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決戦前~亜霧佳苗の覚悟~

 妙に賑やかだった食事が終わった。愛生は、晶子に言われるがままに子供のようにニコニコしながら片付けを手伝っている照美と部屋の隅で携帯端末を弄っている喜彰を若干警戒しながら、千歳や八九郎と共にリナリア救出に関しての最終確認を行っていた。愛生のノートパソコン机の上に起き、それを囲むようにして今は鏑木からの情報と千歳の《スタンドアローン》で得た情報を照らし合わせているところだ。

「今のところ、鏑木流からの情報に嘘はみられません。私の能力で索敵してみた結果も同じものでした」

 そうか、と愛生は呟いたが、どことなく不満げな響きになってしまう。無論、千歳を信じていない訳じゃない。それは絶対にない。愛生が信じていないのは鏑木の方だ。あの男が素直に本物の情報を渡してきたことが、愛生はどうにも怪しく思えて仕方ないのだ。疑い過ぎではないかと八九郎に窘められたが、それでも鏑木流という人間の性格を考えれば考えるほどに怪しく思えてしまうのだった。

 疑いすぎ、というよりは怖がりすぎなのか……。

 あの人物に対して、自分は少々過大評価をしている節があると、愛生はなんとなくわかっていた。あれはただ、醜悪なだけの男だと自分に言い聞かせるが、それでも不安はぬぐえなかった。

 ただ、千歳が確認した以上。この情報に嘘がないことは明白だろう。

 鏑木がもたらした情報は二つ。一つは六道の居場所と、そして六道側の戦力だ。今見ているのは六道の持つ戦力の全て、それを見る限りでは六道が抱えている味方は三人。三人の内二人は超能力者。そして一人は研究者だった。研究者の名前はくれ成実なるみ。誰もこの人物の名前は知らなかった。鏑木の情報の中にも彼に関しては簡単な経歴や超能力を持たないこと程度のことしか書いていなかった。一応ネットや今ある資料で調べてみもしたが、たいしたことはない一介の研究員だった。同じ研究者である鋤崎も聞いたことのない名前だと言っていた。

 そして二人いる超能力者。その内の一人が鏑木のもとから離れ、六道側についた元名もなき組織の一員だった。さすがにこの人物に関しては元部下というだけあって詳細な情報が記されていた。組織に入るまでの経歴や、組織での活躍。そして超能力の詳細まで。これだけの情報があれば、いくらでも対策が練れる。

「でも、おかしな話だよな」

 鏑木のものと千歳のもので情報の裏打ちを行っている中、八九郎がおもむろに呟いた。

「こいつら組織の連中ってのは、大体が自ら望んで組織に入った奴らだろ? 金のためだとか、色々理由はあんだろうけどよ。でも、せっかく自分を殺してまで手に入れた組織の地位をこんな簡単に捨てられるもんなのか?」

 千歳も同じような思いは持っていたらしく、そうですよね……と思案するように腕を組みながら呟く。どう思うよ、と八九郎に話を振られて愛生は答えた。

「はっきりとした理由はわからないけれど、ただ単純に六道が組織に敵対するというデメリットを超えるメリットを提供できただけの話じゃないかな。組織を裏切るにたるだけの理由がそこにはあったと考えるのが妥当だと僕は思う」

 そこで愛生は話を止めず、むしろと続けた。

「僕としては六道側についた組織の人間が一人だけというのが不思議だ。六道はきっとずっと前からこうしてリナリアを殺すための計画をしていたんだろう? だったらもっと味方を増やす手段もあったんじゃないのか?」

 極端な話、今朝自分達を襲った組織の人間は全員六道に組しているものだと愛生は思っていた。全員とはいかなくとも、半分はきっとそうだろうと。

 だが実際は、たったの一人だった。

「それに関しては手段がなかった、できなかったというのが正解なのだろう」

 ソファでふんぞり返っている帝がお茶をすすりながら言った。

「流はあれで、カリスマだ。かなり限定的だが、求心力に関しては私も一目置くところがある。そうでなければ、名もなき組織など束ねられんよ」

 帝は至極真面目に言うが、愛生には帝の言うことが信じられなかった。あの醜悪な男にカリスマなどというものがあるとは思えないのだ。鏑木を前にした時、愛生が抱いた感情はただひたすらの嫌悪だ。それは求心力とは真逆の力だろう。

「あんたにはわからない」

 声は部屋の隅からだ。携帯端末から目を離さず、こちらを見ようともしないで喜彰が言った。

「あんたみたいな人間にはわからないさ。俺たちみたいな日陰者はそこの世界最強様みたいな凄い奴より、流のオヤジの方に惹かれるんだ」

 嫌な言い方だ、と愛生は思った。帝が軽々に扱われているようで、気に入らない。愛生は少しだけ語調を強めて反論する。

「少なくとも僕には、あの男に他人を魅了するようなものがあるようには思えないな。お前は本当にあんな男のことを信頼しているのか?」

「信頼はしていない。ただ、信用はしている。言葉だけ着飾った奴なんかよりも、ああいうわかりやすい小悪党の方が俺たちは信じられるのさ」

 それっきり、もう話すことはないと言わんばかりに愛生の呼びかけにも応じず、喜彰は再び沈黙を保つ。そんな喜彰を尻目に愛生はどうせだからと照美にも鏑木を信頼しているのかどうか聞いてみようとしたが、まともな答えが返ってきそうにないのですぐにやめた。

 どちらにせよ、と千歳が眼鏡をかけ直しながら。

「敵が少ないのであれば、それだけこちらが有利だということです」

 そこに私情は関係ない、とはっきり言った。

 確かに、その通りだ。そこにどんな理由があろうとも、六道の元に鏑木の部下は一人しか集まらなかったという事実に関係はない。

「その、呉っていう研究員に戦闘力はないと見ていいんだよな?」

 八九郎の問いに千歳は頷きと共に答えを返した。

「超能力がない以上、何か特殊な訓練を受けていようと私や裏方さん。ましてや愛生の相手にもならないはずですよ」

「と、するとやっぱ問題は残りの一人か……」

 八九郎は残った最後の一人の情報に目をやった。その人物は名前も性別も、能力や素性の全てが明らかになっておらず、ただ六道の味方とだけ書かれていた。

「こいつは結局、なんなんだ?」

「私の能力でも、この人物だけは確認できませんでした」

 情報の殆どが不明という、奇妙な人物。千歳の能力でさえ確認できていない人物だが、愛生には覚えがあった。きっと、宝守と六道の戦いに割り込んできた、あの鬼面の少女のことだ。

 だけど、

「結局、僕も宝守ちゃんもほんの少し目にしただけで、この子の能力まではわからないんだよなぁ」

 愛生の言葉に部屋の掃除をしていた宝守が反応する。

「っす。あっしも、何が何だかわからない内にやられてしまったっすよ。面目ない……」

 宝守は申し訳なさそうに謝るが、彼女の責任ではない。その場で見ていたはずの愛生にだってわからなかったのだ。なんらかの超能力者であることは確かだが、それ以上のことはわからない。

 それに、鬼面に和装というのも厄介だ。鬼面のせいで実際の顔は見えなかったし、その奇妙な出で立ちばかりが先行して、面を外して服を変えられただけでも誰だかわからなくなってしまうかもしれない。

 結局、何もわからないというのが現実だ。

 リナリア救出における不確定要素は、この子だろうなぁ。

「この子の相手は僕がするよ」

 いいのか、と言葉を作ったのは八九郎だった。リナリア奪還に置いて、一番の実力を持つのは八九郎だ。そのことは本人もわかっているはずだ。だからこそ、いいのかと聞いたのだろう。それは自分が行ってもいいんだぞ、という意味でもある。だが、愛生は頷きを返すことでそれを否定する。

「実力的には八九郎さんに相手をしてもらうのが一番なんだろうけど、でも八九郎さんにだって弱点はある」

 それは今朝、すでに敵に突かれたものだ。

「相手の実力が未知数で、出方が予想できないのなら、僕が戦った方がいい」

 八九郎は確かに強い。その実力は直接戦った愛生もよく知っている。だが、経験では愛生の方がまだまだ上だ。実力は至らなくても、くぐってきた死線は数えきれない。不測の事態への対応は確実に愛生の方が長けている。

 確かに愛生が適任ですね、と千歳も同意する。

「愛生なら、最悪の事態だけは避けられるでしょうし、裏方さんには別の役目を負ってもらう方がいいでしょう」

「そうか……」

 八九郎は少しだけ不服そうにだが理解はしたようだ。今朝のことを思い出してもいるのだろう。あの時、八九郎は帝が来なければ死んでいたのだ。相手との相性もあるだろうが、結局三度の戦闘を経て致命傷を一撃も貰わなかった愛生の悪運の強さは特筆すべきものがある。勿論、帝や宝守による助力はあったが、それも含めて愛生には死なないだけの『実力』があるのだ。

 それでもやはり、愛生のことが心配なのか八九郎は迷いながら言葉を放った。

「二人で戦うっていうのは、なしなのか?」

 それは、と口を開いた愛生よりも先に千歳が八九郎の方を見ることなく答えた。

「私と愛生というのならともかく、裏方さんの能力では愛生は邪魔にしかなりませんよ。愛生にとっても、同じです。双方の実力が完全に発揮できなくなってしまう愚策です」

「はっきり言うなぁ、お前は」

 たいして嫌ではなさそうに。八九郎が言う。愛生は苦笑しながら、千歳の説明を続けた。

「それに、人数の関係もある。向こうと頭数は殆ど変らないけれど、この少人数だとたった一人の数の違いが大きく響くよ」

 数の違い。そして、

「もう一つ重要なのはこちらが攻め込む側で、向こうが守る側だってことだ」

 攻めるよりも守る方が容易いというのは考えればすぐにわかることだ。攻め込む側は結局は相手の土俵の上で戦わなければならないのだから。どんな罠があろうと、罠を罠とわかった上で進まなければならない時もある。

 だからこそ、個々の戦力を十分に発揮するべきだ。間違っても、足を引っ張り合うような結果になることだけは避けなければ。

「だからやっぱり、さっき千歳が提案してくれた作戦が、一番現実味があるよ」

 ノートパソコンの画面に映し出された、千歳が提案した作戦に目を向ける。図と共に書かれたそれは鏑木の情報と千歳の《スタンドアローン》で得た情報によって作られた開発途中区域の地図まで乗せられたものだ。八九郎や自分の行動に関しては事細かに指示されているが、愛生の動きは大まかな概要だけで基本的にこちらの判断に任せてあるところが千歳らしい。それは信頼でもあり、同時に作戦の中核を愛生が担っているということなのだろう。不測の事態に対しての調整役だ。

「やっぱ、この案に乗るのが一番か……」

 思案するように顎に手を添えながら、八九郎は続けた。

「リナリアは帝でも救えなかった。それならきっと俺にだって救えない。リナリアを助けるのは愛生じゃなきゃいけない」

 だからこそ愛生が中核を担うこの作戦は正しいと、八九郎は言った。

 リナリアは愛生が助けないと意味がない。

 八九郎は、そう言うのだ。

 リナリアを救う。帝にできなかったことを自分がする。それを思うと、弱い自分が言葉を作りかけた。だがそれはすんでのところで飲み込み、それでも不安げな表情だけは出てしまったらしく、八九郎は軽く笑みを見せながら大丈夫だと言った。

「お前は俺を救ってくれた」

 八九郎にとって、それは愛生を信頼する何よりの証明なのだろう。

 お前は俺を救ってくれた。なら、リナリアだって救って見せるだろう。

 それは理屈も何もない暴論だが、愛生の心を軽くする。自分でかけかけていた必要のない重しを、取っ払ってくれたのだ。だから愛生はただ一言「はい」とだけ返事をした。できるだけ、不安を見せないように、強い表情になるように。例え全ては隠せなくても、隠そうとしたことが伝わればそれでいい。それがわかっていれば愛生も八九郎も前へと進んでいける。

「あ、あたしも!」

 すると、晶子の方を手伝っていた亜霧が声をあげた。何かを怖がるように躊躇いながら、亜霧は言った。

「あたしも、愛生くんに助けられたんだから! 私もリナリアちゃんを助けるのに協力させて!」

 八九郎が唖然とし、千歳が答えを求めるかのように愛生を見た。愛生は、何も言うことが出来ずに固まってしまう。本来なら。すぐに断るべきだろうとは思う。だが、亜霧の裏返りそうな声や震える拳から、彼女が本気で悩んで出した言葉だということがわかってしまった。

 亜霧は何かを迷い、諦め、そして決断したのだろう。その覚悟を愛生は邪険にすることはできなかった。

 しかし彼女の協力を受けるかどうかに関しての答えは迷いなく「ノー」だ。これから愛生たちが向かう場所は戦場だ。戦い合い、時には殺し、殺されなければならない死地なのだ。そんな場所に亜霧を連れて行くわけにはいかない。本当のところ、愛生は八九郎を連れていくのでさえ躊躇っているのだ。彼の超能力があればこそ、頼ることもできるが、それでも八九郎はラボラトリの一般生徒だ。あの時、彼が人殺しを嫌がっていたことを愛生は知っている。だからこそ躊躇う。八九郎を死地へと連れて行くことで、彼を傷つけてしまうのではないのかと。亜霧も同じだ。特に彼女の場合は単純な命の危険を大きく伴う。

 愛生は亜霧を失うことが怖かった。亜霧だけじゃない。リナリアままで含めた〝みんな〟を失うことが愛生は何より怖いのだ。

 彼女の気持ちを否定したくはない。でも、彼女を危険に晒すことはできない。したくない。

 そんな想いの板挟みとなって、黙るほかなくなってしまった愛生を見て、千歳は小さく嘆息し……、

「一応、亜霧さんに手伝ってもらえれば助かる場面もあります」

 と、そう言った。

「待てよ千歳!」

 思わず、愛生は身を乗り出して叫んだ。

「駄目だ。亜霧さんは連れていけない」

 なんでよ、と声を荒げたのは亜霧だ。

「あたしだって、これでも能力者よ! 役に立てることはあるわ」

「役にたてるからなんだって言うんだ! 危ないんだ。危険なんだよ! わかるだろう、僕たちは戦いに行くんだ」

 それに、と愛生はこれ以上続けるべきかを迷いながら、結局言葉を重ねた。

「亜霧さんは、能力を使うこと自体、嫌がるじゃないか。無理しなくていい。してほしくないよ」

 ギリッ、と亜霧が奥歯を噛みしめるのがわかった。拒絶されたことで、怒りを得たのだろう。彼女は感情をあらわにして愛生に突っかかる。

「どうしてよ! どうしてあたしは駄目なの!? 危険なのは愛生くんだって一緒じゃない! それに、桜庭さんはいいの? 同じ女の子で、能力者じゃない」

 愛生は千歳を一瞥してから答えた。

「同じじゃないよ。千歳の超能力なら、大抵の奴には負けない。それに、いざという時の判断は信頼している」

「それは、幼なじみだから?」

 どうなのだろうか。一瞬迷ってしまい、返事をすることはできなかったが、亜霧の言う通り幼なじみだからかもしれない。付き合いが長いからこそ、信頼できる。千歳がちゃんと自分の命を大事にしてくれる人だと愛生は知っているのだ。

「嫌よ……」

 小さな声は亜霧のもの。涙をためた瞳で、震える声で、亜霧は呟いた。

「ここで愛生くんが返ってくるのをただ待っているだけなんて、そんなの嫌よ」

 あたしは愛生くんに二度助けられた。

 続けられた言葉に愛生は首を傾げる。

 二度?

「一度目は、あたしが暴走した時。二度目は、晶子さんの施設を守ってくれた時よ。愛生くんは私が守りたいものを守ってくれた。どうにかしたかったものを、どうにかしてくれた。でも……やっぱり嫌なの」

 亜霧は首を振った。

「方法が問題なわけじゃないわ。そうじゃなくて、愛生くんはあたしたちに何も言ってくれなかったじゃない」

 何も言ってくれなかった。

 愛生を責めるように、亜霧は重ねた。

「何も言ってくれなかった。何も言わずに、あたしたちを守って、それをずっと隠していた。嫌よ、そんなの。あたしの知らないところで、あたしを守るために誰かが傷ついたり、辛い思いをするのは嫌。それが愛生くんだとしたら、尚更よ。何も知らないままにいるなんて、そんなのは絶対に嫌」

 見ているだけは嫌なのだと、亜霧は言うのだ。

「お願いよ。あたしにも関わらせて、あたしにもあなたを守らせて。あたしの知らないところで傷つかないで。愛生くんの力になりたいの。無理させてよ。あなたのためなら、能力を使ったって構わない。あなたのためなら、あたしは犬でも構わないんだから!」

 彼女の眼に溜まった涙は、溢れ出して頬を伝う。たくさんの感情を込められたその涙を前にして、愛生はまた何も言えなくなってしまう。

「わかりませんね」

 千歳がパソコン画面に目を向けたまま言った。

「あなたはリナリアちゃんを助けたいんですか? 愛生の力になりたいんですか? それとも私への嫉妬? 愛生の前でいい顔をしたいという下心ですか?」

 一体、どれがあなたの本心なのですか。

 千歳の物言いはまるで、挑発をするかのようで、しかしそれと同時にまるで亜霧を相手にしていないようでもあった。

 亜霧は頬を伝う涙を拭った。

「全部よ。あんたが今言ったもの、全部あたしの本当の気持ち」

「全部、ときましたか」

「ええ。あたしはそんな、いい子ちゃんじゃないわ。嫉妬もするし、下心だって持つ。そういう気持ちと同じところで、リナリアちゃんを助けたいとも思っているんだから」

「正直な人ですね」

「……素直に全部ぶちまけるしか、受け入れてもらう方法を知らないだけよ」

「それもまた、正直ですね」

 くすっ、と千歳が笑った。いつもの憮然とした彼女にとっては、それはとても珍しい笑顔の形だった。

「愛生。彼女……亜霧さん、連れて行きましょう」

「なっ!? 話聞いていたのかよ。それは駄目だって……!」

「彼女がいた方が、リナリアちゃん救出の確立も上がります。それに彼女には非戦闘による支援を担当してもらいますし、いざという時は私が彼女を守ります。それでも、信用なりませんか?」

「信用、していないわけじゃない」

 千歳のことは信じている。彼女が守るというのなら、ちゃんと守ってくれるはずだ。それでも、不安が拭えるわけじゃない。

 わかっている。だけど、やっぱり僕は……。

「愛生。あなたは亜霧さんのために傷ついた。なら、彼女があなたのために傷つくことも許容してあげなくては、対等な友達だとはいえないんじゃないんですか? 例え嫌でも、傷つくこと自体を否定してはならないはずです」

 対等な関係。守るだけではなく、守り守られ。そのための傷を許し合い。しかし相手の傷でこちらも傷を得る関係。それこそが友達なのだ。

 僕は、背負い過ぎているのかもしれない。

 そんなことを思いながら、愛生は頷いた。

「わかった。亜霧さん、君の力を借りるよ」

 だけどなるべく、傷つかないで欲しい。と、そんな言葉を付け加えて、愛生は亜霧が共にくることを了承した。

 認められた亜霧はほっとしたせいか、瞳に溜まっていた涙が再び零れそうになる。それを手で抑えながら、彼女は千歳の方を向いた。

「あの、なんかありがとう。桜庭さん」

 その時、ずっとパソコン画面から目を離さなかった千歳が初めて亜霧を真っ直ぐに見つめた。

「……千歳で、いいですよ」

「いいの?」

「今更遠慮もないでしょう。私たちは同じ恋をした者どうしなのですから」

 途端、亜霧が顔を赤くしてよくわからない表情をする。

「こ、こここここ恋って! あんたちょっと変なんじゃないの!?」

「ほほう。恋だけに変ときましたか。壊滅的なギャグセンスですね。馬鹿なんじゃないですか?」

「遠慮もないし容赦もないわね! この冷徹眼鏡女!」

「なんですかこのつるぺた」

「胸のことは言うなぁああああああああ!」

 きー、と後ろに結ばれた髪を大きく震わせて千歳を威嚇するように睨みつける亜霧だったが、どう見ても小犬が吠えているような可愛らしい光景にしか見えない。当の千歳はたいした反応も見せず、パソコンの画面を閉じていた。

「さて、作戦も全部決まったことですし、私たちもそろそろ準備しますか。着替えだとか、色々することもあるでしょうし、移動の時間もあります」

 それはリナリア奪還までのタイムリミットが近いことを示していた。もう、時間はあまり残されてもいないのだ。

「着替えって言っても、家に帰っている時間はないんでしょ? だったらあたしはこのまま行くしかないんだけど……」

「私は着替えとか日用品とか、結構持ち込んでますから。私の部屋もありますし」

「嘘でしょ……?」

 がくり、と膝をつく亜霧に向かって『半同棲です』と意味のわからないところで胸を張っている千歳。

「何よそれ、幼なじみってアドバンテージはそんな凄いものだったの!? ラブコメにおける幼なじみの報われなさ率はどうなってんのよ!」

「幼なじみというよりは、胸の違いじゃないですか?」

「あんた実はあたしのこと嫌いとかじゃないわよね!?」

 仕方ありません、と千歳はわざとらしくため息を吐いた。

「Tシャツくらいなら貸しますよ。汚れてもいいものを適当に見繕いましょう。胸に合うものがあればいいのですが」

「もう、好きにして……」

 項垂れる亜霧を千歳が引っ張るようにして自分の部屋に連れ込む。どことなく楽しそうに見えるのは、本当なのだろう。部屋の中からは時々亜霧が叫ぶような泣くような声が聞こえてくるが、これといった問題はなさそうだ。

「八九郎さんは、どうするの? 着替えとか」

「いや、俺は大丈夫だ。今朝服とか燃えちまったあと、耐熱耐衝撃性の服に着替えてきてあるから、このまま出れるぜ」

「そっか。じゃあ、あとは僕だけなのか」

 とりあえず、もっと動きやすい服に着替えてくるかと思った矢先。宝守が両手に何かを抱えていそいそと愛生の前にやって来た。

「あの、旦那。これ……」

 そう言って、差し出すのは愛生の衣類だ。地味な色合いの長袖と生地の厚い使い古したジーパン。それは今、愛生が望んでいる恰好に近いものであった。

「ベランダに干していたもの、帝さんがぶちまけちゃってましたっすけど、汚れとかはついていないっすよ」

「ああ、ありがと」

 服を受け取ると、愛生はじっと宝守を見つめる。いつものスカートの長いメイド衣装の女の子。愛生の視線に宝守は少し恥ずかしがりながら首を傾げる。

「な、なんすか旦那。そんなまじまじと……」

「いや、こうしてると本物のメイドさんみたいだなってさ」

 褒め言葉と受け取ったのか、宝守は嬉しそうに笑う。だが、すぐにその表情は沈んでしまう。

「今のあっしには、これくらいしかできないっすから」

 宝守の能力は発動条件が厳しく限定されていて、現状ここのマンション以外では使えない。だから彼女はリナリア奪還に参加することはできない。今の自分がついていってもどうしようもないことがわかっているのだろう。わかっていてなお、それは受け入れがたく。悔しさを生み出す。特に彼女は愛生と同じで、目の前でリナリアを連れて行かれたのだ。何もできなかった自分と、何もできない自分。それはひたすらに自分を責める己の存在でもある。

 宝守は、散々迷うようにした挙句、ただ一言「ごめんなさい」と口にした。

 謝る必要はないと、愛生は言う。

「これだけでも、十分に嬉しい。それに、宝守ちゃんにできることはこれだけじゃない」

「他に何かあるんすか!?」

 愛生は頷きを作る。

「ここを守ってくれ。リナリアと一緒に戻ってくるこの家を、君が守ってくれ」

 ここは愛生とリナリアが多くの時間を過ごした場所だ。その時間に見合うだけの、それ以上の思い出がここにはある。それもまた愛生の失いたくないものの一つなのだ。

 その意味を宝守も知っている。彼女は一度大きく頷いた後、いつものような無邪気な笑みを作って見せる。

「まっかせてください! この正義のメイドが旦那とお嬢の家をお守りするっす!」

 だから、とそこだけ少し真面目な顔をして宝守は続けた。

「ちゃんと帰ってきてください。メイドが、旦那の帰りをいつまでもお待ちしているっす」

 言って、宝守は両手でスカートをつまんで軽く持ち上げ頭を下げた。

「いってらっしゃいませ、ご主人様」

 それはメイドというよりはドレスを着た時の貴族のような作法だった。しかしその本物のメイド紛いの仕種はいつもの宝守の様子からは想像もできないもので――――それでもどうしてかその姿は妙にはまっていて、愛生がぽかんとしていると宝守は恥ずかしそうにはにかんで言うのだった。

「勿論、お嬢も連れてっすよ」

 ああ、と愛生は力強く頷いた。

 これから自分は取り戻しに行くのだ。

 失ったのではなく、ただ手放してしまったものを。


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