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無言の襲撃者

「しっかしこいつぁ……」

 ラボラトリ開発途中区域。その中央ラインとも言える建設中の巨大な道路の真ん中に立ち、八九郎は頭を掻く。

「俺が言うのも、なんなんだけどよぉ。やっぱ超能力者って結構とんでもねぇのな」

 八九郎の視線の先。そこには一人の男が倒れていた。傍らにはP90を無理矢理大型化したような、どことなく近未来的な形状のアサルトライフルが落ちている。

 目を見開き、仰向けに倒れたまま動かない男。意識はあるのか、時折ピクピクと体が動くが、立って歩いたり這いで移動することはない。まるでコードの切れたロボットのようだと、八九郎は思った。そして実際、その言い方はまるっきり外れでもないのだ。

 倒れている男の顔を八九郎は知っていた。基本的には少し幼い平凡な少年。ただ、眼の下にある泣きぼくろが少しだけ印象的な男。それは先程愛生の家で見た鏑木流の情報にあった、名もなき組織を唯一裏切った男の写真と同一人物だったのだ。

 名前は確か、逆崎だっけか?

 微妙な記憶を探りながら、八九郎は視線を右にスライド。すると、そこに二人の男が折り重なるようにして倒れている。その二人の男もまた、仰向けに倒れた男と同じ《逆崎》だった。

「まさか、自分の分身を作る超能力があるなんてよ、誰も思わねぇだろ普通」

 能力名《有限増殖スケープゴート

 自らの分身を自在に作りだし、操ることのできる超能力。勿論それらは幻影や、役目を終えたら消えるような都合の良い分身体ではなく、肉の身体を持ち、血の通う人間。より簡単に言うならば逆崎本人のクローンに近い。単純に人間一人分の肉体を生成する能力だと考えても、充分に優れていると八九郎は感嘆すら覚えたほどだった。

 鏑木の情報ではフェーズの関係で生み出した分身は明確な意思や知能を持つわけではなく、本体であるオリジナルの命令に従うだけの人形のような存在らしい。

 八九郎はぐるりと周囲を見渡す。ここにいる三人だけじゃない。八九郎の見える範囲でも道路の先には幾人もの《逆崎》が倒れているし、周囲の建物の中にも相当数が隠れ潜んでいたはずだ。その全てが武器を持ち、リナリア殺害までの時間、この開発途中区域を防衛していたのだろう。

 と、いうことはつまり武器を持って見張りをするくらいの命令はできたはずだ。

 その程度の情報だけでも、随分と応用力の高い能力だと言うことはわかる。

 分身の最大同時稼働数は三百人。それだけの人間が武器を持ってこちらを襲ってきたならば、例え八九郎でも苦戦を強いられたはずだ。特に今回は開発区域をあまり荒らしてはならないという制限があるのだ。死ぬことはなくても、怪我くらいはしたはずだ。

 だがしかし、結局八九郎は《有限増殖スケープゴート》と合いまみえる機会はなかった。この現状を見ればわかるだろう。すでに《逆崎》たちは無力化されている。

 スタンドアローン。桜庭千歳の手によって。

『何を一人でさっきからぶつぶつと、独り言ですか? ハゲですか?』

 丁度、千歳の声が聞こえた。八九郎はため息と共に反応する。

「ハゲですか? ってのはおかしいだろうが……それに、俺は一応お前に話しかけていたつもりなんだがな」

 はあ、と千歳は素っ気ない返事を返す。この女はよくわからないな、と八九郎は再び頭を掻いた。

 見渡す周囲に、千歳の姿はない。どころか、声の届く範囲に彼女はいない。彼女は今《逆崎》のオリジナルと対面しているはずだ。

「にしたって、桜庭。やっぱお前の能力はすげぇよ。ラボラトリ一の制圧力ってのは伊達じゃねぇな。まさか逆崎の分身三百体を一人で無力化しちまうなんてよ」

 五月女女学園が誇る《スタンドローン》。その能力の基本は感覚共有だ。千歳は効果範囲内にいる対象と接続リンクすることで、対象の感覚情報を共有することができるのだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。それに付随する情報をリアルタイムで得ることを可能とするのが彼女の能力。また、感覚の一方的な共有も可能で、相手には自分の情報を送らず、対象の情報だけを盗み見るようなスニーキングのようなことも可能。触覚は共有しない、視覚だけを共有など細かな調整などもできる。

 だが、それだけならばラボラトリに存在する他の能力と大差はない。決してラボラトリ一となるような能力ではない。スタンドアローンの真髄は別にある。

 スタンドローン。その力の及ぶ効果範囲は千歳を中心にして一キロにも満たないが、接続リンクした相手を起点に効果範囲を新規に形成、更に別の人物に接続リンクを繋げることができるのだ。人から人へ、鎖を繋ぐように、その繋がりはやがて蜘蛛の巣のような巨大なネットワークを構築するのだ。

 たった一人で強大な情報網を作りあげる。それが彼女の超能力だった。

『ええ、そうでしょう。私にかかれば、この程度朝飯前なのです。よかったら、もう少し褒めても大丈夫ですよ?』

「あーはい。凄い凄い」

 愛生と話している時と微妙にキャラが違うな……。

 適当にあしらいながらも、内心八九郎は本当に感心していた。

 人から人へ接続リンクを繰り返し、千歳個人のためのネットワークを構築する。それに付随した認識力や情報処理能力の強化までが彼女の能力だが、できることはそれだけではないのだ。それは感覚共有の応用としての感覚奪取なるもの。情報を共有し、自分が情報を得るだけでなく、千歳は相手の情報をある程度操ることもできるのだ。具体的には眼球が取得した視覚情報が脳に届くよりも先に遮断、または別の情報で上書きすることで相手の視覚を完全に奪取してしまうのだ。これは触覚や聴覚など、その他の感覚にも適用できる。

 八九郎は倒れたままの《逆崎》に視線を向ける。彼らは千歳の感覚奪取によって情報をクラッキングされたのだ。結果、全ての感覚を奪われ、まともに動くこともままならなくなっているのだ。

 確かに、ラボラトリ一の制圧力だ。

 直接的な攻撃力を持っているわけではない。彼らだって特に怪我をしているわけではないのだ。千歳が能力を解除すれば、何事もなかったかのように、また本体の命令を遂行する肉の人形に戻ることだろう。

 自身のネットワーク上にいる人間を無傷のままに無力化する。それがスタンドアローンという能力の真の力と言っていいだろう。

『なんですか、突然黙って。失礼なこととか考えてません?』

 聞こえる声は耳元で囁かれるような小さなもの。しかしどうしかはっきり聞こえる不思議な声だ。

「いや、そんなことねぇよ」

 応じながら、また一つ八九郎は感心する。現在八九郎も千歳と接続リンクしており、八九郎が聞く声は彼女の方から送られてきた情報だ。脳に直接、聴覚情報を送ることで実際の音はなくとも八九郎にははっきりと聞こえるのだ。

 この辺は送信型のテレパスと似ているな。

 ただ、違うところは彼女は心を読むことはできないという点だ。向こうからの言葉は直接脳内に送られてくるもの。こちらの言葉は八九郎の口から発せられ、八九郎の耳が感知した音を千歳が共有することで聞いているのだ。そこが思念だけでも会話可能なテレパスとは違うところだ。

 しかし、冷静に考えると今自分は彼女に生殺与奪の権利を握られているのかと、八九郎は今更ながらに気づいた。暴力とは別の力で敵を圧倒する彼女の能力は八九郎にとって天敵とも言える力だった。

 俺の最強ってやつも、随分薄っぺらいもんだったんだなぁ。

 結局、八九郎の思う戦闘というのは喧嘩の延長でしかなかったのだ。命のかかった本物の戦いでは、卑怯という言葉は通用しない。もし、千歳が敵に回ったら。もし、今朝の相手にまた襲われたら。自分はきっとあっさり死んでしまうだろう。周りがどれだけ最強最強と持ち上げようと、死ぬときは死ぬのだ。それを今日、八九郎は痛感した。あれだけ死に近づいたのは初めてだった。

 その点あの王様は死ぬことはないのだろう、と八九郎は帝を思い出す。あれは周りに持ち上げられているだけの最強ではない。自らの意思で最強の座についた、正真正銘の本物だ。

 だが、どうしてだろう。あの王様のことを思い出すと、何故だか拍子抜けしたような気分になるのだ。笑いながら、背中を叩かれているように感じる。肩を張り過ぎているのかもしれない、と八九郎は思う。自分は自分の役割を果たすだけだ。

「よし、桜庭。俺の役割は理解してるが、これ以上は何をしたらいいんだ?」

『え? ああはい。まあ今のところ逆崎以外の敵の存在は確認できませんし、そこでそのままホッカイロしていてくれれば大丈夫ですよ』

「なんだホッカイロしてればって! 変な造語作るんじゃねぇ!」

 八九郎の役目は囮と、もしもの時の余剰戦力だ。千歳のスタンドローンによる事前の偵察で監視カメラと、熱源探知機が各所に設置されていることはわかっていた。この開発区域内で高温を発すれば、すぐにでも六道たちは八九郎の存在に気づくはずだろう。そうやって、自分の存在を誇示し続けること。そして、不測の事態に力を持って対応することが八九郎の役目だった。

 囮ってことは、とにかく目立てばいいんだよな……。

 おもむろに八九郎は合わせた手のひらの間に炎の球体を作り、それを空へと打ち出す。しばらく上空に進むと、その球体はボンッ、という音と共に破裂しまるで花火のように四方へと広がった。

『あら、綺麗ですね。花火みたいですよ』

 八九郎の視界から見ていたのだろう。千歳が反応した。

「本物と違って火薬使ってるわけじゃないから、赤か青の二色だけだがな」

 時刻はまだ日が沈みかけ。夜には程遠いが、それなりに風情はあった。音はそこまでもないが、かなり大きく広がるので目立つはずだ。

「こんなこともできるぞ」

 同じような花火をいくつか上げ、段々と楽しくなってきた八九郎は更に球体を上空に。すると今度は単純な花火の形ではなく、デフォルメされたクマの顔の形に火の粉は拡散した。

『随分と器用なこともできるんですね。やっぱり帝さんと違って、派手なだけじゃないようで』

「細かいコントロールの練習にな、これならガキ共も喜ぶから……」

『って、晶子さんに言われたんですか』

 思いもよらぬ人の名前が出てきて一瞬戸惑ったが、あくまで冷静を装って「そうだ」と頷いた。

『いいですねぇ、もう殆どゴールイン決まってますもんね。結婚式には呼んでくださいね』

「からかうなよ。苦手なんだ、そういうの」

『いえいえそんな。からかっているつもりはありませんよ。本気ですよ本気』

「……あんまり言うと仲人とかやらせるぞ」

 はっきり否定しないから付け入られるとはわかっていたが、それでもムキになって否定するのは嫌だった。それこそ本当に恥ずかしがっているみたいだからだ。

「そういうお前はどうなんだよ。愛生とは、実際どこまで進んでるんだ?」

『いや私、愛生とはそういうのではないですし』

 素っ気ねぇ……。

 食いつきが悪いにもほどがあった。もしかしたら本気で触れてはいけない部分だったのかもしれない。とりあえず話題を変えようと、八九郎は話を逆崎へと戻した。

「ところで桜庭、お前のところにいる逆崎の本体……オリジナルとやらはどうなってるんだ?」

 千歳は今、逆崎のオリジナルのもとにいるのだ。

『そちらの方で転がっている分身体の方と変わりはありませんよ。どちらも全身の自由を奪ってますから。よければこちらの視覚情報、裏方さんに見せることも可能ですが』

 音の情報をこちらに飛ばしたように、視覚情報も飛ばそうかと千歳は提案する。八九郎は少し悩んでから、その提案は断った。

「俺が見たって、しょうがねぇしな。音はともかく映像となると、少し怖い気もするし」

 音は八九郎が実際に聞いているものと変わらず同居することが可能だが。視覚はそうはいかないだろう。向こうの映像を見ている間、八九郎が本来見ているはずの景色はシャットアウトされる。千歳のことを信頼していないわけではないが、どこか生理的に拒否する気持ちが八九郎の中にはあった。

『そうですか。まあ、そうですよね』

「というかよぉ、なんかあっさりやられちまったけど、そいつかなり凄い能力者のはずだよな」

『ええ。私が優秀すぎたせいで噛ませ犬にもなりませんでしたけど、確かに優れた超能力者であることは確かですよ。私の方が優れてはいますが』

 キャラぶれ過ぎだろ、と内心でツッコミを入れつつ八九郎は続けた。

「そんな凄いやつがどうして、鏑木を裏切ったんだろうな。いや、この場合凄いってのは関係ないのか……」

『名もなき組織を裏切るメリット、ですか。確かそんな話もしていましたね』

 ちょっと待ってください、とそう言って千歳はそれきり黙る。その間に八九郎は部屋での会話を思い出す。

 組織を裏切るにたるだけの理由ねぇ……。

 考えてみても、明確な組織に属したことのない八九郎にはわからないことだった。もしも、どんな理由があれば晶子のことを裏切れるかと聞かれれば……それはきっとあの施設解体の危機のような理由だろう。だが、そんな理由や信頼が鏑木流と逆崎の間にあるとは思えない。もっと別の、私的な利益だと八九郎は予想する。勝手な想像ではあったが、それは間違いではなかった。

『ありました。どうやら、逆崎は六道と律儀に契約書なんかを書いていたようで……これを書けば必ず約束を守ってもらえると思っていたんでしょうね。素人の考えですね』

「それで、それはどんな契約内容なんだ?」

『成功報酬。まさに、メリットですね。ええっと……単純に報酬金と、米国への亡命の手引きですか』

 予期しなかった単語に八九郎は怪訝な表情を作る。

「亡命? 米国に? なんでまた……」

『予想するに、鏑木流という管理会の下で働けばそれなりに日本の機密にも近づけますから、そういった情報を売り渡すのが一つ。あとは米国の軍隊に加入するつもりなんでしょうね。あの国はいち早く超能力兵団を設立して、待遇も良いと聞きます。関係者と思しき名前が記載されていますし、間違いはないでしょう』

「結局金か……にしたって、結構な危ない橋だろ。やっぱ俺にはどうしても、そいつが裏切った理由が理解できないんだよな」

 八九郎が言うと、千歳は何か考えるようにしながらゆっくりと言葉を続けた。

『これもまた予想、妄想とも言えるレベルの想定ですが……きっと逆崎は自分の力を十全に扱える場所を探していたのではないのでしょうか?』

「居場所ってことか?」

『それとは少し意味合いが違いますね。場所というよりは、場面でしょうか』

「その場面が名もなき組織にはなかったと」

『はい。逆崎の能力は確かに強力ですが、それは名もなき組織のような秘密裏に活動する組織よりも、表立って戦争する軍隊の方が優位に活用できるものです。分身能力と言えば、諜報活動に優れる印象を受けますが、彼の分身体は思考能力を持たない人形。難しい動きはできません。となると、今彼がやっていたような、武器を手にした単純な戦闘の方が機能するはずです』

 鏑木のもとにいた間は、きっと囮程度の役目しかなかったはずだ。しかし軍隊ならば話は別。すぐに補充可能な三百人の兵士の存在。確実に重宝されるはずだ。

「それを聞けば、色々繋がる部分もあるな」

『繋がる、とは?』

 八九郎は倒れた《逆崎》の手元に転がっている銃に視線を向けた。こうすることで、千歳の方でもあの銃が見えているはずだ。

「ありゃあ、P90って銃の後継機というか、似たような銃だ。超能力者が現れた頃に開発されて爆発的に普及したのさ。活躍する場面は色々違ってくるんだが…………とにかく、あの銃は色んな軍でも採用されてる兵器だ」

 それだけじゃない、と八九郎はぐるりと辺りを見渡した。

「こっからはあんまし見えねぇが、ここに来るまで倒れてた《逆崎》たちは全員持ち場に合わせて少しずつ装備が違っていた。今の話を聞けば、そういうところで軍を意識していたんだろうなってよ」

 そう思ったんだ。

 千歳はなるほど、と感心したように呟いていた。合点がいったのだろう。八九郎としても中々の推論だと思っていた。

「でも、銃に詳しいんですね。あれですか、ミリタリーオタクってやつですか」

「そんなオタクってほどでもねぇよ。最近、愛生とFPSのゲームやったりするから自然と覚えただけだ。むしろ詳しいのはあいつの方だろ。俺は殆どあいつに教えてもらったんだぜ」

「まあ、愛生は本物を扱うこともできますからね…………でも意外ですね。愛生はやり込み系のRPGしかしない変態だと思っていましたが」

「そんなこともねぇぞ? 進んでやるのがそれだけってだけで、こっちが勧めてやればなんだっていいみたいだ、あいつ」

 そうですか、と千歳はさして興味もなさそうに呟いた。八九郎は今一度《逆崎》に視線をやる。

「個にして群――――いや、個にして軍を望んだスケープゴートか……」

 自分のいるべき場所を、場面を探した逆崎はもうそれを見つけることはできないだろう。あの卑しい老人が裏切り者をそのままにしておくとは思えない。別にそれを助けようとは思わなが、少なくともいい気分ではなかった。

 場所と、場面か。

 自分にはよくわからないことだな、と八九郎は独り言のように零す。

 自分はいつの間にか居場所を与えられ、いつの間にかそれを守りたいと思い、いつの間にか守りたいものが増えた今、戦う場面を見つけ戦っている。

 与えられ、享受し、そしてそれを守る。受け取ったものを、傷つけられないように。

 色んな与えられるはずだったものを拒絶し拒否してきたことを除けば概ね自分の選択は間違いではなかったと思える。

「桜庭、お前はどうなんだ?」

 自分の居場所とか、そういうのがはっきりあるのかと。

『無論です』

 千歳は迷いなく答えた。

『私の居場所は愛生の隣です。それは今も昔も、変わりません』

 なんの憂いもないその物言いに、八九郎は少し笑ってしまった。

 どうしてこう、あいつは面白い奴に好かれるのだろうか。

「隣っていうと、右隣? 左隣?」

 ふざけた質問だったが、千歳は至極真面目に答えた。

『右、でしょうか。手を繋ぐなら、右の方が温かいですし。ああ、でも左手も冷たくて気持ちがいいんですよね。義手の筋力でも私の手が痛くならないようにずっと気にしてくれる気遣いも見れて、むしろ左の方がお得かもしれませんね』

「お前、凄ぇナチュラルにゾッコンだよな……」

 このライバルは手強いぞ、といつか亜霧に言ってやるべきかもしれないと八九郎は嘆息した。それはどこか、笑みも含まれた吐息だった。

 この時、八九郎は完全に気を抜いていた。自らが囮の役割を負っていることを忘れ、完全に力を抜いていた。超能力を解除するようなことはしなかったが、それはそれだけのことで、既に八九郎の精神は完全に戦闘状態からはかけ離れていた。ここが戦場だということを忘れてしまっていたのだ。

 だから、八九郎は突然現れた敵に全く反応することができなかった。

「あ?」

 驚きと疑問を含んだ声を漏らした時には、それは完全に八九郎と正対していた。

 それを一目見た時、八九郎は一瞬装甲を着た人間だと勘違いした。鎧を来た武者のような印象を受けたのだ。だがよくよく見てみればそれは人間というにはあまりにも大きくて、アンバランスな体型をしていた。

 身長は二メートルを優に超し、三メートルに届かんとしている。胴体部分はいくつもの装甲が取り付けられ前後に大きく膨らんでいるようにも見える。脚はずんぐりと太く、丸太というよりは巨大な鉄の塊のようだ。そして胴体や脚との対比を考えれば明らかに大きすぎる肩、同じく大きくおまけに長い腕部。

 ――――そしてその肩に取り付けられた砲台や、右腕の肘から先がまるまる機銃となっていることが、それが人間でないことを示していた。

 その装甲は道路の先、八九郎の正面でこちらを見ている。と言っても、眼はおろか明確な顔の存在すらはっきりと見ることはできないのだが。

 ただ、わからない。行き場のない疑問が八九郎の頭を包む中、装甲は〝ぎゅるるるる″と音を立てて八九郎の元へと進撃を開始する。脚は全く動いていない。前後に開くようにしたまま、人でいう足首から下の辺りに取り付けられたキャタピラで移動しているのだ。

 その姿は段々と八九郎へと近づいていき、その巨体の存在感を更に主張しながら――――右腕の銃口が八九郎へと向けられた。

『危ない!』

 音が響いた。耳元で思い切り叫ばれたような大声だ。千歳としても咄嗟の行動だったのだろう。八九郎の視界から覗いた先、銃口を向ける装甲を見て、彼女は感覚的に危険を察知したのだ。だが、八九郎は動けない。迫りくる危険に対して、恐怖したわけではない。むしろ八九郎はなんの危険も感じていなかった。超能力を発動した状態の今の八九郎の身体なら、大抵のことでは傷つきもしない。それをわかっていたから、そのせいで八九郎の反応は遅れたのだ。

 向けられた銃口が人に使うにはあまりにも威力過大オーバーキルだということに八九郎は気付けなかった。

 ボゥン、と大砲のような音が響いた。細長い、ノズルのようなバレル。緩い矢印のような形状の銃口。それらを四つ、まるで簡易なガトリングのようにそれぞれを平行に取り付けた右腕部。その四つの銃口の内の一つが瞬間的な爆発で光を放った。

 強化された八九郎の視力でも知覚できたのはそこまでだ。マズルフラッシュとほぼ同時。八九郎は額に何か硬く尖ったものが当たった感覚を得た。それは多大な衝撃を共にするもので、熱機関オーバーエンジンによって強化されたはずの八九郎の身体は頭から回転して後方へと吹き飛んだ。

 視界が揺れる。世界が回る。何が何だかわからないまま、ドスンと硬い砂袋が地面に激突するような音と、岩のような何かが砕ける音が全身を伝って鼓膜に届いた。それは自分の身体がアスファルトの地面に激突し、その衝撃で地面の方が砕けた音だ。

 二、三度アスファルトを砕きながら地面を転がり、受け身も取れないまま不様に全身を投げ出して、ようやく勢いは死んだ。

 あとに残ったのは全身に響くじんじんとした嫌な感覚と、額の鈍痛だけだ。

「いっっっってぇえええええええ!」

 額を押さえ、八九郎は唸るようにして叫んだ。額に感じる痛みは、初めて知る感覚だったのだ。帝と戦った時は度重なる衝撃に内側から震えるような感覚を得ただけだし、今朝の襲撃は敵の能力のせいもあって痛みを感じることはなかった。

 だが、今回は違う。確かな痛みが八九郎を襲う。その痛みの正体を探ろうと額に手を当てて、八九郎は驚愕する。額に触れた手が赤く染まった。血が出ていたのだ。一瞬、背筋が凍ったように思ったが、しかし冷静にもう一度触れてみれば傷はそこまで深くないことはわかった。皮膚を切っただけだのようだ。しかし、その鮮血は否がおうにも今朝の死を呼び起こさせる。

 何ブルってんだ俺ぁよ……!

 まだ、きちんと戦ってさえいないではないか。

 立ち上がれ、敵を見ろ。それこそ、あの男のように……震える拳を握りしめるのだ。

 立ち上がった。恐怖はない。額から流れる血が目に入り邪魔になったので右手で乱暴に拭った。腕にべっとりとついた血を、振り払う。地面に落ちた血液は〝じゅううう″という音を立てながら、まるでマグマのようにぶくぶくと揺れていた。

 そうだ、血が流れたからどうだというのだ。

 俺は血液すら煮え滾った男だぜ。

 ならば、流れた血ですら敵を燃やすだけだ。

 据わった瞳で装甲を見つめる。そうして見てみればそれは確実に……

「ロボット、だよなぁ」

 人の形を模したロボット。右腕部が銃だったり、両肩に兵器を積んでいたり、およそまともなロボットとは言いがたいが。

 右の肩の部分に塗装された《ANTI》という文字が、何故か強く印象に残った。

『一体、なんなんですかこれは……いつからこの街は近未来ものの映画の舞台になったんです?』

「ハリウッドって感じじゃあなさそうだがな。日本の似非CGみてぇなロボットだ」

 もっと言えば、それはゲームに出てくるような兵器としてのロボットに似ていた。

「どっちにしろ、敵ってことに変わりはねぇんだろ」

 言った瞬間だ。ロボットの腰の部分。そこに取り付けられた小型の銃身が音を立てて稼働する。強化された視覚の中でそれを見た八九郎はすぐさま対応。さすがにあの大きさの銃で傷つくとは思わないが、先程の失態もあり八九郎は少し慎重になっていたのだ。

 恐ろしい反射速度で屈み、アスファルトの地面に指を指し込む。畳でも剥がすかのようにアスファルトを引っぺがす。いつか愛生に対して行ったことの再現だ。だが今回は攻撃のためではなく、防御のための壁として用いる。アスファルトの防御壁を築くと、すぐさま向こう側からパラパラパラという軽い銃声と、徐々にアスファルトが削れていく音が聞こえた。しかし弾丸が貫通してくることはない。防御は成功したようだ。

「ん?」

 すると八九郎は地面に転がった、あるものを目にした。すかさず手に取る。それは弾丸だった。しかしそれは普段弾丸と言われてイメージするような手のひらに収まるサイズのものではなく、それよりも明らかに巨大な鉄の矢のようにも見えるものだった。尖っていたはずの先端部位は押しつぶされたように歪み、形を変えている。

 これも愛生から教えてもらい、ネットの画像だけだが見たことがある。50口径のライフル弾だ。実際見てみると、より鉄らしいというか無骨な感じがする。

『それ、さっき裏方さんが受けた銃弾ですか?』

「ああ。まさかと思っていたが、これではっきりした。最初受けた銃撃、ありゃあ対物ライフルの一撃だ」

『アンチマテリアル……!? 装甲車も打ち抜くっていうあれですか!?』

「それが右手に四丁。趣味の悪いことにガトリングみてぇな形で引っ付いてやがる。ロボット兵器にしたって普通じゃねぇよ。なにもんなんだありゃあ」

『ああ、いえ……私が驚いたのは対物ライフル頭に受けて額切るくらいで済んでる裏方さんの方なんですけど…………』

「お前、帝とも古い付き合いなんだろ? だったら慣れろ。あれほどじゃねぇが、俺も似たようなもんだ」

『そうですね。もう心配しないようにします』

 それはちょっと違うだろ、と八九郎は苦笑いをする。その瞬間、壁となっていたアスファルトへの銃撃が止んだ。音が止まったのだ。それを異変と捕らえるよりも先に、八九郎の理知的な頭は冷静に敵を分析する。

 壁があっても打ち続けていたってことは、有人機体ってわけじゃない。

 リモートコントロールでもないだろう。それにしては少し、腰の小型機関銃ではこの壁は砕けないということに気づくのが遅すぎた。戦闘用のAIのようなものを積んでいるのだろう。リモートコントロールではなくオートコントロール。なら、付け入る隙もあるかと、そこまで思考を回したところで八九郎はアスファルトの壁の一部が赤く発光していることに気づく。

 それは自分の能力をフル活用した時の周囲の様子に似ていた。熱を受け、内側に高温を溜め込み、発熱して発光しているのだ。その光は徐々にアスファルトに広がっていき、人の頭ほどの大きさになった時、中央に小さな穴が開く。そこから一閃の光の束が飛び出した。

 音はなかった。ただじりじりとした今の八九郎にも感じられるような熱が頬をかすめていた。咄嗟の判断で横に飛び出し、アスファルトの壁を抜け出す。直後に音のない破壊が壁に大きな穴を通した。その破壊の正体は目に見えるオレンジ色の光線だ。

「レーザー兵器まで積んでるのか……!」

『あれ、でもレーザーだったらただの熱ですし裏方さんなら受けてもむしろ強化されるんじゃないんですか?』

「知るか! 受けたことねぇっての!」

 大体、レーザーなんて当たり前のように言ったが、八九郎にはその仕組みだってわからないのだ。よくわからないなら、避けておいた方がいい。

『そんなこと言わずに一回受けてみたらどうです?』

「嫌だよ! 痛かったらどうすんだ!」

『至極当たり前の反応ですけど、それ裏方さんが言うと凄い格好悪いですね……』

「というかお前、ほんとに心配やめやがったな!?」

 適応早過ぎだと悪態を突きながら、八九郎はアスファルトを引っぺがした時に生まれた小さな破片を手に取る。いくつもある破片の中でも特に尖った一つ。それを肘から先と手首のスナップでロボットに向けて投擲。パァンと軽く音速に達した音と共に破片はロボットの胸部装甲に当たるが、わずかにロボットを揺らしただけでダメージはない。

 さすがにこれじゃあ駄目か。

 積んだ兵器の種類もわからない未知の相手だ。できることなら安全に遠距離から攻撃を仕掛けたいが、そういうわけにもいかなそうだ。あの装甲は一筋縄では破れないだろう。

 ロボットが八九郎の方に体軸を合わせた。見ると、右肩についた兵器はサーチライトを細長くしたような形状をしていた。あれが先程のレーザー兵器かもしれないと、注視していると稼働音と共に肩のギミックによってレーザー兵器は背中へと回された。そして入れ替わるようにその巨大な右肩に戦車の砲身のような新たな兵器が固定される。

「武装の入れ替え……だと!? 格好良いな、あれ!」

『言ってる場合ですか』

 来ますよ、と素っ気なく千歳が言い放つのを合図に砲台が八九郎を捕捉し、発射。硝煙と共にこちらに放たれたのはただの戦車砲弾ではなく。

 ロケットランチャーかよ……!

 ゲームでも何度も見る、対戦車用の砲弾だ。少し形は違うが、間違いではない。高速で放たれた砲弾。八九郎は加速していく思考の中で咄嗟の判断を迫られる。

 避ける、という選択肢が最初に浮かぶが駄目だ。砲弾は八九郎の身体の中心ではなく、少し下の地面を狙っている。これでは完全に回避できるよりも先に爆風に巻き込まれてしまう。避けられないのなら、迎撃をするしかない。その考えはすぐにやってきた。

 実行。八九郎は一歩前に踏み出すことで砲弾との距離を調整し、飛来する弾頭を殴るよりも押し出す感覚で横にずらした。砲弾は進行方向を変えられ、八九郎から後ろ斜めの建物に直撃して爆発。爆風が八九郎の背中に降り注ぐ。

『飛んでくる砲弾の起動をずらすなんて、帝さんと違って裏方さんは器用なんですね』

「いやいやいやいや、まぐれだ偶然だ奇跡だびっくりだ。よく考えたら触った瞬間爆発してもおかしくねぇよこれ。自分でやっといてなんだけど多少被害は受けても避けた方がマシな気がしてきたっつーの」

『それにしても裏方さんの視界は面白いですね。あれだけ早い弾道を一瞬で見て把握するなんて……私の感覚共有で得られる情報は接続リンク先が得られた情報だけですから、裏方さんみたいな強化能力のある人の視界は興味深いです』

「お、おう。いやいいんだが、それは今話さなきゃいけないことか?」

『あと、ずっと気になってたんですけど晶子さんって随分肝の据わった女性のようですけど、あれって昔からなんですか?』

「そろそろ俺に雑談している余裕がないことに気づいて欲しいんだがなぁ!」

 一々返事をするのも大変なんだよ!

 文句を垂れながら、八九郎は自身の両手にそれぞれ炎を灯した。赤い炎がゆらゆらと八九郎の手の中で燃え上がる。

『どうするつもりですか?』

 千歳は話すのをやめない。意外とお喋り好きなのかもしれない。しかし会話の内容がただの雑談ではない以上、八九郎としても答えないわけにはいかなかった。

「このまま後手後手に回っても仕方ねぇ。一旦退いて体勢を立て直す」

 自分の役割は囮だ。急いでここで敵を倒す必要はない。ならばここは慎重に行くべきだ、とそう判断してのことだ。実のところ八九郎が素直に千歳と会話をしたのは、ここの判断に少し不安があったからでもある。自分の素人判断が、本当に正しいかどうかを千歳にジャッジしてもらおうとしたのだ。

 だが、千歳から八九郎へ思いもよらぬ言葉が投げかけられる。

『あのロボット、とてもゴテゴテしてますね! 後手後手だけに! 後手後手だけに!』

「だからお前何キャラなんだよぉおおおおおおおおおおお!」

 まともな審議すら行ってもらえなかった。

 八九郎は怒りの絶叫と共に両手に灯した炎を壁のようにして展開。その火柱の影に隠れて、道路脇の通路に駆け込み、そのまま撤退した。


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