55. おぶうをどうぞ! 史書家先生
「御方には、ややこしいことをお願いしてしまって。本当に申し訳ありませんでした。……お座りになった方がよいのでは? お忙しいから、だめかな」
話しかけてくるササタベーナの温かい心遣いに、エリンは微笑する。
近くの腰掛をたぐりよせ、卓子のはしに慎ましく座った。
いま五か月、このところだいぶふっくらしたエリンではあるが、誰の目にもわかりやすくお腹が出てきている。
今日はナイアルの母とリリエル、ミオナと出られるだけの給仕役に来てもらっている。待ち合わせのフィン医師が到着して、店全体の客入りが多くなるまで、エリンはササタベーナのそばにいることにしていた。
「改めまして。≪金色のひまわり亭≫のティミエルです。尊敬するササタベーナ先生のお役に立てて、とても嬉しいんですの」
ササタベーナ、ロラン、若者の顔を順繰りに見つつエリンは穏やかに言った。
ティミエル、というのはササタベーナとの文通内で使っている偽名……いやいや、筆名だった。
便りの交換を始めたのは、国家元首を引退する前である。テルポシエの名目的女王エリン・エル・シエとは当初から名乗れず、国外追放されていた田舎の貴族女性を装っていたのだ。
そうは言ってもこのササタベーナ氏、どうもエリンの身分をはっきり知っているようなふしもあるのだが……。
「御方も長いこと、外国でご苦労なすったことでしょう。ふるさとのテルポシエに戻ってこられて、本当に良かったですね」
「ええ」
実際エリンは、蛮軍にのっとられた自宅城塞に、突っ張って居座っていたのだが……。ここは文通での設定に沿わせなければいけない。
「元貴族の追放令が解除された後に、戻ってまいりました。こちらのお店で仕事をさせてもらって、今とっても幸せなんです」
後半部分は、まったき真実である。
うんうんとうなづくササタベーナは目を細めて、やわらかい笑顔だった。年齢的には、自分の亡父と同じくらいの人なのだろうな、とエリンは思う。
やさしげで賢そうで、……それでいて何か大変なものを越えたような、感じのよいおじさんである。
後退して脇だけでふかふかしている、白髪まじりの栗色巻き毛もあごひげも、きちんと整えられていた。質素な身なりではあるが、どこかしら気品と権威が漂っている。
パンダル・ササタベーナ、と間に『ナ』の入らない名は、もちろん著述用の筆名なのだろう。が、やはり本当のところは貴族の出自なのだろうな、とエリンは推測する。
ナイアルが湯さしを持って戻ってきた。
中身を各自の湯のみに注ぎながら、副店長は腰ひくくササタベーナに話しかける。
「本日の日替わり献立は、海のもの・山のものと二種類用意してございます。あとはお好みで、そちらの表にある定番料理を作るのも可能です」
言われて、ひょろのっぽの青年がナイアルの手の差し示す先を見た。≪絶品たまごとじ≫≪地獄たまご≫≪焼き目玉焼き≫……と、卵料理の名がつらつら並ぶ注文献立表が壁にかかっている。
焼き目・目玉やき……? 目玉焼きにさらに焼き目の入ったものなのだろうか。食に関して素朴な疑問をいだくところは、ほとんど変わっていないブランであった。
「お連れ様がいらしてから、ご注文を取りにまいりますので。どうかごゆっくり、おくろぎください」
「ええ。どうもありがとう」
すいと下がっていったナイアルから、ササタベーナはエリンに視線を戻した。
「とても洗練されたお店だし、お二人とも息があっているけれど……。ご夫婦で経営されているのですか?」
さらっと聞かれた問いに、エリンも平らかに答える。他の客にも、たびたび聞かれる質問だった。
「いいえ、わたしはただの雇われ女将なんですの。主人は市内、別の場に勤めております」
「おや、そうですか。失礼いたしました」
年齢的にそう見られて自然なエリンとナイアルであるが、二人は戦友だった。
もう長いこと、お互いのことをがっつり信頼しきっているが、そこに男女の感情はみじんこたりともないのである。
めんくいの元女王は、今も昔ももと二枚目の夫ひとすじ。ナイアルは険のある貴族女性が苦手ゆえに、エリンに対しては心中で星評価☆すらつけていない。
要するに、自分のことを棚に上げて好みにうるさい者どうし、眼中にまったく入れていないのであった。
「それで先生。今回は大変なお仕事でいらしたそうですけど。やはり、歴史記録をつけるようなお立場なのですか?」
「ええ、そうなのですよ。詳しいことは言えないし、実際立ち入った遺骨発掘の作業なんてのは、私にはできないのですけどね」
ごくりと白湯を一口飲んで、ササタベーナはエリンに静かに語った。
「調査をされる方々の一挙一動を細かく観察して、史書家の観点から公正な活動記録を残すように言いつけられています。こういった調査というのは時として、別の時代の遺物なども、ひとからげに扱ってしまう危険性がありますからね……。出てきたものが本当に目的としている時代のものなのかどうか、時系列と常時照らし合わせて、慎重に進めてゆく必要があるのです」
声をひそめて、低く言うササタベーナにエリンはうなづいた。
聞いているだけで難しそうである。深入りしないでおこう!
「ああ、そうだ。しかし今回の仕事とはまた別に、少々興味をひいた史跡があります。北門すぐのところにある丘、あれについて御方は、何か聞き知ったお話がありませんか?」
「えっ? ……丘、ですか?」
瞬間のぎくりを見取られなかっただろうか。ひと呼吸のあとに、エリンは内心で狼狽した。




