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鏑木流との交渉

 リナリアを助ける。

 愛生を含めたその場にいる全員の意見が固まった。しかしそうはいっても、現実的な問題は多々存在していた。

 まず、愛生たちにはリナリアの居場所がわからないのだ。千歳の超能力なら、かなり広範囲の索敵が可能だが、それでもラボラトリ全域をカバーするには至らない。時間さえあれば見つけられないこともないが、その時間がどのくらい残されているのかもわからない。何より六道たちは千歳の超能力を知っている可能性が高い。愛生についての情報を集めていた以上、千歳の調べもついているだろう。その時点で、対策を練られているかもしれない。

 また六道の目的はリナリアを殺すことだが、その方法についても全く情報がない状態だ。

 どうしたいのかは決まったが、どうすればいいのかわからない。情報が少なすぎるのだ。

 誰も適当な解決策を提示することが出来ぬまま、時間だけが過ぎて行く。そんな中、まるで現状を断ち切るようなけたたましい音が響く。音の正体は各部屋に一つずつ取り付けられたホテルの固定回線。フロントとの連絡を取るためのものだ。アンティークものの電話のような形をしたそれを愛生は手に取り耳にあてた。それは間違いなくフロントからの連絡だった。いつも聞いている従業員の声がする。

「我王様。……実はお客様がお見えになっておりまして」

 先程の強襲のこともあってか、従業員は少しばかり警戒した声だった。

 こんな時に、お客……?

 帝さんかもしれないと、愛生は一瞬思ったがすぐに否定した。ここは彼女の影響力の強い場所だ。わざわざ連絡するまでもなく顔を見るだけで中まで通すだろう。それ以前に、彼女がまともにフロントを経由するかどうかも怪しい。

 帝ではない。だとしたら、他に愛生には思いつく人物はいない。今このタイミングでここに尋ねてくる人間がいるとは思えない。

「その人は、なんて名前ですか?」

 そう尋ねると、従業員は何故かおずおずとした調子で答えた。

「それが……名前を言ってもわからないからいい、と」

「…………」

 怪しい。それはつまり愛生とは面識のない人物だということか。警戒を強める愛生に従業員がさらに告げた。

「ただ、その――六道と言えばわかる、と仰っておりまして……我王様、どうなさいますか?」

 全員と話し合った結果、愛生はその客人とやらを部屋まで通すことにした。

 軽率だとは思った。しかし、これは現状を打破する突破口になるのでは、というのが全員の意見だった。まさか六道だとは思わない。彼がここに戻ってくる意味はない。すると、六道の名を語る誰かだ。となると、その客人は今回の件について何かしらの情報を得ている。事情を知っている者の可能性が高い。無論今朝の襲撃のこともある。敵襲の可能性も考えられなくはないが、今この部屋には八九郎や千歳を始めとした強力な能力者達がいる。襲撃が来るかもしれないとわかっている二人がいれば、このラボラトリで勝てる者は殆ど限られるだろう。

 軽率ではある。しかし、こちらが負うリスクは限りなく少ない。それが愛生たちの決定だった。

 フロントからの連絡から少しして、部屋の呼び鈴が鳴らされる。客人の到着だ。最大限の警戒として、既に能力を発動させた八九郎を先頭にして、愛生と共に扉を開ける。

 するとそこにはあの黒ずくめの不吉な男の姿はなく……現れたのは白髪頭の老人だった。

「かっかっか。なんじゃ、すでに熱くなっておるのか。この老体にそこまで警戒する要素がどこにある」

 しゃがれた声で軽口のようなことを言う老人。これには愛生も八九郎も拍子抜けしてしまった。老人は妙に派手な袴を着ていて背中も曲がってはいないが、手にした杖に体重を預けるような立ち方をしていた。脚が悪いのだろうか。どちらにせよ、確かにそこまで警戒のいる人物のようには思えない。この年齢ならば、能力者だと言うこともあり得ない。超能力者の発生は今からきっかり二十九年前。この老人は超能力者では決してない。

「お前は誰だ」

 それでも銃器の類いを持っていれば、八九郎や愛生はともかく他の人たちが危ない。そのことを危惧していたのか、それとも単に素性の知れない相手だからか、八九郎は未だ警戒を解かずにそう尋ねた。

 老人はにやりとした、どこか嫌な笑みを浮かべて応えた。

「儂は鏑木かぶらぎながれ。五人の管理会の内の一人。そして今は《名もなき組織》の長をやっておる」

 管理会。そして、名もなき組織。それぞれの言葉に愛生の緊張は否応なく高められる。

「幻影団。ファンタズマゴリア。カーニバル。呼び方は好きにせい」

「お前は……僕らを襲った組織のトップだと言うのか!?」

 そんな男が、どうしてここに。そんな意味も込められた問い。鏑木は顎に手を添えて考えるようにして答えた。

「その通り。まあ、お互い積もる話もあるじゃろう。まずは部屋にいれて椅子に座らせてくれんかのう。何分、足が弱い。それと、できれば冷たい飲み物も貰えるとありがたい。今日は嫌に暑い」

「何をずけずけと、遠慮なく……」

「儂はお主らなどに遠慮はせん。だからお主らも儂に遠慮はせんことだな。これからする話は、決して互いを思いやるものではないからのう」

 ほらどいたどいた、と手を振りかざして鏑木が言う。

「あまり老体を虐めるでない。これでも足が弱いというのは本当なんじゃ」

 そう言うと、警戒する八九郎と愛生に構うことなく、二人の腋を通り抜けて、さっさとリビングへ向かってしまう。残された愛生と八九郎は二人で顔を見合わせる。お互い、微妙な表情をしていた。警戒すべき相手なのはわかっているが、どうにもあの老人のペースに呑まれている。とにかく老人のあと追って、二人もリビングへ。するとそこでは既に鏑木が椅子に腰を下ろしていて、晶子が彼に冷たい麦茶を差し出していた。

「あら、愛生くんごめんなさい。勝手にお茶出しちゃったけど……大丈夫だったかしら」

「は、はぁ……」

 敵か味方かもわからない老人に笑顔でお茶を出せる晶子に愛生は驚いてしまい、とりあえず頷くことしかできなかった。見ると八九郎は軽く頭を抱えている。もしかしたら八九郎はいつも晶子のこういう図太い部分に困らされているのかもしれない。

 手渡された麦茶を少し飲んで、鏑木は一息ついた。

「鏑木さん……まさか、あなたが来るなんて思わなかったよん」

 驚いた声で言うのは鋤崎だった。鏑木が彼女の存在に気づくと、ほうと声をあげた。

「なんじゃ、小娘。貴様もいたのか」

 お互いのことを知っている風な二人。鋤崎に知っているのかと尋ねると、彼女は頷いた。

「鏑木流。私たち超能力研究者の間で知らない人はいないよ。ESP細胞を発見して、今の能力学の基礎を作った凄い人物だよん。私も学会で何度かあったことがあるだけだけど……」

「何度か顔を合わせただけだが、貴様のことは覚えているぞ。へなちょこの小娘のくせに、そこらの頭の硬い馬鹿よりもいい論文を書く。そういえば一度、それとなくスカウトしたが断られてしまったのう」

 かっかっか、と鏑木は快活に笑って見せる。

「あんたは、研究者だったのか」

「元じゃよ。今は違う。そういう経緯もあって、管理会では超能力の研究関連の権限を得ておる」

 管理会の一員であるという事実に鋤崎は驚く。彼女も知らない事実だったらしい。基本的に管理会の人間は秘匿されているので、当然といえば当然だが。

「鏑木。お前は何をしに一人でここに来たんだ? 互いを思いやる話ではないと言っていたが」

 まるでそれは挑戦のようだった。だがしかし、そんな挑発を振りかざせるような状況にこの男はいない。今、この足の悪い老人は敵地のど真ん中にいるようなものなのだ。

 鏑木は少しだけ悩むように顎に手をあて、答えた。

「訂正させてもらうがのう。儂は何も一人でここまで来たわけではない。この足で一人で出かけることはできん。マンションの外だが、運転手と秘書を待機させておる。この場所に一人で来たのは、丸腰でないと話も聞いてもらえんと思ったからじゃよ」

「当たり前だ! お前の組織に僕らは襲われた! お前の組織のせいで、リナリアは連れていかれたんだ。それに、花蓮ちゃんだって傷ついた」

 激昂する愛生の言葉に鏑木は何を思ったか首を傾げた。そうして、軽い口調で言うのだ。

「花蓮……? はて、それは一体誰のことかのう」

 その一瞬だけ愛生は視界が赤く染まったように感じた。体はまるで自分ではない別の意志に突き動かされるように自然と拳を握り鏑木に迫り――――

「馬鹿野郎!」

 握った拳は八九郎によって止められた。まだ能力を完全に解除していないのか、右手から伝わる彼の体温は熱を近づけられたかのような熱さだ。

 愛生は掴まれた腕を振り回して暴れる。

「放せ! あいつは、あいつは今花蓮ちゃんのことを……!」

「違う。落ちつけ愛生。あいつが言っているのはそういう意味じゃない!」

 意味が違う。そう言われて、愛生の心は少しだけ冷静さを取り戻す。鏑木の言葉を愛生は挑発か皮肉のように受け取ったのだが、そうではないのか。

 暴れるのをやめた愛生から手を離した八九郎が鏑木に問う。

「鏑木、あんたはさっき鋤崎がここにいることに驚いていたな。それはつまり、鋤崎がこの件に巻き込まれているということも知らなかったということだ。夢井花蓮について、お前の『知らない』が鋤崎のと同じ意味なら――――」

 続きは閃きを得た千歳が言った。

「鏑木流は今回の騒動を全て把握しているわけじゃない……ということですか?」

 八九郎は頷いた。そして結論を述べる。

「鏑木。お前にとってこの一連の襲撃、リナリアを連れ去った六道の行動は予期せぬことだったんだな?」

 鏑木は顔に刻まれた深い皺をより一層強くして答えた。

「左様。理解が早くて助かるわい。確かにその通り、儂のとって此度の騒動は想定外もいいものだ。全て六道による独断専行じゃ」

「それを、信じろというのか……」

 噛みつく愛生。鏑木はなんてことは無しに笑って見せた。

「そうはいっても、信じてもらわなくては困る」

「想定外だと? 六道の独断専行? お前は自分の組織の人間に出し抜かれたって言うのか」

「そういうことだ。こればかりは儂の監督責任を問われても仕方ないのう。かっかっか」

 快活に笑う鏑木に苛立ちを隠せない愛生。そんな愛生の様子を鏑木はにやりとした嫌な笑みで見つめながら、続けた。

「実際、本当に出し抜かれたのじゃ。儂だけではない。組織の人間全てだ。貴様らを襲った儂の部下たちも大半は今回の任務が儂の決定で下されたものと信じておった。当の儂は何も知らずにいたというのにのう」

「それは組織への六道の反逆ということか?」

「わかりやすくいえばのう。ただ、どちらかと言えば組織を利用したと言った方が適切じゃろう。あの小僧は自分の目的のために儂の組織そのものを利用しおったのだ。無論さすがに一人という訳ではない。組織の中からも何人か寝返った者がおる」

 実際、と鏑木は一度そこで言葉を区切り、部屋の中を舐め回すように見回す。

「――実際、この中で儂が顔と名前を把握しておるのは、我王愛生と裏方八九郎くらいじゃよ。それ以外は眼中にさえないわい。鋤崎はまあ、この件とは無関係で知り合いであったがのう」

「だったら、だとしたらだ。お前は何をしにここに来たんだ。まさか、それを言うためだけにきたんじゃないんだろう?」

「かっか。まあそうじゃのう。この事実を伝えるのも目的じゃったが、他にもある」

「それはなんだ」

「なんだも何も、これはお主にも関係することじゃぞ? なあ、我王愛生。放っておけば、例えこの騒動が儂の意志に背くものであったとしても、お主は儂を殺すじゃろう」

 どくん、と心臓が音を立てたのがわかった。それは愛生自身考えもしていないことのはずだったが、しかし図星を突かれたかのようにも思えたのだ。

 そんなこと、考えていなかったはずだ。

「どうして……だよ」

「ふん。どうして、か。我王愛生よ、お主は臆病な男だ。臆病で、そのくせ力はある。理性を持った獣のようなものじゃ。何かを失うかもしれない不安。傷つけられるかもしれないという不安から逃れるために、お主は必要以上に力を行使する。お主はきっと、組織の全てを壊滅するまで止まらんじゃろう。そうして儂も殺される。管理会の二人を殺した時のようにのう」

 え……? と誰かが驚く声がした。その声の先では晶子の隣でまるで放心したかのような亜霧が立っていた。

「殺した……って、愛生くんそれどういうことなの……?」

 しまった。そう思って、愛生は反射的に顔を伏せてしまう。延々と隠し通せるものではない。いつかはこうなると予想はしていたが、それが今だとは思わなかったのだ。

「なんじゃ、お主。小娘どもには何も話しておらんのか!」

 亜霧と愛生の反応で察しがついたのか、鏑木は笑みを大きくする。

「かっかっかっか。お主、その汚れた手でまだ潔癖を望むのか! 滑稽じゃ滑稽じゃ。愉快じゃのう」

「あ、あんたさっきから何いってんのよ!」

 亜霧が体を震わせて鏑木に叫んだ。しかしその威勢は老人の嫌な笑みを向けられることで失う。鏑木の視線はこちらを捕らえるようなものなのだ。

「小僧が話さないのなら、儂から話してやろう。よいか――」

 止めようと思えば、そこで止められたかもしれない。このいやらしい老人のことだ。愛生が必死に頼めば言わないでくれたかもしれない。だけど、愛生は動かなかった。どうせこうなるとわかっていたからでも覚悟していたからでもない。

 それは一種の自暴自棄にも似たものだった。

「この男はのう。件の養護施設解体、そして裏方八九郎完全管理計画を〝ぶち壊す″ために、管理会の人間をその手で二人も殺して見せたのだ」

 部屋の中に、老人の高笑いが響く。

「これこそまさに我王愛生が獣である証拠じゃろうて。確かに手段として間違ってはいない。おかげで裏方八九郎も施設も、新たな危機に直面することもなく平然と暮らせておる。だがのう、やはりその選択は行き過ぎじゃよ。やり過ぎじゃ。怖い、という理由でこの男は全ての敵を殺して見せたのだ」

 亜霧がこちらを見ているのがわかった。その視線が、決して良いものでないことも、愛生にはわかった。見なくてもわかる。今、彼女は我王愛生に失望しているのだ。そして、怖がってもいる。誰かのために人を殺すことができる愛生という人間に恐怖を抱いているのだ。

「どうした? 恩人だと思っとった男が人殺しで、怖くなったのかのう」

 黙ったままの亜霧に鏑木が言う。

 亜霧はなんと言うのだろう。殺さなくてもよかったじゃないかと、そう自分を責めるのだろうか。

「……それが、なんなのよ」

 だが、次に亜霧が言ったことは愛生の予想していないことだった。

「それが一体なんなのよ。愛生くんはあたしたちのために人を殺して、傷ついた。苦しんだ。ただ、それだけのことでしょう? それの一体どこにあたしが怖がる要素があるわけ? なにがどう滑稽で愉快なのかしら?」

 強がりだ。気張ってはいるものの、額には汗がにじんでいるし、得意げな笑顔もぎこちない。だが、その言葉だけでも愛生の心は幾分軽くなった。愛生はそこで初めて自分が安心したんだということがわかった。少しだけ、楽になったのだ。

 鏑木は途端につまらなそうに顔をしかめる。

「人を殺して傷ついた、か。おかしなことを言う」

「何よ。何か文句あるっての?」

「いや、ない。あってもここは黙っておこう。それよりも、話の続きじゃ」

 鏑木は視線を亜霧から愛生へと戻した。

「我王愛生。お主は儂を殺すじゃろう。今は否定してもきっと殺す。それはわかりきったことじゃ。そして儂はお主なんぞに殺されとうはない」

「じゃあ、なんだ。お前はまさか命乞いでもしにきたのか?」

「そんな不様な真似はせんよ。儂がするのは交渉じゃ」

 そう言って、鏑木は皺だらけの顔から笑みを消した。

「儂を見逃せ。儂だけじゃない、今回六道に騙されてお主らを襲撃した儂の部下たちの行いも不問にせい。その代わり、儂はお主らに情報を与えよう」

「ふざけるな! それはつまり、花蓮ちゃんを傷つけたことを許せってことだろ。そんなこと、できるわけがない!」

 愛生は激昂する。それは愛生にとっては譲れない部分だったからだ。怒りで拳を震わせる愛生を凝視しながら、鏑木は言葉を重ねた。

「許せ、とは言っておらん。ただ不問にせいといっておるのだ」

「同じことだ」

「いいや違う。許さなくてもいい。怒ったままでもいい。ただし、復讐を考えるなと言っておる」

「お前は……」

 もう我慢ならなかった。震える拳を強く握りしめて、愛生は鏑木に近づこうとする。しかしそれは間に八九郎が割り込むことによって防がれた。

「八九郎さん。そこをどいてくれ!」

「待て、さっきからお前、冷静じゃないぜ。まずは鏑木の言う情報を聞いてからでもいいだろう」

 八九郎から、諭すようにそう言われれば、愛生としては従う他ない。それとは別に、頭に血が上っている自分を諌めてくれる八九郎の存在はありがたかった。気持ちを落ち着かせるように、愛生は一度深呼吸する。

 二人の様子を見ていた鏑木は消えた笑みを再びその皺だらけの顔に宿した。

「かっかっか。さすがは裏方八九郎。どんな時でも冷静じゃ。だがそこまでいくと、冷淡と言われても仕方ない気もするのう」

「焦って馬鹿やって、守れるものを守れなかった方が最悪だ」

 教えろ、と八九郎は強い口調で鏑木に詰め寄る。

「お前は俺たちにどんな情報を与えられるんだ」

「…………六道の居場所。そして奴の能力。それから奴の側についた儂の部下たちの情報もくれてやろう」

 落ち着かせたはずの気持ちが再び熱くなるのを愛生は感じた。鏑木の提供するという情報。それは今、愛生たちが一番欲している情報なのだ。特に、六道の居場所。それさえわかれば、今すぐにでもリナリアを助けに行ける。

 鏑木の情報の重要性に誰もが気づいていた。八九郎や千歳は真剣に何かを考えているし、他のみんなはそれぞれ驚きや感嘆を漏らす。

 今ここで、首を縦に振れば、すぐにでもリナリアを助けに行けるだろう。

 だけど、それでいいのか……。

 ここで鏑木と手を組むことは、花蓮を裏切ることになるのではないのか。彼女の痛かったこと、怖かったことを忘れることなんて、愛生にはできない。ましてや、覚えたままに何もしないなんて、もっとできるはずもなかった。

 どうする。どうする。

 心の中に生まれるのは焦り。冷静さを欠いている。それはわかっていても、焦燥は止まらない。

 僕は、どうすればいい。

「――――鏑木流」

 その時、誰かが鏑木の名前を呼んだ。その声は酷く冷たく、冷徹とも思えるような響き。それを発したのは間違いなく千歳だった。

「あなたは、今がどういう状況なのかわかっているのですか?」

「……」

 投げかけられた質問。鏑木はわかっているのか、いないのか、どこか小馬鹿にしたように首を傾げた。

「今、あなたの目の間にいる男は誰ですか?」

「裏方八九郎じゃよ。優秀な超能力者だ」

「そう、彼はラボラトリ最強の超能力者。対してあなたは能力も持たない丸腰の老人です。それだけじゃありません。私や亜霧さん。愛生を含めた力を持った能力者があなたを見ている。今、この場において強いのは私たちだ」

「……はて、一体何が言いたいのやら」

「とぼけない方がいいですよ。何も私たちは馬鹿正直にあなたと取引をしなくても、この場で力づくで聞き出すという選択肢も取れるんです」

 千歳の視線はいつになく冷え込んでいる。普段から決して、目つきがいいわけではない彼女だが、誰もが今の千歳といつもの千歳は別人のように感じるだろう。あれはまさに敵を見る目つき。倒すべき相手を見る目だからだ。

「あなたから力づくで全ての情報を聞き出して、そしてその後愛生の復習を遂げてしまってもいい。愛生にできないのら私がやります。それがリナリアちゃんの、愛生のためだというのなら」

「小娘が、自ら率先して手を汚すのか?」

「そんなもの、あとで洗えばいいでしょう?」

 全く物怖じしない千歳の返しは、さすがの鏑木も唖然としている。だけど愛生は知っていた。必要とあらば、いくらでも容赦を捨てられる人間。それが桜庭千歳なのだと。

 ある意味、僕以上にピーキーなんだよなぁ。

 しかしその荒々しさを自分で完璧にコントロールしてしまっている点では、千歳のが愛生のような危なっかしさはないのだろう。

「卑怯だとは思いませんよ。リナリアちゃんを助けたいという愛生の思いを利用して、自分の命を救おうとするあなたの方がよっぽど卑怯で卑しい」

 心底侮蔑するような視線で持って、鏑木を睨みつけて千歳は告げた。

「さあ、選んでください。今ここで全ての情報を吐くか。それとも私たちに散々痛めつけられたあとに吐くか」

「…………」

「黙らないでください。時間がないんですよ。それとも、早く痛めつけられたいんですかね」

 もしかしたら彼女は怒っているのかもしれないと、愛生は思った。リナリアの命や愛生の気持ちを交渉材料として使う鏑木の卑しい手口に、千歳は〝かちん″ときたのかもしれない。

 敵意と怒りを隠そうともしない千歳に鏑木は最初唖然とし、呆けたようにしていたが。しかし次の瞬間には笑っていた。何がおかしいのか、腹を抱えて笑っているのだ。

「面白い小娘だ。実に面白い。我王愛生よ、お主の周りには面白い人間が集まるのう」

「私を無視しないでくださいよ。私は、質問をしているんですよ」

「わかっておる。今答えてやるわい」

 そう言って、鏑木は自身の敵をそれぞれ一瞥する。

「痛めつけられるのは嫌じゃ。だけど、タダで情報を吐くのも癪に障る。だから――」

 だから、

「――――やれ、喜彰、照美」

 それが聞いた名前であると、愛生が気づくよりも先、ほんの一瞬で部屋の中に異変が起こる。人数が増えたのだ。明らかに、そこにいなかったはずの誰かが増えた。

「悪いな……」

「わるいなー!」

 いなかったはずの誰かが言葉を発す。その手に、銀に光る鎌を持って。

「人質を取らせてもらった」

 二つの銀色は鋤崎と晶子に向けられていた。

「お前ら……!」

 ようやく愛生がいなかったはずの誰かの姿を目にした時にはすでに状況は最悪だった。

 喜彰。照美。

 影踏み。影渡り。

 影を支配する二人の超能力者。彼らはそれぞれの手に鎌を持ち、それを人質の首にあてがえる。喜彰は鋤崎に、照美は晶子に。それぞれ人質の後ろにまるで処刑人のように立っている。

 一瞬だ。ほんの一瞬で、今愛生たちの中で最も力のない二人を人質に捕られてしまったのだ。

 部屋の中は一気に騒然とする。愛生や亜霧は勿論のこと、千歳までもが驚愕する。特に千歳は先程までの怒りや敵意を動揺へと変えて捕らえられた二人を見ていた。

「えへ。えへ。だいせいこーだよ、喜彰!」

「ああそうだ。今回は静かにしていたな。よくやった照美」

「あたし、やれば、できる子だもーん!」

 無邪気な笑顔をさらけ出す照美。寡黙な表情を崩さない喜彰。愛生にとっては既知の相手。そして他の全員にとっては未知の相手だ。しかし問題はそこではなく……

「ほれ、どうした小娘よ。さっきの威勢はどこにやったのだ」

 心底愉快そうに鏑木は千歳に語りかける。悔しさもあるのだろう。千歳は鏑木の方は見ず、捕らえられた相手の方だけを見つめていた。

 まずい。動揺する思考でも、今が非常にまずい状況であることはわかった。八九郎や千歳を含めた能力者たちがいることによる有利は、こうなってしまうと不利にしか働かない。八九郎の能力では二人を傷つけずに助け出すことはできないし、千歳の能力も今は使うべき時ではない。

 何より、あの二人が人質を取っていることが一番まずいな。

 あの二人もまた容赦のない人間だ。そして人質が二人だと言う事実も危険だ。一人だけならば、その人質を殺すことで向こうも丸腰になってしまう。奴らもそれがわからない相手ではないため、まだ交渉や救出の余地はある。だが、二人だとそうはいかない。こちらが不審な動きをしようものなら、奴らは迷わず一人は殺すことができるのだ。

 人質を二人取られた時点で、愛生たちは下手な動きを撃つことができなくなった。

 愛生は手を広げ、制止するようなジェスチャーを取ることで他のメンバーに動くなと伝える。焦って行動しようものなら、一人が死ぬ。確実にだ。

「悪いな、我王愛生」

「……そう思うなら、人質を解放してくれないか」

「そうじゃない。俺が言っているのは今朝のことだ」

 今朝。それは、

 この男が花蓮ちゃんを傷つけたことか。

「あの任務は六道による裏切りの結果だ。俺にとっても望むことではなかった。言ってしまえば不慮の事故だ」

「事故、だと?」

 爆発しそうになる感情をなんとか押さえて、愛生は低い声で言った。

「それで、お前を許すとでも思っているのか!」

「いや思わないさ。それに流のオヤジも言っていただろう。許すのではなく不問にしろと。俺にとってもあんたにとっても望む結果ではなかった。ならば、手を打つことは可能だろう」

「人質を捕っておきながら、いけしゃあしゃあと……」

「あんたらだって、オヤジを人質に捕っているようなものだろう。少なくともそこの眼鏡の女は、そのつもりだったんじゃないか?」

 思わず再び声を荒げそうになるが、その前に鏑木が喜彰を窘める。

「やめろ喜彰。あまり挑発するでない。儂らは交渉に来ておるのだぞ」

「わかってますよ。こんなの、ただの雑談でしょう」

「まったく……」

 わずかに嘆息しながら、鏑木は愛生たちへと向き直った。

「さて、それじゃあ交渉を続けようかの。何、難しいことではない。『はい』と言えばそれでよし。『いいえ』なら一人が死ぬ。わかりやすくてよいじゃろう?」

「……下種め。最初からこうするつもりだったな」

 丸腰のように見せかけたのも、その後わざわざ運転手や秘書を連れていることを明かし、一人ではないのだと強調したのも、全ては自分の影に潜ませた喜彰と照美による奇襲のための布石だったのだ。

 この男ははなから対等な立場で交渉するつもりなんてない。あくまでも鏑木はことを自分たちに有利に運ぼうとしている。

 老人は笑う。その顔の皺を歪めながら。

「かっかっかっか。これも《戦い》じゃよ。謀略を持って敵を殺す戦いじゃ」

 ならば、戦いは既に始まっていたのだろう。鏑木がこの部屋に訪れた瞬間から。自分たちは失念していたのだ。狼狽えるばかりで気づかなかった。考えもしなかった。この老人がはっきりと自分たちの敵だということに。

 悔しさがこみ上げる。情けない。

 僕はまた、みんなを危険に晒している。

 愛生が自分への憤りを噛みしめた時、不意に八九郎が口を開いた。

「何故だ……?」

 その視線は晶子から外さずに、鏑木に問う。

「何故、とは?」

「お前の真意が知りたい。自分の命が惜しいだけなら、わざわざこんな敵地へと出るようなリスクを冒すはずがない。……お前の行動や提供する情報、そいつは何から何までまるで俺たちを六道へとけしかけようとしているみたいだぜ」

 六道の居場所。敵の戦力。それらの情報の提供とは、まるで愛生たちが六道と戦うためのお膳立てのようだったのだ。事実、六道の居場所さえわかれば、すぐにでもリナリアを助けに行けるのにと、愛生はそう思っていた。

 敵地に赴くリスクを冒してまで、自分達を戦い合わせようとする鏑木の真意。それは確かに無視してはならないものだと気付くと同時に、愛生は目を覚ました。意識を〝ちゃんとした場所〟へと戻したのだ。

 八九郎さんのおかげだ……。

 晶子が人質になっている。それは八九郎にとって決して穏やかな状況ではないはず。しかし八九郎は考えることをやめなかった。自己嫌悪するだけで思考を停止させた自分とは違う。八九郎は諦めなかった。晶子を救うため、みんなを守るため、今考えるべきことを考えたのだ。

 しっかりしろ。僕はまだ、戦ってすらいないじゃないか。

 老人がその捕らえるような眼で八九郎を舐め回す。

「何、深い考えも騙すつもりもない。ただ、元部下を止めるために今の部下を戦わせるのは馬鹿馬鹿しい。お主らに頼む分には失敗しようと儂に損はないからのう。それに、少々人手は足りないようだが、全体の戦力は圧倒的にお主らの方が上じゃ。ならば、主らに頼んだ方が都合がよい」

 倒してくれるのなら御の字。駄目なら次の手を考える。ようは捨て駒、鏑木にとっては損のない、都合のいい特攻隊だ。

 それに、と老人が続ける。

「あのフェーズ7の幼子に死んでもらっても困る。あれはまだまだ利用価値のある玩具だからのう。今しばらく、お主らのもとへ預けておきたい」

「黙れよ」

 その声は酷く平凡で、ともすれば雑談の中の一言にさえ聞こえたが、しかしそれは紛れもなく怒りを込めた愛生の声だった。

「それ以上、あの子を侮辱するなら、交渉も何も無視してお前を殺す」

 心を打ち砕く硬い鈍器のような愛生の視線を向けられ、鏑木の捕らえるような眼は身を潜め、代わりにその眼には驚きと瞬間的な恐怖が現れた。

「かっ……かっかっかっか!」

 鏑木は余裕をなくしたように、しかしそれ以上に愉快そうに笑う。その皺だらけの顔を不気味に歪めて笑って見せる。

「面白い。面白いぞ我王愛生。お主、本気で怒ると『そう』なるのか……。ただの煮え切らない小童かと思えば、よいぞ! お主からは儂好みの外道の匂いがする」

「言っていろ、老いぼれ」

 愛生は鏑木の言葉を殆ど聞くことなく一蹴した。実際、そうしなければ今にでもこの男を殴り飛ばしそうだったからだ。寸前で、堪えることができたのは八九郎の覚悟を見たから。そうでなければ愛生はいつものように怒りに任せて暴れていただろう。その結果、また誰かを傷つけることになっていたかもしれない。

 自分の弱さが嫌になる。だが、そんな弱い自分にみんなはついてきてくれるのだ。

 愛生は八九郎、千歳、そして亜霧をそれぞれ一瞥し、深呼吸を一度してから言った。

「……この話を受けよう。鏑木流と取引するんだ」

 意外なことに、三人は驚くよりも先に頷いた。

「ですが、いいのですか?」

 千歳が確認のように愛生に問う。愛生はゆっくりと首を縦に振った。

「いいんだ。勿論、僕らを襲ったことや、花蓮ちゃんを傷つけたことを許すつもりはない。……正直、僕は今すぐにでもこいつらを殺してやりたい」

 それは愛生の素直な感情。今まさに暴れ出しそうな感情を愛生は必死で抑えつけているのだ。

「だけど、そのせいでリナリアを助けられなかったら、それこそ僕は花蓮ちゃんに合わせる顔がない」

 彼女は優しい。ただの、優しい女の子だ。リナリアが死んだと聞けば、悲しむだろう。そんなのは嫌だった。愛生はもう逃げたくなかったのだ。負い目からも、嘘からも。

 僕は、あの子と正面から向き合いたい。

「だから、受けよう。……聞いての通りだ。鏑木、僕らはあんたの交渉に応じる。この件に関しては復讐は考えないことを誓う」

「賢明じゃのう。よかろう、お主らの知りたがっている情報、全て話してやろう」

 すぐにでも、情報についての話を始めそうだった鏑木に、八九郎が「待て」と低い声で言った。

「人質の解放はどうした。交渉が成立したんだ。もう必要はないはずだ」

「……喜彰、照美」

 二人の名前を呼ぶ。すると、照美が鋤崎の首から鎌を外す。そうして、すぐに鋤崎のもとから離れ、喜彰の隣に立つ。……しかし、喜彰は晶子の首から鎌を外そうとはしなかった。

「おい、何をやってる!」

 少しだけ、焦ったような八九郎の怒声。

「早く人質を解放しろ! 鏑木!」

「いや、一人だけじゃ」

「なんだと!?」

「情報を開示しておる途中に襲われでもしたらたまらんからのう。こちらとしてもこの人質は最後の命綱じゃ。一本だけは、全て終わるまでとっておかせてもらう」

「野郎……!」

 八九郎はその顔に怒りを見せたが、しかし少し迷った末に表情を消した。

「わかった。それでいい。続けろ……」

 肩を落とし、申し訳なさそうに晶子を見つめる八九郎。そんな彼を見て、愛生はふつふつとした怒りを湧き上がらせる。しかしそれは悟られないようにしまっておく。ここで取り乱せば、更に鏑木に付け入る隙を与えることになる。

「かっかっか。それでは始めさせてもらおうかの」

 鏑木は手にした杖で二回床を叩く。それを合図に、情報を語り始める。


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