53. パンダル・ササタベーナ氏の一行
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つば広帽子をかぶったパンダル・ササタベーナ氏は、ミオナの目に感じのいいおじさんと映った。
藍色の上衣に黒い股引と地味な格好で、背中に古びた革かばんをしょっている。
「お若いのに、もうお店の手伝いをしているなんて。あなたは偉いですね! 私にも一人、娘がいるんですよ。あなたよりずっと、小っちゃいのだけど」
先頭、ひまわり三角旗を掲げて歩いてゆくビセンテの後ろに、ササタベーナとミオナは並んで歩いた。
そのすぐ後にたまご頭のおじさん、長細いのっぽの青年がぞろぞろと続く。
商家や施設が昼休みに入る直前の時間帯だから、北区と東区も人通りはごく少なくて、ミオナは助かったと思う。
ただでさえ知らない人の話し相手をしなくちゃならないのに、その上混雑に囲まれたら、ミオナは慌てきってしまうだろう……。
ビセンテがいるのだから怖いことなど起こるわけはない、とわかってはいるけれど。
「おやー。市民会館が見えてきましたね! てまえ広場の円形観覧席との調和が、相変わらずみごとです。ねぇロラン?」
「だね~。でも女神像がなくなっているよ、パンダル」
帽子おじさんとたまごおじさん、二人は友達どうしらしい。ぽんぽん気軽に話している。
「……前に、テルポシエにいらしたことがあるのですか?」
ミオナはそうっと、聞いてみた。
ササタベーナと、ゆでたまごっぽいロラン氏は、うんうんとうなづく。
「ええ。ずーっとずーっと、大昔ですけどね! 若い時に、私とロランは一緒にティルムンへ留学したんですよ。定期通商船に乗って、テルポシエの港から発ったのです」
「そうなんですか!」
ササタベーナの言葉に、ミオナは素直にびっくりした。
「だから行き帰りに、ちょっとだけ滞在しました。その後もいちどだけ、所用があって寄ったのだけれど……。戦争の前のことだから、お嬢さんの生まれるずうっと前のことですね」
広い帽子のつばの下、どこか遠いところを見るようなまなざしで、おじさんは前を向いたまま語る。そんな隣のササタベーナ氏を見上げつつ、ミオナは感心していた。
イリー諸国と、はるか西方にある文明発祥地のティルムンとは、海路によって結ばれている。
イリー都市国家群は内陸国のフィングラスをのぞき、全て港湾部の首邑に港を有していた。しかし喫水の深い大型のティルムン通商船を迎え入れられるのは、テルポシエの大きな港だけなのだ。必然的に、ティルムンへ行く全てのイリー人は、テルポシエを経由することになる。
ティルムン人のお客さんにも、ミオナは何度か接したことがあった。けれど彼らのふるさとがどんなところなのかは、全く想像がつかない。
お習字教室のミオコ先生のうちで、アイレー大陸の全体地図を見た時には、なんて遠いところなんだろうとは思ったけど。
――留学……。そんな遠いところへ、お勉強に行っていたなんて! やっぱりこの人たちって、すごい学者の先生なんだ……!
どういうことを勉強していたのですか、とミオナはササタベーナ氏とロラン氏に聞いてみたかった。
けれどうっかりしたことをたずねて、相手の気を損ねたら……と思うと怖くなってしまう。
「ちょっとパンダル。お城の鐘楼をごらんよ! 何だか詩的にへし折れて、そこだけ廃墟のわびさびだ」
「え~、どこ? って言うかここから城塞を見上げると、もう高すぎて私、首が痛くなるんですけどッ」
「わかんないかな、天然超老眼は僕のほうが上手かもしれん。ほれ、あっちさ」
ミオナが案内しなくても、おじさん二人はおだやか気楽にきゃっきゃと話を継いでいく。それでようやく、少しだけ緊張をといて緩めることができた。
その時、である。
「名前がミオナちゃん、だったね?」
少し後ろの高ーいところから声をかけられて、ミオナはびくりと振り返る。
ササタベーナ氏に気を取られて、あんまり意識していなかったけれど、そう言えば三人目のお客がいたのだった。
「は、はいっ」
ひょろーん、ぬぼーんとした背の高い若者である。
どこもかしこも長細い身体に、明るい灰色の質素な外套を着て、腰には剣をさげていた。
武器の種類はミオナにはよくわからない。けれどたぶん中弓とか言う大きな弓を、青年は背に引っかけてもいた。遠出の時に、アンリが携えていくのと同じものだ。
はじめササタベーナ先生の子どもだろうか、とミオナは思ったのだけれど、遠縁の付き添い役と簡単に紹介されていた。
ミオナと、あんまり年も変わらない気がする。十代にしか見えないその青年が、何気ない言い方で話しかけてきたのだった。
「そうです、ミオナです。……」
青年はミオナを見下ろしているが、その合間にもふいふいと、視線をはずして周囲を見渡してもいるようだった。不思議な視線の飛ばし方だ。
「お月さま、って意味なんじゃない?」
「え? ええ、そうですけど……」
小さな問いに小さく答えて、言ってからミオナは仰天した。
「あってた! やっぱり」
きゅきゅっと口角を素早く上げると、青年は笑顔になって視線を高いところに上げた。
「……なんで、わかるんですか?」
確かに母アランにもらった名前、≪みおな≫というのは月のことだ。けれどイリー語や潮野方言とは全く異なる、東の古い言葉なのである。
そんな名前のことを、知らない人に言われたのは初めてだったから、ミオナはどきどきした。
――このお兄さん、どこからどう見てもイリー人なのに。まさか東部ブリージ語が話せるの??
ミオナの疑問のまなざしをとらえたのだろう。きちっと七三分けにした淡い栗金髪の頭を振って、やぎっぽい顔の青年は言う。
「前にね、≪みおな色≫のことを教えてもらったことがあって。すてきな響きだったから、耳に引っかかってたんだ」
朴訥にもそもそ言ってくるのだが……やはり不思議な青年である。身体は異様にひょろでかいが、その話し方を聞いていると、ミオナは弟くらいの少年と話しているような気になった。
「あー、先生。なんだか空気が、海しょっぱくなってきましたー」
その青年が、少し前を歩いていたササタベーナ氏に向かって声をかける。
「しょっぱいって……。空気の移り変わりを、味で察知してるの~? ブラン君」
ビセンテ率いる一行は、たしかに東区を通り抜け、海側にある南区にさしかかったところだった。
「は、はい。南区に入りましたので、まもなく≪金色のひまわり亭≫でございます……!」
ミオナは慌てて、言葉を添える。
テルポシエ大市、南区あなご通り三一七番地までは、あとちょっとだ!




