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群青の燭影  作者: 狐塚仰麗(引退)
3.融雪の孤狼~master and servant
20/30

主不在の椿雪荘。

 懐かしき親友、高階基嘉。彼もいい年になってしまった。

 こちらには息子が二人いて、家はすでに長男に継がせたと聞いた。電話に出たのは、その長男だった。

 基嘉はいるかと尋ねると、父は今世界旅行に行ってます、と返事が返ってきた。人にはいろいろな都合があるもんだと、弼雪はため息をついた。

 長男は弟の手だったら、相変わらず空いています、と言った。

 ――長男、恋哉れんやと弟、螢士郎けいしろう。恋哉は二十六、七になる。

 螢士朗のほうは二十一になったばかりだ。これは高卒のフリーターであるが、数年間ずっと古書店やら喫茶店やらでバイトしている。特に目的が有る訳じゃないらしく、それ以外はのんべんだらりとしている。

 別に頭が悪いわけじゃなく、むしろとても良いのだが、大学の受験はしなかった。

 生き方は、佐緒里や長谷堂と同じようなタイプだ。

 基本的には何を考えているのか解らない、雲のようにとっつかみにくい奴である。その辺りはちょうど舞阪に似ているが、特に血縁関係は無い。

 そして金持ちの息子であるから、世間知らずの坊ちゃんと思って金などたかろうものなら、病院送りにされる可能性がある。

 その辺、よく分からないが強いのだ。その当時の弼雪のように、少女を助けて帰り打ちにされたりなんて事にはまずならない。人当りの良さで信頼を寄せられていたりもするが、初めて会う人はあまり良い印象を抱くことはないだろう。

 何を考えているのか解らないというのは、普段はボーっとしていて、ほとんど喋らないからである。舞阪の方がまだよく喋る方である。しかし、父の友人だからか、年の離れた弼雪とは気が合うのだった。 

 ――とりあえず弼雪が信頼できて、手が空いている螢士朗は、娘を任せるにはちょうどいい。仮にも娘の将来がかかっているわけだが、そういう事に関しては、しっかりしてくれる。恋哉が出た電話の後、弼雪は娘の零と、そんなことについて話をした。

 零は、あまり会った事もない螢士朗としばらく生活することについて、心配する様子もなく快く了承した。

 次の日、弼雪ははるばる螢士朗の家に行った。



 ⇔



 高校を卒業して以来、螢士朗は高階家が所有していた一軒家、その敷地内のアパートの権利を手に入れ、そこで一人で暮らし始めたのだ。

 アパートの名は《椿雪荘》――築三十一年のアパートである。その昔、一部が火災で焼けたので建て替えたりしたらしい。ベランダは無い。

 弼雪がその敷地内に入るとまず、椿雪荘が出迎えてくれる。ただそのアパートがあるわけではない。奥には立派な一軒家が建っているのだ。

 なんでもアパートの管理人になるのが、螢士朗の将来の夢だったというのだ。父親である基嘉の子供の時分から、とある経緯で空き地となったこの土地を高階家が買い取り、三十数年前にアパートを建てることになった。その昔は椿雪荘という名称ではなかったらしい。

 さて、螢士朗はテラスで読書をしていたので、弼雪は近付きながら軽く声をかけた。

 本をテーブルに置き、螢士朗は恭しく挨拶をした。彼は口数は少ないが、親しい相手の前では良く喋るのだと言う事が良く解る。

 そのままテラスで弼雪は本題を持ちかけた。

 二年ほどアメリカで仕事をせねばならなくなった顛末を長々と説明した。彼の依頼を受けるとするならば、零が中学を卒業するまでの一年間、螢士朗はこの咲矢間の土地を離れて湊本の自宅で過ごさねばならない訳である。

 それまで黙って弼雪の話を聞いていた螢士朗は、少し考えた後に口を開いた。

「いや、待ってくださいよ。いくらなんでもさ、勝手にそこまで決めなさんなって話になりますよね普通。――生憎だけど、ガキのお守りは趣味じゃないんで」そのまま、テーブルに伏せておいた本を再び読み始めた。取り付く島もなさそうである。

 実のところ、螢士朗は厄介事は苦手であったので、親しい弼雪の頼みであろうと、簡単に引き受けたりはしない。弼雪とは性格がまるで違うのである。しかし二人は見知った仲である、弼雪は最初から、螢士朗はこのような話、聞いただけですぐ引き受けてくれる事はまず無いと思っていた。

「そうか」

 弼雪の返事はこれだけである。当然諦めたりするはずはない。ここが、昔の弼雪とは決定的に違う所であった。

「だが、こうして人が頭を下げて頼んでるんだ、お願いできないか」

 しばらく黙っていた弼雪は、もう一度頼み込んだ。

「笑わせないでくれ、頼むも何もないでしょう。それに、頭はまだ下げてはおられないではありませんか、弼雪さん。……ま、いくら親しいからって、俺に小守なんか押し付けないでください。とにかく責任重大、そんな話は引き受けたくは無いんです」螢士朗は、聞くなりさらりと撥ねつけた。

「螢士朗、子守りは趣味じゃないと言ったな。本当か?」

「そんなウソついてどうすんですか。第一、俺と一緒に暮らさせたりなんてしたら、娘さんが可哀想でしょう」

「それを聞いて安心した。ますます頼めるのはお前だけになったぞ」

「なんでそうなるんすか……理由を訊きましょう。納得いかない」

「螢士朗、子守りが趣味なんて言うヤツに頼めるはずないだろう。たしかにお前には悪いと思うが、本当にお前にしか任せられないのだ」

 うまい事を言ったつもりだろうか。しかし至極当然、それこそ娘が可哀想である。そう言われた螢士朗はそれは道理だな、と呟いてからすこし俯いて試行錯誤を始めた。

 目の前の弼雪は真剣な表情で頭を下げている。ここで押し問答をしててもしょうがない。

 今までサボったことのないバイトは、一年間、どうあっても辞めることになってしまう。なんだかやりづらいが、仕方ないと腹をくくって、螢士朗はその頼みを引き受けることにした。何よりその事が彼にとっては苦痛だったのだが、余計なことは口にはしない。

 椿雪荘の住人たち――と言っても二人しかいないが――にそのことを告げると、あとは任せろと言ってくれた。如何にもそんなことを考えそうなやつに、余計な助言を色々されたが無視してやった。

 こんな訳で、椿雪荘の主――高階螢士朗は一年間、この地を離れていた訳である。

 椿雪荘は共同スペースが多いため、後の細かいことは佐緒里に任せることにした。螢士朗は、彼女にはかなりの信頼を寄せていたから、これで大丈夫だろう。

 だが佐緒里は佐緒里で、個人的な知り合いにアパートの家賃徴収などの業務を押し付けたりしているのだが。

 ……もちろん、彼女が酔っぱらって窓から落ちかける事になるなど、その時の螢士朗には想像だにできない事だった。

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