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折れるわけにはいかない

 痛かった。とにかく全身が痛かった。痛みが愛生の思考を覆い尽くしていた。

 穴の開いた右手が痛い。肩には杭が刺さったままで、少しでも動く度に神経が引き抜かれるような感覚がした。全身で痛くないところを探す方が難しい。六道によって打撃された箇所は熱を受けたかのような激しい鈍痛を訴えていた。

 痛くて痛くて泣きそうだった。すぐにでも泣いて喚いて逃げ出してしまいたい。逃げ出してしまいたい、にも関わらず愛生の体はそうはしなかった。弱虫な自分を抑えつけて、臆病な自分を握りしめて戦っていた。

 何故。どうして。

 六道はそう自分に向かって叫んでいた。

 何故? どうして?

 わからない。どうして僕は戦うんだ。どうして立ち上がる。逃げてしまえばいいのに。こんなにも痛くて苦しいのだから、逃げてしまえばいいんだ。

 何故。どうして。わからない。

 だが、愛生は逃げなかった。逃げるわけにはいかなかった。どうしてだかはわからないけれど、逃げてはいけないような気がしたのだ。

 唐突に頭に浮かんだのは灰色。あの子の髪の色。瞳の色。それが愛生の視界の隅に現れたのだ。愛生の意識が覚醒する。ぼやけていた視界がはっきりとする。それと同時に全身を襲う激痛も強くなったが、たいしたことではない。この体が動くのならそれでいい。

 左の義手は六道の頭を掴んでいる。渾身の力でそれを握りながら、愛生は呟いた。

「悪いな――――」

 それはとても小さな声だった。

「僕はまだ、死ねないんだよ」

 死なないのではなく死ねないのだ。約束をした。帰ってくると、仲間たちと約束をしたのだ。だから彼らが許さない。我王愛生が死ぬことを。そして何より他ならぬ愛生自身が許さない。

 死ぬな。まだ、壊れるな。お前はまだ死んではいけない。我王愛生は死んではいけない。例え神様が死ねと迫って来ても、そんなものは叩き返せ。死神が鎌を振り上げたなら、こっちは拳を振り上げろ。

 抵抗しろ、対抗しろ。戦争だ。紛争だ。闘争だ。戦え、抗え。

 拳を握れ。

 お前はまだ、死んではいけないのだから。

 死ぬまで戦い続けろ――――――

 愛生は左手に握った六道の頭を床に叩きつけた。その拍子に肩に刺さった杭が抜け、血が溢れ出した。温かな血液が愛生の体を伝っていく。その感覚に全身を浸しながら、愛生は自分が生きていることを実感した。生きている。戦える。

 床に叩きつけてなお、愛生は六道の頭を放しはしない。六道が腕と足を振り回して愛生の体を打撃して抵抗をしていたが、そんなものを今更気にはしない。愛生は六道を引きずるようにして走った。そうして助走の勢いをそのままに六道の頭を今度は壁に叩きつける。白塗りの壁にひびがはいったが、六道はまだ壊れていない。金属操作メタルコートで後頭部を防御しているようだった。それならそれで構わない。その防御ごと砕こうと愛生は決意。

 再び叩きつける。

 六道はまだ壊れない。

 そんなことを何度も繰り返した。その内、いくつかの金属の破片が飛び散ったかと思うと、六道が後頭部に纏っていた金属が砕け散った。それと同時に白塗りの壁も度重なる衝撃に耐えきれずに崩壊。巨大な穴をあけた。

 穴の先は何かの倉庫のような部屋だった。様々な機械が散乱している。壁を砕いた勢いのまま愛生は六道と共に転倒。その際に六道は愛生の手から逃れる。距離を取った六道は部屋の壁にもたれかかるようにしてこちらを睨んでいた。

「俺は……! 俺は、こんなところで倒れるわけにはいかない!」

 ああ、そうだな。僕も同じだよ六道。だから戦っているんだ。僕らは互いに譲れないから、どちらかを叩き折るまで戦うんだ。

 そしてそれはまだ終わっていないのだ。

「――――満たせ」

 愛生は《ダインスレイフ》を発動させた。第一段階だが、全身の痛覚を十三倍にまで引き上げられた今の愛生の体には想像を絶する負荷がかかっていた。しかし今更痛みが増えたからなんだというのだ。あの子が受けた地獄に比べれば、こんなものに意味はない。意味がないのなら、それは最初からないのと同じことだ。

 黒い、直線的で人工的な紋様が愛生の左手に奔る。

 溢れ出る力は戦うためのもの。目の前の敵を叩き伏せるためのもの。

「化け物め……!」

 六道は憎々しげにそう呟くと、黒いコートを脱ぎ捨て右腕を水平に伸ばした。その右腕を銀色の鉄が覆っていく。六道の全身のいたるところをカバーしていた鉄が右腕という一か所に集まってきているのだ。どろどろとうごめく銀色はその形を刃へと変える。切っ先は薄く鋭いが、その全貌はまるで巨大な鉄の板のような剣。六道の肘から先が一メートル超える大剣になったのだ。

「その体、両断してくれる」

 六道が駆ける。愛生は拳を握り、迎撃の用意を整えた。だがほんの一瞬で六道の姿が消えた。いや、消えたのではない。上だ。上へと跳躍したのだ。六道は領域歩行フリーウォークによって天井に逆さまになって屈んでいた。

「死ね。そして二度と甦るなぁ!」

 六道が飛んだ。下に向かって、地面に向かって、愛生に向かって飛んだ。倍速行動ラブルスタンダードによって落下の速度までもが六倍となり、さらにそこに天井を蹴りつけた力も加わる。そしてその視界の中でも視覚強化キャッツアイを持つ六道の瞳は確実に愛生を捕らえて両断するのだろう。

 回避は間に合わない。いや、例え間に合ったとしても領域歩行フリーウォークによって六道は空中を駆け、逃げた愛生へ再びその刃を振るうだろう。逃げ切れない。

 そう判断した愛生は右手を頭よりも高く上げて防御の楯とした。だが、愛生の細腕などあの大剣の前では小枝のようなものだ。落下する力は愛生の腕ごと全てを叩き斬るだろう。だからそこから先は咄嗟の思いつきだった。

 生きるためではなく勝つための発想。

 まず、愛生は左の義手を覆っていた黒の紋様を右腕に移動させた。それは愛生が意識すれば驚くべきスピードで右腕に移ってくれた。そして、その腕で予定通り六道の大剣を受ける。それを見て、六道は瞬間的に笑みを浮かべていた。当たり前だ。六道の眼には愛生が真っ二つになる未来すら映っていることだろう。だがそれは訪れない。何故なら愛生は死ねないからだ。

 右腕の半分にまで刃が達した。だがそれが骨まで砕かんという手前で変化が起こる。異変だ。六道もまたそれに気づいて表情を変えた。なんと、愛生の右腕を覆っていた紋様が六道の刃へと移っているのだ。それは左の義手から右の腕へ移った時のような驚くべきスピードであっという間に大剣の全体にまで広がっていく。

 そして刃が砕けた。

 それはまるで自重に耐え切れなくなった脆い金属のように、内側から粉々に砕け散ったのだ。

 ダインスレイフの特性は侵食と崩壊。その紋様は使用者本人である愛生がまとえば爆発的な力と共に大きな代償をもたらす諸刃の剣。なら、他のものがまとえばどうなるのか。あの裏方八九郎にすらその一撃を響かせた秘密がそれだった。この能力は愛生以外のものですら侵食し、崩壊させていく。その紋様を直接、愛生の拳を介さずに侵食させたのだ。

 愛生の腕を切り落とす前に大剣が砕けた。そのことに六道は驚愕する。同時にそれは絶望をも生み出す。

 六道は大剣を振り回した勢いを殺すことができずに空中で無防備になる。愛生は上げた右腕で六道の胸倉を掴む。半分ほど切られた箇所から血が噴き出した。そのまま、愛生は六道を正面の壁に投げつける。叩きつけられた六道が地面へと沈む前に愛生は六道のもとへ駆ける。

「――溢れろ――」

 それは二つめの詠唱キーワード。己という愚かな器を満たして溢れ、ダインスレイフが愛生の体を侵食し崩壊させる。その爆発的なエネルギーを義手の拳に乗せて、愛生は全てを六道の体に叩きつけた。

 みしみし、と音が聞こえた。それは六道の体が壊れる音で、愛生の体が壊れる音でもあった。もうすでに自分の攻撃の衝撃ですら愛生の体は壊れそうになるのだ。蓄積された痛み、増加された痛み。頭がおかしくなるほどの痛みが愛生を蝕む。

 それでも叩きつけた拳を引いたりはしない。全てを崩壊させるその力を愛生は全力で振りぬいた。

 壁が砕けた。破片と一緒に六道が奥へと飛んでいくが、不思議なことに壁が砕ける時もその破片が地面へ転がる時も音は聞こえなかった。ただ、自分の鼓動と息遣いだけが響いていた。

 壁の向こうには巨大な白い塔のようなものが存在していた。見上げるほどの高さと圧倒的な重量感を誇るその塔はよく見れば何かの機械のようだった。大人の腕ほどもある太いケーブルが床を覆い、その全てが中央の白の機械へと繋がっている。

 これか、と愛生は思った。

 なんの根拠もない直感だが、それでもわかった。きっとこれがあの子を殺すものなのだ。リナリアを殺す巨塔なのだ。

 壊そう。これを壊そう。彼女を殺すこの白を壊してしまおう。

 視界の端に、作業着を着た男が見えた。男は何かを叫びながら怯えたような顔で手にした拳銃をこちらに向けて乱射している。

 なんだ、何を言っているんだ。聞こえない。もっと大きな声で言ってくれ。

 男の声だけでなく、銃声すらも愛生の耳には届かなかった。狙いも滅茶苦茶な撃ち方だったが、何発かが愛生の体に直撃した。痛かったけれど、銃声が聞こえないことの方が気になった。

 どうして聞こえないのだろう。銃声だけじゃない。今の愛生には自分の音以外の何もかもが聞こえないのだ。世界がおかしくなってしまったのか。いや、違う。世界は最初からおかしかった。理不尽で、不条理なこの世界は最初からおかしいのだから、だとするとおかしくなったのは自分の方かもしれない。世界の歪みに耐え切れず、我王愛生はとうとう狂ってしまったのかもしれない。

 愛生はふらふらとした足取りで白の機械へと近づいていく。

「やめて、くれ…………」

 声だ。六道の声。六道が血を吐きながら、口を開く。その声は聞こえた。よかった、僕はまだ狂ったわけじゃないんだと愛生は安堵する。

 あるいはそれは二人が狂っていただけのことかもしれないが、それでもよかったのだ。

「それを壊さないでくれ。それがないと、彼女を殺せない……」

 ああ、やっぱりそうなのか。なら、壊さないと。跡形も無く、壊さないと。

「頼む。やめてくれ……なんでもする。全部終わったあと、俺を好きにしてくれても構わない。どんな残虐な方法でもいい。俺を殺してくれていい。抵抗はしない。だから、だからやめてくれ…………それだけはやめてくれ……」

 六道が懇願する。地を這い、涙を流しながら不様に懇願する。お願いだ、やめてくれと。

「彼女を殺してあげたいんだ。彼女の苦しみを終わりにしてあげたいんだ。俺が、俺の手で終わらせたいんだ! もうこれ以上俺は彼女が苦しむ姿を見たくない!」

 そうか。僕も見たくないよ。リナリアが苦しむ姿は見たくない。だけど、リナリアの姿が見えなくなってしまうのはもっと嫌なんだ。

 僕はリナリアと一緒にいたいんだよ。

「やめてくれ……やめてくれよぉ! 頼む。頼むから、俺に彼女を殺させてくれ! 俺にリナリアを殺させてくれ! そうでなければ、そうしなければ…………俺は、俺はなんのために――――」

 なんのために? そんなの決まっている。リナリアのためだろう。お前は自分の気持ちと一緒にあの子を殺して、楽にしてあげようとしたんだ。あの子のためにお前は誰よりも辛い道を選んだんだ。お前は凄いよ。凄く優しいし、凄く強い。

 だけど、

「僕の勝ちだ」

 ――――愛生が腕を振りかぶる。左腕。全身を弓のように、限界まで引き絞る。

「満たせ。満たせ。満たせ」

 三つ、呟く。紋様の数が目に見えて増え、愛生の左腕を完全に覆った。

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 六道の絶叫。それに重ねるようにして、愛生は獣のような雄叫びと共に白の機械に拳をぶつける。ダインスレイフが愛生の腕から白の機械へと侵食していく。どこまでも白いその巨塔を真っ黒に染め上げ――――――そして崩壊が始まった。


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