炬燵のたわぶれ。
さて、春を迎えてすっかり穏やかな季節となってきた椿雪荘。住民たちは思い思いにその日を過ごしている。
そんな四月、ロゼッタが入学式を終えて一週間というある日。
佐緒里とのじゃんけんに負けて、長谷堂はお菓子やら何やらを買いに行かされていた。突っかけの下駄を跣足で玩びながら、散歩道を良く。
しかし昼間全く人気のないこの住宅街は、長谷堂のような女が目的も持たずにうろついていて、よもや怪しい人物だと思われてしまってもたまらない。カラカラと歩みを進める。その足取りは軽快で、どこか愉快な響きがした。
コンビニに付くと、お互いの好みの菓子を適当に買い、お酒――を買うのはやめておいて、そのまま家路に就く。ここに棲み始めてから、長谷堂は特に気にしていなかった事ではあったが、ふと――
椿雪荘の敷地の奥に佇んでいるハイカラな一軒家がふと目に附いた。
恐らく他の住人も、誰かが住んでいるだろう事は解っているはずであるが、ここしばらく電気が付いたり人の気配がしたりと言う事が一切ないらしい。というのも、長谷堂はおろか一年以上住んでいる舞阪も、雲雀も、まだあの家の住人に会った事が無いのである。
202号室の奴と言い、怪しい雰囲気も感じないではないが。
「――おなじ敷地内にあるって事は、いろいろの権利はあそこの家の人が持ってるって事かしら」
遠巻きに眺めてみる。二階建てのハイカラな建物。ちょっと西洋建築染のデザインをごった煮のように混ぜたような、テラスが有ったり、綺麗な物である。さすがにここら一帯近所の住宅地の家々よりは一段劣るというか、アレらと比べては随分素朴な印象ではあるが、それでも立派な家には変わりがない。
「そういや、アパートを仲介してもらった時は、対応もなんか代理の人だったりするんだよなぁ」
しかし、余計な事をするつもりは無かった。裏手に回ってみたりとか、建築に興味が有るわけでもないのでそんな事に労力を割いたりはしない。長谷堂はそのまま、アパートの玄関に入り、下駄を靴箱に入れ、スリッパを出した。鼻緒を噛んでいた指を軽く開いて、また握り、そんな事をしながらスリッパを履いた。下駄はいいとして、そろそろこのスリッパも交換時である。ルームシューズという名称通り、スリッパと言うには少し洒落ていて、中はウール(多分ポリエステル)でとても温かい。流石に季節はずれである。汗が出てしょうがない。次に外に出たら普通のスリッパを買ってこようと思った。そのまま佐緒里の部屋へと向かう。
「そう言えば佐緒里」部屋に入ると、お菓子を炬燵の天板に広げながら長谷堂を話を振った。――炬燵は、季節外れではない。佐緒里の炬燵は年中無休らしい。
「なあに」首をかしげながら、佐緒里は上目遣いで答えた。佐緒里は先ほど、不穏な事を言っていたが、まさか、さすがに本気ではないだろう。
それとも、長谷堂や雲雀にはそれほど興味が無いのかもしれない。まあ、そんなのは大した問題ではなかった。眠たそうな目を向けながら、長谷堂は続けた。
「ここの庭にある家さ、誰もいないのかね」
佐緒里は、そのまま肘を立てて考えるそぶりを見せた後、思い出したように口を開いた。まさか忘れていた訳ではなかろうが。
「居ない訳じゃないんだけど、――そう言えば四月だし、もうそろそろ帰って来てもおかしくないわね……どうかしたのかしら」
「そっか、佐緒里はここに棲んでる期間は一番長い古参なんだっけ。そりゃ知ってるか」
「古参って言い方はちょっと。そう、親戚の家に厄介になるとかで、ほんの一年、離れるだけって話だったんだけどね」
「まあいいや、あの家の話は。そのうち戻ってきたら、おかえりなさいパーティーでもすればいいっしょ」
「そっか、それもそうね。今度はみんなで集まりましょう」
長谷堂は、散歩をしてきた自分が、部屋に入ったとたん汗をかきはじめている事に気付いた。あれくらい歩いただけで、こんなに代謝が活発になるとは思ってなかった。
春先なのに気温が高めなのもあるかもしれない。セーターのネックが張り付いているような感触を覚える。酒がまわっているからだろうか。
「佐緒里、一緒にシャワー浴びない?」
「え、何で一緒に?」
当然の反応が返ってきた。長谷堂は少し安心したが、それなら問題は無いと思い、何となく思っていた事を口にした。
「……なんとなく、佐緒里の髪、洗ってみたいんだけど」
綺麗な長い黒髪。内心羨ましかったりする。あそこまで伸ばすのにどれだけかかるか考えたら、ため息も漏れると言うもの。
「長谷堂ちゃん、お酒回ってるのかしら。もう少し横になってからにしたらどう」
言われるがまま、長谷堂は炬燵に脚を入れて横になった。目を閉じて、寝心地の良い姿勢を探してごろごろしていると、ふと佐緒里の脚につま先が触れた。佐緒里は水色のワンピースに厚めのカーディガンを羽織った格好であるが、炬燵の中では脚を伸ばしてゆっくりしている。脚が触れても特に気にする様子は無い。暇な長谷堂は、そのまま、つま先を佐緒里の脚の付け根まで這わせた。佐緒里は開いていた脚を閉じ、長谷堂の脚をはさみその動きを封じた。
「素気無いなぁ、佐緒里は」
「長谷堂ちゃん、変なことしちゃダメでしょ」言われながらも、長谷堂は捕まった足先で抵抗する。太股の感触が気持ちいい。
「いいじゃん、佐緒里もしてくれればいいからさ」
「あ、もう。やり返したりしませんよ。……こんな事どこで覚えるのよ」
少し顔を赤らめながら、むくれる佐緒里。しかし長谷堂はずっと目を閉じてうつ伏せになり、足先の感触を楽しんでいる。おもむろに口を開いた。
「舞阪の持ってる漫画で読んだ」
「……なるほど」




