合宿、開始。
「ただい……ま」
しかし誰の返事も無い。学校から帰って来た雲雀は下駄箱に靴をしまうと自室へと戻って行った。佐緒里も長谷堂も今はいないらしい。
「……あぁ……しんどかった……」
今朝早く、一年生たちは新入生合宿でそれぞれの合宿地へとバスで移動して行った。そのため二年である雲雀はおいてけぼりの恰好となっている。
そして明日からはゴールデンウィークである。
クラスメイトに馴染めていないわけではない。と、自分では思っている。舞阪の言うように、自分が疎んじられていると言う訳でもない。クラスメイトが嫌いと言う訳でもない。それでも何か馴染めない雰囲気を自分自身が出してしまっているのだ。
一年の最初に、舞阪と仲良くなる以前の頃。意外な事に二人はいがみ合っていた。挨拶代わりとばかりに悪口雑言の口喧嘩を交わす。一年少し前の事だと言うのに、過ぎた事であると打っ棄ってしまったのか原因がなんだったかなどもう忘れてしまっている。
ただお互いに気に喰わない事があったのだろう。雲雀も舞阪も、実家は咲矢間ではない。椿雪荘で再会した時などはひどいものだった。舞阪が怒る姿など想像しがたいが、しかしお互い嫌っていたためか意気投合も早かった。委員会選出の頃には二人で風紀委員に立候補するなど、二人に一体何があったのか解らないクラスメイト達は不思議に思っていた。そのために、クラスメイト達の印象からすれば、舞阪と口喧嘩していた時の刺々しいイメージが先行するのだろうか。
しかし雲雀は内心で変化を感じ取っても居る。今までは舞阪の傍にくっついていたから、舞阪の馴染みの仲間と一緒に行動する事も少なくなかったため、そこまでクラスメイトと距離感があったわけでもない。
ここで、舞阪がクラスから居なくなった事で、クラスメイトとの接点が無くなってしまった、と思い込むのは違う。逆に近付きやすくなっているはずなのである。
「うぅうぅう、ゴールデンウィークのうちに、連絡先でも聞けばよかったかなぁ……失敗しちまったなぁ……」
風紀委員はクラスから二名選出。
今年度は今まで一緒にやっていた舞阪が居なくなった事で、一人の女子が風紀委員に名乗りを上げた。新学期に入って一カ月ほど経っているが、情けない事に雲雀は朝風紀を行う時と委員会の会議以外で彼女とまともに話した事も殆ど無いのだった。
風紀委員の新しい相方は、奥村咲月という。
また会話ができなかったと見える。
彼女らのクラス、二年G組の中でも地味な雰囲気の少女である。二年G組の教室は一年の雰囲気とは完全に違って、雲雀以外にも金髪や赤毛やら染髪組がいたりする。男女問わず茶髪もかなり多いため、黒髪の奥村は俄然地味な印象が際立つ。ロゼッタが教室で目立つなんてのが可愛いレベルである。
雲雀自身、クラスメイトの顔も名前もちゃんと把握くらいしていたが、他の女子と比べても奥村に関しては知らない事が多い。
「遊びに誘うとか、できたはずなんだけどな。まぁ、あたしが誘っても迷惑かもなぁ」
雲雀はふらふらと、制服のままサンダルを履いて咲矢間神社の方へと歩いて行った。日は傾いていたがまだまだ温かい。これから夏が来るのだから。
⇔
雲雀が神社に向かって歩き始めた頃から遡る事数時間前、某サービスエリアにて。
「舞阪さん、ここって買い食いってしていいんですかね?」
トイレから出て来たロゼッタが、舞阪に訪ねる。与えられた休憩時間は二十分。トイレを済ますには充分過ぎる時間と言える。
「出発の時間までに帰ってこいって事は、最低限間に合う事が前提で何をしても良いと言う事だ。食いたければ食ってこい。後は寄り道せずにこのまま一気に行くからな、チャンスは今だけだぞ」イヤホンを片耳から外した舞阪が答える。携帯音楽プレイヤーのディスプレイに表示された時計を確認。休憩時間は既に三分経過している。
「わかりました。色々試してきます!」
「俺はバスに戻ってるよ」
舞阪がバスに戻ると、既に何人かは戻ってきていた。休憩時間中ずっと寝ていてバスから出ない奴も居る。夜更かしでもして来たのだろうか。舞阪も席に座る。二人掛けだが舞阪は窓側である。隣にはロゼッタが戻ってくるはずだ。
「おい舞阪、寝てないで何か食った方がいいんじゃないのか?」
担任の徳田が舞阪に声をかける。薄く眼を見開いた舞阪は、面倒くさそうに答える。
「トイレ行って来たんでいいっす。ノリさんトイレ大丈夫っすか」
「……馬鹿にするな。しかし、お前も大変だな、合宿二回目なんて」
「それは皮肉ですかね?」
「おいおい、別にそんなつもりでは言って無いぞ。俺も、こうしてお前の担任になるとは思って無かったからな、ははは」
そう言って一番前の自分の席に徳田は戻って行った。
舞阪はため息を一つ、再び目を閉じる。
三年間クラス替えが無いので、担任も変わらない。それなりに気易い担任で有ったら、遅刻を揉み消してくれたりする。元々の担任つまり現二年G組の担任、針生明希は、そこらへん解ってくれてる生徒想いな若い先生なのだが、若いだけあって権力はそれほど持っていない。三年間の付き合いの中で、担任の権力と言うのは重要だ。だから舞阪は風紀委員時代の付き合いで徳田や、他学科の主任やらとこっそり懇意になっていたりする。そういうのは雲雀はあまり知らない事であったが。雲雀は長谷堂を慕っているが、同年代であろう担任の針生にはあまり関心を持っていない。そこも、問題と言えば、問題なのかもしれないが。
「……大丈夫だろか、ツグのやつは」
再び目を開けると、通路越しの反対側の窓側の席に戻ってきていた零の姿があった。反対列も二人掛けの座席だが、零の隣は誰も居ない。ので、舞阪の荷物が置いてある。
零はアイスクリームをおいしそうに舐めていた。外で食べきる積りは無いらしく持ちやすいカップに盛り付けられている。おそらく刺さっているスプーンですくってオシャレに食べるのだろうが、零はそれを使わずにちろちろ舐めているのだった。
「…………うまいか?」
「えっ、あ、はい、美味しいですよ? 一口どうですか?」そう言って、零はカップを差し出してきた。
――これは。
零が舐めていた反対側を頂こうとした舞阪は一瞬迷った。零はスプーンを使っていないのだから、それを使って食べればいいのではないかと。
「これ、まだスプーン使って無いよな?」
「あ! は、はい、ど、どうぞ、使ってください!」
スプーンを使わずに舐めていたのを見られていた事に気付いた零は、顔を赤くして答えた。
……案外おもしろい所もあるな。そう思いながらスプーンでアイスクリームを一口。
「ありがとう」そう言ってカップを零に返す。
「……どうですか?」
「…………。あぁ。まぁ、アイスクリームだな」
月並みな感想を言って、舞阪はまた目を閉じてしまった。
休憩時間が終わる頃には、バス内は食べ物の匂いが充満し出した。ソース臭かったり甘ったるかったり。ロゼッタは舞阪と零にもたこ焼きを買って来てくれた。良い子である。
「……どうですか?」
たこ焼きを舞阪が頬張ると、ロゼッタは零と同じく感想を求めた。
向かいの座席でも、零が興味深そうにその返事を待っていた。
「…………。あひゅい」
咲矢間高校一年B組の生徒を運ぶバスは、目的地である合宿所へひた走る。




