ハイエナの粛清
六道は地に膝をつきながら、崩れてしまった《クチナシ》を眺めていた。彼女を殺すことが出来たはずのその機械は既に跡形もなく壊れている。もう修復など不可能だ。どうにもならない。
「おい、六道! どうすんだよ、これはよぉ!」
呉が頭を抱えて叫んでいた。どうすればいいのか。そう六道に問うが、そんなものは俺にだってわからないと六道は答えた。ただ一つだけ確かなこと。それは、
「俺は、負けたんだ。あの男に負けた」
彼女を殺してやれなかった。その後悔だけが六道の心を満たしていた。この三年間、全てをリナリアを殺すために費やした。彼女を地獄に置いたまま、全ては今日という日の救いのために。それが打ち砕かれたのだ。もう六道にはどうしていいのかわからなかった。
「畜生なんだってんだお前も! あんなやつ、殺しちまえばいいじゃねぇか……今、丁度あいつは無防備なんだ」
六道は見る。愛生のいる場所。そこには血まみれになった我王愛生がリナリアを抱いて座っていた。確かに無防備だ。今ならあの背中を容易に襲える。
だが、それがどうしたというのだ。
殺せばいいだと? それができなかったから、俺は負けたんだ。
呉が愛生の背中に狙いを定めて手にした拳銃の引き金を引くが、先程の乱射で弾を全て撃ち尽くしていたようだった。苛立った舌打ちをしながら、六道は作業着の胸ポケットから予備の弾丸を取り出そうとした。その時だった。
呉の胸に、そこに添えられていた腕ごと穴が開いた。
「――――え?」
何が起こったのかわからないという風に間抜けな声をあげたのは呉自身だ。だが六道の瞳は確かにその光景を見ていた。呉の胸を腕ごと貫いたのは鎖だ。突如として空中から飛来した鎖。先端がまるで槍の穂先のように鋭く尖ったその鎖が一瞬の後に呉の心臓を貫いたのだ。
呉成実がそれ以上、声をあげることはなかった。その胸から鎖が引き抜かれると同時に、彼はそのまま地面へと倒れて絶命した。
「リナリアぁ!」
六道は咄嗟に彼女の名前を叫んだ。六道自身の直感が教えたのだ。彼女が危険なのだと。だが既に遅かった。六道が彼女の名前を叫んだのとほぼ同時、愛生の背中から貫通した鎖が姿を見せた。リナリアの側からこちらへ向かって二人の体を鎖が貫いたのだ。
愛生が倒れる。貫通した衝撃をそのままに仰向けに倒れた。既にリナリアから手は離れていた。彼女を抱きしめていたはずのその腕はもうなにも握っていない。ただ力を失くしたかのように投げ出されたまま、動かない。
我王愛生は動かない。
リナリアはそんな愛生をじっと見ていた。お腹から鎖が貫通した状態のままで、痛がることもせず。ただ動かない愛生をじっと見ていた。
「おいおいマジかよ。これで終わりかよあっけねー」
声はまだ若い少女のものだった。リナリアの後ろから、声はしていた。
そこにいたのは三人の少女。いずれも白いパーカーを着ている。
「正体不明の能力って聞いた時は期待したが、がっかりだっつーの」
「簡単に済むのなら、それでいいじゃない」
「…………うん。それが、いい」
まるで緊張感などなさげに会話する少女たち。その中の一人、金色の髪をした少女のパーカーの袖から伸びている鎖が六道の眼を引きつける。あれが、呉成実を殺し、今リナリアと愛生を貫いている凶器だ。袖だけでなく、彼女の服の裏からはいくつもの鎖が伸びて、それぞれがまるで意思を持つかのようにうごめいている。合計で八本。いずれも先端は槍の穂先のように人を殺す形をしていた。
鎖を操る能力か……。
六道は警戒しながら、立ち上がる。愛生との戦闘でのダメージは大きいが痛覚制御で痛覚を遮断してしまえば動けないことはない。立ち上がり、そして尋ねた。
「貴様らは何者だ」
六道の質問に三人の少女が反応した。金髪の少女の隣、背の低い少女が言う。
「ほら、エリナ。まだ残ってるわよ。任務はまだ終わっていないわ」
エリナと呼ばれた金髪はめんどくさそうに吐息しながら、しかしその表情に笑みをたたえながら言った。
「何者だぁ? んなのもん決まってんだろ。俺らはあんたと同じ《名もなき組織》の一員だっつーの」
「組織の、一員?」
名もなき組織がこうしてここにいることに驚きはしない。自分や呉が狙われる理由も明白だ。だが、愛生やリナリアまでも狙う理由はわからなかった。そして何より。
「俺は、貴様らを知らない」
組織の人間だと言うのなら、六道が知らないはずがない。だが彼女らの内、誰一人として六道の記憶には存在しない人物だ。
知らない。その言葉にエリナが鼻で笑った。それを窘めながら、背の低い少女が告げる。
「オヤジ様が、例え部下であろうと他人に全面的な信頼を置くと思ってるの? あの人はそんなに、良い性格をしていないわよ」
「その通りだ。俺たちはもしもあんたみたいな裏切り者や、組織にとって害悪となる存在が現れた時のためにいるんだぜ」
最後に残った眼鏡の少女が酷く小さな声で呟いた。
「粛清のための、人員……」
組織の人間すらも知らない組織の一員。それは他ならぬ名もなき組織を殺すための人員。
「もしも裏切り者が頭の切れる奴だったなら、仲間の能力やその弱点を研究してるはずだろう? そういう時のための俺たちなのさ」
「なるほどな。味方の裏切りを常に想定しているというのは、実にあの老人らしい」
超能力者同士の勝負において、能力の未知数というのは厄介なハンデだ。だからこそ、彼女らのような存在がいる。裏切り者を楽に殺すための存在。
「オヤジが裏切り者を許すとでも思ってんのか? 六道さんよぉ。あんたも今回の任務のターゲットなんだぜ」
「……貴様たちの任務はなんだ?」
意外なことに、その質問には背の低い少女が素直に答えてくれた。
「『殺せる奴は全員殺せ。殺せない奴は連れて帰れ』。オヤジ様があたしたちに言ったのはそれだけよ」
「つってもよー。さすがに《熱機関》とか《スタンドアローン》は俺らの手に余るからよー。とりあえずここにいる奴だけ殺したら帰るつもりなんだけどな」
ここにいる人間。その中で殺せない人間は、リナリアだ。彼女は殺すことが出来ない。絶対に。
眼鏡の少女がおどおどしながら告げた。
「さ、最初から……あなたも我王愛生も踊らされ、てたの…………鏑木さんは、これを狙ってた」
鏑木流が狙っていたもの。それは漁夫の利であり、リナリアというフェーズ7だ。
そういう、ことか……。
六道の裏切りに対して、鏑木流は積極的な報復を行わなずに我王愛生をけしかけた。あくまでも傍観に徹した。それらは全てリナリアを手中に収めるためだったのだ。六道にリナリアを殺されては困るし、愛生の手に戻っても困る。この二人が争う図は鏑木にとっては理想の展開だったのだろう。
ハイエナめ……。
六道は心の中で悪態をついた。その憤りは鏑木と、自分に向けられたもの。
考えるべきだったのだ。政府が秘匿したリナリアを連れ戻せば、目に余る金と権力が流れ込んでくる。彼女は人類全体のモルモットであり、それは同時に金を呼び込む存在でもあるのだ。あの卑しい老人の目が眩まないはずがない。
自分にとって都合の悪いもの同士を戦い合わせ、疲弊したところを利益だけかっさらう。
それはとてもわかりやすい、鏑木流のやり方だった。
「悪いけど、速攻片付けさせてもらうぜ」
言って、エリナが鎖の鉾先を全て六道に向ける。それと同時に愛生に刺さっていた鎖も引き抜かれる。引き抜かれる直前、愛生の体が若干浮かびあがった。だがそれだけで、愛生は動くことはない。不死身の化け物はまるで死んでしまったかのように、動かない。
「いや、」
それを見ていたリナリアの表情に変化が訪れた。ただじっと、感情を示さない瞳で愛生を見つめていた彼女の表情に明らかな動揺が生まれた。そしてそれはしだいに悲しみと、絶望へと変わっていく。
「いやぁああああああああああ!」
叫び。喉が張り裂けるかのような甲高い叫びをあげて、リナリアが愛生へと駆け寄る。鎖は未だ、彼女の腹部を貫通しているが、それを気にしている様子はない。ただ彼の服を掴みながら、リナリアは泣いていた。
「いやぁ! 愛生! 愛生ぃ!」
リナリアは今まで見たこともないような激しい感情をあらわにして愛生に縋る。嫌だ、嫌だと口にしながら、泣き叫ぶ。
「だぁああ! なんだいきなりクソガキが! うるせぇっつーんだよ!」
エリナが激昂し、腕を振るう。するとそれに連動して袖から伸びた鎖も振るわれリナリアを壁に叩きつけた。そして腹部から突き抜けた鎖が声を出させないようにリナリアの首を絞めた。
「ぎゃーぎゃー喚くな! 人は死ぬさ。当たり前だ。てめぇみてーな化け物とは違うんだからな!」
自分の傍へと引き寄せたリナリアの耳元でエリナが言う。だがリナリアがそれを聞いている様子はなかった。首を絞められて、息もできないはずなのに、苦しがっている様子はない。ただ先程と同じ表情で倒れたままの愛生に向かって手を伸ばしていた。
それは何を望んでいるのか。何を掴もうとしているのか。
その絶望の意味は六道にはわからなかった。
だが――――
「侮辱したな」
俺の前で、彼女を侮辱したな。化け物だと、罵ったな。
「貴様はこの俺が手ずから地獄へ叩き落としてやる……!」
六道の気迫を面と向かって浴びながら、しかしエリナは笑っていた。それはこちらを小馬鹿にするような笑みだ。余裕のある笑いだとも言えるだろう。
手加減をしようとは思わなかった。そんな余裕は心にも体にもない。全力で殺す。六道は倍速行動の最高速度でエリナに向かって駆ける。エリナの能力の完全な全貌はわからないが、鎖を操るだけだというのなら六道の速度の敵ではない。
一撃で沈める。六道は地を駆けながら、先程愛生の手によって壊されたクチナシの破片を手にする。その材質は鉄。金属操作によって六道はその鉄を鋭いナイフへと形を変えた。これで奴の喉を掻っ切る。
だが、六道がエリナに近づくことはできなかった。彼女との歩幅が三メートル強ほどとなったところで六道の歩みが止まる。否、六道の意思ではない。それは止められたと言った方が正しい。まるで見えない何かに阻まれるかのように六道の足はそれ以上前に進まないのだ。
六道の視界の中、エリナの隣の背の低い少女がその両手をこちらへ向かって突きつけていた。
「《不可侵領域》。効果範囲内において、あたしが許可したもの以外の侵入を完全に認めない能力よ」
エリナが笑う。それは勝利を確信した者の笑みだ。
「六道さんよぉ、あんたは俺らの能力を知らないだろうけど、俺らはあんたの能力を知っている。流のオヤジは、あんたにとって天敵とも言える能力者を集めたんだぜ」
六道の持つ六つの超能力はそのどれもが強力だが、しかし一方でどれもが近接戦闘に特化しているという弱点もあった。六道の持つ超能力は戦闘において、相手に近づかなければ意味をなさないものばかりなのだ。
そして、この不可侵領域という能力は、六道が近づくことを許さない。
「つまり! 俺はこの安全な位置から返り血を浴びることなくあんたを攻撃できるっつーことなんだよぉ!」
エリナの鎖が六道を襲う。多方向から迫りくるそれを六道は後ろにさがることでかわす。だが、鎖はまるで蛇のように蛇行しながら六道に迫る。超能力によって操られた鎖は六道の最高速度についてきているのだ。なるほどこれは確かに自分にとっては天敵だと六道は理解する。近づけないばかりか、六道の絶対のアドバンテージである速度についてこられるとなると、もはや打つ手すらないように思える。
どうにかしなければ、と思うがどうにもできず。六道はただ迫りくる鎖を避けることで精一杯だ。
二本の鎖が六道の腹部目がけて直進。それを穂先を掴んでなんとか受け止めた。
「やるねぇ。あんたはそれなりに楽しませてくれそうだ」
嬉しそうに笑うエリナに睨みを返しながら、六道は倒れたままの愛生を見た。途端に怒りが湧き上がる。
「ふざけるな……何をしている! 起きろ、立ち上がれ! 貴様はそんなところで死んでいいのか!? 我王愛生!」
愛生は動かない。
「これが、こんなものが貴様の望んだことなのか? こんな最後が、くだらない絶望が貴様が望んだことだというのなら、俺は貴様を決して許さないぞ…………!」
何故だ。何故倒れたままなのだ。何故、死んだままなのだ。
「何言ってんだあんた。死んだ人間に向かって」
呆れたように、エリナは呟いた。
「あんたも死んじゃえよ」
六道の顔にめがけて、鎖が放たれる。だがそれはキィンという金属同士がぶつかる甲高い音と共に阻まれた。まだ自分が生きていることを不思議に思いながら、六道は視界の中にある人物の姿を見た。
鬼面を被った、和装姿の少女の姿。
忍花だ。彼女が手にした苦無でエリナの鎖を弾き飛ばしたのだ。
「どこに行っていた。この裏切り者め」
「見たかった番組の録画を忘れてしまっていたので、一旦帰っていました」
六道の文句に冗談で返すと少女はその両手に逆手に握った苦無を構える。突如として現れた奇妙な格好の少女を前にして、エリナは怪訝な表情を見せる。
「なんだぁ。突然現れやがって。テレポーターか?」
「答える必要性は皆無です」
言って、忍花が駆ける。地を這うようなその凄まじい走りにエリナを含めた少女たちは驚かされるが、しかし不可侵領域を前に忍花の疾走は妨げられる。しかし忍花は驚く様子を見せることもなく、間髪入れずに手にした苦無を投擲。すると、その苦無は不可侵領域内に何事もなかったように侵入して、背の低い少女の太ももに突き刺さったのだ。
「いい、ぎゃああああああああ!」
太ももを抑えて蹲る少女を見つめながら、忍花は近くに倒れていた愛生を引きずりながら少し下がって距離を取る。
「人は阻めても、物は阻めないようですね。理解しました」
背の低い少女は痛みに涙を流しながら、しかし鬼のような形相で鬼面の忍花を睨みつける。
「エリナ! あいつ、殺して!」
「わかってるっつーの!」
鎖が忍花に狙いを定めるが、しかし忍花は動じない。
「さて」
などと、余裕のある声で言いながら長い袖を振るうと、一体どこから取り出したのか……その両手には苦無の代わりに二丁の短機関銃が握られていた。
「和装に鬼面でMP5かよ!?」
「和洋折衷というものです」
そして手にした短機関銃を忍花は容赦なく少女たちに向けて乱射する。だが、最初の一発が背の低い少女の肩をかすめただけで、残りはエリナの能力によって防御された。いくつにも束ねられた鎖の楯が銃弾をはじいたのだ。
「なかなか優れた能力に判断力です」
さらりと述べる忍花に少女の憤怒の視線が突き刺さる。
「エリナ! 早く殺しなさいよ! そいつを殺せぇ!」
言われるがままにエリナは鎖を忍花に向かって放つが、それは何のことなしにかわされてしまう。
「速い。しかし動きが直線ですね」
「ちくしょう!」
「ほら、攻撃ばかりしていていいんですか? 次はこれでいきますよ」
忍花が片方の銃を捨てて取り出したのは手榴弾だ。既にピンは抜かれている。それを目にした瞬間、背の低い少女はパニックを起こして忍花から離れるように逃げ出した。太ももと肩に響く痛みが彼女に恐怖を植え付けたのだ。
「馬鹿やろっ! 離れるんじゃねぇよ舞香!」
エリナが少女を追おうとするが、その足元に手榴弾が投げ込まれる。それに気を取られた一瞬に、忍花が手にしていた短機関銃が背の低い少女の背中を打ち抜いた。衝撃に、彼女の体がびくんびくんと揺れてから、崩れ落ちる。
「舞香ぁ!」
エリナの叫びと同時に、手榴弾が爆発。辺りに粉塵をまき散らす。粉塵が晴れた後に見えたのは、もう動かない舞香と、何重もの鎖によって自身と残った少女を防御してみせたエリカだった。
「防ぎきられましたか」
対して意外でもなさそうに呟く忍花にエリナが鋭い視線を向けた。
「くそ…………やろぉおおがぁああああああああああ!」
だがその瞬間、全員の動きが止まった。誰もが見ていたのだ。忍花の足元に倒れていた我王愛生が立ちあがったのを。




