65. そういう元気のない君に
「ゆうべ、お習字の昇級試験の合否通知が届いたんだよ。それを朝いちで見て……この調子だ」
「あ、……」
そう。ミオナは先日受けたイリーお習字五級の試験に、落ちてしまったのである。
試験のたぐいを受けるのが、そもそもミオナにとって人生初めてのこと。意気込みすぎ、気合を入れ過ぎて、ふだん間違えることのないつづりを大幅にまちがえた。
市民会館近く、知らない東区の知らない手習い教所で、知らない他の子どもたち……自分よりずっと小さな子たちに囲まれて、その鼓動とくすくす笑いに苛立ち、焦燥をおぼえた。ひどい字と文章を書いてしまったのだ。
落第はもちろんだけど、その返却されてきた添削答案をナイアルに見られてしまったことが、ミオナはつらくて悔しくて、恥ずかしくってたまらない。
住み込んでいる乾物屋≪紅てがら≫の皆の前では、泣くのをどうにかこらえにこらえた、……でも言葉がつまって出てこない。
ナイアル母が、今日は≪ひまわり亭≫をお休みしたっていいのでないのかえ、とも言ってくれたが……。
頭をぶんぶん、だだっ子の妹みたいに振って、ミオナは副店長について出勤したのである。
つんつん立っている短い金髪を片手でかき上げつつ、ナイアルはどうしたもんかと困っていた。
まじめな性格ゆえに、ミオナが失敗を引きずりやすいと言うことは、よくわかっている。
反省材料にすればいいだけの話なのだが、そういった姿勢は他者の自分が口先で言っても身につくものではない。
ミオナ自身が会得しなければ、前に進むことはできないのだ。
――なんだが。この調子で給仕をしても、ぽかを重ねぬりしそうなんだよなぁ……。
色々と器用な副店長ではあるけれど、大人に近づきつつある年頃女の子のきげん取りは不得手だ。
さらに言えば、泣かれてしまったら内心おろおろしっぱなしになる。しかし泣くのを必死に我慢されているのを見るのは、さらに辛くしんどい。
「ミオナよう。添削の方は今夜にでも、がっつり付き合うからよ? お習字のことは、今いったん置いといてだな……、」
決まり悪く言いかけたナイアルは、そこでふいっと厨房から出ていく。
玄関先に、びん配達の音を聞きつけたのだ。
「……残念だったね」
炉のそば、腰掛に座るようミオナに目線でうながして、アンリは言った。
「ごめんなさい。アンリさんにも応援してもらったのに……。落ちるわけがない一番やさしい五級試験で、へましちゃった」
ずどーん、と淀みっぱなしの声で、ミオナは低くささやいた。
「いや? 人間、基本でこそいちばん失敗するものだよ~。ほら、俺の玉子とじねぇ。好きだろ、ミオナちゃん?」
「?」
「あれは一番最初に、父さんから教えてもらった料理なんだ。けれど、まぁ炒めがなかなかうまくできなくってさぁ……。一日に六回つくっても、全滅のできを毎日繰り返していたんだ」
「そうなの……?」
ミオナは思わず、気を取られた。
飴色に炒められた玉ねぎに、ふわとろ玉子がかぶさるアンリの玉子とじは、何回も賄いにもらっていた。
作る時のアンリは鼻歌かえ歌熱唱で、いかにも簡単そうにぶいぶい平鍋をおどらせているのに。
「でもってさ~、不出来なのを捨てるなんて、できるわけがないからね! 失敗したやつは、全部たべたんだよ」
「え? たまご六個ぶんも、毎日?」
「そうそう。何とか形になるまで、八か月くらいかかったかなー。でも裏でこっそり、お母さんが手伝って半分たべてくれたから助かったんだ。玉ねぎがなま炒まりで、おならが出まくるから辛いわアンリちゃん! と嘆かせちゃったよ」
「どういう方向の親不孝なんだよッ」
小さな木箱を抱えて、ナイアルが厨房に戻ってきた。
箱の中には牛乳の入った素焼きびんと、新鮮な牛酪の包みが入っている。
今日は乳仕立ての汁を作る日だから、それに合わせて業者が配達してくれたのだ。
「アンリ。お湯わいてるか」
「ええ? そっちの小さいやかんにー」
「よし。使うぞ」
店長のダンは、先ほどもそもそ杣粥をたべて自室工房に引き上げていったし、ビセンテは少し遠くまで揉み療治師の母を送って行ったまま帰らない。
三人だけの厨房で、ナイアルは手早く何かの香湯を淹れたらしかった。
「えー? ナイアルさん、タエを淹れたんですか。……って、ええええ、うえー!?」
アンリはぎょっとした。急須からタエを注いだゆのみの中に、副店長は蜂蜜と……ぎゅぎゅぎゅ牛乳を入れて、混ぜているうううう!?




