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群青の燭影  作者: 狐塚仰麗(引退)
2.酒気帯兎のdistance
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Rabbit hutch。

 長谷堂は高校在学中、飛び級だかなんだかで留学をする機会を得、それに乗った。

 経歴だけ見れば、とても優秀に見える。しかし、現地では、――元々優れた才智のためにあっという間に大学卒業こそできた。しかし人間関係で失敗して、放蕩をしていた。

 その上、在学中に軍隊教育を受け、外人部隊にしばらく籍を置き、民間の軍事企業に身を移して中東で過ごしていた事もある。

 長谷堂が語学に精通しているらしいのは、その経歴と天性のカンによるもので、気付けば外人と仲良く話をしていたりする事が良くある。逆に、その特筆すべき才能のために人間関係で失敗した。というのは、男性関係である。現地人女子の嫉妬にあてられたのだ。軍隊などに入ったのは殆ど自棄やけに他ならなかった。

 外国人が羨ましがった、とかく男性が持て囃した彼女の長く美しい黒髪――日本人である自分のアイデンティティでもあった黒髪をバッサリと切って、金髪に染めてしまったのは、その頃の事である。

 昨年の夏帰国し、実家に帰る事もなく、しばらくは各地を転々としていた。

 気付けば、二三歳。ここに棲み始めたのは、その後の秋頃である。どういう経緯だったかは詳しい事は覚えていないのだが、佐緒里と出合ったことがきっかけである。

 日本に帰って来て、自分の経歴を言いたくなかった長谷堂は、やる気もなく、履歴書には高校中退と書いて、単発のバイトで食いつないでいた。聞いたところによれば、日本に来た外国人は、よほどの事が無い限り仕事が手に入らない事は無いらしい。各地を転々とするような生活でもなんとかなるんだそうだ。

 そもそも、彼らは、老後の事なんて考えていないのである。平均寿命などくそくらえ、ビールもピッチャーで飲んでおかわりとか言ってる連中だ。今をめいめいいっぱい楽しんで生きてる。だから放蕩生活が板についている長谷堂は、一つ所に留まって老後の心配をしながらお金を稼ぐ日本人の感覚とは、少し離れている。

 留学を経験した人間の価値観が変わってしまうと言う話はそういう環境の変化による所が大きいらしく、帰って来てみれば故国を客観的に見つめる事が出来る。

 留学が吉と出るか凶と出るか、人それぞれだが与えられた機会が有れば話に乗るのも悪くは無いかもしれない。

 しかし今の長谷堂は、この故郷――本土の大地に立って見て、やりたい事なんて何一つ無かった。ただ、見つめ直そうと思って、国内の世界遺産を巡ったりしていた。

 それはそれで、充分楽しかった。

 詳しい事は覚えていなかったが、そんな中で佐緒里と出会った。所は京都である。そのまま現地で意気投合して、どういうわけだか、一緒に椿雪荘に帰って来てしまった。

 その辺りは、酒で記憶が飛んでいる。

 奇縁と言うほかないが、大体そのような経緯である。その後は、海外のニュースなどの翻訳の仕事などをもらう事を覚えた。

 去年末には、奇妙な事だと彼女自身思いつつも、児童文学なんかも翻訳した。

 訳者としての彼女は、波瀬酒泳はせしゅえいである。もしくは波瀬さなえ。

 酒を泳ぎ溺れる。皮肉にもほどが有るが、その場でこれが思いついた長谷堂の中では、かなり会心のネーミングだと思ってたりする。似たような名前の人がいたらごめんなさい。自分ではフリーターと思っているが、長谷堂には翻訳者としての名前がある。

 それがまた、一種の違和感を覚えるものであったが、何がなんだかよく解らない。

 ペンネームと言うのか、波瀬酒泳の名を使ったのは、本名でクレジットされるのはいやだったからである。

 最近は、あんまり売れてない女性週刊誌に、エッセイなどを書いたりしている。外人と付きあった時の事などを恥ずかしげもなく、かなりの脚色を交えて書いたりしているが、外人と付き合っていると言う女性読者からは、共感の声がそれなりに届いている。

 現在の自分の生活に、彼女自身疑問を投げかけずには居られなかった。

 なんなんだろう。フリーター、翻訳者、エッセイスト。いつのまにやら、自由文筆家フリーライターなんぞになってしまっているのだろうか。

 それ以外は変わらず単発のバイト生活だ。

 それが長谷堂。

 あんまり心配かけても悪いので、実家に多少の仕送りをしながら、自堕落に酒を飲んで過ごしている。

 好物は焼き鳥。

 向こうにいた頃は、紛れなく、学生であった。楽しかった頃の思い出だ。

 自炊もしていたし、料理もして誰彼に振る舞ったりしていた事も珍しくは無かった。

 今となっては、そんな手間を楽しむ事もない。それなのに、文章に書いてみると、ひどく客観的に、あの頃の事が書ける。他人の事でも話しているかのように錯覚するほどだ。酷く淡々と、その作業をこなしている時は、何か透徹したような心地で、酒を飲みながらキーボードを打鍵する。

 余談だが、彼女はパソコン使うときは専用メガネを付ける。意外と似合っていて可愛い。

 ――結果的にいえば、彼女にとって留学は、失敗だっただろう。

 実際の所、高校時代も恵まれていた訳ではなかった。その決断をするにいたったのは、留学の話に飛びついてしまったのは、それまでの自分を変えるためでもあったのに。


「大学でも行ってみようかな」

 そう呟く長谷堂の内心は、酷く澱んだ泥濘の中の葛藤であった。

 年齢なんてものは、大した問題じゃない。

 あたしが求めている者は、なんだろう。

 本当に手に入れたかったもの。


 大した問題じゃない。舞阪の口癖は、長谷堂の葛藤に一つのくさびを打ち込んでいた。悪い意味ではない。切っ掛けと言う事だ。今からだって遅くは無いのである。

 大学で学んで、何を手に入れるのか。もちろん、今の似非翻訳家、随筆家という肩書を取っ払って、それをもっと実際的なものにするという結果が表向きの物だろう。

 それはそれでいい。ちゃんと勉強し直して、フランス文学やドイツ文学に親しみを持つのも悪くない。

 それ以上に、随分遠回りではあったが、求めている事が自覚せられてきた。


 青春。


 あたしが求めていたのは、青春だったんだ。つまらない日本の高校を飛び出したのも、そのためだったのに。失敗して傷ついて、自棄になって。

 失った青春。

 それを、もう一度、もう一度やってみたい。取り戻したい。

いや、そう言うものではない。

 再び、青春の中に、身を投じるのだ。賭けでも何でもいい。ちゃんと、大学に行ってみよう。


 その決心を改めて佐緒里に伝えると、彼女は自分の事のように喜んでほほ笑んだ。もしかしたら、あたしにとってこの娘は、女神なのかもしれない。地獄に仏とはよく言ったものだが、生きている限り地獄であるとしたならば、探せばいい、仏を。死んだって地獄である。どうしようもない。

 そう思うと、長谷堂は自然思い切り佐緒里を抱きしめた。

「ちょ、大げさなんだから……」

「さおりぃ……、ありがとぉ……、さおりに出会ってなかったら、あたし、あたし……」

「……ん、湿っぽいのは苦手なんだけどなぁ」

 佐緒里は、優しく長谷堂の髪を撫でたが、指が少し引っかかった。

「お風呂入ろうか」

「一緒にか」

「さあ、どうかしらね」長谷堂にとっての女神、佐緒里は悪戯っぽく笑った。

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