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戦わなければならなかった者

 梯子をひたすらに降りる。鉄でできた梯子は冷たかった。カツンカツンと靴の音。それに混じるようにキン、と左の義手が梯子を掴む音が響く。しばらく、その反響の音を聞いていると、段々と跳ね返る音が近くなっていくのがわかった。梯子の終わりも近いのだろう。そう思ったころには、この暗闇に目も慣れて穴の底を見ることが出来るようになっていた。

 ようやく地面に降り立つと、視界の先に小さな光を見つける。何かの扉の隙間から漏れる光だ。愛生は段々と警戒を強めながら、光に向かって歩く。扉に近づき、右手の平で触れてみる。冷たかった。これも鉄でできているようだ。ドアノブは無く、ただ指を引っかけるためだけのようなくぼみだけがある。これで横に開く扉のようだった。

 意を決して扉を開いた。その重厚そうな見た目に反して扉はあっけないほどあっさりと開いた。光が視界に飛び込んでくる。暗闇に慣れていた目は眩しさを訴えるが、眼を瞑るわけにはいかなかった。何が飛び出してくるのかわからないのだ。

 まばゆいばかりの蛍光に慣れた愛生の瞳が見たのは白色だった。

 壁や床、天井は全面を真っ白に塗装されている。痛いほど目に飛び込んでくる白色。既に光には慣れたはずの眼でも眩しいと感じるような大きな空間だ。生活感や日常からは切り離されたその部屋の中央に奴がいた。

 雑に切りそろえられた漆黒の髪。異様に白い肌。中性的な顔立ちに浮かぶ青と黄の猫目のオッドアイ。全身黒尽くめに黒のコートを着込む不吉な姿。

 六道。

 我王愛生の敵だ。

 そして六道の背中に隠れるようにして、リナリアがこちらを見ていた。灰の髪と瞳は変わることなく、何も映すことなく愛生を見つめる。

「愛生……」

 一言、悲しそうに自分の名前を呼ぶリナリアの声が聞こえた。次に耳に飛び込んできたのは六道の重苦しい言葉だった。

「来たか、我王愛生」

 六道は愛生を睨みつけたまま、リナリアに手で離れていろと合図した。既に愛生も六道も互いにいつでも戦えるだけの気構えが出来ていた。身体の準備も万全だった。

「……忍花はどうした。まさか、貴様が倒したのか?」

 六道がありえないとでも言うような顔で質問してくる。愛生はできるだけ自信のある口調で答える。

「倒したさ。あんな奴で僕の足止めができるとでも思っていたのか」

 勿論、はったりだ。愛生は忍花を倒してなんていないし、そもそも彼女とは戦ってすらいない。そのはったりはつく意味のない強がりのようにも思えたが、馬鹿正直に戦わなかったと言うよりはマシだろう。六道も疑うことはなく、素直に信じたようだった。あるいはそれは、嘘でも真実でも、どちらでも構わないということなのかもしれないが。

「忍花には、最初から期待はしていない。貴様ならきっと、ここまで来ると思っていた」

「随分と僕を高く買ってくれているようだな……過大評価じゃないのか」

「正当な評価だ。リナリア殺害にあたり、我王帝を除けば一番の障害は貴様だった。……後に、裏方八九郎というもっと高い障害も生まれたが、それでもやはりここに来るのは貴様だと俺は予想していた」

「ここに来たのが八九郎さんではなく僕だというのは、かなり意外性を狙ったつもりなんだがな」

「純粋な強さで言えば、貴様はあの二人のフェーズ7の足元にも及ばぬ雑魚に過ぎん。だが、その際限のない行動力に関してだけは、貴様はあの二人を圧倒している。――――中々できることではない、メリットを超すデメリットを受け入れた上で動くということはな。実際、今回我王帝は動かなかった。リナリアを助け出すことのデメリットと、リナリアを助けないことによるデメリットを天秤に賭け、順当に傷の浅い方を選んだのだ」

 世界を壊してしまうことと、リナリアを壊されること。その二つを比べて帝は後者を選んだのだ。それが苦渋の選択だとしても、それにどんな思いがあろうとしても、彼女は確かにリナリアを壊されることを選んだのだ。

「だが我王愛生。貴様は違う。メリットも、デメリットも度外視した価値観で貴様は動く。平気で、傷が深くなるような道を選ぶ。貴様は最後まで足掻くのだろう。だからこそ俺は貴様を警戒していた。一番の敵としてな」

「……そうか、そうかもしれないな。それでもやっぱり過大評価だとは思うけれど」

 昼間、愛生は六道に負けた。それも殆ど一方的に、呆れるほどの敗北を経験した。

 だが、六道は再び正当な評価だと口にした。

「貴様は一番の障害だ。しかしそれは決して強いという意味ではない。貴様の行動が予測できないというだけで、貴様の諦めが悪いというだけで、我王愛生は決して強くはない」

「僕を障害だと認めたうえで、勝てる相手だってことか?」

「ああ。貴様は障害だが、おそるるに足らん」

 六道の視線は鋭さを増す。今にも愛生を呪い殺さんとするような眼に狼狽えながら、愛生は言葉を作る。

「僕も、似たようなことを考えていた」

「なんだと?」

「最後に戦うならお前だと、そう思っていた。いや違うな、もっとこう……僕は六道と決着をつけなくちゃならないと、そう思っていたよ」

 六道は訝しげに愛生を睨みつける。当たり前だろう。愛生自身、この気持ちはよくわかっていないのだ。

 根拠はない。理由はない。あるのはただ、強迫観念にも似た『戦わなくてはいけない』という焦り。六道のリナリアに対する執念を感じた時、六道がリナリアのために動いていると知った時、愛生は直感的に、あるいは本能的に感じたのだ。

 我王愛生は六道と戦わなくてはならない。

 例えその先に、得るものが何もなくてもだ。

「くだらない」

 六道は愛生の言葉を一蹴する。

「俺と貴様を繋ぐのはリナリアという存在ただ一つだ。そこには運命も必然もありはしない。俺と貴様の間に特別な繋がりなどあるはずがない。貴様のような浅はかな人間が、一体何の妄想を抱いている」

「……僕が底の浅い人間だということは、まあ否定はしないけれど。それを今日会ったばかりのお前には、さすがに言われたくはないよ」

「貴様が俺を知らなくとも、俺は貴様を知っていた。言っただろう? 俺は貴様を一番の敵だと認識していた。故に貴様については調べつくしている」

 我王愛生がこの世に生を受けてから、今日までのありとあらゆるを調べたのだと、六道は言うのだ。

「公式の記録から、非公式の事実まで、わかる範囲のことをとにかく調べた。それに、リナリアから聞いた話を合わせれば、貴様の浅はかな人間性を理解するには充分に事足りる」

「だったら、教えてくれよ。僕は一体、どういう奴なんだ。ずっとわからなくて困ってたんだ」

「減らず口を……」

 悪態をつきながら、六道は続けた。

「我王愛生、貴様という人間の根源は《矛盾》だ。超能力者でありながら超能力を持たず、存在自体が矛盾した貴様は、その中身までもが矛盾だらけの滅茶苦茶だ」

 超能力者でありながら、超能力は持たず。手に入れた力も超能力とは一線を画するものだった。そんな自身の存在そのものの矛盾。それは愛生も理解していること。

 なら、その中身の矛盾は?

「貴様は自分のことをよくよく弱い人間だと言っているが、しかし実際はそうではない。たいした能力を持たないとはいえ、武器を持って武装した二十人以上の男を素手で相手取り、裏方八九郎と戦い生き残り、管理会の人間を二人も殺してみせた貴様が、ただ弱いだけの人間のはずがない」

「……僕が言ってるのは、精神的な強さのことだ。肉体的な強さのことも、言っていない訳じゃないけれど……」

「貴様は、敵と戦おうとするだけの精神も持っているではないか」

「それは怖いからだ! 恐怖に対して、牙を向いて震えているだけだ」

「普通の人間は恐怖に対しては怯えるばかりで、牙を向くことなんてできない。恐怖に対して拳を握った時点で、貴様は弱くはない。強い人間だ」

 それもまた過大評価だと、愛生は言うが、六道は構うことなく続けた。

「貴様はあるはずの強さを否定しながら、弱さを肯定し、弱さに縋り……そして強さを求める。酷い矛盾だ。自分で否定しておきながら、なおそれを求めているのだから。弱者でいることの安寧は心地よいものだろう?」

 六道の言い方は、まるでこちらを挑発するようなものだったが愛生はそれに乗るようなことはなかった。不思議と思考は研ぎ澄まされ、冷静なものとなっている。

「……それでも貴様は強者の救済を捨てきれずにいる。貴様の矛盾はそれだけではない。人を救うために人を殺すことを許容しながら、しかし人を殺した自分を拒絶している。世界の汚濁を許容しながらも、潔癖を捨てきれずにいる中途半端な綺麗好き。それが貴様のつまらない本性だ」

 強さを否定しながら求め、汚れを許容しながら拒絶し、弱さを肯定し弱さに縋り、綺麗なモノを求め続ける。

 自分の弱さを許せない潔癖と、弱さを肯定しようとする汚濁とが混ざり合った存在。それが我王愛生なのだろう。我王愛生という人間の根源は《矛盾》。

 なるほど確かにそれは浅はかで、つまらない。

「貴様は多くの矛盾を抱えた存在だ。だがそれは何も貴様が特別な人間だということではない。貴様のような矛盾は誰もが抱えていることだ」

 誰もが弱者の安寧に縋りながら、強者による救いを求め、

 誰もが世界の汚濁に浸りながら、それを打ち砕く潔癖を求める。

 誰もが矛盾をしながら、足掻いている。

「誰もが矛盾を抱えながら、しかしそれに自分の中で順当に折り合いをつけて生きている。どこまで汚濁を許容し、どこまで潔癖でいるのかを無意識の内に線引きしているのだ。だが、貴様にはそれがない。矛盾を矛盾のままに抱えて生きている。貴様が『誰もが』と違う部分など、その一点だけだ」

 だがそれは存外に大きな一点ではないのだろうか。

 矛盾と折り合いをつけずに、抱えたまま生きるというのは。

「貴様は結局何も捨てられないただの強欲だ。綺麗なものも汚いものも、矛盾すら同じように手にしておきたい強欲だ。何も捨てられない臆病でみっともない強欲。浅はかで、何より愚かだ。貴様のような愚かな一般人が、この俺と対等であるはずがない。そこに運命などあるはずがない」

 だが、と六道は強く叫んだ。そして両手を広げ、憮然としたその表情に笑みを見せた。それはこちらを射止めるような、どこまでも不吉な笑みだ。愛生は思わず息を呑む。

「俺は貴様の愚かさを許容しよう! 認めてやる。俺と貴様の間には運命も必然も存在しないが、偶然は存在していた。特別な繋がりはなくとも、互いに特別な想いは抱いていた。認めてやろう。認めてやる。貴様は確かに俺にとって〝戦わなくてはならない敵〟だ!」

 その時ようやく、愛生は六道という男を見た気がした。こちらを敵と見据え、その激しい本性をあらわにして初めて愛生は六道と対話をしたように思えたのだ。

「貴様は俺の敵だ」

「ああ、僕はお前の敵だ」

「俺はリナリアを殺す」

「僕はリナリアに死んで欲しくない」

 そこで、六道は構えを取る。拳を握り、こちらへと突きつけてきた。

「互いに折れるつもりがないのなら、どうすればいいかわかるだろう」

 愛生も六道に倣い、構えを取る。既に全身は熱を放つほど温まっている、それと相反するように冷えた思考が視界をクリアに保つ。視線の先には六道がいる。この先には敵がいる。

「折れるつもりが――――」

「――――ないのなら」

『叩き潰す!』

 そうして、戦わなければならなかった者同士の戦闘が始まった。


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