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六道という男

 ほんの一瞬だ。六道が、その意識を手放していたのは。

 放心状態。現実から認識が剥離していく感覚が六道の全身を支配し、その動きを止めたのだ。

 きっかけは愛生の言葉。その問いだ。それを最後に六度は表情と共に動きを消し――――そして今、ようやく我に返る。

 ハッとした六道が最初に見たのは銀色に光る自身の手、それが掴む我王愛生の首だった。金属操作メタルコートはあくまでも、金属の形状だけを操る能力。その硬度までは変化しない。故に六道が首を絞めるために力を入れたまま能力を使おうとしなければ、その力は鉄によって固定されたままとなる。今がその状況だ。六道は自身の意思と関係なく、愛生の首を絞め続けていたのだ。

 それがどれくらいの時間だったのかはわからない。ただ、六道の腕に掴みあげられた愛生は全身をダラリと重力のままに垂れ下がっていて、意識もはっきりしていなかった。抵抗するだけの力も、喋るだけの空気も残っていないのだ。

「……!?」

 六道は咄嗟に愛生の首を掴む手から力を抜き、愛生の体を投げるようにして地面へと叩きつけた。それから数秒の間のあと、愛生は血を吐きながら意識を取り戻す。息を吸い込むのと一緒に血を飲んだのか、苦しそうに咳込んでいた。

 何を、しているんだ俺は……。

 額に手を当て、呻くようにして六道は狼狽する。

 このまま、殺してしまえばよかったのだ。リナリアも、それを望んでいる。なのに、どうして俺は今この男を……。

 咄嗟のこととはいえ、どうして助けてしまったのだろうという後悔。それが六道に混乱をもたらしたのだ。

「……質問の答えを聞いていないぞ、六道」

 血を吐きながら、我王愛生は地面に伏したまま六道に言った。

 そうだ。たった一度しか問わないと言われた問いに、六道はまだ答えていない。

「くだらない!」

 六道はその質問を一蹴した。

「そんなことはあり得ない。殺されることが彼女の望みであり。彼女の望みは俺の望みだ。ならば、俺の望みは彼女の死に他ならない。それを俺の手でやることに、なんの躊躇いもない!」

 自分の存在意義はリナリアを殺すことなのだ。だから違うと六道は叫んだ。

「俺が生まれた理由は彼女を殺すためだ! 俺が生きた理由は彼女を殺すためだ! そのための三年間だった。それを今更、貴様に問われる筋合いはない!」

「その割には、随分と余裕がないように見えるけどな」

「それこそ戯言だ! ならば俺は逆に問おう。貴様の言う違和感とはなんだ! 一体何を根拠に貴様はそのようなくだらぬ質問を投げかける!」

 我王愛生が立ち上がる。その足は震えていたが、まだ視線は確実に六道を見ていた。

「お前は、僕を含めたリナリアに少しでも関係した人物を軒並み殺そうとした。一人、残らずだ。僕はそれが、お前のリナリアに対する執念の結果だと思っていたけど……実際はそれだけじゃなかった」

「貴様、わからないのか。俺が貴様らに《名もなき組織》をけしかけたのは時間稼ぎのため。リナリアを連れ出すための囮、フェイクにすぎない」

「だから、それがおかしいんだ。そもそも囮なんて、フェイクなんていらなかったんだから」

 愛生の言葉に六道は言葉に詰まった。

「あの時、僕はリナリアを一人部屋に残して出かけた。お前がリナリアの手引きによって楽に僕の家に侵入できるのなら、僕がリナリアのもとを離れた時間を見計らって連れ去ればいい。それでなくとも《名もなき組織》に襲わせるのは僕一人だけでもよかったはずだ。なのに、お前はわざわざ千歳や八九郎さんをも襲うことで、結果的に二人をこの件に巻き込んだ。それは六道、お前にとっては敵を増やすことになっている。…………この結果が本当に、お前の望んだ形なのか? これが本当に最善だったのか?」

「ほ、本来なら! あの襲撃でお前を含めた全員が死んでいたはずだった……。あれは単に作戦の失敗だ! その時点で俺の思惑からは外れている!」

 六道は徐々に自分の声が大きくなっていることに気づいていた。

 駄目だ。これでは本当に俺が動揺しているようではないか。

 そうは思っても、上手く体は制御できない。それこそが動揺であると、そのことに六道は気づかなかった。

「だが、その失敗の要因は帝さんだろう。お前は帝さんが現れない日を狙って襲撃したと言っていたが、その情報はどこから得た? それは確信の持てる確かな情報だったのか?」

「…………」

 何をしている。口を開け、反論をしろ。

 帝に関してのは情報は忍花から六道へ提供されたものだった。その信憑性は確かだったはず。それを言ってやればいい。

 なのにどうして俺は固まっているのだ。

「六道、お前は凄い男だ。世界で唯一のマルチスキルであり、その戦闘力もたいしたものだ。《名もなき組織》を出し抜いたことも普通に考えれば凄まじいことだ。でもだからこそ、この現状はおかしいんだ」

「おかしい、だと……?」

 ようやく絞り出した言葉はそのたった一言だった。愛生はその顔ににやけるような微笑を張り付かせて続ける。

「僕みたいなやつが、今こうしてお前と対峙していることだよ。お前に比べれば僕なんてのはどうしようもないくらい弱っちい奴だ。そんな僕がこうしてここまで来れていること自体が不自然なんだよ。……そもそも、お前が本気になれば僕らがこの場所を知ることもできなかったはずだ。鏑木流と僕らの接触も阻止できたはずだ。だけどお前はそれをしなかった。それはお前の怠惰の結果じゃないのか」

 怠惰、だと?

 何を言っている。この男は、俺に何を言いたいのだ。

 わからなかった。ただまとまらない思考が六道の脳を侵す。

「お前は無意識に手を抜いていたんだ。お前はリナリアを殺すとのたまいながら、あの子を殺すことに手を抜いた。…………お前のリナリアに対する執着は本物だ。だけどそれは決して、あの子を殺すことへの執着じゃない。六道、お前はリナリアを殺すことに本気ではなかった」

「もういい!」

 気づけば六道は手を振り叫んでいた。もう、たくさんだと。

「貴様の言うことは全て憶測だ! 貴様の妄想の産物でしかない! そんなお遊びで俺の想いを知った風に語るな!」

「だけど僕がここにいる! それはなによりお前が本気ではなかったことの証明だ!」

「黙れぇ!」

 怒号と共に六道は愛生に拳を浴びせた。二発、三発。何度も何度も愛生の身体のいたるところを殴りつけた。愛生は力を失くしたように、その場に倒れる。

「はあ……はあ……」

 息が荒れていた。それが激しい駆動によるものだけではないということはわかっていたが、それでも考えないようにした。

 考えるな、思考を止めろ。それはきっと開いてはいけない箱だ。

「おま、えは…………」

 声だ。切れ切れの、掠れた我王愛生の声。足元を見れば、倒れたはずの愛生が六道のコートの裾を掴んで立ち上がろうとしていたところだった。

「僕と最初に会った時、あの部屋でまるで誰かを待っているようだった。それはリナリアに出かける準備をさせていたからだけど、それもおかしいんだ。これから死ぬはずの女の子に、一体なんの準備が必要だって言うんだ! それなのに、お前はそれを待っていた。それを口実に、他の誰かを待つように……」

 六道は無言のまま、愛生の顔面を蹴りつけた。立ち上がろうとしていた愛生はまたも地面を転がる。

 駄目だ。聞いてはいけない。この男の言葉は危険だ。こいつの言葉は、俺の心をかき乱す。

 六道は倒れた愛生を執拗に、何度も何度も蹴りつけた。だが、その猛攻の中で愛生はまだ諦めずに口を開いていた。

「あの部屋でお前は言った、リナリアを殺すのだと。それだけじゃない。お前は執拗にリナリアの殺害を強調していた。『死』はリナリアにとって救いだというのに、お前は自分の行動を救いだとは決して言わなかった」

「黙れ……!」

 顔を蹴りつける。

 男はまだ、黙らない。

「リナリアの関係者を狙ったことも、その中に戦闘能力のない花蓮ちゃんや鋤崎さんたちまでもが混ざっていたこと――――お前の行動はまるでわかりやすい悪役のようだった! 汚い言葉で、不遜な態度で、容赦のない行動で、お前は自分を悪役だと名乗っていた」

「……………………」

 喉を蹴った。顔を踏みつけた。

 男はまだ、黙らない。

「お前は本当はリナリアを殺したくなかったんだ! お前の執着はリナリアの死ではなく、リナリアそのものへの執着だった。僕と同じだ。お前は僕と同じで、ただリナリアが好きだっただけだ。あの子が大切になってしまっただけだ。あの小さな子供を守ってあげたいと、世界を敵に回して膝を抱えるあの子を助けてあげたいと思った愚か者だ!」

 男はまだ、黙らない。

 男はまだ、黙らない。

「お前は僕と同じように矛盾を抱えていた。リナリアの願いを叶えたいと思いながら、あの子には死んで欲しくないと願った。お前はその矛盾を自分の願いを潰すことで解消した。だけど願いは潰しきれなかった。お前は無意識の内に手を抜いて、無意識の内に悪役を演じていたんだ」

「黙れ、黙れ、黙れ―――――」

「悪役にはな、それを倒すヒーローがいるんだ。馬鹿みたいな悪をぶっ飛ばしてくれる正義の味方。お前はそれを望んだんだ! 自分を倒し、その矛盾を砕いてくれる正義の味方を、お前は望んだんだろう!? なあ、六道!」

「黙れぇえええええええええええええ!」

 六道は愛生の身体を踏みつける。その姿はまるで地団駄を踏むような、不様な姿だった。

「そんなことがあるものか! 俺の願いは。俺の願いはただ一つだけだ。それ以外に、何もありはしない!」

 考えるな。考えるな。

 何故、こんな時に思い出す。

「貴様が、貴様の妄想で俺を語るなぁ!」

 浮かび上がるのは少女の姿。数年前、少年が見た少女の姿。灰色の髪と瞳を持ち、白の檻に閉じ込められた不死身の少女。少年と同じく世界を呪いながら、しかし世界を愛そうとした少女。自らの中のその矛盾に苦しんで、死んでしまいたいと願った女の子。

 その子を、心底美しいと思った。

 その心に、痛いほどに惹かれた。

 だから、助けたいと思ったのだ。救ってあげたいと思ったのだ。

 その少女を救った男になりたかったのだ。

 だけど、それは本当に俺の願いだったのか?

 俺が、最初に願ったことは、一体―――――

「貴様は、なんだ」

 口を開く。とにかく言葉を並べることで思考を停止させる。これ以上は、考えないようにしたのだ。

「貴様は――――我王愛生は何者だ!?」

 愛生は立ち上がった。ボロボロの体で、震える足で、それでも拳を握って立ち上がる。既に目の焦点は合っていない。それでも六道を見て、彼は言うのだ。

「お前が望んだ、正義の味方だ」

 その姿は笑えるほどに不様だった。声は掠れ掠れで、体はふらついている、もうまともに立てないのだ。情けないなんて話じゃない。見ていて、痛々しくもある。

 だがそれでも男は拳を握った。立ち上がった。痛みも恐怖もかなぐり捨てて、その闘志だけは決して絶やさず立ちあがる。

 これが自分の望んだ正義の味方だというのなら、それこそ滑稽だと六道は思う。

 だがそれでも確かに、今この瞬間、我王愛生はヒーローだったのだ。

「――――……いいだろう。なら、俺はそれを叩き潰す。貴様のくだらない妄言も、その身体も心も、全て叩き伏せる」

 そして、俺は彼女を救うのだ。

 六道はリナリアを救った男になるのだ。

 それこそが、自分の望みなのだから。

 それ以上、愛生は喋ることはなかった。ただふらつく体を何とか維持しながら、こちらへ拳を向ける。

「行くぞっ!」

 言葉と共に六道が駆けだした。もう下手な戦略も必要もない。倍速行動ダブルスタンダードの速さと金属操作メタルコートの硬度があれば、自分に負けはない。ただ、殴り続ければいい。我王愛生の身体と心を折り砕くために。

 六道の連撃。愛生は防御の姿勢を取るが、六道の攻撃の半分も受けることが出来ないでいる。勝負は圧倒的だと、そう思った。だが次の瞬間、信じられないことが起こった。攻撃を続ける六道の顔面に愛生の右腕の打撃が当たったのだ。当たったこと自体に驚きはしない。打撃自体も力の入っていない軽いものだった。問題は、六道がその打撃を見ることが出来なかったことだ。

 視力強化キャッツアイは常時発動型の強化能力だ。六道の眼に見きれない行動などそうそうありはしない。だが、それでも愛生の一撃が見えなかったのは事実だった。

 どういうことだ。この男がそれほどまでの速さを持っているとでも?

 しかしそれはあり得ないことだ。我王愛生にそれだけの速さはない。もしあったとしたら、ここまでボロボロになる前に使っているはずだ。

「わからない。だが、危険だ」

 そう判断した六道はすぐに勝負をつけると決めた。右足による連続蹴り。愛生の身体のいたるところを狙ったその蹴りの連撃は単調な動きながらも、今の愛生では避けきることもままならない。殆ど全ての攻撃がヒットし、愛生の体を吹き飛ばした。

 終わった。そう思った。

「…………!?」

 だが、我王愛生は終わらなかった。吹き飛ばされた向こう。六道の視線の先で立ち上がったのだ。

「馬鹿か貴様は……。既に限界だ! これ以上やったところで意味はない!」

 愛生は何も言わない。いや、何か言葉を口にする余裕すら残っていないのだ。

 それでも奴は、立ち上がった。

「不様だ! 滑稽だ! 痛々しいにもほどがある…………そうまでして、貴様は彼女に傷つけというのか!?」

 返答は期待していない。ただその怒声と共に六道は愛生に近づき、もう一度猛攻を仕掛ける。拳、それに蹴りまでも加えた嵐のような猛攻。愛生の体はサンドバックのように衝撃を殺すこともできずに揺れる。だが――――

 それと同時に、こいつの打撃も俺に届いているだと!?

 六倍速で動く六道の攻撃に比べたら、愛生の放った拳など微々たるものだ。だがそれでも、愛生の攻撃はその全てが見えない打撃となって六道の体を確実に殴打していく。

 奴の黒い鋼の拳がこちらの鉄の鎧の上から衝撃を伝える。そして生身の拳や足技は、的確に六道が鎧を着こんでいない部分を狙っていた。金属操作メタルコートは六道のフェーズの関係上、全身をくまなくカバーするだけの操作はできない。結果、六道の体にはどうしても鉄の覆われていない無防備な部分が出来てしまう。愛生はそれを見抜いているのだ。

 だが、どうして奴の攻撃が俺には見えない……?

 弱点を見抜かれたことについてはまだいい。しかし視力強化キャッツアイの視界の中で六道に勘付かれずに動く事など物理的に不可能なのだ。

 どういうことだ。俺は確かに奴を視界の中に捕らえている。特殊な能力でも持っていない限り、不可視の攻撃など不可能。ましてや、死角からの攻撃など……。

 閃きはそこで訪れた。死角という言葉に六道の思考が全力で反応する。まさかという思いと共に六道は自分の考えを確かめるために、愛生との距離はそのままに、攻撃の手だけを止めた。

 すると、どうだろう。今まで断続的にこちらを叩いてきた愛生の攻撃がぴたりとやんだのだ。六道が攻撃の手を止めるのとほぼ同時に。

「やはり。貴様、俺自身の攻撃によって生じる死角から攻撃を加えていたのか」

 拳を振れば、その拳に隠れたわずかな部分は六道にとって見えない、視界の中の死角となる。いくら視力強化キャッツアイがあれど、六倍速で動く身体だ。そのわずかな死角が重なることもある。愛生はその死角に隠れてこちらに攻撃してきていたのだ。見えているはずなのに、見えないもの。可視の中の不可視。愛生はそのほんのわずかな一瞬に合わせて攻撃を繰り出している。

「理屈は理解した。だがしかし、それは一体どれだけ俺の行動の先を読んでいればできることだ」

 この男は自分の行動をいくつも先読みしながら、しかし攻撃事態を防ぐことは無理だと判断し、確実にこちらへ届く攻撃だけを積み重ねたのだ。

 我王愛生はただがむしゃらに、策もなく六道と戦っていたわけではなかった。殴られ、床に倒れ伏しながら、六道の行動を観察していたのだ。その攻撃のパターンを見ていた。そうして思考していたのだ。六道に勝つために、どうするべきなのかを。

 その結果選んだのがこの策だというのは、少しだけ笑えると六道は微笑する。自分が傷つくことさえ厭わない。いや、自分が傷つくことが前提の策など、そもそも作戦として破綻している。それは愛生の語る頑丈さに裏付けされたものなのかもしれないが、現に彼の身体は限界だ。

 だけど、それでも、愛生は本気だった。リナリアを生かすことに、リナリアを傷つけることに。一切の躊躇いもなく、本気で彼は戦っていた。それは揺るぎない勝利への執念。決して諦めない覚悟の形だ。

 きっと、先程の問答ですら愛生にとっては作戦の内だったのだろう。こちらの動揺を誘い、激昂を誘い、攻撃のパターンを単調化させようとしたのだ。おまけに冷静さを欠けば、作戦にすら気づかないこともあったかもしれない。

 あれは奴の作戦だった。

 しかしそうわかったとしても六道の心から動揺は消えない。原因不明の焦りは徐々に大きくなっていく。

 倒さなくてはならない、と六道はより強く思った。

 この男はこの俺が、今すぐにでも倒さなくてはならない敵だ。

 そうしなければ、取り返しのつかないことが起こるような気が、六道にはしていた。

「いいだろう。貴様の執念、その覚悟。それだけは評価してやる。――――だがそれは実力の伴わない蛮勇だと知れ!」

 六道は再び攻撃を開始。こちらの動きは変わらない。眼にも止まらぬ連撃で、すぐにでも愛生を砕くつもりだ。六道の連撃は確かに愛生の体を打ち続ける。だが、変わらぬ攻撃を繰り返す六道に対して、愛生の行動には変化が訪れていた。

 攻撃が、見えるのだ。今までは不可視だった愛生の攻撃が見えるものとなって六道を襲う。当然、目に見える攻撃なんてものは六道には通用しない。だがそれと同時に、先程のまでの見えない攻撃も六道を狙っていた。

 可視と不可視のコンビネーション……。

 見える攻撃。それは囮だ。だがしかし囮であれど、的確に金属操作メタルコートの防御外の部分を狙ってくるその攻撃を六道は避けるか守るかしないわけにはいかない。愛生はそうやって、自分の攻撃を防御させることで六道の行動を制御しているのだ。六道の動きが、我王愛生によって制御されている。そうすることで愛生は先程よりもさらに高い頻度で、より力を加えられた不可視の一撃を放ってくるのだ。

 この俺が踊らされているだと。

 さあ、防御しろ。次はここを殴れ。

 そんな風に誘導されているような感覚を六道は覚える。ならばその誘導から外れればいいとも思ったが、愛生の示す道は六道にとって最善の行動なのだ。それを外れれば必然的に六道は最善ではない行動を取らざるを得ない。

 そして何より、こんなことを考えている思考そのものが六道の動きを鈍くしていた。

 これはまずい。そう思った時にはすでに遅い。愛生の誘導によってがら空きになった六道の顔面に愛生の右の肘が叩き込まれた。その衝撃に視界が白くなったり黒くなったりが一瞬の内に数度繰り返される。二、三歩よろけるように後退した六道が自身の顔に手をやると、ぬめりとした感覚。血だ。鼻に受けた衝撃によって鼻血が噴き出しているのだ。

「俺に血を…………我王愛生、貴様俺に血を流させたな!」

 愛生は虚ろとした瞳で六道を見つめているが、しかし言葉に反応することはない。ただ戦う意志を示すかのように拳を握る姿だけは崩さない。

 鼻血だけで大げさな反応かもしれないが、しかし六道はどんなものであろうと血を流すということを想定していなかったのだ。それだけ六道と愛生には決定的な実力差があった。だがことここに至っては自身が我王愛生よりも経験に劣るという事実は認めなければならないだろうと六道は思う。

 戦うことに関する経験と、センスは明らかに愛生の方が上だった。そもそも六道の属していた《名もなき組織》は戦闘よりも暗殺、殺しに特化した組織だ。人の殺し方は覚えられても、戦い方は覚えられない。だからこそ六度は独自に訓練を積んできたつもりだったが、それでも我王帝の横で数々の戦場を渡り歩いた愛生の経験には及ばなかったのだ。

「だが、貴様の反撃もここまでだ。見せてやろう。この六道の最後の超能力を!」

 六道は流れる鼻血を手で拭う。そして、血まみれになったその手のひらを愛生に向けてかざしながら迫る。当然、愛生はその手を警戒するが、それを囮に六道は左の足で腿を蹴り愛生の体勢を崩しにかかる。

「遅いぞ!」

 そして、六道の血まみれの手が愛生の左左胸に叩きつけられた。しかしそれは攻撃というよりも、手についた血を拭うような、そんな動作だった。

 六道が、笑う。

 口の端をつり上げて、不敵に、不気味に、そしてなにより不吉に笑った。

「準備は整ったぞ」

 そうして、六道はその血に濡れた手のひらを愛生へと向ける。

「《痛覚制御ウィッチクラフト》――――我王愛生を呪い殺せ!」

 何かを握りつぶすように、六道の手が力強く握られる。すると突然、愛生の様子が豹変する。最初は表情だった。虚ろな目を浮かべるだけだった愛生の顔が驚愕を示し、次に握られた拳がとかれ胸の辺りを抑えるようにして…………そして、叫んだ。

「ぎ、あああ、あああああああああああああああああ!」

 鼓膜を破るかのような悲痛な悲鳴。喉を掻っ切るかのごとく発せられたその叫びに、六道はその不吉な笑みをより一層強くした。

「は、ははははははは! どうだ。それが痛みだ! 我王愛生ぃ!」

 愛生は胸を押さえたまま、その場にうずくまる。それでもまだ耐えられぬかのように叫びをあげながら、地面を転がった。愛生の顔は悲惨なものだった。苦しがっている。痛がっているなんてものじゃない。そのまま、顔が崩れてしまうのではないのかと思うほど、愛生の顔はゆがんでひずんで滅茶苦茶だった。

 そんな愛生をリナリアが見ている。彼女はすでに無表情の仮面をつけ直してしまっていて、その表情から感情を読み取ることはできない。ただ、真っ直ぐに愛生を見ている。

痛覚制御ウィッチクラフトは俺が持つ六つの能力の中でも最もおぞましい超能力だ。その名の通り痛覚の制御が基本だが、痛みを和らげるだけでなく痛覚をより敏感にさせ痛みを増幅させることもでき…………何よりこの超能力は他人にも適応される。――――俺の血を貴様につけただろう? それが合図だ。俺の血液に触れた人間は痛みの是非を俺に委ねることとなる」

 淡々と、しかし表情は笑みのままに六道から語られるのはその能力の内容だ。

 痛覚制御ウィッチクラフト。痛覚を鋭敏にさせ、痛みを増幅させる。その増幅幅は最大で十三倍。小さな切り傷すら身を切り裂かれるほどの激痛へと変える恐ろしい能力だ。

 今、愛生の痛覚は十三倍の感度まで引き上げられている。出し惜しみはしない。最初から全力の発動だ。しかし愛生はその痛みの中でも六道の言葉を聞いていたようで、血液がこの能力の発動条件だと知ると、先程擦り付けられた六道の血液を着ていたシャツごと破って取り払い、何かを振り払うように胸の部分をかきむしる。皮膚や、しまいには肉すらもえぐりだしそうなほど必死に胸をかく愛生を見て、六道は冷たく告げる。

「無駄だ。血液の付着はあくまでも発動開始の条件にすぎない。一度発動した痛覚制御ウィッチクラフトは俺の意思でなければ解呪はされない」

 勿論、六道本人の意識が無くなったり、効果範囲外に逃げだせば能力は続かなくなる。だが、六道と対峙したままでそれを解呪する方法はないのだ。

「今はまだ痛みの増幅は胸部付近だけだが、次第に全身を侵していく。これでわかっただろう。貴様では俺には勝てないということが。例え貴様が俺を相手に互角に戦えたとしても、俺が血を流した瞬間に、貴様の負けは決定する。――――俺の返り血を浴びた人間を例外なく呪い殺す。これはそういう能力だ」

 話しをしている内に、愛生の悲鳴は段々と力をなくしていき、しまいには涙を流しながらむせび泣くような声となり、その内何も聞こえなくなった。

 声はしない。音も立たない。我王愛生はピクリとも動こうとしない。

 終わったな、と六道は確信を得た。目の前の男が死んだという確信だ。

 あれだけ善戦したわりにはあっけない最期だった。

 涙を流して泣き叫ぶ、不様な最期だった。

 だがこの男にはそれがふさわしいと六道は思った。それは勿論、六道の我王愛生に対しての恨みや怒りがあってのものだが、しかしそれとは無縁のところで我王愛生はきっとこうして死ぬのだろうと六道は思うのだ。例え自分と会わずとも、例えリナリアと会わずとも、不様に泣き叫びながら、苦しみながら、それでも戦いながら死ぬのだろう。泣いて、泣いて死ぬ。

 馬鹿らしい。くだらない。何を感慨にふけっている。この期に及んで、まだ俺はこの男に特別な想いがあるというのか。

 我王愛生が六道に会った偶然を信じているというのか。

 あり得ない。そんなことはない。今の六道にあるのは終わったのだという気分だけだ。そこに興奮も悲しみも勝利の喜びも何もない。人を殺したという事実だけが六道の中に残った。

 目の前の男は死んだ。ただ死んだのだ。六道がこの手で殺した。その能力で殺害した。ただそれだけのこと。

「終わったぞ、リナリア。君の望み通り、我王愛生は死んだ。苦しんで死んだ」

 六道は愛生に背を向け、リナリアの元へと歩みを進めた。

「これでもまだ、君の痛みの百分の一ですらないだろうが……それでも死んだ」

 俺が殺した。そう言うとリナリアは頷いた。その頷きにどんな意味があったかはわからない。愛生の死に、どんな思いを抱いているのかもわからない。彼女の表情はすでに仮面の下に隠されている。

「さあ、行こう。そろそろ呉の準備も終わっている頃だ。少々手間取ったが、もう邪魔する者はいない。これで本当に君を殺せる」

 言って、六道はリナリアに手を伸ばした。

「君の苦しみを終わりにしよう」

 君を殺すことで終わりにしよう。

 そうして、もう二度と傷つかないところへリナリアは行くのだ。傷のない体と、傷だらけの心を持って。

「さあ、行こう」

 そう言って、六道は伸ばした腕を取るようにリナリアに促したが、しかし彼女は手を取るどころか六道を見てもいなかった。その無表情の瞳は六道の背後に向けられている。

 まさか、と思った。そんなはずはない、とも。

 そう、そんなはずはないのだ。あってはならない。この背に感じる圧倒的な威圧も、闘志も、それはもう六道が感じてはならないものだ。それはもう〝奴〟が出してはならないものだ。

 振り返る。

 我王愛生が立っていた。

「――何故だ…………」

 体は言うまでもなくボロボロだ。流した涙は額からの血と混ざって血涙のようにもなっている。赤く血に染まった瞳で愛生は六道を見ていた。

 愛生は六道を見ている。

「あり得ない!」

 六道は暗殺の仕事の際は痛覚制御ウィッチクラフトをよく使用していた。簡単だからだ。何度か殴った後に痛覚を十三倍にしてやれば、ほとんどの人間は悲鳴をあげる暇もなく絶命する。想像を絶するその痛みに耐えきれず、ショック死するのだ。それが人間の防衛本能なのか、理屈はどうだか六道にはわからない。だがそれでも、今までこの力で死ななかった人間はいない。

「あり得ない! 十三倍の痛みだぞ!? 俺はまだ、能力発動をやめていない。貴様の体は今もなお、死ぬほどの痛みに襲われているはずだ!」

 死ぬほどの痛み。それは比喩ではなく本当にそのままの意味。耐えられるわけがないのだ。この呪いは人間の体には不相応な痛みをもたらす。そもそも愛生は痛覚制御ウィッチクラフトを発動させる前から既に立ち上がることさえ困難なほどの傷を負っていた。六道が愛生を殴り飛ばしたダメージは、その手を貫いた杭の痛みは十三倍にまで増幅されて愛生を苦しめているはず。

「何故だ!? 何故立てる! 何故立とうと思える!? 痛みを知り、恐怖を知り、どうしてまだ立ち上がる。心も体もとっくに砕けていなければおかしいではないか!」

 一体どれだけの拳を浴びせたのか、どれだけの傷を与えたのか、六道自身にだってわからないほどだ。死んでいたって、おかしくはない。

 むしろどうして死なないのかと、六道は叫んだ。

「なんだ、貴様は。貴様はなんだ!? 我王愛生は本当に人間なのか!? 貴様、一体――――これではまるで、不死身の化け物のようではないか!?」

 不死身の化け物。

 殺しても死なない人間。どれだけ殴られても、何度叩き伏せられても、その度に立ちあがる。

 そんな愛生の姿が六道には不死身の化け物に見えたのだ。

 今更になって、スタンドアローンが言っていた言葉の意味を理解した。

 決して怒らせるべきではない。我王愛生が本気を出した時点で、その勝負に勝ちも負けもない。当たり前だ。目の前の男は勝つまで諦めないのだから。勝つまで戦い続けるのだから。不死身の化け物の如く、何度でも立ち上がり這い上がり、何度負けようとも決して勝つことを諦めないのだから。

 なんて愚直。なんて愚かで真っ直ぐな戦い方なのだろう。勝つまでやめない。ただそれだけ。

 そんな奴をどうやって負かせばいいのだ。

「あと何度殴ればいい。あと何度俺は貴様を叩き伏せればいい。どうしたら貴様は諦める!? どうしたら貴様は死ぬのだ!?」

 答えない。当たり前だ。不死身の化け物が自らの殺し方を語るはずがない。彼らは死に方を知らないのだから。

「――――いいだろう。貴様が愚直に戦うのなら、俺もそれに倣ってやる」

 六道は拳を握る。やることは変わらない。殴り、蹴るだけだ。殴り続け、蹴り続け、それを我王愛生が死ぬまで繰り返す。死んでもまだ、繰り返す。奴の体がミンチになるまで、不死身の化け物が決して復活しないように、この六道の全てを賭けて我王愛生を殺しきる。

 倍速行動ダブルスタンダードは最初から最高速度の六倍速。金属操作メタルコートによる鉄の拳もいつもより五ミリ厚くした。

 鋼の拳で叩き伏せる。

「行くぞっ!」

 愛生はだらりと腕を下げたままだ。だが、その目に宿るのは紛れもない闘志。純粋な覚悟。決して折れない精神と壊れても動き続ける肉体。それらを併せ持つ化け物が動いた。

 それは正面からの殴り合いだった。戦術もへったくれもない。互いに下半身は完全に固定し、動こうともしない。最初に取った間合いから一歩も動くこともなく、六道と我王愛生は両腕を振るい続ける。防御なんてしなかった。どちらかが壊れるまでの殴り合い。そしてこの勝負は六道に軍配が上がるはずだった。

 六道は他人よりも六倍速く動く能力があり、他人よりも硬い拳を作る能力があった。戦術を無視した殴り合いならば、基本的なポテンシャルがものを言う。六道がそのポテンシャルで愛生に負けるはずがなかった。

 そうだ、俺が負けるはずがない。

 六道は思う。疑問を浮かべる。

 ならば何故、奴は倒れないのだ――――。

 六道の体には既に二十発以上の愛生の拳が叩き込まれている。こちらは六倍の速度で動いている。単純に考えても、百を超える打撃が愛生の体を打ちぬいているはずなのだ。

 にもかかわらず、愛生はまだ動いている。鉛の雨のような連撃を受けながら、必死に己の拳をこちらへと届かしている。

「――――何故だ」

 六道は思わず口に出していた。加速する思考のなか、加速する視界のなか、生まれる疑問を口にする。

「何故だ。何故だ。何故だ。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だぁ!」

 何故倒れない。何故死なない。何故戦う。何故戦える。

「倒れろ……倒れろよ…………もういいだろう。もういいから――――さっさと死ねぇ! 化け物がぁああああああ!」

 叫びと共に、六道は左腕を大きく振りかぶる。その手にまとう鉄の手袋は既に形を変えて極太の杭となっていた。

 手の平から生えるようにして生み出された鉄の杭。この杭で心臓を突き刺す。その後は頭を潰そう。もう二度とこいつが動かないように。この化け物が二度と立ち上がらなくていいように殺してやろう。

 愛生の心臓目がけて放たれた鋭い一撃。だがその杭は愛生の心臓に達することはなかった。肩だ。杭の先端は愛生の肩に突き刺さったのだ。最初六道は自分が目測を誤ったのかと疑った。今の自分が正常な精神状態でないことくらいはわかっていた。その焦りが、ミスを犯したのだろうと。だが突き刺さった杭を反射的に抜こうとした所で愛生が前に一歩踏み出したのだ。そうすることで杭はより深くまで食い込み、愛生の背中にまで達して貫通した。

 確信はそこで得た。間違いない。我王愛生は狙って杭を自分の肩に突き刺させたのだ。

 しかしそれこそ驚愕だった。六道は六倍速で動いているのだ。その動きに合わせて自らの肩を杭の射線上に差し出した。それは最初からこちらの動きをわかっていなければできない芸当だ。

 いや、違う。わかっていたんだ。この男には俺の行動が読めていた。

 六道がその左手を杭に変えた瞬間に愛生にはわかったのだろう。それが心臓に突き立てられることが。

 そして肩に深く食い込んだ杭は六道に一瞬の隙を生む。その一瞬は我王愛生にとっては充分すぎる勝機だった。

 六道の腹部に愛生の左の拳が叩き込まれる。黒の腕が六道の内臓を破壊する。

 意識が飛びそうだった。口から血が溢れた。なんとかこの場から逃げ出そうと、六道は突き刺さった杭を抜こうと力を込めるが、抜けない。

 愛生の左の拳が今度は六道の胸を打った。喉をせりあがった血が一気に吐き出されて愛生にかかった。六道の返り血を浴びたのだ。だが意味はない。すでに愛生は呪われている。まるで点滅するような視界と思考の中で六道は金属操作メタルコートで杭の形状を変化させようと試みるが――――遅かった。六倍の速度でも遅かった。それよりも先に愛生の額が六道の額にぶつけられた。

 頭突き。噴き出したであろう血が六道の視界を染めたが、それがどちらの血なのかはわからなかった。確認することもできない。痛覚制御ウィッチクラフトによって痛みは緩和しているが、脳が揺らされたのだ。六道の意志に関係なく意識は高く飛び上がる。

 六道の視界が赤から白に変わった瞬間、愛生の義手に顔を掴まれた。ギリギリと、頭蓋骨を握りつぶさんばかりの力が込められる。

 ああなんだ、と六道は酷く冷静に思った。

 頭を潰されるのは俺の方だったのか。

「悪いな――――」

 我王愛生が小さく呟く。

「僕はまだ、死ねないんだよ」

 六道は己の頭が地面に叩きつけられたのを感じた。それはとても、他人事のような痛みだった。


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