48. 主菜は地鶏のブラックベリーソース
主菜、鍋蒸し地鶏肉の皿を空にするまで、アンリは周囲の会話をほとんど聞かなかった。
ひたすら地鶏を、黒いちごを、海水れたすを口中に抱きしめて。その妙なる調和に全感覚をゆだねている……。
――何という融合のわざなのだろうか。軽快にして深淵、たとえて言うなら闇夜にまたたく星々の祝福を浴びたような恍惚感……。そう、これは宇宙だ。俺は今、≪麗しの黒百合亭≫という、宇宙の真髄に触れているのだ……!
「これ、アンリ。お前の鍋哲学は、胸の中だけで言え」
ぼそっとナイアルが指摘してきた。アンリはついつい、口に出してしまったらしい。
「はっ、すみませ……」
その時。ゆらり、と戸口に立った人影がある。
「福ある夜を」
低く放たれたその声に、アンリのいちご金髪がぴくりと震える。
「こんばんは、ティエリさん!」
満足気に口元を拭いていた手巾を脇に置いて、ベッカは朗らかに呼びかけた。
「今日のお料理も、すばらしかったです!」
会食の主催者であるベッカの近くまですいっと寄り、≪麗しの黒百合亭≫料理人ティエリ氏は白い帽子をとった。
「わたしは、栗のお汁がとっても気に入りましたわ。リブちゃんも、ねえ?」
ゾフィがなごやかに言ってから、卓子の端の娘を見る。
食べ終わったばかりだったリブレイン嬢は、ばあやさんに拭かれる前。口のまわりにつぶし栗のひげをいっぱいつけた山賊おじさん顔で、どやっとティエリ氏に笑いかける。
「ありがとう存じます」
料理人ティエリは、慇懃に頭を下げた。卓の中ほどにいるアンリには、意識してなのか全く視線を向けていない。
「今日は僕のお友達をご招待していたのです。こちらの皆さんはティエリさんと同じく、テルポシエの方々なんですよ」
まろやかふくよかにベッカに言われ、ナイアルは腹をくくった。
ここは何としても、自分が丸くまとめなければいけない!
ふんっと短く鼻で息をしてから、ナイアルは座ったまま、びしっとティエリに身を向けた。
「……テルポシエ南区。≪金色のひまわり亭≫副店長でございます。店員一同、噂にたがわぬ至高のお料理を堪能させていただきました」
かくッと頭を下げてから、真摯なぎょろ目まなざしで背の高い料理人を見据える。
金髪なのだろうが、ほぼ剃り上げた頭。ぎしりとやせて、まるで苦行者のような厳しい顔つきは、全くアンリに似ていない。
しかし見返してくる翠色の瞳には、あふれるほどの生気が満ちて真剣であった。
「……お口に会いましたなら、光栄でございます」
孤高の料理人がするっと身をひるがえした、その時だった。
「あ・あ・あ・あのぅっっっ」
どもりがちに、絞り出すような声がナイアルの背後で上がる。
料理人ティエリは、するどくアンリを見た。
うわっちゃー、とナイアルは肝を冷やす。
「あのっ。……おみごと、でしたッッ。さすがは、≪麗しの黒百合亭≫ティエリの味、だったと思います。おいしかったですっっ」
それで黒百合亭の料理人は、……軽くうなづいた。
反対側のダンが見ていて、こいつ本当やばいんじゃないのと心配をつのらせるほどに、アンリは焼きたて顔を赤く光らせている。
「食後の甘味をお持ちします」
そのアンリから視線を外すと、ティエリはベッカに向かって低く言い、すーっと静かに出て行ってしまった。
アンリは、唇をかみしめている……。
――まだまだ、足元にも及ばない。しかし……。しかし俺はいつか、追いついてみせるぞ! ティエリ兄さんっ!!




