咲矢間、夕暮れ。
「まあいいや。あたしは別に今、必要な本は無いからな」
言いながら、長谷堂は傍に積み上がっていた本を手のひらで軽く払う。指の腹に埃が付いて黒くなった。渋い顔をする。それは埃のせいではなく、何だかよく分からない生き物が表紙に書かれた不気味な本だったからだ。何だこれは。手にとって眺めて見る。
「そうなのか。じゃあなんで入って来たんだか。それとも佐緒里が連れて来たのか」
「まあ、そんなとこかしら」
佐緒里がニコニコ笑顔で答える。視線は長谷堂が持っている本の表紙に向かっていたが。
「それじゃあもうここに用は無い、と……でもその本には興味がありそうだな?」
「いや、無い」そのまま元あった場所に本を戻した。買う積りは無い、とはっきり視線で示した。高階は表情を変えない。
「……ふむ。それで、二人はもう帰るのか?」
「まあ、ここへ寄ったのは帰りの道すがらだからね」
長谷堂は佐緒里が抱えている鯛焼きの紙袋に視線を移す。まだあんこはあたたかいようだ。なんだか腹が減ってきた。鯛焼きはさっき二つ食べたのに。再びその辺に積んである本の背表紙やらに目を通してみる。そのまま通路から出口へと向かって歩み始めた所。
「よし、それなら、俺も帰るかな……」
「何言ってんだ?」
高階の言葉に、振り向いて答える長谷堂。半ばあきれ顔とも言える表情で。
「いや、だから店を閉めて俺も家に帰ろうかなって」
「って、店番任されてる身なんじゃないのかって話だぞ? そんな勝手でいいのかよ。掃除くらいしておけよな」適当に引き出した本に息を吹きかけ埃を飛ばして見せる。
「ふぅ。言ったろ、自由なんだよ。留守の間でも誰かがいてくれないと不安だってだけなの。気分の問題だよ。そういう意味での店番さ。だから、これに関しては給料貰ってる訳じゃない、ボランティアだ。まあ店主が帰って来た時に、小遣いだっつって手渡しされる時はあるけど。これが働いてるうちに入るのかは知らん」
「おいおいおいおい、何か恐いな大丈夫かぁ……源泉徴収してんのかなぁ……」
「いやいやそんな、ははは、しょうもない事を言うんじゃない。それに、言っておくが俺は掃除は嫌いじゃない。だから家では良く綺麗にしようと努めているんだが、それでも本だけがこれだけあるとな、ここは見ての通りだ。実際、普通の部屋を掃除するのとは勝手が違うんだよ。――じゃあ二人は外に出てくれ、二、三分で俺も出る」
そう高階に促されて二人は店の外に出た。
長谷堂はいまいち、高階という男が解らない。別に嫌いなタイプではないし、悪い奴でもない。どことなく雰囲気が舞阪に似ているような印象だが、彼よりは良く喋るようだ。大家さんで、零の保護者変わり。それ以外は全く。
「鯛焼き、そろそろ冷めて来たか? まだあったかいか」
「うん、あんこはまだ温かいよ。カスタードはとっくに冷めてるけど」
「ツグがこれを喰うかどうかだなぁ。しっかし、帰って見たらきっと閑散としてるんだぜ、そりゃあ学生連中は昼間は普段いないけども、夜も静かってのはなんだか変な気分になりそうだ」
「そうねぇ、リュウちゃんとヒバちゃんが合宿に行った時はそんな感じだったわ。もちろんまだもう一人がいたけれど」
「その、あたしがあった事ない住人って誰なんだ? 聞いても良く分からないとは思うけど。あたしらみたいにふらふらしてんのかな。それともこの本屋の店主みたいなもんか?」
「彼は――そう、男の人なんだけれどね、リュウちゃんとは仲良かったかな。歳はそんなに離れてはいないけれど私よりは上って感じね。相貌は言って見れば普通なんだけれど無精ひげをそのままにしている事が多い感じかな。髭が無ければ印象は変わる人ね」
「ふーん。あんまり見ないタイプだな。結構だらしないタイプか」
「部屋は多分整頓されていると思う。ケイちゃんとそこは似てるかも。あ、綺麗好きなのは本当よ、ここの本を整頓しないのは、店主さんがどこに何が置いてあるか全部把握しているらしくて、誰かがいじるとすぐ解るんだって。それで、ケイちゃんが一度掃除してる時に帰って来て、ちょっと面倒くさい事になったって言ってたから」
「何でそんな所で店番任されてんだろうな……」
ますます良く解らない。長谷堂は本屋の前に座り込んだ。
「鯛焼きちょうだい。あんこ」
「もう、やっぱりお腹空いてたんじゃない」
「違う、空いてたんじゃない、今さっき空いたとこなの」
「変わらないでしょ。ほら」佐緒里が手渡したあんこの鯛焼きを、長谷堂はおいしそうに頬張った。
⇔
とぼとぼと咲矢間神社に辿り着いた雲雀は、ただぼんやりと階段を上り、社務所の日陰に腰を下ろした。全然人がいない。社務所に人がいる事すら稀である。閑散としている。土地の名前が付いている神社であるのに地元の人間が寄りつかない。相変わらず不憫な神社だが、だからこそ雲雀のような者が訪れる事を歓迎してくれているのかもしれない。
「風紀委員の会議があれば、気兼ねなく学校で柳刀には会える。一年の教室まで会いに行くのは恥ずかしい。何だかんだで学校ではあまり絡めない……はぁ、近くに居るのに遠くに行っちまったもんだな……不思議だ……」ポケットからラムネ菓子を取り出し、三粒ほど口に放り込んで噛み締める。口腔に独特の香味が広がる。
「とにかく、休みが明けたらまずはちゃんと奥村さんと話さないとな……」
そのまま立ち上がると、神社の境内の方へ進んで行った。その時、境内に人影がある事に気付いた。
こういう時間にこの神社に来るような人間は皆一人の時間を得るためにここに来ているのだ、と勝手に雲雀は思っていたが、先客がいるなら仕方ない、そのまま神社に背を向けて帰ろうとしたその時。
「あのっ、雲雀さん……?」
と、背中から声をかけられた。
静寂の中で人の声が、それも自分の名前が呼ばれたのだ。雲雀は驚いて振り向いた。境内にいた人影は、紛れも無く。
「あ……」
クラスメイトであり同じ風紀委員でもある、奥村咲月だった。思わぬ出会いが転がっているものである。それとも数少ない訪問者に、神社が気を使ってくれたのだろうか。その人の事を考えている時にばったり会うと言うのは存外よく起ることでもあるが。
「やっぱり雲雀さんだ……」そう言って少しはにかんだ奥村は、声をかけて見たは良いもののどうしたらいいのかわからず、視線を泳がせている。
その姿は雲雀と同じく制服のままである。二人の間には距離があるので雲雀からは良く奥村の姿はよく見えない。彼女が地味だからという意味ではもちろんない。
「な、ななな、なんであたしだと解ったッ?」
「え……? えっと、だって……その、髪が……目立つから……」




