使っている鎖以外を全て愛生へ向けて撃ちだす。それは相手が人間ならば、確実に殺せるだけの速さと力を持っていたが、彼女が相手にしたのは人間ではなかった。獣か、それ以外の何かだったのだ。

 鎖は、愛生の体に触れた瞬間バラバラになった。内側からはじけ飛ぶように粉々に砕けたのだ。そして、唖然とするエリナに愛生が視線を向けた。その真っ赤な瞳を少女へと向ける。

「あ、……あ――――」

 彼女は最期、何を言おうとしたのだろう。それは一生わからないままだ。彼女が言葉を作るよりも先、愛生の巨大となった左の腕で彼女の体は簡単に握りつぶされてしまったのだから。それはまるでトマトでも潰すような光景だった。果汁のような血液をまき散らして、エリナは死んだ。

「どういうことだ!? 《ダインスレイフ》は攻撃に特化した強化ではなかったのか!?」

 今、愛生は眼にも止まらぬ速さで、エリナが何かを口にする前に彼女の前に現れて殺した。その速度は、考えられないものだ。六道の視界ですら、はっきりと観測することはできなかったのだから。

 愛生はぐちゃぐちゃになってしまったエリナの死体を投げ捨てた。もう興味はないようだった。そして次に眼鏡をかけた少女の方を見た。少女は怯えた表情のまま、両手を前に突きだす。すると、彼女の姿が消えていく。見えなくなっていくのだ。カメレオンのように景色と同化しているのだろう。六道や愛生に気づかれずにここに侵入できたのも、彼女の能力のおかげか。成程確かにそれは優秀な力だが、今の愛生にそんなものは意味をなさない。例え見えなかったとしても、退避が間に合わない。

 愛生が無造作に左手を振るう。すると、何もないように見えた空間からパァンという軽い音と共に血が噴き出した。そして一瞬遅れてそこには体の右半分を失った少女の死体が現れた。

 圧倒的だ。強いとか、そういう次元の話ではない。なんだかわからないままに、強力な能力者であるはずの少女が二人も殺されてしまった。

 愛生が咆哮する。身を反って、叫んだ。その醜いまでの咆哮が部屋中にこだまする。

 そして愛生は近くの壁を打撃した。

 え、と六道が疑問を口にする。その間にも愛生は壁を殴り、砕き、床を這うケーブルを掴んで引きちぎっていた。

「何を、しているんだあいつは…………」

 まるで止まる様子がない。暴走状態なのだから、自分で止められないというのは当然かもしれないが、それにしたっておかしい。今の愛生はただ暴れているだけじゃない。何か明確な意思を持って物を壊している。目に映る何かを、とにかく壊そうと腕を振るっている。

 この暴走には意志がある。目的がある。

「怒っているのか……」

 何に? 簡単だ。それは世界にだ。

「リナリアを傷つけた世界に、貴様は怒っているのか」

 その答えがすぐに出てきた理由はわからない。だが理解できた。愛生は壊そうとしているのだ。世界を、どうにかして壊そうと。でもどうすれば壊れるのかがわからなくて、何を殴ればいいのかわからなくて、とにかく目に映るものを全て壊そうとしている。

 なんて不器用な破壊衝動。彼は止まらない。我王愛生は止まらない。世界を壊すまで、あの化け物は止まれない。

 愛生が鳴いた。咆哮。それが涙を流す人の声に聞こえたのは、きっと錯覚だろう。

「まずいですね……」

 隣で忍花が呟く。愛生の能力は使用者本人すら壊す力だ。それがあの暴走状態。このまま放っておけば、我王愛生は死ぬ。六道にとっては愛生の死などどうでもいいこと。だが、例えほんの少しの間でもあの男が動かなくなってしまっただけでリナリアは取り乱した。泣いて、叫んだのだ。

 愛生が死ぬことは構わない。だが、彼女が泣いてしまうことは六道にとって好ましくない。それは阻止すべきものだ。

 だがどうすればいい。今の愛生を止める手立てが六道には思いつかない。あの不器用な破壊衝動を抑える方法があるとは思えなかった。エリナの鎖が砕けた瞬間を見るに、今の愛生は触れるだけでこちらが壊されてしまう。押さえつけることは無理だ。

 どうするんだと自身に問う六道の視界の中で動きがあった。リナリアが動いたのだ。


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