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灰かぶりの涙

 真っ白な部屋に少女がいる。灰色の髪をした小さな女の子。リナリアだ。

 彼女は壁に開いた穴から白い巨塔が崩れ落ちるのを見ていた。

 壊れていく。自分を殺してくれるはずの機械が、自分を殺せるものが崩壊していく。それは彼女にとっての絶望に他ならない。そのはずだが、しかし今の彼女の心は別のものでいっぱいだった。

 この感情はなんなのだろうと、リナリアは自分の胸に手を当てて考える。

 彼女の無表情の仮面。その下の素顔は痛いのが嫌いで辛いのが嫌いで苦しいのが嫌いで、みんなが嫌いで世界が嫌いで、でもみんなも世界も大好きな感情まみれだ。愛憎にまみれて滅茶苦茶だ。そんな感情まみれのはずの彼女でも、今抱いている感情がなんなのかはわからなかった。わからないけれど、だけど辛くはなかった。嫌でも、なかった。

 それこそよくわかんないけど……。

 リナリアは立ち上がって、穴の向こうの部屋に行こうとしたが、三歩と歩かない内に力が抜けてその場にへたり込んでしまう。全身が酷く脱力していた。ぼんやりとした瞳で見れば、すでに白い巨塔は跡形も無く崩れてしまっていた。もう、取り返しがつかないのだ。自分は死ぬことが出来ない。にもかかわらず取り乱すこともできない自分はきっと、壊れてしまったのだろうとリナリアは思う。この感情もきっとそうだ。

 壊れてしまった。いや、壊されてしまった。抱いた憎しみも、愛情も、良いものも悪いものも全部いっしょくたに砕かれて壊された。今、自分の心はまっさらな状態なのだ。ちょうどこの部屋のように白く、どこまでも白くなってしまった。

 そのまっさらな心に残った感情がなんなのか、リナリアにはわからなかった。

 視線の先、一人の少年がこちらに向かって歩いてくる。

 ふらふらと、今にも倒れそうな足取りだ。身体はボロボロで血まみれで、死んでしまいそうな顔をしている。愛生だ。リナリアがきっと理解してくれると思った人。自分の気持ちをわかってくれると思った人。そしてリナリアの気持ちを理解した上で、それを打ち砕いた人でもある。本来なら、憎悪すべき相手だ。なんてことをしてくれたんだと、噛みついてやるべき人だ。それでも、憎悪どころか怒る気力すら湧かないのはどうしてなのだろうか。

 わからないよ。リナリアには、わからないよ……。

 どうしていいのかわからずに黙っていると、少年はリナリアの傍まで来た。そうして座り込んでいるリナリアの前に片膝たちの姿勢になると、右の腕をリナリアへ向けて伸ばした。

 血まみれの手だった。リナリアがそれを見つめていると愛生が言った。

「掴んでくれ」

 それは彼の懇願だ。彼自身の願い。祈り。

「諦めないでくれ」

 どうして?

「受け入れないでくれ」

 嫌だよ。

「生きてくれ」

 そんなの、辛いだけだもん。

 少年は繰り返す。お願いだから、お願いだから生きてくれと繰り返した。

 リナリアはその手を取ろうとして、でも途中で諦めて腕を下げてしまう。だらりと投げ出された腕はもう何も掴めないような気がした。すると、頬に熱がつたった。驚いて触れてみれば、それは涙だった。泣いているのだ。気づけば自分の眼からは次から次へと涙が溢れてくる。

 悲しくないよ。嬉しくもない。じゃあ、なんでリナリアは泣いているのかな。

「リナリアはね…………みんなのことが嫌いなの」

 あれ? どうして。どうしてリナリアは喋ってるの。

「みんなことが大っ嫌い。世界も嫌い。嫌い。みんな死んじゃえって、いつも思ってるよ。みんなリナリアと同じ思いをして死んじゃえって」

 口からは彼女の意思に関係なく言葉が溢れる。

「でもね、そんなみんなのことも大好きなの。ほんとは嫌いなのに好きになっちゃたんだよ。世界だって楽しいことがいっぱいあった。優しくて、温かいものをたくさん知った。嫌いだけど、好きにもなっちゃったんだ」

 いや、これはきっと言葉ではないのだろう。彼女の口から溢れるのは感情だ。彼女自身の、心だ。リナリアという少女の心だ。

「愛生のことも六道のこともみんなのことも大好きで、でも幸せそうにしているみんなが大嫌いで、そんなことを考えているリナリアが嫌いで、考えたくないのに考えちゃって、許したいのに許せなくて、忘れたいのに忘れられなくて、好きなのに嫌いで嫌いなのに好きでもうどうしていいのかわかんないんだよぉ!」

 少女の叫び。それは涙と共に語られる。

「リナリアは誰に怒ったらいいの!? 誰を恨んだらいいの!? この気持ちはどこにぶつければなくなってくれるの!? どうしたらちゃんと、みんなのことただ好きでいられるの!? ねぇ教えてよ! リナリアは、リナリアにはもうどうにもできないの!」

 少女が抱えたのは身に余る憎悪であり、それを否定してしまう潔癖だ。それらは決して共存できない矛盾。折り合いをつけるしかないそれを、彼女はつけられず苦しんだ。今もなお、苦しんでいる。世界すら呪うその憎悪を幼い心で必死に否定しているのだ。誰かを好きになりたいと願っているのだ。

「こんなのやだよ……こんなのやだよぉ! どうにかしてよ! リナリアにはもうどうにもできないから…………だからどうにかしてよぉ!」

 リナリアは泣きながら髪を振り乱し、縋るように言った。

「助けて――」

 助けて。

「――――助けてよぉ……愛生…………助けて―――」

 ああ、言っちゃった。遂に、言っちゃった。

 今まで一度も言わなかった言葉。自分からは決して望まなかったこと。それを言ってしまったら最後、もう歯止めが利かなくなる。動き出した感情は止まることを許さず、流れ出してしまう。

 助けて。

 助けてください。

 お願いだから、助けてください。

 リナリアは願う。自分勝手で身勝手で、傲慢な正義の味方に。

 弱虫で、情けなくてみっともないヒーローに縋る。

 全てを投げ出して、全てをさらけ出して。

 ――――少女はヒーローを求めた。

 愛生の血まみれの手がリナリアの肩を掴んだ。リナリアは引き寄せられ、その腕に抱かれた。優しくて、温かかった。全部外に出て知ったことだ。

 愛生が、教えてくれたことだよね。

 ぎゅうっと強く抱きしめられた。愛生の胸にリナリアは自分の頭を預ける。彼の流す血で自分も血まみれになってしまったが、それでもいいと思った。その方がいいと思ったのだ。この血は洗わなければ落ちない。なかったことにはならない傷だ。

 愛生が、自分を望んでくれたからついた傷だ。

「帰ろう、リナリア」

 耳元で少年が囁く。

「今日はもう、遅いから」

 少女は頷く。頷きながら、泣いた。声をあげて、馬鹿みたいに泣いた。どうして自分が泣いているのかは結局わからなかったけれど、泣いていいんだということだけはわかったのだ。


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