賑やかな食卓
自分が普通の人間ではないのだと知ったのは、一体いつのことだっただろう。いや、そんなありきたりな台詞を吐くまでもなく、自分は生まれた時から己という人間が普通ではないことを知っていた。
六人の人間の融合体。
六つの魂を混ぜ合わされた存在。
しかしそこに元の六人の記憶も、自我もない。あるのはただ、合成のによって生まれた彼という自我だけ。だからこそ、彼は時々思うのだ。これではまるで、自分は六人の人間を犠牲にして生まれたみたいではないのかと。そしてそれ以上の疑問をいつも彼は抱えていた。
俺は一体、何者なのだろう。俺という自我はどこからやって来たのだ。
三つ子の魂百までという言葉があるように、人間の自我の形成は早い段階から行われる。しかし彼という自我が発生した時点で、その自我の受け皿となる肉体は十代のものであったし、そもそも合成の終了直後から彼には自分という意識があった。その時は己が何者かなど、自覚はしていなかったが、少なくとも自分を自分だと認識するほどの判断力はあったのだ。
この自我が自分のものであるという確信はある。だけど結局彼にはわからない。自分という人間の始まりが、突発的に発生したように思える自我がどこから生まれたものなのかわからない。ためしに自分の元となった六人の人間についても調べてみたことがある。その生まれ、人生、好きだったもの嫌いだったもの。何一つ、彼の心を震わすものはなかった。それらは全て他人の情報にしか見えなかったのだ。
自分という存在を上手く認識できない。自分が自分であるということはわかるが、しかしそれでも地に足がつかないふわふわとした感覚は拭われることはなく、彼は享受する全てを他人事のように考えながら生きていた。
この意志は、心は俺のものだ。それは間違いはない。
だけどきっと、この体は俺のものではないのだろう。
ならば一体、誰のものなのだろうか?
+
六道はソファに深く腰掛けた状態で目を覚ました。
少し、寝ていたようだ……。
このところ、リナリア殺害の準備やそれに付随した興奮もあってあまり寝ていない。たまった疲れが唐突に訪れたのだろう。自分がいつ寝たのかもわからないほどだった。急いで時計を確認する。問題ない。予定していた休憩時間ぴったりに起きたようだ。目覚ましをかけていたわけでもないのに、今がどれほど大事な時間なのかわかっていたからかもしれない。
そう、大事な時間なのだ。
体を起こして、座った状態で凝り固まった肉体をほぐす。それは六道にとって絡まったコードをほどくような、そんな作業だ。未だに六道は自分の肉体が自分のものではないように思えて仕方がない。それは現実から剥離していく感覚に似ている。魂だけが、不格好に浮かんでいるような、そんな認識。
ぽきぽき、と首を鳴らしながら六道はソファの背もたれにかけてあった黒のロングコートを羽織る。今の時期では暑い恰好だが、これがないと落ち着かないのだ。今ではもう自分の肉体よりも魂に近いものに感じる。さすがにそれは冗談だが、しかし半分くらいは本気なのだった。
六畳ほどの狭い部屋。ソファと机、テレビ以外には特に何もない。休憩室のような場所から六道は扉を開けて外へ出た。出た先はまだ室内ではあったが、しかしそこを単純に部屋と呼ぶには憚れる。見上げた天井はぼやけるほどの高さにあり、縦だけでなく横の広さも半端ではない。そしてその空間を全て陣取るかのように真ん中に巨大な白の機械があった。
巨大な塔のようにも見えるその白い機械を見上げるようにして、彼女はそこにいた。
膝を抱えて、じっと巨大な白を見つめる灰色の幼子。リナリアだ。
「何か、気になるのか」
彼女の横に立ち、六道は尋ねる。すると、そこで初めてリナリアは六道の存在に気づいたようで、少しだけ驚くようにこちらを見たあと、首を横に振った。
「ううん。ただ、ちょっと見てただけだよ」
そう言って、リナリアは再び視線を機械へと戻した。
「これでリナリアを殺してくれるんでしょ?」
「……そうだ」
その通りだ。これは彼女を殺す機械。リナリアのための棺なのだ。
「そっか」
それだけ言って、リナリアは強く膝を抱え直し、その小さな体躯をより小さく丸めた。
「リナリアはちゃんと、死ねるのかなぁ」
独り言のような囁き。だけど、まるで誰かに何かを問うような響きを持った言葉だった。
六道は屈んで、リナリアを正面から見つめる。その灰色の瞳をまっすぐに。
自分の肉体の所有権すらあやふやな六道にとって、唯一確かに信じられる存在は、もうリナリアだけだった。彼女の色、その息遣い。彼女だけが六道にとって確かなものだったのだ。
「大丈夫だ。俺はきちんと、君を殺す。君はちゃんと、死ねる」
そのための約束だった。そのための三年だった。そのための、己なのだ。
俺は彼女を殺すために生きている。
「もう終わりにしよう。苦しいことも辛いことも、全部俺が終わらせる。リナリア、君のために俺は君を殺そう」
誰にも、邪魔はさせない。
彼女の苦しみを終わらせるのは、この俺なのだ。
それは他の誰もない、六道という名の男の存在理由だった。
+
鏑木が姿を消した後、喜彰と照美にかけた千歳の超能力を解いて解放した。その辺りで麻酔から復活した宝守が目を覚まし、そして全員で飛び散ったガラスや家具をある程度片付けて、まあ普通に座れる程度にまで部屋を回復させると、とりあえずリナリア救出の前に食事にしようということになった。腹が減っては戦は出来ぬ。全員が今朝からのドタバタもあって、何も口にしていない状態だったのだ。リナリアを助けられる算段がようやくついたことで、みんなの中にもやっと余裕が生まれたのだった。
「まあ、それはいいんだけど……」
愛生の目の前には机に並べられたいくつもの料理が並んでいる。
ナポリタン、豚の生姜焼き、サラダ、おにぎり、炒飯、チキンライス、炊き込みご飯……。
「何もここまで作らなくても」
人数にしたって、いくらなんでも種類を作り過ぎのようにも思える。妙に炭水化物が多いのは愛生の冷蔵庫にたいした食材が入っていないからだが。
「ごめんねぇ。いっぱい人がいるから、つい張り切っちゃって」
机の上に肉じゃがを追加しながら、晶子が少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
自分たちはこの後戦いに行くのだ。ならばわざわざこんなパーティーのようにしなくとも、おにぎりをつまむくらいで丁度いいと愛生は考えていたのだが、晶子がキッチンに立つとあれよあれよという間に料理が出来上がってしまい。止める暇もなくここまで揃ってしまった。実際、彼女の手際は本当に良く、感心した千歳がずっと晶子の調理風景を観察していたというのも愛生がなんとなく強気に出れない原因でもあった。
「いいじゃねぇか、別に」
口におにぎりを放り込みながら、八九郎が言う。
「どうせ腹が膨れるんなら、美味いもんの方が得だろう? 時間もあるしな」
そう時間はあるのだった。リナリアを殺すための核となるらしい荷物が運ばれるのにはまだかなりの時間を要していた。もう何度も千歳が《スタンドアローン》を使い六道とリナリアの様子を観察しているが、六道は何か〝やけに大きい機械〟の調整をずっとしているようで、リナリアの殺害を始めるには確かにまだしばらくの時間が必要なようだった。
時間はある。なら、こうしてゆっくりしているのもいいのかもしれない、と愛生は心に余裕を持たせようとする。今はまだ焦っていても仕方ない。必要なものは揃っている。後は飯を食べ、力をつけてリナリアを助け出すだけなのだ。
「よし……!」
軽い意気込みと共に愛生は予め取り分けておいたおにぎりに手を伸ばそうとしたのだが、愛生の手に先回りするように横合いから何者かの手が伸ばされた。
その手の主は照美だった。ピンクと黄色の髪をして、パーカーを羽織っている以外は派手な下着を恥ずかしげもなく露出したままの女。愛生のもとから奪われたおにぎりは愛生が何か反応を示すよりも先に照美の口の中に消えていった。
「うううん」
美味しそうに手足をばたばたさせ、すぐに照美は次の料理へと手を伸ばす。
「おい……」
愛生が照美に話しかけると、彼女は自分の皿に大量の炒飯とチキンライスと炊き込みご飯をよそりながら愛生の方へ顔を向けた。首を傾げ、頭の上にハテナマークが見えるほどわかりやすい反応。
「さっきのおにぎり、僕のだったんだけど」
照美の頭の上にハテナマークがさらに増えた。本当になんだかわかっていないようだった。少し本気で怒ってやろうかと一瞬だけ思ったが、彼女が皿からおにぎりを取って困った顔のままこちらに差し出す姿を見て、完全に毒気が抜かれてしまった。おにぎりを受け取ると、照美はにっこり笑顔になって皿に盛ったご飯を口いっぱいに頬張り始めた。その子供のような仕種に愛生は毒気と一緒に色んなものまで抜かれるような気分になった。
下手すると、リナリアよりも子供っぽいんじゃないか……?
リナリアよりもわかりやすい分、そう見えるのだろう。
「しかし、よくそんなニコニコ食べられるよな?」
ほんの今朝まで殺し合っていた人間の隣で、さっきまで人質に捕っていた人間が作ったご飯を食べているのだ。能天気なんて話ではない。愛生では絶対に無理だ。すでに照美が横にいるというだけで愛生の食欲は減退しているというのに、彼女は全くそんなことはないようで、先程盛ったご飯をたいらげ、次はサラダに手を伸ばしている。
「えへへ。あたし、美味しいご飯は好きだよ!」
トングをカチカチと鳴らしながら、照美は愛生に言う。
「美味しいご飯をくれる人も好きだから、愛生のことも好きだよ!」
照美はまるで恥ずかしがることもなく、面と向かって愛生に好きと言って見せた。向かいの席で亜霧が箸を落として、千歳が舌打ちと共にこちらへおにぎりを投げつけてきた。一体なんなんだと思いながら、投げられたおにぎりをキャッチしてそれを口に運ぶ。
「あ、でも! 一番好きなのは喜彰だからね!」
「じゃあ、僕はその次なのか」
「ううん。愛生は二十六番目くらい」
「意外とシビアなランキングだな……」
しかしこうして話してみれば、改めて彼女は普通ではないと思い知らされる。これで愛生も鋤崎や宇治切助など、結構な変人たちと友好を持っているが、しかしその中でも彼女はかなり異彩を放っている部類だろう。子供のような精神をしてはいるが、肉体的には愛生とそう変わらない年齢のはずだ。そして何より、人を殺すことへの躊躇のなさだ。照美は美味しいものをくれる人を好きだと言った。だから、愛生のことも好きなのだと。だけどきっと彼女はその美味しいものをくれた人でさえも簡単に殺して見せるだろう。必要とあらば、必要でなくとも、二十六番目に好きな人を簡単に殺して見せるのだ。好きだと言いながら、殺して見せるだろう。
実際そういう人間に愛生は何度かあったことがある。当人にとっては好きな人を殺すことなんて当たり前のこと。しかしそれは他人から見れば狂気に他ならない。当たり前の狂気を内包した人間。きっと、彼女もその一人なのだろう。
「………………」
と、そんなことを考えている間に、照美が取り分けた自分のサラダからせっせときゅうりだけを分けて愛生の皿に乗っけていた。
「何やってんだ、お前」
「きゅうり嫌いなの!」
笑顔で言われてしまった。何一つ悪びれるところはないらしい。
こうして話してる分にはただの子供だなぁ……。
何だか真面目なことを考えている自分が馬鹿らしくなって愛生は嘆息。山積みにされたきゅうりをつまんでいると、自分に向けられた視線に気づいた。それは一人部屋の隅に座っている喜彰の視線だった。パーカーのフードを深く被り、ただ目線だけはこちらに向けて放たれている。
「お前は食べないのかよ」
愛生が話しかけると、喜彰は首を振った。
「毒が入っている可能性を考慮しないほど、俺は馬鹿じゃない」
じゃあなんだお前の相方は馬鹿なのかと言いかけてやめた。多分、喜彰が一番知っていることだろう。それにそもそも喜彰も毒が入っている可能性を本気で疑っているわけではないはずだ。晶子が調理する姿を、彼もまた見ていたのだから。今のは皮肉のようなものだったのだろう。
「わからないな」
続けて、喜彰が口を開いた。
「さっきまでの怒りも殺気も、本物だったはず。なのに今のあんたにはまるっきりそれが感じられない」
それは皮肉でも、馬鹿にしたような口調でもなく、ただ心底不思議そうに喜彰は問うのだ。
俺にはお前がわからない、と。
「勘違いするなよ、喜彰。僕は別にお前を許したわけじゃない。今はただ、お前らがリナリア救出に一役買ってくれるから泳がせておいてやるだけだ。全部終わったら真っ先に殺してやるから覚悟してろ」
それは愛生の正直な気持ちだった。花蓮を傷つけたことを許すつもりはない。だけど、その怒りを今ぶつけるのは間違っているように思えるのだ。
「ふえ!? 殺す!?」
殺す、という言葉に反応して、照美は即座に立ちあがる。
「ご飯くれたからいい人だと思ってたのに! 喜彰、こいつ悪い奴だ!」
「落ち着け照美。今のは『全部終わったら容赦はしないから妙なことはせずにさっさと僕の前から姿を消すといい』という意味だ」
「う? わかないよぉ、もっとわかりやすく!」
「今、そいつはツンデレったんだ」
「なるほど!」
いや、なるほど! じゃない。人の覚悟をそんな風に例えないでほしい。
「いいか、喜彰。上手く伝わらなかったようだからもう一度言うがな。僕は決してお前らを許したわけじゃあ――――」
愛生の言葉を遮るように、喜彰がわかっている、と言った。
「俺もあんたに許してもらおうと思っているわけじゃないさ。あんたが敵に回るのは辛そうだが、精々勝手に逃げ回らせてもらう」
そう言って、喜彰はおもむろに立ち上がり、照美の横に腰を下ろした。そして何の断りもなく食事に手を付け始める。
「毒の心配してたんじゃないのかよ」
「照美は、こう見えて飯にはうるさい。何か妙な物が入っていたらすぐに気づく」
その飯にはうるさいらしい照美はさっきから愛生の皿にきゅうりを乗っけているのだが、至極真面目な顔で喜彰が言うのでツッコむ気概もなくしてしまった。
というかそもそもなんでこの二人は当たり前ようにうちで飯を食ってるんだろう。
そんな今更ながらの疑問を愛生が浮かべていると、一人ソファで踏ん反り返っていた帝が口を開く。
「さて、飯も揃ったことだし……」
帝が一度机をぐるりと見渡す。愛生もそれに倣って見てみれば、いつの間にか机の上にはもう一品料理が足されていて、晶子も八九郎の隣で食事を開始していた。宝守の様子も気になって見てみたが、彼女はいつも通りに何か愛生にはよくわからない単語を叫びながら食事をしていた。さっきまで倒れていたくせに元気だなぁ、と若干呆れるくらいだ。そんな様子を帝も見たのだろう。彼女はふっとあまり見ない優しい笑みを浮かべた。
「賑やかだな。いいことだ――――だが、今は少し私の話を聞いてくれ。リナリア奪還について、大事な話だ」
その場にいたみんなが手を止め、帝に注目する。ただ一人喜彰だけが音を立てないで黙々と食事をしていたが、気にするほどのことでもない。むしろ照美が真面目な顔で帝を見ていることのほうが驚きだ。
帝はちらりと二人を見やったあと、その場で立ち上がる。立ち上がる意味はないような気がしたが、気分なのだろう。帝は意外とそれっぽいことが好きなのだ。
「残念だが、私はリナリア奪還にこれ以上協力するわけにはいかない」
え? と亜霧がきょとんとした声をあげる。
「そんな。帝さんがいれば、相手が誰だって勝てるじゃないの」
「そうだな。私は世界の王だし、それで最強だ。正直、私が出向けばお前たちの手を煩わせることなく、一人でリナリアを救出できるはずだ」
「じゃあ、なんで……!」
思わず身を乗り出した亜霧の肩に千歳の手が。亜霧を制止しながら、千歳は真面目な顔で言った。
「鏑木流の言っていた、弱点というやつですか?」
帝は腕を組んで神妙に頷いた。
「ああ、そうだ。私の弱点とはつまり、目立ちすぎるということだ!」
「…………」
千歳が黙った。怖い顔で。
「なんだ千歳、そんな怖い顔をして」
「帝さん。私は真面目な話をしているんですよ」
「ああ、私もそのつもりだぞ」
千歳が無言で愛生の方を向いた。帝さんの説明下手も相変わらずだなぁ、と思いながら愛生は大きく頷いて見せた。
「本当だよ。帝さんの弱点の一つは目立ちすぎることで間違いじゃない」
「ですがそれは、目立ちすぎるといいますか、目立ちたがり屋と言いますか……」
「それも間違っちゃいないんだけどね」
愛生は苦笑交じりに続ける。
「《世界最強》帝。と言えば、世界中の誰もが知っている。帝さんの存在自体、一国の軍隊みたいなものなんだ。だから、帝さんが動けばそれだけ世界に影響を及ぼす」
「その通りだ。実際、先日私と八九郎が戦った廃墟群戦。あれは表向きは廃墟群で起きた火災を私が力づくで鎮火したということになっているのだが……いくらなんでも半分を更地にしてしまうのはやり過ぎだと言う声があがっている」
やり過ぎ、動きすぎ、それは単純な超能力者批判でもある。帝という大きな個人を批判することで、その不満は超能力者全員に向けられることになってしまう。
「今ここで、また私が暴れて今度は開発途中区域を更地にしてみろ、それこそ世間の超能力者批判は高まり、ラボラトリそのものが崩壊しかねん」
大きな力を持つが故に衆目を集めやすく、それだけに批判も受けやすい。行動することによる影響と反響が大きすぎること。それが帝の持つ弱点の一つだった。
理解した風に千歳は頷いていたが、今度は八九郎が疑問を零す。
「確かにあんたが動けば世界が動くだろう。ラボラトリがどれだけ微妙なバランスの上で成り立っている場所かもわかる。だけど、あんたの超能力は俺と同じ全方位型の強化能力だ。その気になれば、一切周りになんの被害も出さずに行動できるんじゃなねぇのかよ」
八九郎の疑問も最もだった。だが、帝はそれをすぐさま否定した。
「それは無理だな。私はそういう誰にも気づかれずに、とか被害を最小限に、というような戦い方が苦手だ」
「それは、難しいんじゃなくて、できないって意味なのか?」
ああ、と帝が頷く。
「そもそも私の超能力《我王礼賛》は…………そう! 私の超能力! 《我王礼賛》は!」
ビシッ! とカッコいいようなポーズを取って言い直してから、帝はすぐに真面目な調子で続けた。
「私の能力は、観測されることで初めて力を発揮するものなのだ」
帝の《我王礼賛》はその圧倒的な力のせいか、万能の能力だと思われがちだが、実はそうではない。《我王礼賛》には致命的な弱点があった。この能力はただの強化能力ではなく、条件付きの強化能力なのだ。
「八九郎、お前の《熱機関》と私の《我王礼賛》はそういう意味では似ているんだ」
帝の能力の持つ条件とは『観測されること』。つまり、他人から見られていたり、認識されていなければ帝の超能力は力を発揮できないのだ。
「簡単に言えば、外からは中が見えない箱に私を詰めて、私が中にいるということを誰も認識していなければ、その時の私はなんの能力も持たない人間に成り下がってしまうのだ」
「そんな弱点があったのか……ただの強化能力じゃなかったんだな」
帝と戦ったことのある八九郎としてはかなり衝撃の事実だったに違いない。目の前で魅せられ、その体に叩きこまれたからこそ、八九郎は帝の能力を万能のものと思っていたはずだ。
「だから、もとより私の能力は強い存在感とセットなのだ。丁度、八九郎の能力が熱とセットになっているようにな」
観測されることを条件に持つ帝の能力は常に圧倒的な存在感と共にある。彼女が能力を使って何かをしようとすれば、その行為は確実に多くの人間の目を引く巨大なものとなってしまう。それは八九郎が平温ではその強化能力を発動できないのと同じように、帝の超能力の決定的な弱点なのだ。
だから、帝は常に自分の行動によって起きうる影響と結果を考えて行動しなくてはならない。帝が動けば動くほど、それだけ周囲に与える影響は大きくなっていく。そしてその影響の結果が良いものであるとは限らない。その結果の巨大さの前に帝は動きたくても動けなくなってしまうことが今まで何度かあった。今回もそうなのだ。彼女がどんなにリナリアを助けたいと、愛生の力になりたいと願おうと、それはできない。ラボラトリの危機はそのまま愛生やリナリアの危機でもあるからだ。この街は超能力者を閉じ込める研究室でもあるが、同時に反超能力者思想を持つものたちを近づけさせない柵でもあるのだ。
「今回、私はこれ以上戦うわけにはいかない。すまないな」
帝が、らしくもなく沈んだ顔を見せる。彼女の中でも相当の葛藤があったのだろう。それはわかった。だが、身勝手な意見かもしれないが、愛生は帝にそんな顔をしてほしくなかった。彼女はいつものように笑っていなければ、とそんな風に思ってしまったのだ。
「大丈夫ですよ」
だからだろう。不自然なまでに前向きな声で愛生は言った。
「リナリアは僕らが助けます。絶対に、絶対に。だから、大丈夫ですよ」
愛生の言葉に帝は少しだけ驚いた顔を見せてから、ふっと微笑んだ。
「ちょっと見ない間に、随分いい顔をするようになったな……。男子三日合わざれば括目して見よとは言うが、たった数時間で何があった?」
「背中を、押してもらっただけですよ」
ほんの少しだけ、勇気を貰った。ただ、それだけだ。
「なら、お前を信じよう」
そう言って、帝は再び微笑んだ。
「それに、これは言い訳というわけでもないんだが。結局私ではリナリアを救うことはできなそうだからな。……すでに一度、失敗している」
帝の言わんとすることはすぐにわかった。彼女は自分がリナリアを研究所から連れ出した時のことを言っているのだ。帝が何を考え、何を想ってリナリアを助けようとしたかは愛生も詳しい理由までは知らない。だが、その時確実に帝は手を伸ばし、リナリアはその手を掴んだはずなのだ。そう、あの時と同じように。
その結果が今の現状だ。
帝に救われている時も、救われた後も、リナリアはずっと死ぬことばかり考えていた。帝はリナリアを救い出したが、心までは救えなかったのだ。
「だからこそ、私はリナリアを愛生、お前に預けた。そしてその選択は今でも間違いではなかったと思っているぞ」
愛生はゆっくりと頷いた。
間違いになんかはさせない。
あの子と出会ったことそのものを間違いになど、させてはいけない。
それは、嫌なことだからだ。
愛生は静かに覚悟を深めた。