63. まだまだ続く、インテリ王の静かなる戦い
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午後二つの鐘までに調査地に戻らなければならないササタベーナ一行と、忙しいエノ軍医のフィン。
一同は長居することなく、すみやかに会食を終えた。
巡回騎士に賊どもを引き渡し、ようやく客間に戻ってきたナイアル副店長が、笑顔で差し出してきたお支払い明細は……。パンダル・ササタベーナの胸中に、ずきゅんといなづま閃光が走るッ!!
――やすッッ!! 何だぁ、≪金色のひまわり亭≫って庶民派のお店だったの?! こんなに美味しいのにッ。
安心のあまり目が潤んでしまうほど、節約王のお財布にもやさしい額だった。
気のぬけたところに、フィンが声をかけてくる。
「ごちそうさまでした。……では、また」
「ええ、また近いうちに。……元気でね」
短く簡潔に、それでいて再会を約束する確かな言葉をかけあって、約二十年ぶりに会った父と子とは別れた。
フィンのあとに続く用心棒、本名をエアン・ナ・モーラーンというマグ・イーレ騎士であり、第一王子の目付け役であるエアンの分厚い胸板が、玄関扉につっかえそうになりながら消えてゆく。
一瞬それを名残惜しそうに見てから、ササタベーナ……マグ・イーレ王ランダルは、帽子を手に振り返る。
玄関間で見送るのは、女将エリンと副店長ナイアルだ。
――テルポシエ元女王、エリン・エル・シエ。そして、彼女の亡き兄そっくりの筆致を持つ君は……。女王を陰で支え続けた、例の間諜くんってわけだね。いやはや。
見抜いた真実さまざまを、一切おもてには出さず、ササタベーナはにこやかに言った。
「皆さんのおかげで、すばらしい会食をすることができましたよ。いつか、また食べに参りますので。よろしくね」
「こちらこそ、先生。またおたよりをお送りしますわ」
「ええ。御方もどうか、お大事になすってね」
すぐそばでは、獣人ビセンテとミオナが、きっちり上衣を着こんで待ち構えている。北門まで送迎するお約束だ。
「先生。お急ぎのところを恐れ入りますが、ぜひ芳名帳にご署名をいただけませんか?」
ナイアルは、角の小卓を手でさし示した。
そこに広げられた芳名帳には、筆記具も添えられている。
「ええ、いいですよ! 喜んで」
気軽に言って、ササタベーナは硬筆を取り、まだ新しい芳名帳の最初の一葉にかがみこむ。
どかーん、と流麗達筆を書き入れた。真後ろ、のぞき込んでいるエリンとナイアルが息を止めている。
書いてから、ササタベーナはその頁の一番上……。おそらく初の客らしき署名に、目を留めた。
「……すてきなお店に一番乗りした、幸運なお客さんですね? この方」
何気なく聞いている。その指さされた箇所を見て、ナイアルも笑った。
「はい、ここの屋敷の大家さんご夫妻なんですよ。今は遠方にいらっしゃるのですが、たまに食べに来て下さるんです」
「そうですか、大家さん……。ミルドレ・ナ・アリエさんと、……モリガンさん。興味ぶかいですね、じつに」
何気なくを装いつつも、やはりササタベーナのつぶやきには、最後ひくく殺気がこもってしまった。
しかし無事に会食を終えられた、と安堵しているエリンにもナイアルにも、それは察せない。
王の心友たるロランのみが、瞬間ぎりっと毛筆描き調になったササタベーナの輪郭を察知して……ぎくり、と胸底に痛みをおぼえた。
「それでは皆さま、ごきげんよう」
「ありがとうございました」
「どうぞ、お気をつけて」
玄関先の石段を下り、最後に一度旧い屋敷のたたずまいを見上げてから、ササタベーナはくいっと帽子のつばを引く。
深くかぶり直して、湧き立った強い猜疑心と動揺のすべてを、その下に隠した。
たまたま偶然なのか、あるいは導かれるべくして運命に引き寄せられたのか。
つい今しがた、芳名帳の中にササタベーナが見いだしたのは……。
長年、彼が追い続けている仇敵の署名だったのである!
――いまは、それについて深く立ち入る時ではないッ……。
懸命に抑えつける王は、寡黙になる。
南区の静かな住宅街、昼休みを終えて職場へ戻る人々がちらほらと歩く中を縫って、ビセンテはすたすたと一同の先頭をゆく。
「あの、先生」
おずおずとかけられた声に、……一瞬の間をおいてしまってから、ササタベーナははっとした。
「ええ、はい?」
すぐ脇で、あの東部系の少女がササタベーナを見上げている。
「先生の字、とってもきれいです」
「……ああ、ありがとう……」
ここまで接して来たこの少女は、まじめくさってずいぶんと配慮ぶかい印象があった。
その少女にしては、いきなり唐突というか……こどもっぽいような言葉である。
「わたしも、お習字やっているんです。でもなかなか、思うようなのが書けません」
しかし、まじめくさっている態度は相変わらずだ。
頬を赤くして、何かどこか必死に言っているらしい少女のまなざしに……マグ・イーレ王はどきりとする。
――この子は。私の動揺を見抜いて、わかっている??
「ふふふ。私だって、今でも思うようになんて書けませんよ。それでも続けているのは、書くのが好きだからってだけでね」
知ってしまった真実を、その重さを、ようやくササタベーナは脇に押しやることができた。
「好きだから……?」
「ええ、そう。思うようなのがうまく書けなくっても、それでも書くのが大好きだから。それがいちばん大事なのです。だからあなたも、ずうっと書き続けて。ね」
ほっこり笑って言う学者先生に、ミオナは安堵した。
あんなに乱れていた心音が、ようやく元に戻っている。もしやお店で嫌な思いをしたんじゃないか、と心配で胸がぎゅうぎゅうしていたのだ。
おさげの紅色てがらを揺らして、うなづきつつミオナはそうっと小さなため息をつく。
そうしてお習字のことを話し始めたササタベーナとミオナの後ろ、書店主ロランも安堵のため息をついた……。
大満足のお腹をかかえて、果たすべき護衛の本分にもどったブラン青年は、周囲を広く見渡した。
眠月の灰白っぽい空の下、テルポシエの白亜の城塞が、街並みの向こうにそびえて見えてくる……。




